「お待たせしましたっ!」 息せき切って恭弥の自室に足を踏み入れた草壁に、恭弥はうんと頷きました。電話をしてからまだ二十分と経っていなかったので、恭弥は咬み殺さないことにしたのです。これが後二分遅かったら、この部屋は血の雨が降っていたことでしょう。両手が塞がっている草壁に指示を出す恭弥の手には、毛むくじゃらが丸まっています。 草壁は思わずといった調子で聞いてしまいました。 「恭さん、それは一体どうしたんですか?」 「変態のところから持ってきた。あぁ、それはここに置いて」 「…持ってきたって、恭さん! 泥棒はいけません!」 「失礼なこと言わないでくれない。あのパイナップル、何か隠してると思えばこんなか……みころしがいのない小動物なんか飼ってたからね。あんなのと一緒にいると病気になりそうだから連れてきただけだよ」 主のあっさりした泥棒発言を見過ごせずに思わず突っ込んだ草壁に、恭弥はふわふわした毛玉のような小動物を手に乗せながらさらりと暴言を吐きました。弟を弟も思わない辛辣な表現には慣れっこの草壁でしたが、骸が帰ってきたときの悶着を思うと、心の底からため息を吐きました。この双子の喧嘩は周囲にいる人間を否応なしに巻き込む上、それはもう酷いものなのです。毎回死者が出ないのが不思議なくらいです。 「そこに置いたら出てっていいよ。後は僕がやる」 「…へい」 ちゃんと紙をちぎって敷き詰めている籠の中には、遊ぶための滑車もきちんとあります。満足げに頷いた恭弥に対して、草壁はもろもろ言いたい事はあったものの、ぐっと口を噤んでびしりと礼をして退出しました。去り際を分かっている草壁のことなど気にも留めず、恭弥は新しい家に小動物を入れてやります。 小動物は恭弥の手から離れると、しばらく不安そうに新居の中をおろおろとしていました。すんすんとにおいを嗅いで回る小動物を見ていた恭弥でしたが、ふぁ、とあくびが漏れます。思わぬハプニングのせいですっかり忘れていましたが、恭弥は昼寝をしようと部屋に戻るところだったのです。 恭弥がベッドへ行こうとすると、いなくなるのを察した小動物が慌ててきゅうきゅうと鳴きます。なんだかとても必死な鳴き声です。恭弥は気にせずベッドに入りましたが、あまりにも必死で鳴く声に昼寝を邪魔されます。恭弥は葉が落ちる音などという常人にはとても理解できないような、ほんのかすかな音でも目が覚めてしまうので、このまま鳴かれてはおちおち眠れません。若干不機嫌になりつつ、それでも籠に近づきました。 「何? 不満?」 せっかく用意させた家に不満でもあるのかと恭弥が覗き込むと、小動物は籠の隙間から小さな手を恭弥に向かってむいむいと伸ばしました。まるで出してくれとでも言いたげな必死な仕草に、恭弥の胸はまたもやきゅんとしました。 あまりにも必死なのでしょうがなく籠から出してやると、ひしりとしがみついてくるので恭弥はそのまま寝床に連れて行くことにしました。 「うるさく鳴いたら咬み殺すからね」 「きゅっ!?」 言うだけ言って、さっさと横になる恭弥の枕元で小動物は震えました。咬み殺す、の意味は分からないようでしたが、何やらこわいことだとは分かったようです。 しかし恭弥の傍から離れようとはしませんでした。ふるふる震えながらも、黙って枕元に丸まります。まるで団子のように丸まった背を一撫でして、恭弥はまぶたを閉じました。 すぅ、と眠りに落ちるまさにその瞬間。 「はひー! 遅くなっちゃいました!!」 ボワワンっと奇妙な音がして、それから聞き覚えの無い高い声が恭弥の耳に入ります。 「シンデレラーさーん、どこですかぁ!? 魔女っこハル、ただいま参上! です!!」 底抜けに明るい声を聞いた瞬間、恭弥は一気に不機嫌になりました。低気圧前線北上中のような、つまり、とてもムカムカします。眠りを邪魔された上に、恭弥の縄張りとも言える部屋に不法侵入です。 ぐちゃぐちゃに引き裂いてやろうと起き上がると、そこには全身黒い格好をした少女が何故か箒を持って立っていました。 「……咬み殺す」 「はひぃ!? あ、あなたはいったいどこのどなた様ですか!?」 少女だろうが老人だろうが、恭弥にはそんなこと関係ありません。咬み殺そうとトンファーをぎらつかせると、髪を後ろでひとつに結った少女は箒を握り締めて叫びました。 「うるさい。そんなに喚かなくても聞こえてる」 さらにイラっとした恭弥は問答無用でトンファーをがつんと打ち付けましたが、少女は悲鳴を上げて紙一重でそれをかわしました。恭弥の一撃を避けるとは、なかなかの人間です。 抉れたカーペットを見て少女は真っ青な顔で悲鳴を上げました。初対面の男の子がいきなり襲い掛かってきたら、誰だって悲鳴を上げるでしょう。 「で、でんじゃらすですーっ! シンデレラがこんな物騒な女の子だなんてっ、ハル聞いてません……!」 「シンデレラ? 何を勘違いしてるのか知らないけど、それなら三軒隣の家の人間だよ」 「はひ?」 床にへたりこんでぽかんと見上げる少女の表情を見て、恭弥は迷わずトンファーを振り下ろしました。 「はひー!? な、何するんですか! 危ないです! 暴力反対です!!」 「住居不法侵入に、睡眠妨害。風紀を乱す人間は誰だろうと咬み殺す」 一切手加減しようとしない恭弥の物騒な表情に、少女は慌てて弁解しました。少女だって好きで間違ったわけではないのです。それなのに咬み殺されてはたまりません。 「間違っちゃったのは謝りますけどっ、ハルだって好きで間違ったわけじゃないんです! シンデレラちゃんのお家に用があって」 「何それ。言い訳? 遺言にしてあげてもいいんだけど」 必死で説明する少女を遮ってトンファーを振り下ろす恭弥は、どこからどう見ても立派な人非人です。血も涙もありません。 「はひーーーっ!!?」 少女は襲い掛かってくるトンファーから逃れようと逃げ回ります。ついには小動物のいるベッドまでたどり着きました。 「うぅ〜、なんでこんなおっかない目に合わないといけないんでしょうか! シンデレラちゃんを舞踏会に送りたいだけなのに〜……っ」 自分の失敗を嘆いている少女は、うっかりとつまずいて後ろ向きにベッドに転びました。 「ちょっと!」 「はひーっ! 近づかないでください!」 キャーキャー悲鳴を上げる少女の腕を何の加減もせず握って、恭弥はベッドから突き飛ばしました。まったく何の遠慮もありません。 後頭部をぶつけて目を回している少女など見向きもせず、恭弥は小動物の無事な姿を見て内心ほっとしました。思わず口が緩みます。 「潰されなくて良かったね」 「…きゅ?」 恭弥は眠そうな小動物を片手で持ち上げて、無事を確認しました。小動物は、さっぱり訳がわからなそうにきょとんとしています。大きな目をくりくりさせて、ひげを震わせる小動物を恭弥は大事に胸ポケットに入れました。 「きゅ!? きゅっ!?」 「おとなしくしていて。今からこの痴れ者を咬み殺すから」 「ハルは痴れ者なんかじゃありませんっ! ちょっと入る場所をうっかり間違っちゃっただけ……って」 あまりにも酷い言いぐさに少女が真っ赤になって反論しかけたところで、ぴたりと口を閉ざしました。 「そ、そのラブリーな子は……もしかして」 ふるふると震える指先が自らの胸ポケットに向いていることに気づいて、恭弥は眉を寄せました。人を指さすだなんて、失礼な草食動物もいるものです。 「何」 「デンジャラスな上になんて酷い人でしょう! 人間を小動物に変える魔法をかけるなんてっ!」 いきなり怒り出した少女の意味不明な言葉に、恭弥はそろそろうんざりしました。魔法だなんだと騒いでいる少女の頭はきっと、外の暑さでやられてるに違いありません。もう殴って黙らせて屋敷の前に捨てたって、誰にも文句は言わせません。 「お天道さまが許したって、ハルはぜーったい許しません! 覚悟っ!」 えい! と箒を上に向けて少女が何かをぶつぶつと呟くと、恭弥の胸ポケットに入れていた小動物がふわりと宙に浮き上がります。 「っきゅー!」 じたばたと見えない力に抗う小動物は、傍目から見ると頬ずりしたくなるような可愛さですが、ぶるぶると怯えた様子は見ていてとても可哀相です。あまりの珍妙な光景にもかかわらず、恭弥は躊躇せずトンファーを少女に投げつけました。 「ふぎゃ!?」 「なんてことしてくれるの君。こんな小動物を苛める気? 最低だね」 危うく床に激突しそうになった小動物をキャッチして、恭弥は冷たい眼差しで少女を見下ろしました。弱いもの苛めは特に何とも思わず両方咬み殺す恭弥ですが、こんな小さなかわいい生き物を苛めるだなんて最低の行為です。言語道断です。許せるわけがありません。 「酷いのはどっちですかーーっ! ハルは、ハルはその子を助けようとしただけです! そっちこそその子を解放してください!」 がつんとおでこにぶつかった凶器にもめげず、少女は叫びました。鬼より強いと有名な恭弥に楯突く姿は本来ならば表彰ものです。普段なら嬉々として咬み殺してやってもいい相手ですが、いかんせん恭弥は眠いのです。それに、小動物を苛める相手に容赦など必要ありません。 恭弥はあまりにもうるさい上、意味不明なことをしゃべる少女を本気で咬み殺そうと思いました。本来なら弱い草食動物など眼中に無い彼ですが、この少女は別に殺してもいいような、そんな気がします。 「待っててくださいね! 今助けてあげますから!」 「遺言はそれだけ?」 死ね、と恭弥が片方のトンファーで少女を咬み殺そうとした瞬間、ボフン!と音を立てて小動物が煙の中に消えてしまいました。もうもうと立ち上がるピンク色をした煙の先から、げほっごほっ、となんとも苦しそうな咳が聞こえてきます。 煙を掃った恭弥の視界に、見たことも無い姿が映ります。床にへたりこんでごほごほとむせているので顔はよく見えません。華奢な姿に少女なのか少年なのかいまいち判断がつきませんでしたが、奔放に跳ねた髪の毛はどこかで見た色をしています。 「誰?」 またしても見知らぬ人間が部屋に現れたことに、恭弥は不機嫌もあらわに尋ねました。ごほごほと咽ているその人間は、恭弥の問いに体を震わせました。下を向いていた顔がゆっくりと上がり、恭弥は思わず息を呑みます。丸い大きな瞳と目が合った瞬間、恭弥の背中に何か電流のようなものがびりびりと流れました。 無言で見下ろされて居心地が悪いのか、少年は恭弥をおそるおそる見上げました。煙いのでしょう、瞳には涙を浮かべています。 「あ、あの……オレ」 「…小動物…?」 「え?」 ぽつりと口から出た言葉に自分でも驚いた恭弥ですが、目の前でへたりこんでいる相手も驚いたように目を見開きます。しばらくお互い声もなく見つめ合っていると、もう一人の侵入者が二人の間に割り込んできました。 「大丈夫ですかーっ!?」 「えっ?」 少女は慌ててへたりこんでいる人間に駆け寄ります。目線を合わせるようにしゃがんだ少女に手を取られたその人物は、思わず赤くなっています。その姿を見て、なんだか恭弥は面白くありません。 「無事ですかっ!? いったい誰にどうして魔法なんかかけられ」 「ねぇ、質問してるのは僕だよ」 魔法だの何だのまったく持って非現実的なことをしゃべる少女を、恭弥はさくりと咬み殺します。今までの手加減が嘘のようにあっさりとしています。 理不尽な恭弥の暴力に倒れ伏した少女の姿を見て、床に座っていたままだった人間はひぃぃ!と悲鳴を上げました。 「君は誰? 小動物をどこへやったんだい?」 「あ、お、オレ……っ」 あの愛くるしい小動物がいなくなったと思ったら、いきなり人間が現れたのです。恭弥じゃなくとも驚いてしまう事態に、一番驚いているのは目の前の少年のようでした。薄っぺらな体をぶるぶる震わせて目に涙を浮かべています。 「自分の名も言えないの? その口はいったい何のためにあるわけ?」 「おおおおオレ、沢田綱吉です! さ、先ほどは大変お世話になりました!」 恭弥がトンファーをぎらつかせると、少年は飛び上がって名乗りました。 「沢田綱吉、ね。変な名前」 「ええっ!? いきなりダメ出し!? 初対面なのにダメ出しっ!?」 少年は厳つい名前のわりに、小突き回したくなるような愛嬌がありました。ふわふわと揺れる髪の毛は恭弥には無いもので、うっかり撫でてしまいたくなるほどです。 恭弥はゆっくりと少年に近づき腕を組みました。床に倒れている少女などまったく眼中に無いようです。 「君はいつ部屋に入ってきたの? 気配を感じなかったけど」 「それは……さ、最初から」 「どういう意味?」 少年はしどろもどろになりながらも、今まで自分の身に起こったことを簡単に説明し始めました。自分がこの国の王子であること、舞踏会で花嫁を決めるのが嫌で城から逃げようとしたこと、それを家庭教師に見つかっておもしろそうだから死ぬ気で逃げてみろと魔法をかけられたこと、お嫁さんを自分で見つけられたら魔法が解けること、お嫁さんを探しに町に出たら道端で捕まえられてこの家に連れてこられたこと。掻い摘んで整理してみると、こんな感じです。 要は、花嫁を決めるのが嫌で逃げたら小動物に変えられてしまった王子様がこの少年な訳です。 「そこの痴れ者のせいで元に戻った訳だけど、良かったの?」 恭弥は少年の言葉に首を傾げました。少年はどこからどう見ても、お嫁さんを見つけたから魔法が解けたようには見えません。 「正直、あのままでいるのは精神的にきつかったので戻ったのは嬉しいんですけど……。このままじゃ家に帰れない、です」 お嫁さんを見つけるまで帰ってくるなと家庭教師に蹴り出された王子様は頭を抱えて唸りました。本当なら、ロマンティックにお嫁さんとキスをして元の姿に戻るはずだったのです。そして求婚をして、めでたくハッピーエンドという終わりになるはずでした。そんな段取りもまるで台無しです。 恭弥は床にへたりこんだままの少年をじろじろと見つめました。あまりに熱心に見るので、思わず穴が開いてしまいそうです。そうして一つ、うん、と頷きました。項垂れていた顎をつかんで上向かせます。 「な、何でしょうかっ!?」 驚いた拍子にまん丸に見開いた瞳は、やはり小動物のように愛くるしくてたまりません。シミひとつ無い象牙のような肌はふくふくとしてとてもさわり心地がいいのです。 恭弥は何の躊躇もなく、それこそ吸い込まれるように桜の花弁のような淡い色をした唇に、ちゅ、と口づけました。 「僕がお嫁に行ってあげる」 口と口とくっつけたまま、恭弥は出会ってまだそれほど経っていない王子様に逆プロポーズしました。なんと大胆で、直球なプロポーズでしょう。まだるっこしい事が大嫌いな恭弥らしい言葉です。 「っ! っっ!?」 生まれてから今まで、女の子とは片手の数ほどしか会話をしたことがない王子様はもちろんチェリーボーイです。残念ながら、初めての口づけは自分より背も高くてかっこいい少年だったことに、王子様は声も出ませんでした。 初めてのキスがふんわりと柔らかくて花のような匂いのする女の子ではないことに、綱吉王子の瞳からぽろりと涙がこぼれます。唇を奪われて涙をこぼすなど、いったいどこの乙女でしょう。 恭弥はその星のようなきらめきをした雫を唇で吸い取って言いました。 「群れは嫌いだけど、君となら番ってもいいかな」 腕の中にすっぽりと納まる身体に、ころころと変わる表情は見ていて飽きません。人嫌いな恭弥がここまで言うのも天変地異の前触れかと思うくらいの衝撃なのですが、そんなことは露とも知らない王子様は慌てて首を振りました。引きつった顔になっているのは、本人にもどうしようもないことなのです。 「お、男同士じゃ結婚はできませんよっ!?」 「確かに男だけど。戸籍は女だから結婚できるよ」 男なのに女、という説明に綱吉王子はまったくわけが分からない様子でしたが、ついには頭がパンクしてしまったのか目を回してしまいました。 きゅう、と倒れてうんうん魘される綱吉王子を、恭弥は軽々と抱き上げてベッドに連れて行きます。このまま既成事実を作ってやってもいいのですが、王子様にとっては幸いなことに、恭弥はとても眠いのです。 元々一人で寝るには贅沢なほど広いベッドだったので、小柄な王子様が乗ってもびくともしません。二人で横になると、恭弥はふぁ、とあくびをしました。 そのまま、床に倒れたまま忘れ去られた魔女っ子を思い出すことなく恭弥は眠りにつきました。起きたら気の済むまでマーキングをして、お城に乗り込んでやるつもりです。 その前に、王子様不在のつまらない舞踏会から帰宅した上、ペットを取られて怒り狂った骸が恭弥の部屋に乗り込んできたり、王子様の右腕と名乗るうるさい男に爆弾を投げつけられたり、黒いコートを着た群れに絡まれたりとするのですが、ぐっすりと眠りについた恭弥にはまだ知らないお話。 王子様はとっても怖い、けれどたまにやさしい奥さんの尻に敷かれて、いつまでもいつまでも仲良く暮らしましたとさ。どんど晴れ! |