寝起き特有のだるさと胃のむかつきに頭痛を加え、最悪な気分で目が覚める。カーテンの隙間から差し込む日の強さは、すでに昼時のものだった。休みの日だからといってなんてまあ自堕落な生活なの、と母親がいればこってり叱られただろうが、綱吉自身は自堕落だろうがなんだろうが休みの日を好きに使って何が悪い、と常々思っているし、口うるさい母親も今は遠い異国だ。何の問題もない。 しかし、さすがに今は飲みすぎて気分が悪い。酒はもう二度と飲まない、と二日酔いで苦い経験のある者なら誰しもが思うことをまた綱吉も思った。 「いって〜ッ……気持ちわるっ」 綱吉は体を起こし、ガンガン痛む頭を押さえ、気持ちの悪さに口を手で覆う。なんとなく吐く息がまだ酒臭いような気がしてますます気持ち悪くなった。自業自得とは言え、寝起きからこれはつらい。 「ん? ……あれ、オレいつ服なんて脱いだんだ?」 少しでも気持ち悪さを減らそうと胃の辺りをさすると、素肌のまま何も身に着けていないことに気づく。いつ脱いだのか記憶を探ってみても、まったく心当たりが無い。酔ったら脱ぐ癖でもあるのだろうか。記憶が飛ぶまで酒を飲んだ経験が無かったので、綱吉は外で飲まなくてよかったと変なところで安堵した。泥酔したあげく記憶まで飛ぶなんて、かっこ悪いことこの上ない。 「服、服……ってうわぁああ!? なんだ!?」 よいしょ、と重たい体をひきずってそこらへんに脱いだのだろう服を探そうとぼんやりしながら辺りを窺うと、隣に何も身に着けていない友人の姿があって驚愕する。いきなりの視界の暴力に思わずひっくり返ってしまった。ぶべ、と後頭部をぶつけて朝から目を回している綱吉の耳に、くすくすとした笑い声が入る。 「寝起きから騒がしい人だ」 「おまっ…骸! 服を着ろよ! 服を!」 恥ずかしくないのかと指さすと、寝起きでいつもより低い声で、君だって似たような格好じゃないですかと返される。確かに。 「いや、でも上だけ脱いでるのとぜんぶ脱いでるのじゃぜんぜん違う」 「寝苦しいの嫌いなんですよ。締め付けられる感じが好きじゃありません」 「だからってなぁ…せめてパンツくらいはけよな」 確かに綱吉もシャツさえ着ずに上半身裸だったが、だからといって全身裸よりはマシだろう。大体、少しは恥ずかしがって隠すとかしたらいいのに、友人はこれまた堂々としているので綱吉の方が目のやり場に困る。本当に、朝から変なものまで見せられて最低な気分である。 「う゛〜…いま、何時?」 「十二時になる十五分前です」 額を押さえながら問う綱吉に、骸は近くに脱いだ服の上からわざわざ腕時計を拾って時間を確かめ、答えてやった。 いつもはきれいに整えている髪も、横になっていたのでじゃっかん崩れている。手ぐしで髪をかき上げる骸を後目に、綱吉はため息を吐いた。気分の悪さは晴れない。それに加え精神的疲労などの+αを含めて、朝から疲れる。酔って記憶を飛ばしたあげく、寝起きのベッドに全裸の友人とか、まったく色気が無い。それでも隣に女性がいたらいたらで大変困る事態になるのでまあいいか、とすぐにくだらない想像に終止符を打った。 「寝すぎと二日酔いで最悪だよ……。二日酔いの薬かなんかあるっけ?」 「そういうことは千種に聞いてください。そういった物の管理は彼に任せていますから」 二日酔いでぼろぼろな綱吉とは正反対に、骸は気分の悪さなど微塵も感じていないらしい。素早く身支度を整えけろりとしている骸に、綱吉は昨夜さんざん飲まされたせいで痛む頭を抑えながら恨めしそうに睨んだ。人に勧めといて、この違いは何なのだと思っても仕方ない。 「……お前、オレとおんなじくらい飲んだのに平気そうだな」 「まあ限度が分からず無様に記憶を飛ばす、なんて事はしたことがないですね」 フフン、とでもいう様な調子で骸に見下ろされむかっとした。あからさまに馬鹿にされ、綱吉は悔しげにブツブツと文句を言った。 「納得いかない。そもそも最初に勧めてきたのはお前だろ! って、てて〜……」 綱吉は激しい頭痛に呻いて頭を抱え、またベッドに撃沈する。 「ああ、そんなに怒鳴って朝から血圧上げることもないでしょうに」 「誰のせいだよ誰の」 痛みで思わず涙声になる綱吉だ。 「僕ですかね」 しらっと告げる骸に拳を握るもすぐに解いた。綱吉はダメだ、頭いてーと力の無い声で一つ下の少年に情けなく訴えた。 あまりにも弱弱しい声だったからか、骸はベッドに横になって頭と胃をそれぞれ撫でさすっている綱吉に毛布をかけてやる。 「もう少し横になっていたらどうですか。今日は特に予定もないんでしょう?」 「多分……あー、でもマネージャーと打ち合わせある、かもしれない」 「あの銀髪の彼ですか」 「そう。呼び出されれば、行かなきゃなんないなぁ」 出会ったときに説教されたのがいまだに気に入らないらしく、骸は顔を顰めた。「でも、どうかなー…まだ分かんないや。詳しい連絡、入ってないし」 横になって小さく丸まりながら綱吉は返事をした。まだ人肌に温められたシーツの誘惑に、眠気が誘われてしまう。このまま起きて苦しい思いをするよりは、さっさと横になって身体を休めたほうがいいだろうという判断で、遠慮なく眠ることにする。 「そんな格好で寝づらくないんですか」 みの虫のように丸まってうつらうつらしている綱吉に骸は呆れたように小声で呟いた。そんなに狭いベッドじゃないでしょう、と言われて綱吉はそういえばこれは骸のベッドだったな、と思い出す。綱吉の部屋にあるベッドより大きいサイズなので、寝ぼけて床に落ちる事は無いだろう。部屋主の枕を自分の方に寄せて、その上にぼふんと頭をのせる。 「わるい、もうちょっとベッド借りる……」 「どうぞ。僕はシャワー浴びてきます」 いってらっしゃいという意図をこめて、毛布から手を出しひらひら振る。 「起きたら君も入ったほうがいいですよ。頭からアルコールかぶってましたから」 「なんだそれ。オレそんなこと、したっけ」 もぞもぞと毛布の中から顔を出し、替えの下着やバスタオルなどを取り出している背中を見た。 「覚えていないんですか?」 「記憶がないんだよ……」 骸は振り返って肩をすくめた。年下だと言うのに、骸はそうした動作が嫌味なほど綱吉より似合っている。 「そうでしょうね。昨夜は散々飲んで酔っ払った君をベッドに連れて行こうとしたら、君は床に転がった空き缶を踏んで顔面から床に無様に激突。さらに酔っ払った犬が君に躓いて持っていた中身の入ったカクテルをぶちまけた、っていうのが昨日の顛末ですよ。コント見ているみたいで面白かったですが、君は外では飲まないほうが賢明ですね」 「……そうするよ。くそー、だからおでこが痛いのか」 頭痛のほかにやけに額がじんじん痛むと思ったのだ。綱吉はおでこに触れ、顔をしかめた。 「鼻が低くてよかったですね」 「ご心配どうも。他に、オレなんか迷惑かけた?」 ちくりとする嫌味も、わざわざベッドまで連れてきてくれたのだろうから感謝こそすれ、文句を言うのは筋違いだ。でも、もうちょっと言いようがあるんじゃないかと綱吉は居たたまれない気分をごまかすように話を逸らした。 「他に……そういえば、やけに色恋について言っていたような」 「色恋? どんな?」 「そうですねー、やっぱり付き合うなら女の子だよなぁとか、でも好きになったらそんなの関係ないのかな、なんてぐだぐだぐだぐだ言ってました」 思い出すように言う骸に、綱吉の背筋がざぁーっと冷たくなる。 もしかしたら、先ごろ友人に内緒で打ち明けられたことを、酒の勢いでぽろっと洩らしてしまったのかもしれない。綱吉は勧められるままに酒を飲んでしまったことを、今さらになって後悔し始める。 「む、むくろ」 「はい?」 「オレ、他にどんなこと言ってた?」 「どんな、とは?」 「だからその、色恋うんぬんの話だよ」 もし本当に酒の勢いで大事な秘密を話してしまったとしたら、自分を信頼して打ち明けてくれた友人に申し訳なさ過ぎる。それを聞いた三人がその話をマスコミに売る、なんてことは無いとは分かっているが、それとこれとは話は別だ。 「いいえ、特には。まあ、君が今まで何人の女性に振られたのかは知っちゃいましたけど」 「オレそんなことも喋ったの!?」 最悪だ、もう二度とお酒なんか飲まないと一人後悔しっぱなしの綱吉を放って骸は唐突に口を開いた。 「好奇心ついでにもう一つ。もしも、という仮定で話をしますが」 「うん?」 いつものうさんくさい笑顔はなりを潜めているので、綱吉は自然と骸に視線を向けた。黙っていればいい男だ、とは彼の妹の言葉である。確かに、と綱吉はどうでもいいことを思い出した。 「もし君が長い人生において、異性ではなく同性を好きになってしまったらどうします?」 「それは、あー、オレが男を好きになったらってこと?」 「ええ」 やっぱり自分は友人とその恋人の関係をばらしたに違いない。でなければこんなことを骸がわざわざ話題にするはずが無い。綱吉は今すぐにでもその友人のいる方角に向けて土下座したくなった。 そんな綱吉の内心など露とも知らないまま、骸が続ける。 「相手に告げますか? 好きだと言えますか? 同性である相手に劣情を持っていると告白するようなことを、綱吉くんならわざわざ言いますか?」 淡々とした物言いに、綱吉はぱちくりとまばたきをした。 綱吉自身は普通に女の子と付き合いたいと思っているが、だからといって別に同性愛を否定するつもりはない。毛嫌いする気も、糾弾する気なんてこれっぽっちもない。好きあっている人間をわざわざ糾弾するなんて野暮な真似をするほど暇でもない。誰が誰を好きになろうが、好きになっちゃったらどうしようもないんじゃないの、と思う。他人事だから余計に。 かといって、みんながみんな綱吉のように寛容的かといえば、そうじゃないということくらい知っている。骸は、一つ下の友人は同性愛に対する偏見を持っているのだろうか。まあ、別に誰がどんな意見を持とうと自由だと思っているので、綱吉は当然ながら骸を否定する気もない。それも一つの考えだ。 「どうしてそれをオレに聞くんだ?」 「ただの好奇心ですよ」 綱吉はベッドに横になったまま言葉を探した。誰がどう思おうと自由だが、ここで否定したら自分の友人たちも否定することになるのではないかと綱吉は考えた。幸せそうに笑う友人の顔が脳裏に浮かぶ。 「それは、本人次第なんじゃないの。言って上手くいく場合もあれば、悪い場合もあると思うし。まあオレだったら、もし好きになっても言わないと思うけど……。そんなこと言われても迷惑だろうし」 「へえ……」 「オレの場合だけどね。そんなさぁ…好きなんて言うの恥ずかしいじゃん。断られたら嫌だし」 世の中には色んな人間がいる。それと同じくらい意見や考え方も違う。それでいいんじゃないの、と面倒くさがりな綱吉は考える。 「逆に聞くけど、もしオレが同性を好きになったらお前はどう思う?」 「別に、どうも思いませんよ」 「気持ち悪いとか思わないの? 全然?」 「誰が誰と番おうと僕に関係ないことならば、お好きにどうぞ、って感じですね」 あっさりと首を振る姿は意外に思えたし、骸らしくもあって綱吉は思わず苦笑した。人の恋愛に首を突っ込むような人種ではなさそうだ。 「オレ、お前らが誰を好きになっても応援すると思うよ」 「……それはどうも」 「まあ、骸だったら相手なんてより取り見取りだろうけど。性格は置いといても、お前見た目だけはいいから女の人が放っとかないよ」 骸は、それこそ現役を退いたミセスから黄色い帽子をかぶった幼児まで、世代を問わずに魅了するような美しい少年だ。同じ男に美しいなんて言葉を綱吉は使いたくないが、一緒に歩くと女性どころか男性までもぽーっとなって振り返ることを知っていたので、この友人の見目がいいということは客観的な事実だろう。 綱吉が歩くときはいつも三人に囲まれるようにして歩いているので、周囲が綱吉に目を向けることは無い。ただでさえ、三人は背が高くて目立つので人の視線は自然と彼らに向くことを綱吉は知っていた 「有象無象の連中に色目をかけられるより、たった一人に気づいてもらえなきゃ意味無いと思いますけどね」 ぽつん、と呟かれた言葉に綱吉は目を丸くした。 「なんだ、好きな子いたのか?」 「ええ」 驚く綱吉に、骸はこれまたあっさりと肯定した。その潔さがなんだか男らしい。いや、男だけれども。 「へー。そりゃ初耳だなぁ。どんな子? 可愛い?」 興味津々とベッドの中から訊ねる声に、骸は口角を上げた。そうやって笑うと、何かを企んでいるように見える。 「可愛いかどうかは別として、小突き回したくなるような感じはありますね」 「お前……好きな子ほど苛めたいって、小学生か」 呆れたように見上げると、クフフと人の悪い笑みを浮かべる。否定はしないらしい。 「言わないのか? その子に」 好奇心から、綱吉は聞いてみた。少し捻くれたところのある友人が好きになった子とは、一体どんな子だろう。ふわふわとした雰囲気の、やさしく、温かな少女の姿を想像した。 「何をですか?」 「何をって…決まってるだろ。好きだってことだよ」 「そうですね……。言ってもいいのかもしれませんが、今はまだ、このままでもいいと思いますから」 「そんな悠長なこと言ってると、誰かにとられちゃうかもしれないぞ」 「誰であろうが、僕の邪魔する人間は消すだけです」 にやにや笑ってからかう綱吉に、骸はにっこり笑ってとんでもないことを告げた。物騒な言葉に内心がくりと力が抜けたのを気分が悪いと思ったのか、骸はその話を切り上げて綱吉に寝るように言った。それに素直に頷いて綱吉がずれた毛布を寝ながら直すのを見届けると、骸はシャワーを浴びに部屋を出て行った。 人の気配の消えた室内に、綱吉は寝返りを打った。起きたら、結局後片付けを全部一人でやっただろう千種に礼を言って、薬を貰おうと思いながら目をつむった。しばらくすると、手放した眠気がやってきて、綱吉はゆるく息を吐いた。 携帯電話のランプがちかちかと光って着信を告げていたが、綱吉はそれに気づくことなくそのまま眠りについた。 >>続く |