草壁哲矢は、起きて早々スーツ姿で現れた雲雀を見てぎょっとした。 「恭さん、何か予定でも入ったんですか?」 「ああ。草食動物を一匹、捕まえて欲しいと頼まれてね」 普段は着流しのまま朝飯をとる雲雀だ。 それがすでに身支度を済ませており、いつ弾丸のごとく飛び出してもおかしくない雰囲気のまま頷いた。 「哲」 雲雀が呼ぶと、心得たようにへい、と返答がある。 「ここ一月の成田、東京、中部、関西の空港の国際線の乗客名簿を用意して。チャーターじゃなく定期運行便を」 「乗客名簿、ですか?」 「出国した人間じゃなく帰国した人間のリストが欲しい」 戸惑いながらも了解した草壁は、すぐさま雲雀の要望を叶えるために部下に連絡した。 「ちなみに、いったいどなたをお探しになるんですか?」 「沢田だよ」 「沢田、綱吉ですか」 「そう。家出したんだって、彼」 草壁は座布団に座った雲雀の前に、朝食の乗った膳を置く。香ばしく焼いた焼鮭に、白く艶めく白米。香の物とほうれん草のおひたしが今朝の朝飯だった。 雲雀はそれを、美しい所作で箸を扱って食べる。草壁は雲雀の下に十年ほどついているが、がつがつと飯をかきこんだところなど見たことがない。食べる量は、草壁と同じくらい、むしろそれより多いくらいなのだが。どういった魔法を使うのか、雲雀はがっついた様子には見えないのだった。 雲雀は食事中に話すことを好まないので、傍に控える草壁もまたよほどのことがない限り話しかけない。食事を終え、ごちそうさまと箸を置いた雲雀の膳を心得たように下げる。 「草壁さん、乗客名簿が手に入りました」 「ご苦労だったな」 雲雀が食後の一服に緑茶を飲んでいる最中に、草壁の部下が頼んでいた書類を持ってやってくる。草壁に書類を渡し、雲雀に礼をしてすぐその場を立ち去る。主の前で群れるとどうなるのか、徹底的に教え込まれていた。 「これがここ一ヶ月の帰国者名簿です。名前や住所は分かりましたが、さすがに顔写真までは用意できませんでしたね」 草壁が束になった資料を手渡す。ざっと見ただけでも五十枚以上あろうかという量だ。 雲雀は椀を受け皿に戻し、草壁から資料を受け取って軽く目を通す。ぱらぱらと捲るのは、読んでいるというより目を通しているだけだった。 「一月の利用者だけで約九万人。帰国者だけに絞るとその半分くらいになります。男性と女性の比率は六対四といったところでしょうか」 「イタリアを経由する線を調べればもう少し絞れそうだ」 「それはもちろん可能ですが……」 一通り書類に目を通して、草壁に渡した雲雀は座布団から立ち上がった。 「そう。じゃあその分の顔写真もよろしく。パスポートは偽造されているだろうからあくまで確認だけど」 「分かりました。何か変わったことがあればお報せします」 ネクタイを締め、立ち上がるその姿。ぴんと張った背筋を見上げ、草壁も立ち上がった。出会った頃より、己も雲雀も背が伸び体躯は堂々としただろう。黒い学生服を脱ぎ捨てて、身に纏うものがスーツになった。 しかし、その頃より変わらぬものもある。雲雀の雰囲気は、中学の頃よりいっそう研ぎ澄まされた刃のような鋭さがある。触れたら傷つくだけでは済まさない獰猛さを形だけでも鞘に収めて、獲物狩る、その本能。 雲雀恭弥と言う人間は、己のやりたいように生きていくのだろう。きっとそれはこれからも変わることなく。 「僕は人と会う約束があるから、しばらく留守にする」 「では、書類は作成次第端末のほうへ転送します」 「よろしく」 雲雀はそう言って広い廊下を一人歩き出した。その肩に、どこからともなく現れた黄色いふわふわとした生き物が止まって鳴く。 草壁は雲雀の背を見送り、感慨深げに瞼を閉じた。十年も経てば、あの乱暴者の雲雀でさえ、よろしくと頼むのだった。 *** 「何、この群れ……」 目の前の光景に雲雀は低く呟くと、仕込んでいたトンファーを握った。 雲雀にとっては機嫌が悪くなるくらい、その屋敷はどこもかしこも群れで溢れていた。とりあえず手近な人間を二桁ほど咬み殺していると、背後から声をかけられた。 見知ったその声の主は、雲雀が初めて出会ったときより成長しているが、トレードマークの黒い帽子に黒いスーツは変わらず。ブリムにちょこんと乗っている彼の相棒は、あいかわらず間の抜けた顔をしている。 リボーンは雲雀の近くで床に倒れて意識を飛ばしている連中を見下ろし、肩をすくめた。ボンゴレの屋敷に入ることが出来るほどの実力ある構成員も、雲雀を目の前にすれば為す術がないのである。 「ずいぶん早かったな」 「……赤ん坊」 雲雀は電話を受けたその日にはすでに飛行機に乗り込み、夕方にはこの地に降り立った。財団が所有する航空機を使っているので、煩わしさがない分この地へ来るのはさほど苦ではない。 「寄り道せずにそのまま来たのか」 「君に貸しを作るいい機会だからね」 「そうか。なら飯はまだ食ってねーんだろ。食いながら話すからまあ、上がれ」 リボーンはそう言って雲雀に背を向け、振り返ることなく歩き出す。構成員たちが入れる屋敷の奥の、ボスにきわめて近しい人間しか入れない場所に行く。音もなく前を歩く姿を見て、雲雀はまばたきをした。 最後にリボーンと会ったのは一年も前になる。守護者としてボンゴレに形ばかり属している雲雀とは別に、リボーンは沢田綱吉を抜きにしてボンゴレに直接関わることはない。 群れを嫌う雲雀と、一匹狼のような存在のリボーン。親しくしているとお互いに自覚はあるので、たまに酒を酌み交わすことはあるものの、それ抜きにして彼に会うのは久しぶりのことだった。 窓の外は雨が降っている。ここまでの移動は車だったので濡れることは無かったが、窓硝子に伝う雫は止む気配さえない。しとしとと、故郷とは若干異なったように聞こえる雨音に耳を傾けながら雲雀は歩いた。 部屋に着いてまずコートを脱ぐ。イタリアはまだ、並盛と同じくらい肌寒い。運動量が人より多く、基礎体温が高い雲雀は特に寒さに堪えることもない。 それにこの屋敷ではすでに客人を迎える準備をしていたのか、室内にある暖炉にはすでに火が灯っていた。 扉の近くにあるコートハンガーにコートをかけ、雲雀は立ちながら窓に背を預けるリボーンにかまわず手近な椅子に座った。 「この季節はいつもこうだ。雨は色んな人間を連れてくる。いい意味でも悪い意味でも」 リボーンは、イタリアは日本より豊かに四季が感じられないのだと笑った。窓から離れ、暖炉に近づいて背を向けた姿を背もたれに背を預けながら雲雀はただ黙っていた。 しばらくして、珈琲のいい香りが雲雀の鼻をくすぐった。彼が自ら珈琲を入れてくれるのは珍しい。何の飾り気も無い白い陶器に注がれた黒い液体に、雲雀は息を吹きかけた。湯気が幻のように揺れて、消える。 リボーンはテーブルをまたいだ雲雀の向かいの席に腰かけ、帽子を脱いでテーブルに置いた。カメレオンが尻尾を揺らす。それを見ながら、雲雀はこくりと一口喉を鳴らした。鼻腔に豆の香りが広がる。 「沢田綱吉の消息が絶ったのは、いつ?」 口を開くと、黒い瞳が見えなくなる。リボーンは肩をすくめて見せた。 「さぁな。獄寺たちに聞けば、ここ一月の間らしいが」 「君のところに連絡がいったのは?」 「三日前だ」 「ずいぶんと間が開いたじゃないか」 「ま、当然と言えば当然だけどな。俺の連絡先を知っているのはお前を含めてそう多くねぇんだ」 「光栄だね」 リボーンはカップを片手で持ったまま、相槌を打つ雲雀にくつくつと笑う。成長期をまだ脱していないその黒い瞳は、大人になった雲雀よりも低い位置にある。立ち上がると明確に開くその差は、しかし両方ともそう大して気にしていなかった。 「あのバカは毎回毎回、何度言ってもドジばかり踏みやがる。少しはマシになったかと思えばこれだ」 いい加減嫌気がさすぜ、とリボーンはあきれたように言った。普段は振り回す側のリボーンも、たまに生徒に振り回されることがあるらしい。雲雀はくすりと笑ってリボーンを見る。 「それで、心配性な先生は生徒を捜すためにわざわざ僕を呼んだわけ?」 雲雀のからかいにもリボーンは鼻で笑うだけで返した。 「ダメな生徒を持つと苦労するぜ。世話がやけるったらねー。あいつはあんなんでもここのボスだからな。いなくなれば支障が出る」 リボーンはカップを受け皿に置いた。 「獄寺が最後にツナの声を聞いたのがちょうど一月前」 「声だけ?」 いぶかしむように問い返すと、軽く相槌を打たれる。 「ちゃんと姿を見たわけじゃないらしい。聞けば、ツナがいなくなる二日前、獄寺たちとは別の仕事をしていたみてーなんだが、その始末をつけたすぐ後部屋に人払いさせている」 間を空けて、雲雀は馬鹿にしたように鼻を鳴らしてカップを置いた。 「それじゃあ何かあったと言ってるようなものだ」 「ああ。そう難しい仕事じゃないからツナは獄寺と山本を連れて行かなかったらしい。 同行した部下は負傷していたが、かすり傷くらいのもんだったらしいしな。現場に行った連中は嵌められた、と言っていた」 「呆れた。それじゃあボスが部下を庇ったのかい?」 「そう思って間違いねーな。現場に行った連中はすぐに報復に向かい、そのファミリーを殲滅した。ただし、」 リボーンの肩にカメレオンが飛び乗った。それを横目にして、リボーンの指がその体を撫でる。雲雀はその様を見ながら話を促した。 「ボスの、イヴァンって男の行方が分からねー。その男が現場にいたのか俺たちには知る手立てがねーが、十中八九奴は今回の件に関して何か絡んでいる」 裏切ったファミリーのボスと同時期に、沢田綱吉は姿を消している。その事実に絡めてリボーンは断定した。雲雀はあらためてカップを持って唇に当てた。 「ツナに最後に会ったのは、今のところシャマルだけだな」 「……シャマル?」 聞き覚えのない名前に首を傾げる雲雀に、リボーンは中学の頃の保険医だと教えてやった。言われて思案するが、生憎と覚えていない。過去に関する記憶は曖昧だ。十年も前にもなると尚更興味もない。 「お前もほんとに興味ないことには知らんぷりだな」 「どうだっていいからね」 「そいつの桜クラ病にかかっただろ」 「……ああ、あの男」 思い出したくもない過去の失態を引き起こした、あの色狂いの酔っ払い。雲雀はむすりと不機嫌になった。その様子を見てリボーンはからからと笑った。 「思い出したか? そいつがツナの部屋にいたことは獄寺の証言で分かってる」 「へぇ」 「あいつはどうしようもねー女好きで、男は誰であろうと診ないってことで有名なんだ。そんなやつが、いったいどうしてツナの部屋にいたんだろうな?」 真実は当事者じゃなければ分からないが、リボーンは何か知っているような口ぶりで雲雀に話した。 「確認すればいいじゃないか」 「ところがあいつは知らぬ存ぜぬの一点張りさ。ツナには会ったがどうしていなくなったのかは知らねーってよ」 「それを君は信じていないわけだ」 当たり前だ、雲雀とてそれが嘘であることなど分かる。なぜ沢田綱吉を庇うのかまでは知らないが。 「まぁな」 「まだるっこしいな。そういうのは嫌いだよ」 リボーンの遠まわしな言い方を雲雀は遮る。 「つまり、だ。僕は沢田綱吉を君の前に引き摺って来ればいいんだろ? 赤ん坊」 「そうだ」 「そのために僕はそのシャマルって医者のところへ行って沢田綱吉の居場所を吐かせればいい。簡単なことだ」 断定する雲雀にリボーンの口角が上がる。 「そう簡単にあいつが吐くとも思えねーぞ?」 「どうかな。それが一番手っ取り早いのは事実だ」 雲雀はそう言って珈琲を飲んだ。そうして、ふと扉に視線をやる。間を置かずにばたんと扉が開いて一人の青年が入ってきた。 息せき切って駆け込んできた様子に、雲雀は眉を寄せた。静寂がとたんに乱れる。 「リボーン!! ツナが家出したってほんとか!? って、あれ? 恭弥じゃねーか! 久しぶりだな!」 「ちゃおっス、ディーノ」 「……うるさい」 入ってきた青年は、雲雀とリボーン共通の知り合いである。ディーノは室内にリボーンだけでなく恭弥がいることに驚いたように目をみはった後にかりと笑った。 いつもはぞろぞろ引き連れている部下の姿が見当たらないことに気づいて、雲雀は眉を寄せる。 「なんだよ、お前もツナが心配で来たのか? 珍しいこともあるもんだ」 「そんなわけないだろ。仕事だよ」 そっけない返事を気にする様子もなく、ディーノは構わず話を続けた。 「こっちに来るなら来るで顔出せよな。相変わらず冷てー弟子だ」 「あなたの弟子になったつもりはない」 「〜〜ったく! ああ言えばこう言う奴だな!! オレのかわいい弟弟子を少しは見習ってほしいぜ」 かわいいと、二十をとうに超えた男を平気で言う目の前の男に耳を疑った。思わず問い返す。 「それは……沢田綱吉のことを言ってるの?」 「あったりまえだろ! ツナ以外に誰がいるんだ」 「……オレの? ……かわいい?」 なぜか胸を張って自慢するディーノを見る目が、自然と得体の知れないものを見るものになった雲雀に、リボーンが笑う。 「気にすんな雲雀。こいつはいつもツナには甘いんだ」 「そうだ! 恭弥とこんなこと話してる場合じゃなかったぜ。ツナが家出ってどういう意味だよリボーン!」 三十過ぎた男の言葉とは思えぬ科白に顔をしかめる雲雀を無視して、ディーノがリボーンに向き直る。 「そのまんまだ。ダメツナの奴、しばらく修行の旅に出てくるって置手紙を残して家出しちまったんだぞ」 「そうなのか!? でも今さら修行なんかに出なくたって、ツナは十分強えーのに」 弟子に向ける顔とは違い、ディーノは心配そうに眉を寄せた。そうすると年を重ねて少しはついた貫禄も綺麗に消えうせる。 「あいつはお前の弟弟子だぞ。兄弟子が立派にファミリーをまとめ上げてる姿を見て、修行が足りねーとでも思ったんじゃねーのか」 まったくのでまかせである。雲雀は口を開くのも面倒になって、二人のやり取りを黙って聞いていた。 「マジで!? そんな……ツナもそういうことなら言ってくれればいいのに。オレならいくらでも力になってやるんだから」 「兄弟子に心配をかけたくないとでも思ったんだろ。多分な」 嘘八百なリボーンの言葉を素直に信じて感激しているディーノの姿を見て、雲雀は馬鹿馬鹿しく思いながら珈琲を啜る。 本当に、こんなのに弟子だと思われていると思うだけで雲雀は腹が立つのだった。これでマフィアのボスの中でも切れ者として扱われてるというのだから理解できない。 「ボンゴレのボスが不在だなんて醜聞が外に漏れたらどうなるか分かるだろう?」 「そりゃあ、な」 ボスの不在を知って、ここぞとばかりに勢力図を塗り替えようとする組織や、ボンゴレ自体を乗っ取ろうと企む人間が出てくることなどサルでも分かる。 「幸いあいつの顔を知ってる人間は少ない。ごまかす手はいくらでもある」 だが、人の口に戸口は立てられない。沈黙の掟もマフィアじゃなければ当てはまらない。噂は瞬く間に飛び火し、いつそれが火の粉となって降りかかってくるか分からないのだ。 「だからこそ、オレが呼ばれたんだろ?」 ボンゴレの同盟ファミリーであるキャバッローネ。そのキャバッローネのボスであるディーノ。 同盟ファミリーに対する信義を抜きにしても、ディーノとツナは旧知の仲だった。お互いに信頼し合い、深い親交のある相手だ。この世界でそれは金には代えられないほどの価値がある。 心得たように頷くディーノに、リボーンは満足げな表情をする。二人から視線を外し、雲雀は窓の向こうの闇をつまらなそうに見やった。 リボーンが立ち上がって暖炉に向かう。ディーノに珈琲を入れてやるのだろう。 「しっかしお前、連絡ないけど色々派手に暴れまわってるみたいじゃねーか。聞いてるぜ、マカオや香港でもお前の名前を出すとみんな震え上がるらしいな。いったい何やってんだ?」 ディーノはリボーンの席の右隣に座り、テーブルに肘を着いて笑った。 「別に。弱い群れを咬み殺してるだけ」 笑顔で近況を聞いてくるディーノにも雲雀は素っ気なく返事をする。雲雀が興味あるのは強いものと、雲雀が好ましいと思ったものだけだ。 だから好ましいと思うリボーンにはそれなりに接するし、そうではないディーノにはこれといって反応を返さない。咬み殺しがいがあるときは別だが、今日のディーノは部下を連れていないから弱いので対象外だ。 「相変わらずお前は自分に素直なヤツだよなぁ」 「文句ある?」 「いいや、いいと思うぜ」 てっきり文句を言われるのかと思ったら、そうではないらしい。ディーノは肘を突いた手のひらに顎を乗せて、うーんと唸った。 「ツナもお前みたいにやりたいことを素直に出来れば苦労しないのにな」 しみじみと呟くディーノに、馬鹿にされているような感じを受けて雲雀は目を眇めた。 「それを望まなかったのは彼の方なんじゃないの。言いたいことがあれば言えばいいし、したいことがあれば勝手にすればいい」 ふい、と横を向く雲雀にディーノはため息をついた。 「あのなぁ、全部が全部お前みたいに好きに生きていけるってわけじゃねーの! 上に立つからにはそれなりの責任ってものがだな」 「知らないよそんなの。そんなものが何になるって言うの」 雲雀は腕を組んでディーノを見据えた。 「オレもお前も、まあまあ好きに生きてるほうだが。ツナはどうかな。元々背負うものの重さなんてものは比べられないからな」 その身一つで財団を起ち上げた雲雀と、ファミリーを受け継いだディーノじゃ立場は違う。そして、比較的歴史の浅いキャバッローネよりも歴史の古いボンゴレとでも、ディーノの言う背負うものと言うのは違うのだろう。雲雀にとって、それらはどうでもいいものだが。やりたくないならそれこそ死ぬ気でやらなければいい。 だが、それでもやらなければならないときは? 一体どうするのか。雲雀はその答えを知らない。 「人がひとりで抱えられるもんなんて、そう多くないだろ」 「一人ならな。あいつは一人で何でもすませられるような器用な人間じゃねーだろ」 珈琲を入れ終えたリボーンがディーノにカップを渡す。礼を言って受け取ったディーノに、リボーンは肩をすくめた。 「雲雀、おかわりは?」 「いや、いらない。それより何か食べたいんだけど」 腹の虫がそろそろ鳴りそうな様子に、雲雀はリボーンに言う。腕時計をみると、時刻はすでに夕餉の時間になろうとしている。 「そうだな。わざわざ来たんだ、ちゃんともてなしてやるぞ」 「リボーン、もちろんオレも食べてっていいんだろ?」 「あなたは早く群れに帰れば。邪魔だから」 「ひでっ! 薄情な奴だなーっ!!」 嫌そうに切って捨てる雲雀の態度にディーノが怒ったが、知ったことじゃない。雲雀は腕を組んで背もたれによりかかった。 十代続いたその血塗れた歴史を、壊すと言った沢田綱吉の横顔がふいに思い浮かんだ。雲雀の持っている雲の指輪を、いつかは返してもらうことになるかもしれないといったその姿。 雁字搦めにわざわざ縛られる道を選ぶとは、いっそ滑稽だと雲雀は思う。 『雲雀さんらしいですね』 沢田綱吉が何を思って雲雀に、守護者にそう告げたのかは分からない。 雲雀は綱吉の守護者といっても、基本的に日本から出ることは少ない。だから彼がボンゴレという組織の座を継承するときも、雲雀は守護者の顔見せなんてくだらない見世物には出なかったし出るつもりもなかった。 浮雲は自由に空を浮かぶ。それでいいのだ、と。彼の故郷でもあり、雲雀の故郷でもある並盛で笑っていなくなった。 「……空が落ちるその様は」 目を伏せてその様を思い出した。やけに印象に残って消えないままになっていた。 『――その潔さがいっそ』 「見ていて愉快だろうと思うけどね」 『うらやましいです』 「我ながら、ちょっと悪趣味かな」 「恭弥、なんか言ったか?」 雲雀の独り言を聞きつけたディーノが不思議そうな顔をしている。シャツにこぼしたコーヒーの染みを見とめて、雲雀は冷めた表情を歪めてそっぽを向いた。 「……何も。さっさと帰りなよ。目障りだからね」 そう言い放ったとたんリボーンは噴出し、ディーノは憤慨する。一気にうるさくなった室内に嫌気がさしながら窓の外を見た。 雨はまだ、止みそうにない。 >>続く |