別宅がいくら広い屋敷とはいえ、同じ屋根の下に住んでいる兄弟です。時には運悪く鉢合わせをすることもあります。 「……目が腐る」 久しぶりに顔を合わせた弟の姿を見て一言、そう吐き捨てる恭弥にその場の空気がいきなり冷たくなりました。前々から思っていたことでしたが、恭弥は弟の格好を見てついに気が狂ったのだと思いました。 「おや? 誰かと思えば恭弥じゃありませんか」 「何その格好。常々頭がおかしいとは思ってたけど、気色悪いにも程がある」 恭弥は弟の着飾った姿を見て顔をしかめました。にこりと笑みを浮かべる弟に、恭弥は毛の逆立てた猫のように警戒しました。トンファーを手にしているその腕には、うっすら鳥肌が立っています。 「そうですか? とても似合ってると思いますけど。ああ、君には少し丈が足りないかもしれませんね」 そう言ってどこか意地悪く笑う恭弥の弟の名を骸と言いました。彼は兄とはまた違ったタイプの、これまたたいそう美しい少年でしたが、恭弥と同じく男の子です。ふさふさした頭が印象的な、恭弥と同じく将来が楽しみなとんでもない美形です。 「死ね」 骸は兄である恭弥よりわずかながら背が高いので、自然と見下ろされるようにされるのが恭弥にはむかつきます。思わず愛用のトンファーを取り出して殴りかかりましたが、ひらりと交わされました。 「おやおや、あまりにも美しい僕に嫉妬ですか」 「気色悪いこと言わないでくれる。いいからさっさと死になよ」 クフフ、と恭弥にとって癇に障る笑いをする骸の格好は、何をどう間違えてしまったのかとても綺麗なドレスを身に纏っていました。すとんと落ちる形のそれは、背が高い彼にはいっそ残念なほど似合っています。きっと自ら布から選んで仕立てさせたのでしょう。袖に縫われた繊細なレースに、職人の魂を感じます。 きちんとほどこされたお化粧のせいでしょうか、骸の女装は完璧でした。くるりとカールされた睫毛に、頬紅はあくまで主張させず。唇には薄い色のルージュを塗っています。爪先まで綺麗に磨いて、いったい彼が何をしたいのか恭弥には見当もつきません。 後ろについているお付きの二人も巻き添えを食らったのでしょうか、かわいらしいドレスを着ています。傍目から見てもとても顔色が悪いです。 「…吐きそう…」 「クフ…まぁいいでしょう。今日は君とくだらないおしゃべりをしている暇はありません。早くしないと舞踏会が始まってしまいますかね。行きますよ、千種、犬」 くだらないのはお前の存在そのものだと思いながらも、恭弥は視覚の暴力に耐えられなくなりそうだったのでそのまま行かせることにしました。 あんなのと血が繋がっているのかと思うだけで、恭弥は村ひとつ破壊したくなるほど凶悪な気分になります。 「あ、そうでした」 「……何、まだいたの? さっさと消えろ」 「僕が留守にしている間、部屋には絶対入らないでくださいね。もし入ったら今度こそ息の根を止めてやります」 言うだけ行ってさっさと屋敷を出て行った骸に、頼まれたって部屋になど行きたくない恭弥は自室に戻ります。廊下の窓から、午後のぎらつく日差しが差し込みます。いったい何をそんなに明るく照らしたいのか恭弥には分かりませんが、ぽかぽかとした陽気は眠気を誘います。 恭弥は自室の扉を開けて中に入ろうとしましたが、何を思ったのかいきなりくるりと方向転換しました。すたすたと反対方向に歩く先には、骸の部屋があります。 本来なら頼まれても行かない場所なのですが、骸自らわざわざ釘を刺すくらいです。恭弥はきっと何かあるに違いないと思ったのです。 部屋の前にたどり着くと、恭弥は問答無用でトンファーで扉をぶち破りました。もとより主が不在なのは承知の上です、ノックなど必要ありません。ドカンと大きな音を立てて破壊させたのにも頓着せず、恭弥はずかずか足を踏み入れます。部屋を見渡すと、派手好きな骸にしては意外なほど簡素にまとまっています。 年頃の少年の部屋らしくも無く、きちんと綺麗に手入れされているその部屋は塵ひとつ見当たりません。壁にかけられた絵画や天蓋つきのベッド、棚に並べられた蔵書はどれひとつとっても一級品です。 恭弥はつまらなそうに室内を見ました。あれほど釘を刺したのだから、何か面白いものがあるかと思ってきたのに、この部屋に恭弥の興味を引きそうなものはない、かと思いきや。 「何これ」 「きゅ!?」 恭弥は場違いなほど浮いているものに近づきました。日差しを避けるように机の上に置かれた銀色の籠の中には、なんと小さな小さな生き物が一匹飼われているではありませんか。 「へぇ?」 あの人を人をとも思わないような冷酷な男が、なんとこんなにも小さくて愛くるしいペットを飼っていたことを知って、恭弥は鼻で笑いました。餌場にはこんもりとひまわりの種があり、水もきちんと満たされています。一目見ただけでも大事に飼われているようです。 じー、っと黙って見下ろす恭弥と視線が合った小動物は、まるで蛇に睨まれた蛙のようにびしりと固まってしまいました。 瞳はこぼれんばかりに大きくうるうるとしており、ふわふわとした毛は、母親が大事にしている宝石箱の中にあった琥珀のような色をしています。いとけない体をふるふると震わせる小さな毛むくじゃらに、恭弥の胸はきゅんと高鳴りました。彼は群れる草食動物や愚かな人間が大嫌いでしたが、このような小動物は嫌いじゃありません。 「きゅ!? きゅ〜〜っ!」 恭弥がうっかり籠を開けて手を差しだすと、小動物はおどおどと怯えてその手から逃げようとしました。普段人を血祭りに上げている手のひらなので、もしかしたら血の臭いがしたのかもしれません。 「……あ」 「きゅっ!?」 恭弥の手から必死に逃れるようにして、前を見ず駆け出した小動物は顔面から檻にダイヴしてしまいました。きゅ、きゅー、とひっくり返ってじたばたしている小動物はなんとも間抜けです。見る人が見れば、鼻血が出てもおかしくないほどです。 恭弥が無言のまま起こしてやると、助けられた小動物はちらちらと恭弥の手のひらと表情をうかがいました。まるで人間のようなしぐさです。 しばらくそのままにしていると、小動物はおそるおそる自ら恭弥の手に近寄って、小さな鼻をふんふん言わせました。恭弥が黙って見下ろしていると、害がないと判断したのか小動物は恭弥の手のひらに乗って、くるりと丸まりました。なんと可愛いしぐさでしょう! 「……っ!」 指に噛み付くでもなく素直にすり寄ってきた小動物に、顔には出さないながらも胸が高鳴りっぱなしの恭弥です。かわいい!と、思わず柄にも無く叫びだしそうになったのをぐっと堪えて、恭弥は籠から小動物を取り出しました。 「きゅっ!?」 いきなり籠の中から出されて怯えた小動物は、恭弥の小指の爪よりもなお小さな手でぎゅうっと指に掴まります。そして、きょろきょろと周囲を見回し、あまりの高さに驚いたように飛び上がります。ぷるぷると手の中で震えているとことからして、高いところが苦手なのかもしれません。 「…落とさないよ」 あまりにも震えているので、少々可哀想に思った恭弥はしっかりと小動物を抱きました。あくまで握り締めるなんてことはしません。 そうするとどうでしょう、言葉が通じたのか何なのか、小動物は恭弥の目を見て安心したように力を抜いたのです。もうそれだけされればいかに恭弥といえど、思わず頬ずりしたって何もおかしいことではないのです。 恭弥は骸のペットだというのにまったく躊躇せず自室に連れ帰ることにしました。俗に言う、お持ち帰りというやつです。骸が帰ってきたら激怒することは間違いないでしょう。 しかしそんなことなど気にしない恭弥はすっかり上機嫌で自室に戻ると、小動物を机の上にそっと乗せました。普段ところかまわず人を咬み殺す人間とは思えないほどやさしい仕草です。 小動物はいきなり開けた視界に驚いたのか、恭弥の手から降りようとはしませんでした。それでも、恭弥が指でつついてうながしてやると、おそるおそると机の上に降ります。 小動物は、辺りを見回してきゅうと小さく鳴きました。どことなく落ち着かない様子です。いくら大きい机だといっても、走り回れば床に転げ落ちてしまいます。住み慣れていただろう場所でさえ顔から突っ込んでしまうドジな小動物なので、恭弥は大至急草壁に小動物用の家とえさなど、一通り揃えて持ってくるよう伝えました。二十分でこなければ咬み殺しの刑にしてやるつもりです。 「動いてもいいけど、落ちないでよ」 机と床の高さは、床から恭弥の腰ほどはあります。落ちたら死にはしないかもしれませんが、下手をしたら骨折などしてしまうかもしれません。恭弥は小動物が怪我をしたところで痛くもかゆくもありませんでしたが、もし怪我をしてきゅうきゅう鳴かれたらうるさいので一応注意してやります。別に、心配だから注意をするわけではないのです。 「きゅー」 「……分かってるならいいけど」 しかし、小動物は恭弥の言うことが分かっているように、つぶらな瞳をはしはしと瞬かせて鳴きました。恭弥の心境としては、どうしてやろうこの可愛い小動物!といったところです。思わずふかふかの毛を指で撫でると、くすぐったそうにきゅうきゅうと鳴きました。 >>続く しょうどうぶつが、あらわれた! |