このところの睡眠不足も手伝ってついうとうとしてしまった。
 獄寺の配慮のおかげで今日一日の仕事はすべてキャンセルになり、久しぶりの休みをベッドで過ごせることになったというのにこの自堕落さ。
 体を休めるためとはいえ、もっとマシなことをしたいと思いつつ目を開ける。
「ん……ん?ひ、ひぃぃ!?ひばりさんッ!?」
「うるさい」
 どれくらい眠っていたのか分からないが、次に綱吉が目を覚ましたとき目の前には雲雀恭弥がいた。一瞬夢かと目を疑ったが、残念ながら本人で間違いなかった。
 雲雀はいつものように上下揃いの黒のスーツと白いシャツを着て、何故かベッドに腰掛けて慌てふためく綱吉を見下ろしている。
 綱吉はすぐさま身を起こそうとして、固まった。今朝より痛みは大分マシになっているとはいえ、痛いものは痛い。場所が場所だけに表立って痛がることも出来ないのが辛かった。
 綱吉がベッドに逆戻りして唸っているのを雲雀はじっと黙ってみているだけだ。なので非常に気まずい。
(ええーっ!?い、いつからいたんだっ……!?ってそれよりも何の用っ?!)
「あの、えーっと!どのようなご用件でしょうか」
 間抜けな寝顔をずっと見られていたのかと思うと恥ずかしい限りだが、この人の機嫌を損ねるのは恐ろしいと学生の頃否応なく身についてしまった習性で綱吉は尋ねる。
 そもそもこの部屋どころか、ボンゴレの屋敷にこの人が来るのが久しぶりだ。お互いにもう二十歳を超えたというのに、未だに顔を合わせればトンファー出して喧嘩を吹っかけてくるのは中学生の頃から変わらない。
 綱吉の問いに、雲雀はああ、と頷いて用件を切り出す。
「忘れ物を取りに来たんだ」
「忘れ物ですか」
 そんなものあっただろうかと考え込むと、雲雀は眉を寄せた綱吉の表情を観察するように見下ろす。それに気づいて黒い瞳と目が合った瞬間、綱吉は嫌な予感が背筋を駆け抜けた。
 整った顔立ちの表情が、一転して物騒な笑みに取り変わる。
「そう。ネクタイとカフス。忘れたから取りに来たんだけど」
「ネクタイと、カフスですか?それって、え?雲雀さんのがなんでここに……」
(まさか……いやいやいや、まさかね!?まさかね!?)
 だらだらと冷や汗を流して固まっている綱吉の様子を無視して、雲雀は腰掛けたベッドのシーツをなぞった。そして、壮絶な流し目もとい、色気を含んだ眼差しで綱吉を見て笑った。日々に睨まれたカエルのごとく、綱吉は動けなくなった。
「体、大丈夫そうだね」
「かかかかかからだですかっ?!」
「うん。昨日すごく痛がってたから」
 さらりと言われた内容を反芻し、口を閉じ。綱吉は絶叫した。間髪いれずに殴られるかと思いきや、雲雀は組んだ長い足に片肘をついてその上に顎を乗せ、綱吉の苦悩を面白がるように見ている。薄い唇が開く。
「うるさいって何度言わせるつもり?」
「す、すいまぜん」
 今度こそ顔を青くした綱吉は泣きたくなりながら身を起こした。動揺しすぎて思わず舌をかんでしまう。
「雲雀さん、あの……四月一日は過ぎましたよ」
「だから?」
「つまりですね、じょ、冗談とか、オレをからかってるのかなー…なんて」
 そう口にした言葉を遮るように、雲雀が綱吉の唇に噛みついた。
 舌先のじんじんとした痛みとか、居心地の悪さとかを吹き飛ばすような衝撃に、綱吉は目を白黒させた。えー!っとうっかり口を開けた瞬間、するりと自分とは違う熱量のあるものが中に入り込んでくる。
 押し返そうとした腕までも強い力で抑えられ抗えなかった。何より、雲雀恭弥と口をくっつけてる!という事実に頭が真っ白になっていた綱吉には他にどうすることも出来なかった。
「……っふ」
 ぬるりと意思を持った舌が口の中を探り、口蓋をなぞられた瞬間ひくりと震えてしまった。それを感付かれ、そこばかり攻められる。苦しくて必死に鼻で呼吸をすると、微かに香のような匂いがした。
 どこか懐かしくて、切なくなるような不思議な気持ちになるその香り。
 お互いに息が上がり、綱吉は首を振って逃れる。寝起きからこれ以上はとても持たない、色々と。今度は雲雀も素直に身を引いた。
「っは…く、るし……」
 甘噛みされた唇がじんじんと熱を持って腫れぼったい。灯された熱が、何かのウィルスに感染したように体中に広がったような気がした。
 人権無視の仕打ちに対して文句とかどういうつもりなのか問おうと顔を上げた綱吉だったが、雲雀の表情を見た瞬間、喉の奥につかえて出てこなくなってしまった。
「……分かった?」
「…オレの…勘違いでなければ」
 好きなのだ。この人、こんな凶暴な性格で理不尽で人の話を聞かない上、人の尊厳なんてものまるで無視するような凶悪な人なのに。ダメツナと呼ばれていた、草食動物元代表の綱吉のことをきっと、憎からず想っている。
(こんなときに超直感とか!ホント勘弁してっ!!)
 言いたいことは色々あるのに、どれも綱吉の口から出てくる気配がない。
 自覚した途端、指先からつま先まで赤く染まる。
「そう。それで合ってると思うよ。多分ね」
 赤くなった顔を隠すように片手で顔を覆った綱吉の肩を、雲雀は掴んでベッドに押し倒した。油断していた上に元々力では敵わぬ相手だ。成すすべなくベッドに逆戻りする。
「フギャー!?」
 抗うことも出来ず押し倒され、綱吉が悲鳴を上げる。抗おうとしたが、関節技をかけられてしまい、逃げられそうにない。
 これは、言うなれば絶体絶命、もとい風前の灯というやつではないのか。
(って違う!そんなのんきなこと考えてる場合じゃない!!)
 綱吉が自分自身に突っ込んでいることを知る由もなく、雲雀はジャケットを床に落とし己のシャツのボタンを外している。
「色気のない」
「だったらやめてください!っていうかやめましょう!!」
「嫌だ」
 さっきまで漂っていた甘酸っぱい空気も霧散し、雲雀は暴れようにも出来ない綱吉の首筋に顔を埋めながら断った。
(あれ、これなんかやばくない?やばくない!?)
 おぼろげな記憶ながら、昨日の二の舞になりそうな状況に綱吉は真っ青になった。
「雲雀さん!無理ですから!ほんと、仕事休んじゃうくらい痛くてしょうがなくて!やっとマシになってきたところでですね!」
「……遠まわしに下手って言ってるつもり?」
「そんなこと言ってね〜〜っ!!」
 伏せていた顔を上げ、ムッとしたように綱吉を見下ろした雲雀に全力でツッコミを入れた。話が通じないどころじゃない。
「だから!今はそういうことをするよりもっと大事なことがあるんじゃないですか!?」
「例えば?」
「た、例えば?そ、そうですね……」
 思い当たらない様子で首を傾げた雲雀に、特に考えがあったわけでもない綱吉は動揺した。言い訳を考えている間にも、不埒な手のひらは綱吉が着ていたパジャマの裾をズボンから出し、素肌に触れようとする。
「あーーっ!そう、そうですアレ!今後の事とか!」
「今後も何も、君はもう僕のなんだからどうしようが僕の勝手だろ」
 綱吉の訴えを一刀両断した雲雀に絶句する。もうどうやればこの人を思いとどまらせることができるのか綱吉には分からなかった。
(……そうだよ、この人人の話聞かないんだよ!)
 屈んだ雲雀に、右の耳を舐められ肩をすくめる。あっ、と小さく声を漏らしてしまった瞬間、爛々と眼の色を変えた雲雀に嬉々として襲い掛かられたのだった。





***





 しなやかながら、強靭なバネのような筋肉。大勢の敵を薙ぎ倒す力強さを持ちながら、その肌は意外なほど滑らかなで色が白い。触れられればそれはあたたかくて、当たり前なことなのに綱吉は不思議な気分だった。
 互いの汗に濡れた素肌は未だ熱を持っていて、触れるたびに疼くような痺れが走った。
「…っ…ん…」
 焼けるような熱が、ずるりと腹の中から出ていくのに息を呑む。ずっと抱えられていた右足を離され、綱吉の上から退いた雲雀をぼんやり見上げた。
 切れ長の目元はうっすらと赤く染まり、白い首筋に浮かんだ汗の一滴さえ自分とは違い美しいとは思う。いつも凛としていて近づいたら怖い人だと思っているからこそ、彼の腕の中にいるという事実が綱吉は信じられない。だって、群れるの大嫌いというのが彼のスタンスだ。
 だが、ひくつく場所から雲雀の出したものが流れるのを感じ、眉を寄せる。これは現実で、しかもお互いに素面。これが酒に酔っての勢いなら、まだいくらかごまかし様があったものを。これじゃあ決定的だ。
「…咬み殺され、た…」
 不可抗力で声を出す羽目になった喉はがらがらで掠れている。ちょっとは手加減してください、と恨みがましく言う綱吉の唇に噛みついて、雲雀は囁いた。
「骨の髄まで食い尽くしてあげる」
 覚悟しな。そう、機嫌のいい猫のように言った雲雀を見上げて、綱吉は深々とため息を吐いた。逃げるのは、きっと最初に失敗した時点で不可能だった。













>>続く