「彼女が欲しい」 「なんですか、いきなり」 顔を見て開口一番そう呟いた綱吉を、骸は胡乱気に見た。その視線がまるで今歩いてきた外気のように冷たかったので、綱吉は思わずうっ、と詰まった。 最近はめっきりと寒いので、今日は骸たちの家で鍋パーティーをする予定だった。あいにく凪は撮影のため今回は参加できないと先に連絡をもらっていた。控えめな口調ながら、今度は私もいっしょにやりたいと言われたので、綱吉はもちろんと約束をした。 差し入れのジュースやお菓子を千種に手渡して、殺風景なリビングで異様な存在感を放っているこたつに足を突っ込んだ。ぬくぬくとするので、すでにコタツの住人になっていた犬なんかはよだれを垂らしてすっかり寝入っていた。テーブルの上には食べ散らかしたみかんの皮が無造作に積まれている。 「人の顔見ていきなり彼女が欲しいとか言い出して。外の寒さで頭まで凍ってしまったんですか?」 「そう思うようなことが色々あったんだよ」 「その色々という部分を省かれても、僕にはさっぱり検討がつきませんね」 不意打ちでべしっと頭を叩かれ、綱吉はテーブルに額をぶつける。いでぇ! と叫んだ綱吉を骸はきれいに無視した。 彼は座っていたこたつから立ち上がり、いたいいたいとぶつけたところをさする綱吉を放ってそのままリビングを出て行ってしまった。わけがわからなくて綱吉は呆然とする。怒らせることを言った覚えはないので余計にわからない。ただかわいい彼女が欲しいと言っただけなのに。 「危ないぞ」 ぶつかったところをしばらくさすっていると、後ろから声がかかる。綱吉はこたつに入ったまま後ろを振り返った。 「うわー! 鍋だ! うまそう!! これ、全部千種が作ったのか?」 「材料を煮込んだだけだけどな……」 「それでもすごいじゃん」 うまそーだなー、とほかほかと湯気が立ち上る鍋の中を見て綱吉の瞳が輝く。千種は鍋つかみを両手にはめていて、その手でレンジの上に鍋を置いた。湯気のせいで眼鏡が曇っている。 「んあ? イーにおい…、かに、かにのにおい!」 「小鉢持ってくるから、絶対にまだ食べるなよ」 出来上がったいい匂いにつられたのか、よだれを垂らして眠っていた犬がむくりと起き上がった。目の前にある鍋を見る目は今にも獲物に襲い掛かりそうで、すかさず千種が注意する。かにかにかにー、とはしゃぐ犬は、そんな注意など聞いてない様子で鍋を見つめていた。 「……オレ、代わりに持ってこようか?」 「……頼む」 千種が立った後、すぐにでもカニにかぶりつきそうな犬を自分では止められないと思い、綱吉は立ち上がった。面倒だったが、冬眠明けの熊のような状態の犬を止められる自信はまったくなかった。こたつのあるリビングから出てキッチンに向かう。 「持ってくのってここに置いてるやつでいいのかな?」 「いいんじゃないですか」 キッチンに入ると、見えるところに人数分の箸や小鉢が用意されていた。綱吉はリビングから出て行ってしまっていた骸の背にたずねる。骸は振り返りもせずに適当に相槌を打った。 「犬も起きたし、もうご飯食べるって」 小鉢と箸を両手で持って、反応の鈍い骸に声をかける。骸は持っていた缶を片手で握りつぶし、綱吉の近くに置かれていたゴミ箱に投げ入れた。ガコンっ、と音を鳴らせるのを横に聞きながら、綱吉はタラリと冷たい汗をかく。 「お前、なんか怒ってんの?」 「どうしてそう思うんですか」 笑みを浮かべながら首を傾げる骸に、むぐ、と口をつぐむ。どうして、と骸は問うが、どうしてもなにも、張り付いた完璧な笑顔がかえって薄ら寒いんだよ、とはっきり言えない綱吉なので、ふらふらと視線をそらした。 「いや、なんとなく」 藪をつついて蛇を出すような真似はしたくないので、綱吉は早々にキッチンから逃げ出した。後ろからわざと聞かせるようなため息が聞こえる。骸は逃げていった綱吉の背から目をそらし、冷蔵庫から新しい缶ビールを数本取り出してリビングに向かった。 「取り皿分けて…箸いった?」 「来たよ」 「んじゃ食うぞ! 食うかんな!! オレのかにかにかにー!」 こたつにそれぞれ座り終え、千種の確認に綱吉が頷くと、目にも留まらぬ速さで犬がカニを取る。 「あっち゛―!! あづっ! でも……うまいびょん!」 「忙しないですね、もう少し静かに食べなさい」 「らって、腹減ってるんれす!」 鍋から取り出したカニにすぐかぶりついた犬が、やけどを気にせずもぐもぐと口を動かす。その姿を呆れたように見ながら骸が注意する。 「早く取らないと、なくなるぞ」 「あ、う、うん」 すごい勢いで減っていく鍋を見ながらぽかんとしている綱吉に、千種は自分の分をきちんと確保しながら、骸の分を小鉢に取り分けている。のんびりとした様子で缶の中身を空けている骸に、ちゃんと食べてください、と小言のようなことを言う。 綱吉も自分の分を小鉢に、カニはもちろん魚介のスープが染みこんでいる野菜や豆腐も一緒に入れる。好き嫌いが多かったころなら自分から野菜などを取ったりはしなかったが、体調管理も仕事のうちだと叩き込まれてからは出されたものはきちんと食べるようにしていた。 もぐもぐと咀嚼しながら友人たちの会話を聞く。喉が渇いたな、と綱吉が思い始めたとき、トン、と目の前に缶が置かれた。 「あ、サンキュー…ってこれお酒じゃないか!」 「いいじゃないですか別に、こんなの飲んだうちに入りませんよ」 「未成年が未成年に酒勧めるなよ」 骸と同じ缶だということに気づいた綱吉が、いらないと首を振ったが、置いた缶をわざわざ開けて、骸は綱吉にそれを差し出した。 「案外付き合い悪いんですね。僕の勧めるものが飲めないなんてそんな薄情なこと言わないですよね、もちろん。あぁ、それとも、一口飲んで寝てしまうようなお子様体質ですか?」 含むような笑顔に、馬鹿にされているとは分かりつつ、そこまで言われて飲まないのもなんとなく癪に障るので綱吉はムッとしつつ缶を受け取った。 「……感じ悪いぞ!」 「そうですか? では乾杯」 新しくあけた缶を手にして骸が綱吉の缶を鳴らす。渋々ながら同じように返して、綱吉はアルコールを喉に流し込んだ。 「ぶほっ!? ゲホッ! ゲホッ!」 飲んだのは良いが、勢いあまって食道とは違う器官に入ってしまい、綱吉は寛大にむせた。 「だっせ〜びょん!」 ごほごほと苦しんでいる綱吉の様を見て、殻についている身にかぶりついていた犬がげらげらと笑った。 「くっそ〜」 おもいきり馬鹿にされて、ムッとした綱吉はむせた口を手首で拭い、笑った仕返しに犬の近くにあったカニを小鉢にこんもりと盛った。 「あぁーッ!? テメっ、なにすんら! それはオレのかに!」 「これはみんなで食べるんだろ! 犬はさっきから一人で食いすぎ!」 カニをめぐってぎゃいぎゃいと騒ぎ始めた二人に、テレビを見ながらもくもくと食べていた千種はうるさい、と眉を寄せた。 「二人とも」 「うるさいですよ」 静かに食え、と千種が言い終わる前に、骸が犬の額にまだ口の開いていない缶ビールを投げた。キャイン! と叫んで犬が後ろに倒れる。床にごつんと後頭部をぶつける音が聞こえて、綱吉はぱたりと口を閉ざした。 「そんなにがっつかなくても、おかわりならまだありますよね?」 「はい」 骸の問いに千種が頷く。 「だ、そうです。良かったですね、二人とも」 ぶつけた箇所を撫でながら、ちっともよくないれす、と小声で呟く犬に、思わず心の中で合掌する綱吉と千種だった。 「何か言いましたか? 犬」 案の定、にっこりとした顔で骸が首を捻った。黙々と目の前の鍋をつつく綱吉たちの耳に犬の悲鳴が届く。綱吉が同じように黙ったまま食べている千種に目をやると、気づいた千種が黙って我関せずと首を振った。三人の力関係を垣間見てしまい、なんとも微妙な気持ちになりながら綱吉もそれに従うことにした。なによりもまずは鍋を食べるのが先だ。 慣れないお酒を飲みながら鍋をつついていていると、テレビから見知った映画のタイトルコールが聞こえて思わず手を止めた。 「……あ、これ」 綱吉が業界に足を踏み入れるきっかけとなったデビュー作だった。うわー、なつかしいなあ!とほろ酔い加減のまま、放送前のダイジェストに映る数年前の自分を見る。この頃はやせっぽっちで小さな東洋人とさんざんこき下ろされ、いざ映画が放映されると手のひらを返したように皆が天才だのなんだのと褒めちぎって疑心暗鬼になったものだ。 自分の出演作品を友人と一緒に見るのは恥ずかしかったので、チャンネルを変えようと綱吉がテーブルの上に置いてあったリモコンに手を伸ばす。しかし、リモコンに手が伸びる前に骸に奪われてしまう。 「一緒に見ましょうよ」 「やだよ。おまえらと見んの恥ずかしいじゃん。それにオレは自分が出る作品はあんまり見ないようにしてんの」 リモコンを奪おうと手を伸ばすと、ひょいっと頭上まで持ち上げられ、これみよがしにひらひらと振られる。おもわず睨むとフフンと鼻で笑われた。完全に馬鹿にされている。 「こっち寄こせってば!」 「この家の主は僕で、これの金を払ったのも僕ですよ。僕が見たいものを君に止める権利はないですね」 「うぅっ……」 普通に聞けばうんとうなずいてしまうような言葉でも、たちの悪い笑みを浮かべながらなのでなんだか納得がいかない。めずらしく綱吉は折れなかった。 「だからお願いしてるんじゃないか」 ずずいと手を差し出す。早くチャンネルを変えないと映画が始まってしまう。知り合いに囲まれて自分の出演作品の鑑賞会だなんてまっぴらごめんだと綱吉は思う。何よりはずかしい。 「ほう。君のそれはお願いだったんですか。気がつきませんでした。人に物を頼むときは言い方ってものがありますよねぇ……」 軽く驚いたように見開いてみせる骸の表情に、このやろう! と内心思いつつも綱吉はチャンネルを変えたいのでリモコンを貸してくださいお願いしますと、いささか投げやりに頼んだ。 「いやです」 「はぁッ?! 言われたとおりにちゃんと頼んだぞ!」 小鉢から綺麗に箸を使って取った豆腐をもぐもぐと食べる横顔に文句を言うが、無視された。ご丁寧に綱吉が座っている場所とは反対に置いて取られないようにするなんて、なんとも子どもっぽいまねをする。なので、綱吉も意地になってリモコンに手を伸ばすが、どう頑張っても届かない。 「往生際が悪いですよ」 「おまえがそれを言うかぁ!」 そうこうしているうちにコマーシャルが終わって本編が流れ始めたので、綱吉はしぶしぶリモコンを奪うのを諦めたのだった。 監督直々に声をかけられたといっても、綱吉のデビューは端役としてちょっとのセリフを用意されただけだった。だが、その少しがその映画の核となっていたので自然と注目され、綱吉の演技も申し分ないものだったので喝采を浴びることとなった。 画面に映るのは少しでも、その役を喉から手が出るくらい欲しがっていた人間はたくさんいたのだ。 そのチャンスを与えられただけでも綱吉はその他大勢の俳優志望者よりは恵まれた。なんせこの業界で伸し上がって成功を掴もうとするやつは星の数ほどいる。 綱吉はそのチャンスを掴んだ。 そして幸運にもそれを自分のものにした。本人が望むにしろ望まずにしろ。 アルコールで浮ついた意識でありながら綱吉は複雑な気分で映画を見るが、やはり恥ずかしさが先立ってなんとも見るに耐えない。ビールを飲んで映画にちゃちゃを入れている三人を後目に、一人立ち上がる。慣れない酒を飲みすぎたので用足しに行った。 手を洗ってフゥと息を吐くと、お酒臭くて綱吉は顔をしかめた。子供の頃あんなに嫌だった酔った父親と同じ臭いがした。 「うー、酔ったかな」 そのまま皆がいるリビングへは行かずに綱吉はキッチンに向かう。備え付けの食洗器からコップを取って水をそそぎ、そのままがぶがぶと飲んでから部屋に戻った。こたつに座ると同時に犬が新しい缶をほらよ、と差し出してくる。 「や、もういいや」 これ以上飲んだら酔っ払って帰れなくなる、と綱吉が断るも、なら泊まっていけばいい、と千種が呟いて犬もそれに同意し。 結局綱吉はそのまま泊まることに決まり、犬にさんざん飲まされた後つぶれてしまった。 >>続く |