スクアーロは綱吉の付き人であるくせに他にも仕事を抱えているらしく、いざというときに中々つかまえることができない。今回も例に漏れずそうだった。
 しかし、しばらく留守にするときには必ず連絡を寄越すし、母親に言われるような私生活での注意ごとを残していくので、綱吉はスクアーロがいつ留守にするのかと言うことは大体知っていたので何の問題もなかった。
「そろそろ現場に戻ろうかな、って。もう十分休ませてもらったから」
 綱吉がそう告げたのは、スクアーロが別件で日本を経って三日目のことだった。電話越しで何やらキキーッ、ドドォォンッ!!と物騒な破壊音が聞こえたが、一切スルーする。決して短くない付き合いだし、詮索するのは好きじゃない。
「ああ゛っ!? 何だいきなりっ!そんな話し聞いてねぇーぞぉ!!」
「今言った。……忙しそうだから切るよ?」
「……すぐかけ直すからどういうことか説明しろ゛っ!!」
 今もってスクアーロが何をやっているのかはまったく不明だが、とにかく忙しそうなことだけは雰囲気で分かったので、綱吉は用件を言うとすぐに電話を切った。物騒な気配がしたからというのもあるが、そこはプライバシーであるから普段からあまり深くは突っ込まないように気をつけている。
 スクアーロは言ったとおりきっかり五分後、折り返し電話をかけてきた。なんでも、今は仕事の都合で色々な国を飛び回っているということらしく、日本に戻ったらまたすぐ連絡するとのことだった。綱吉は素直に頷いて電話を切った。
 言われたとおり綱吉はスクアーロが帰国するその時までわりと大人しく過ごしていた。たまに我慢ができなくてふらふらと友人の家に遊びに出かけたりはしたが、ほとんどを自室で過ごしたりジムに行ったりするだけにとどめた。下手に外出をして騒ぎになるのが面倒だった。
 電話をしてわずか二日後にスクアーロは綱吉のマンションを訪ねてきた。
「テメ゛ー……なんだこのきったねー部屋は!!」
「…そうかなぁ。これでもきれいにしたほうなんだけど」
 人の部屋に入って第一声がこれだ。綱吉は黒いコートを脱ぐことなく上がりこんで文句を言うスクアーロに、ぽりぽりと頬をかきながら部屋を見渡した。
 床に出しっぱなしのDVDはちゃんと中身をしまって積んであるし、脱ぎ散らかしていた服は洗濯機の中に丸ごと突っ込んである。一応ちゃんと掃除機だってかけたのだから、合格だろう。
 なんで怒っているのか不可解だ、と首を傾げた綱吉の頭に拳骨が降ってきた。
「あいて゛っ!?」
「部屋くらいきちんと片付けろ゛ぉっ!! いらねーもんはゴミ箱に捨てろって何回言わせんだテメーはっ!」
「だからって殴ることないじゃないかっ!」
 遠慮なくゴツンと殴られてひーひーと頭を抱える綱吉を見下ろし、スクアーロは深くため息をつき、空いているソファにどかりと腰を下ろした。
 眼差しだけで人を切れるような鋭い眼光が自分に向いたので、綱吉はしぶしぶながらもそこらへんに散らばっているお菓子の袋をゴミ箱に捨てた。ついでに崩れていた本の山も簡単ながら直す。千種に借りていた漫画の類だ。これのおかげで退屈を感じなかったので、綱吉は後で他にも面白いのがあれば貸してもらおうと思った。
「男のくせにいちいち細かいんだもんなぁ。オレの母さんかっての!」
 綱吉がぶつぶつと聞こえないように文句を言っても、スクアーロにまたしてもべしりと叩かれてしまった。しっかり聞こえていたようだ。
「暴力反対っ!」
「うるせぇ! お前もさっさと座りやがれぇっ!!」
 カリカリしているスクアーロに逆らうのも面倒なので、綱吉も素直に言うとおりにする。ソファに座られてしまったので、綱吉は直接フローリングに座った。空港から直接来たのか、スクアーロは鈍く輝く銀色のアタッシュケースを一つ持っていた。
 普段は鞄など持ち歩かないのに珍しい、と綱吉が見ているのに気づいたのか、スクアーロはまあまあ綺麗になったガラステーブルの上にアタッシュケースを無造作に置いた。
「割れないとはいえ、もっと丁寧に置いてよ」
「男のクセにこまけーこと言ってんじゃね゛―。それより、テメーの望むもん持ってきてやったぜぇ」
「オレが望むもの?」
 なんだそれ、と訝しげにケースとスクアーロを見る綱吉に、スクアーロはケースの中から束になった書類を取り出し、綱吉に投げた。なんとも乱暴なしぐさながらスクアーロらしい。
「わ、わっ!? ……なんだこれ?」
「テメーが仕事してぇっつーから持ってきてやったんだろ゛―が」
「え!? これ全部仕事!?」
 ばさばさと投げてよこされる書類の量に仰天する綱吉に、ニヤリと人の悪い笑みを浮かべてスクアーロが頷いた。
「こっちはアメリカで、こっちはイタリア、あ、これもイタリア、イギリス? カナダ? なんだこのノーボーダな仕事類は!?」
「そろそろこっちの仕事に飽きたって言い出す頃かと思ったからな゛ぁ」
 まさにそのとおりなので、綱吉はむぐ、っと唸った。
「だからって……だからってさぁ! こんな一気に持ってくることないじゃん。オレを殺す気か…!」
「せいぜい馬車馬のように働くんだな゛ぁ!」
 高笑いするマネージャーに綱吉はガガーン!と、ショックを受ける。恐る恐る書類に目を通していけば、半年から一年かけて撮られる映画が少なくとも三本以上はある。しかも何故か時期が重なっている。普通に考えてこなせる量ではない。
「これは、どう考えても無理だよ……」
「自分から言ったくせにだらしねーぞぉ」
「あきらかにそういう問題じゃないよね!? この量、尋常じゃなさ過ぎるだろ」
「忙しいうちが花って言うからな」
「いや…まあそうかもしれないけど…。戻るとは言ったけどさ、こういうのはまずオレと相談してから受ける仕事決めようよ」
「って、言うのは分かりきってたことだからなぁ。まだ契約してね゛ぇーよ」
 顔面蒼白になって書類を見ている綱吉に、スクアーロは人の悪い笑みで返した。さすがにこの量をこなせるとはいくらなんでも無理だという事が分かっているらしい。
「あ、そうなの?」
 それを聞いてホッとした綱吉は、手元の書類をあらためて見てみる。
「どこもすごいな……。ほとんどオーディション無しじゃん」
 こうしてみると、なかなかに条件の良さそうな仕事ばかりなので、さすがはスクアーロだと感心した。敏腕マネージャーもとい、仕事ができる男である。
 よく見てみると、バックについているスポンサーも配給会社も一流揃いだった。
「そういやぁ、一つだけどうしてもオメーに出てくれってしつけーのがあったな」
 ぱらぱらと書類をめくる綱吉に、コートを脱いだスクアーロが思い出したように言う。コートの下は、コートと同じように黒いスーツだ。ジャケットを脱いでシャツだけになったスクアーロに綱吉が尋ねる。
「どれ?」
「貸せ」
 素直に渡すと、スクアーロは顔をしかめて束の中から取り出して綱吉に返す。
「これだ」
 綱吉は渡された書類の内容を確認する。英語から離れてしばらく経つものの、案外覚えていることに綱吉は安堵した。
 要約すると、世界規模のイタリアの老舗高級車メーカーがスポンサーとなって映画を製作するらしい。
「なんだってこんな有名どころがオレにオファーなんてするんだ?」
 跳ねた馬のシンボルマークで、日本でも熱心な愛好家がいる老舗の車メーカー。あまりの大物のご指名に、喜ぶどころか逆に不思議に思って綱吉はスクアーロを見上げた。
「そこのオーナーが、お前のファンなんだよ」
「なんでそんなこと知ってんの?」
 綱吉の最もな問いに、スクアーロは苦虫を噛み潰したような凶悪な顔をした。あまりに物騒な表情に、思わず腰が引ける綱吉に、チッと舌打ちをしてスクアーロが答えた。
「オーナーと知り合いなだけだ」
 世界的大企業のオーナーと知り合いとはこれいかに。スクアーロの意外な交友関係を垣間見て、ますますスクアーロに対する謎が深まる綱吉だった。
 仕事や所属先も含め、相変わらずよく分からないなあと出会ってからすでに何度となく浮かんだ疑問がまたしても浮かんだが、綱吉が何かを言う前にスクアーロが踏ん反り返った。
「断ってもいいぜぇ。むしろ断れ」
「でも、知り合いなんだろ?」
「昔からいけすかねーヤツだったからな。アイツが困ろうがこっちは知ったことじゃね゛ぇ」
 ケっ、と吐き捨てるスクアーロは本当に忌々しそうだったので、そこまで言うなら、と綱吉は書類をスクアーロに返した。
即座に書類を捻ってゴミ箱に投げ捨てたスクアーロのざまあみろとでも言うような姿に、よほどストレスでも溜まっているのかと綱吉は少々心配になった。
「他にはどんなのがある?」
「好きなのを選べ」
「って言ってもなぁ……何枚あるんだ、これ」
 分厚い紙の束を隅々まで目を通すことになると、一日、下手したら三日はかかりそうだ。仕事で疲れているスクアーロに付き合ってもらうのも申し訳ないので、綱吉は書類を丸ごと受け取って後で読むことにした。
「疲れてるんだろ? 泊まってけば?」
 ソファに座っているスクアーロは、いつもより覇気がない。外国での仕事がよっぽどきつかったのか、それとも時差ボケか、はたまた両方か。綱吉には見当もつかなかったが、このまま返すのも心配だったのでそう誘った。だいたい今さら遠慮する間柄でもない。スクアーロも否と言わなかったので、結局そのまま泊めることになった。
 冷蔵庫には飲み物やインスタントラーメンなどしか入っていなかったので、それに呆れたスクアーロに連れられて寿司を食べに行くことになった。
 昔から家族で通っていた小さな寿司屋だが、以前味にうるさいスクアーロを連れて行ったところ気に入ったらしく、またそこへ足を運んだ。
「やっぱ寿司は日本に限るぜぇ」
「だな! やっぱりネタが違うよネタが」
 お腹が一杯になった帰りは、疲れていながらも危なげなく運転するスクアーロに任せて途中眠ってしまっては怒られた。家に戻ってからは先にスクアーロに風呂を譲り、綱吉はテレビをつけたまま受け取った書類の束を一つ一つ見ていった。
「ん? なんだこれ」
 その中に紛れ込むように隠れていた一枚のカードを見つけ、不思議に思って裏返す。ただの白い紙に見えるが、上等な物だ。選んだ人間のセンスの良さがうかがえる。
「あれ、これって……リ、リボーン!?」
 見覚えのある名前がサインされていることに気づき、綱吉は思わず息を呑んだ。
 見知った人間どころではない。綱吉の俳優業における師匠であり、不得意な外国語や立ち居振る舞いを、鬼さえ裸足で逃げそうなくらい厳しく完璧にこなすよう指導した家庭教師だ。記された名前から過去のことを思い出してしまい、ぶるりと震える。
 ダメツナダメツナとさんざん馬鹿にされながらも、愛の鞭と言う名で散々しごかれた地獄の日々は今でも忘れることのできない思い出だったが、リボーンに出会っていなければここまでのキャリアは積めなかっただろうとも思っている。
「何の用だろ」
 何事も恐ろしく器用にこなす天才肌の先生を思い出しながら、綱吉はカードに書かれた文面を読んで、眼を見開いた。
 そこにはただ一言だけ、綱吉に対するメッセージが書かれていた。
『いつまで燻っているつもりだ? ダメツナ』
 流れるような美しい筆記体は確かに先生の物で、綱吉はまじまじと文字を見つめた。思わずソファの上で背筋を正した綱吉の背後で、急にばたんと扉が開く。
「……何やってんだ?」
 思わずぎょっとして飛び上がる綱吉を、風呂から上がったばかりのスクアーロが不審そうに見る。ご自慢の長い銀髪はドライヤーを当てた後らしく、いつもよりしっとりと濡れていた。髪だけ見れば女性かと思うほどきれいなのに、全身で見るとどう頑張っても男にしか見えない。風呂上りで熱いのか、黒い寝間着のボタンを三つ外している。
「ス、スクアーロか。おどかすなよ」
「他に誰がいんだぁ?」
「いないけどさ…びっくりしたんだよ」
 それこそ神出鬼没な家庭教師かと思って心臓が飛び出しそうだったとは言えず、綱吉は曖昧に言葉を濁した。
「それより、これ。リボーンからだった」
「ああ゛?」
 これ、と言って隣に腰を下ろしたスクアーロにひらひらとカードを翳す。怪訝な顔をしているスクアーロを横に、綱吉は立ち上がってカードをズボンのポケットに入れた。
 スクアーロはソファに座り、綱吉に風呂に入るように言った。それに頷いて立ち上がり、綱吉はキッチンに向かう。
「今日はもう仕事なし?」
「ああ。それがどうかしたかぁ?」
「じゃあお酒持ってくよ。さっき買ったやつ」
 そのまま冷蔵庫に行き、中からスクアーロの好物であるまぐろのカルパッチョを取り出し、冷凍庫からは冷やしていたウォッカを取り出して戻る。
「はい、どうぞー。お仕事いつもお疲れさまです、なんちゃって」
 そう言って酒と肴、栓抜きを持っていくと、他の書類に目を通していたスクアーロの目が好物を見つけて爛々とする。
「気が利くじゃねーか」
「マネージャーにはいつも世話になってますから。たまにはこれくらいオレだってするよ」
 テーブルの上に散らばった書類を片付けたスクアーロは、綱吉の手の中の物を受け取る。綱吉はさらに箸とグラスを取りに行って、テーブルの上に置いた。
「リボーンは元気そうだった?」
 グラスに酒を注いでやり、好物を食べるスクアーロに綱吉は何の気なしに尋ねた。とろとろに冷えたウォッカを飲みながら、スクアーロは綱吉の疑問を首を振ることで否定した。
「あいつには会ってねぇ」
「え? でも、ちゃんとリボーンの筆跡みたいだったけど」
 ポケットからカードを取り出してしげしげと見て、やっぱりそうだと頷く綱吉にスクアーロは眉を寄せた。解せないという表情に綱吉は苦笑する。
「一体いつの間に紛れ込ませやがったんだぁ?」
「あの人…神出鬼没だから…」
「違いねー」
 綱吉の過去を思い出しながらの言葉に、面白くなそうな顔をしながらもスクアーロは否定しなかった。
「んじゃ、とりあえずオレも風呂入ってくる」
「ああ」
「布団敷いてるし、眠かったら先に寝てていいから」
 どうせ見ないだろうとテレビを消して、スクアーロに一言断ってから綱吉は風呂場へ向かった。途中部屋から下着とパジャマを持ってくるのも忘れない。
 ふぅ、と温かなお湯の中で体を伸ばしながら、綱吉はカードに記された言葉を反芻する。もくもくと天井に上がっていく湯気をぼーっと追いかけた。
「いつまで燻ってるつもり、かぁ」
 耳に痛い言葉だった。ダメツナと呼ばれていたときから、投げ出すことなく、見捨てることなく指導してくれた先生らしい言葉でもある。今でもまだ自分のことを気にかけていてくれるのが、綱吉にはなんだか嬉しかった。
「ダメツナ…か。やっぱ、敵わないなぁ」
 文面を思い出し、綱吉は苦笑した。どんなにこき下ろしても、いつも最後にはケツを蹴っ飛ばして発破かけてくれた師匠らしい。
 綱吉はそれかららしくもなくぼんやりとして、いつまで経っても上がらないことを心配したスクアーロが様子を見に来るまでずっと、あたたかな湯に浸かっていた。














>>続く