ナフテラ達がグレッグミンスターの交易所に訪れるのが片手を超えるようになってから、この街に生家があるマキシス・マクドールの家に立ち寄って、顔を出すようになった。最初は、ビクトールやフリックがなんやかんやと言ってマクドール邸に向かうのにただ黙ってついていくだけだったナフテラも、回数を重ねるごとに慣れてきて、今ではその時によって違ったお土産を片手に軽く挨拶をするようにまでなった。
グレッグミンスターという街は、人も、街角に立っている木々も空気も、故郷のキャロとはどこか違う。国を追われる様になって見知らぬ土地を渡り歩くようになってから、ナフテラはその町独自の景色を観察するようになった。
異なる文化の、見知らぬ風景や言葉の中でも自分が知っているものと出会うのは楽しい。
単純なその想いが日々緊張を強いられる状況の中で得られる些細な息抜きなのかもしれない。それを分かっているからだろうか。シュウは外に出ようとするナフテラに、注意をすることはあっても行動を止めようとしたことは無かった。
ナフテラにとって、マキシス・マクドールという人間は身近な人間というわけでは決してない。こうして彼の育った街を一人で散策して歩いても、生まれ育った環境が違うんだなぁとしみじみ思うだけだし、彼の活躍を実際目の当たりにしたわけでもないのでこの街に多くいる人達のように盲目的に彼に憧れることもない。
ナフテラよりほんの一つか二つしか違わない外見というのも大きいかもしれない。真の紋章を継承しているせいで年を取ることが無いのだと人づてに聞いたときも特に思うところもなく、そうなんだ、くらいにしか思わなかった。
彼の戦闘センスはさすがに英雄と言われてるだけあって、他の仲間よりも群を抜いていたことはさすがに驚いたし、さすが武人の家系は違うものだと感心した。ただ、それだけのこと。
交易所を後にして両手に持った戦利品を抱えなおし、待ち合わせ場所である噴水前までのんびりと歩く。ナナミも連れてきてやればよかったと買いすぎた荷物にため息を吐いたときだった。
「よかったら一つ持とうか」
「え? あれ、マクドールさん」
「こんにちは。噴水前で待ち合わせしてるって聞いたよ」
驚きながらもこんにちは、と律儀に挨拶を返してから首を傾げる。グレッグミンスターに着いてまだ半日も経っていないうえ、マクドール邸にはまだ挨拶をしに行っていない。それなのにどうしてそのことを彼が知っているのか不思議に思いながらも頷いた。
「家に帰る途中ビクトールたちに会ったんだ。そしたら君が来るのを待ってるって言うから彼らに先に家に行くように言って、すれ違いになっても困るから君のことを迎えに来たんだ」
「そうだったんですか。すみませんわざわざありがとうございます」
両手で抱えていた荷物の一つをマキシスが軽い動作で受け取ると、話を聞いて納得したナフテラは頭を下げる。
「大したことじゃないさ。それよりも、たくさん買い込んだねぇ……」
受け取った袋を見下ろして感心したように声を上げるマキシスに苦笑して、歩き始めたマキシスの隣に並んだ。
「ゴートンさんの所はちょくちょく覘いとかないとダメなんです。品物の入れ替えが早いから、必要なものとか掘り出し物がすぐになくなっちゃいますから」
「それでこんなにたくさん。でもこんなに買うなら他にも誰か連れてくればいいのに」
納得したように荷物を片手に持ったマキシスは、荷物を両手で持ちながら歩くナフテラに呆れたように言った。
「それもそうなんですけど、それだと待ってる人を気にしちゃって交渉に集中できないんですよ。こう、気が散るって言うか」
「そうかい? ビクトール達だってただの荷物持ちってことくらい了承してきているんじゃない。むしろそれくらい使ったほうがいいよ。そのほうが負担も減るだろう?」
俺達だって別に暇なわけじゃないとビクトールやフリックが聞いたらちょっと待て!と怒りそうなことをさらっと言ったマキシスにナフテラが笑う。
「それって、ビクトールさん達のことを顎で使えって言ってます?」
「必要に応じて。本来ならこういう仕事も君以外の人がすることだと思うから」
ナフテラの問いを否定しないままゆっくりと家へと歩く。マキシスとの会話は、彼自身の経験を基にしたものも少なくない。こうして日常に溶け込もうとしているナフテラの意識を引き止めて注意する。
「わかっています。その辺は、一応」
「それならいいさ」
端正な横顔に笑みを乗せた歩くマキシスの指摘をかわした事に内心ホッと息を吐く。経験というものは時にひどく厄介だ。隣を歩くマキシスをチラリと見上げる。探るような視線に気づいていない筈がないのに彼は何も言わなかった。
ナフテラは基本的にドライな人間だ。
彼を形作る根っこの部分はどうか分からないが、日常で過ごす分にはあまり人に関心を持たない。それを表面に出すような愚かなことはしなかったものの、それでもたまに、本人も気づかぬうちに何気なく出してしまうことがあった。
ナフテラが孤児だったから、という理由をつけるにはなんとなく無理がある。同じような環境で育ったナナミは人に対しておせっかいではあるけれど、明るく素直だし、戦乱の世に親がいない子供というのも少なくない。
そういう時勢だから。そう納得してさえすれば親がいなくとも子は生きていける。一人になった子供は村の人間が手を貸してやりながら育てる。そういう時代だった。だからナフテラが必要以上に仲間と関わろうとしないのは何も環境のせいだ、と一概に決め付けることも出来なかった。
「僕が、なに?」
サスケに言われたことの意味を受け取れずに数度瞬きをする。マクドール邸の、あてがわれた客室でポーカーに興じている最中のことだった。
「だから、おまえは何で戦争に参加することになったんだ?」
手元のカードを睨みながらサスケは軽い口調でナフテラに尋ねた。
ビクトールがフリックを伴って部屋を出てから、酒の飲めないサスケは暇つぶしにナフテラとフッチを誘ってカードゲームを始めた。
「そういえば、僕も聞いたことがありませんでした。僕がこの軍に力を貸すことにしたのはナフテラ様に助けていただいたからですし」
手元からカードを二枚捨て、新しいカードを手にとってフッチも同意する。ベッドの上で行儀悪くあぐらをかきながらゲームを始めて半時が経ったばかりだ。
「そうだったのか。まあオレも似たようなもんだけどな」
「なに、どうしちゃったんだ二人して」
唐突に話を切り出した二人を訝しく思いながらカードを数字順にカードを並べる。準備が出来たと告げて、サスケの、せーの!の掛け声を合図に手元のカードを見せ合う。
「ゲっ! またナフテラの勝ちかよ」
「強いですね……」
「インチキしてるんじゃねーだろうな」
「するわけないだろ。これが僕の実力ですー」
チッ、と舌打ちしてサスケとフッチが掛け金の5ポッチを渡す。
「ったく、今日はツイテねーなあ」
「今日は、じゃなくて今日も、だろ?」
ブツブツと文句を言っているサスケに集めたカードをきりながらフッチが茶々を入れる。プッと吹き出して遠慮なくナフテラがけらけら笑うと、ますます不機嫌になってサスケが顔を顰めた。
「で?」
「ん?」
「ナフテラが都市同盟に参加したわけだよ」
半乾きの頭を片手で掻きながらサスケはフッチによって新しく配られていくカードを見下ろしている。ナフテラはどう言えばいいものかとあぐらをかいた足に肘をつき、手のひらに顎を乗せてフッチの手元をぼんやりと見た。
「理由って……」
全員にカードが行き渡ると三人とも早速捲って絵柄を確かめる。
「そんな急に言われてもなぁ」
良いカードに当たらず5枚とも全部捨てて新しくカードを引きながらナフテラが唸る。引いた絵柄はハートとダイアのクイーンのペアに、クローバーの3と4と10。迷わずクローバーを三枚捨てて新しいカードを取る。サスケとフッチも同じようにカードを捨て、勝ちを狙う。ナフテラの正面にいたサスケがカードを捲ったときニヤリと口角を上げたのに気づき、わかりやすい奴、と思いながら淡々と二人はカードを揃えた。
「おい、早くしろよ」
「急かすなよ」
勝ちを確信したように急かすサスケが癪に障ったようにムッと眉を寄せるフッチ。こちらは広げているカードを見ながらも決して表情を見せない。最後にナフテラの捲ったカードは、スペードのクイーンに、クローバーとダイアのエース。手持ちのカードをあわせるとフルハウスになった。
まあこんなもんかと呟きながら顔を上げて、いいよ、とサスケとフッチに声をかける。僕も、とフッチも頷いて先ほどと同じようにサスケの掛け声でカードをさらしあった。
「うっそだろぉ?! 絶対勝ったと思ったのに!」
「残念だったね。やっと僕にもツキがまわってきた」
勝利を確信していたサスケがフッチの出したカードを見た瞬間絶句し、我に返ると悔しそうにバンバンとベッドを叩いた。サスケが出したカードはナフテラと同じフルハウスだがナフテラのほうが数字が上なので負け、さらにフッチが出したカードはフルハウスより強いストレートフラッシュであったため、結局勝ったと思っていたサスケが最下位ということになる。
満足したように微笑むフッチとは反対にがっくりと肩を落としながら順番に並んだハートのカードを恨みがましそうに見ているサスケに笑う。このまま誤魔化されればいい。そう内心で呟いてナフテラは余裕を崩すことなくフッチに掛け金を払う。
「っていうか君、顔に出しすぎじゃない?その上負けてるし。カッコ悪い」
「うっせーな。勝ったと思ったんだからしょうがねーだろ!」
「それで本当に忍者が務まるのか疑問だよ」
「なんだとっ?!」
「まあまあそう熱くなるなって。忍びは常に冷静じゃないといけないんだろ?」
カッと血が上ったサスケを宥めるようにのんびり言って、ナフテラは自分の使ったカードをフッチに渡す。
「でもフッチは見事なポーカーフェイスだったね。全然読めなかった」
「ありがとうございます」
感心したようにナフテラがフッチを褒めると、照れたように頬を掻きながらフッチが笑う。そんなほのぼのとした二人とは違い、負けが続いているサスケは「くそっ!」と吐き捨てて悔しがった。
「もうヤメだヤメだっ! ぜんっぜん楽しくねー!!」
「なんだよそれ。勝ち始めた僕に対する嫌がらせのつもり?忍者のくせにほんと男らしくないなあ」
「おまえ忍者バカにしてんのか?!っていうか忍者と男らしさなんて関係ねーだろうがっ。オレよりおまえのほうがほんと意味わかんねーよ!」
「そんなだからカスミさんに告白どころか話しかけることすらできないんだよ」
ワアワアと喚くサスケにここぞとばかりぐっさり抉るようなことを言って、サスケが暴れたせいで散らばったカードを集めながらフッチは肩を竦めた。痛いところをピンポイントで衝いたフッチの容赦の無さに内心でサスケに十字を切って、ナフテラは傍観者に徹することにした。
それからはフッチにいいように言いくるめられて男としての自身を失ったサスケが、「どうせオレはあいつみたいに顔が良いわけでも家がスゲーわけでもねーよ」といじけながら漏らすのを所々流して聞きながら、「男は顔が良いよりも懐の深さだ」とか「彼女を好きなら家柄なんか関係ないさ」と肩を叩いて宥めすかすはめになった。
めんどくさそうにため息を吐きながらナフテラの言うことに頷いたフッチのことを正直な奴だなあと認識を改めたりして、先に寝るといった二人を残してナフテラは寝巻きのまま部屋を出た。
サスケがカスミに淡い恋心を抱いているのは知っていた。本人は隠しているつもりだろうが、傍から見れば「本当に隠しているのか?」と首を傾げてしまうほど周囲にはバレバレだった。普段は鈍いくせに、カスミがマキシス・マクドールに同じような想いを持っていることを敏感に察して、マキシスを何かにつけて目の敵にしていることも仲間内では有名だった。
カスミはサスケのように判りやすい態度なわけではなかったが、それでもマキシスを見る一つ一つの表情が普段の彼女とは違っていた。敏い人間ならば簡単に彼女がマキシスに恋をしていることを察することができてしまった。日ごろから職務に忠実で真面目な彼女だったからこそナフテラは少し意外に思ったものだ。
「サスケもなんだか可哀相な奴だよな」
ナフテラが知る限り、マキシスは決して鈍感な人間ではない。自分に向けられる、たとえ色恋と呼ばれる類の視線であってもその意味に気づかないわけではないだろう。
そして、彼がそれを知らぬふりをするということは。
つまりはそういうことなのだ。
懐の深さも家柄の良さも容貌も、サスケはマキシスに叶わないかもしれない。そうだとしてもチャンスがないわけではないのだ。それを色恋とは何たるものか、あまりよく分かっていないサスケが気づくことが出来るかどうかで、一方通行である彼の想いをその先に繋ぐことが出来るか途切れさせてしまうかの分岐点だとナフテラは思う。
広い廊下を音を立てないように気をつけて廊下を歩く。毛の長い赤い絨毯が薄暗い廊下の中で浮いている。階段の前まで来ると、降りるかどうか迷う。階下から酒を飲んで気分がいいのか、ビクトールやパーンの笑い声やフリックの窘めるような声が聞こえてきて、結局階段を通り過ぎる。顔を出して酔った連中を相手にするのも面倒だった。
廊下沿いの大きな窓から月明かりが入っている。ナフテラはその光に誘われるように窓辺に近づいた。見上げるとそこに月はなく、星は本拠地よりもずっと少ない。なんとなくがっかりしながら窓ガラスに額をつけると、額につけている金の額飾りがコツリと音を立てた。外は風が強いのか木々が揺れていて階下からは仲間の楽しそうな声が響いている。戦争中とは思えないほど穏やかな夜だった。
「眠れないのか?」
気配なく背後からかけられた声に驚くと同時に納得する。ナフテラが振り返るとそこには案の定、風呂に入っていたのだろうか、いつもバンダナで結んでいる髪から水滴を垂らしながらマキシスが立っていた。赤く火照った頬がいつもの彼を幼く見せている。
そんな彼の姿が新鮮ではあったものの、悟られるようなことが無いように顔に出さないよう気をつけながら曖昧に頷いた。ここは彼の領域なのだ。自分にとって不利になるようなことをナフテラは避けたかった。
「こんな夜更けに月見の趣味が?」
「そういうわけではなくて……。ちょっとトイレに行こうかなって」
「トイレなら君達の部屋の隣だけど……」
しまった、と思ったときにはマキシスの両目に訝しむような表情が映っていた。誤魔化すか正直に話すかで、ナフテラは正直に話すほうを選んだ。下手な言い訳は彼の不審を煽るだけだと気づいていたからだ。
「少し、考え事を」
肩を落としてナフテラが素直に答えると、マキシスは「そう」と返事をしてポタリと水滴の落ちる髪をかきあげた。
「髪、ちゃんと拭いたほうがいいですよ。夏とはいえ、今夜は冷えるってグレミオさんが言ってました」
彼は、几帳面に見えてそうでもないのかもしれない。ナフテラの言葉に頷いて、マキシスは部屋に戻ろうとナフテラの横を通り過ぎた後、不意に立ち止まる。首を傾げたナフテラを振り返って、
「僕の部屋に来ないか?」
窓に寄り添うように立っていたナフテラを誘った。
「え? でも……」
「下はまだ当分煩いだろうし、かといって部屋に戻る気もしないんだろう?」
読まれている。見透かすようなマキシスの双眸を跳ね除けるようにナフテラは正面から見返した。
「風邪を引かれても困るしね」
「そんなヤワな人間じゃありません。それに、マクドールさんも寝るんじゃないんですか?」
「いや、本を読むつもりだったから。一応ここよりも静かだし、邪魔も入らないと思うけど」
「……僕があなたの邪魔になるかもしれませんよ」
言ったところで彼に効果がないと分かっていたが、一応釘を刺しておく。
「そう思うなら最初から誘ったりしないさ」
至極もっともな言葉を返して、観念したように頷いたナフテラを見た後、マキシスは今度こそ踵を返して部屋に向かう。その背をぼんやりと見ながら彼の後に続いた。
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