北海道(2)(2009.6.26〜7.15)


7月6日 (月) 曇 利尻(沼浦)〜礼文(船泊) 走行距離:56.3Km

 今日は雲りで利尻岳は見えない。キャンプ場から少し行くと南浜湿原があったので、見ていくことにした。早朝で誰もいない木道をゆっくり歩いて回った。植物の種類は多そうだが、知識がないのでよく分からない。水芭蕉の葉も沢山あったが花も見たいものだ。近くには人家もあったが、自然がよく保たれていた。

 沓形から鴛泊の先まで自転車道が整備されていて、その一部を走ってみた。自転車道の周りは自然が多く、草原に背黒カモメの大群がいて、よく見れば雛が沢山おり、営巣地の近くを通っていた。

 千葉県から来たというバイクの人から、鴛泊の町に「眉」というレストラン(民宿?)を教えてもらったので寄ってみた。民家を改造した店で、家庭的な料理で美味しいとのことだった。ランチはサンマの塩焼き、酢の物、煮物などが出され、サンマは新鮮で美味しかった。若い旅行者の間ではよく知られた所らしい。マスターは利尻島に惹かれてここに住みついたらしい。昼食後13:15発の礼文島(香深港)行きのフェリーに乗った。港を出る頃にガスが晴れてきて利尻岳がよく見えてきた。
 約40分後、分厚い雲に覆われた礼文島に到着した。郵便局で少なくなった現金をおろし、コンビニで食材を買い、強い追い風に乗って、船泊にあるキャンプ場(久種湖畔)へと急いだ。

7月7日(火) 曇 礼文(船泊)〜稚内 走行距離:32.4Km

 昨日は猛烈な風で、テントが吹き飛ばされそうだった。今朝、キャンプ場の近くにあった展望台に上ると、久種湖とキャンプ場の全景がよく眺められ、また左方には船泊湾、遠くにスコトン岬も見られた。

 今日は金田ノ岬を回って香深港へ行き、16:30発のフェリーで稚内へ戻ることにした。岬を回ったところでグヮグヮと変な鳴き声が聞こえたので、海を見たら沢山のアザラシが浅瀬に上がっているのが見えた。

 小さな港で魚を捌く老漁師と群がるカモメを見つけたので、話しかけたらウニをすくい、食べよとくれた。

 香深に到着したが、フェリーの出港時間まで2時間程あったので、桃岩展望台へ行ってみることにした。自転車を押して暫く坂道を上っていくと見晴らしが良くなり、最後は自転車を置いて歩いた。トレッキングコースが長く伸びており、大勢のハイカーがいるのが見えた。一帯は見事な花畑になっており、桃岩や海の景色も素晴らしく、もっと歩きたかったが時間が無いので引き返した。

7月8日(水) 雨 稚内〜猿払 走行距離:63.8Km

 昨夜はユースホステルに泊まり、同室の3人で夜遅くまで話が弾んだ。今日からこの旅の後半、網走に向かう。同室の2人がまだ寝ている内に、静かに雨模様の中を出発した。稚内を出る頃には早くも本降りになってきた。

 宗谷岬に到着し雨宿りをしていたら、ユースホステルで同室だったOさんが、追いついてきた。少し早いが昼食を食べようと、一緒に近くのラーメン屋に入った。
 Oさんは50歳代で、自転車旅であるが、若い頃はバイクで5大陸を走ったことがあり、昨夜は主にその話に花が咲いた。

 Oさんと別れ、観光客で賑わう「日本最北端の地」の碑を写真に撮った後、出発した。
 雨が降り続くので、休憩しようと道の駅「さるふつ」に入ったら、カナダ人の若者がいた。日本語が達者で、ここまでヒッチハイクで来たらしく、更に稚内へ行くといって雨の中を国道の脇で、根気よく止まってくれる車を待っていた。 私は、ここのキャンプ場で泊まることにした。

7月9日(木) 晴 猿払〜枝幸(千畳岩) 走行距離:59.1Km

 今朝は風が強いが晴れており、キャンプ場傍にある、ソ連船「インディギルカ号遭難者慰霊碑」を見てから出発した。説明によると、カムチャッカ半島からウラジオに向かっていたが、冬の悪天候のために流されてこの沖で座礁し、大勢の人が亡くなったことがあり、その際、近隣の村人が助けに向かったそうである。

 浜頓別にある「ベニヤ原生花園」のベンチで昼食を食べた。久しぶりの晴天で気持ちが良かった。

 神威岬を越えると枝幸だ。岬の駐車場で休憩していたライダーと会話中に突然、ヤマセ(夏に北東から吹く冷たい風)で天気が変わり、気温も14℃と肌寒くなった。この日は枝幸の町の手前にあったキャンプ場(ウスタイベ千畳岩)に泊まった。先週ここで、枝幸カニ祭りが行なわれたようであった。

7月10日(金) 雨 枝幸(千畳岩)〜枝幸(道の駅マリーンアイランド岡島) 走行距離:10.7Km

 朝、雨の降る中を出発したが、気温が11℃と低く足が濡れて体も冷えてきたので、道の駅(マリーンアイランド岡島)に飛び込み、暖をとり濡れたものを乾かした。ようやく体も暖かくなり、これからの予定をどうするか考えていた時、今朝キャンプ場で会った東京から来たという自転車の若者も濡れてやって来た。またバイクで旅行中の人が入れ替わりびしょぬれで現れてはまた出て行った。
 私はこの日、少ししか走っていなかったが、ここのキャンプ場で泊まることにして、レストランで昼食を食べてゆっくり過ごした。

 自転車の若者は2時間程いた後、興部まで行くと言っていたが、冷たい雨の中を元気に出て行った。

 売店でホタテと酒を買い、東屋のある場所にテントを張って、早めに夕食を食べて寝た。疲れもあり、無理をしたら風邪でもひきそうな気分だった。

7月11日(土) 曇 枝幸(道の駅マリーンアイランド岡島)〜雄武(日の出岬) 走行距離:51.8Km

 橋の上からサケマス孵化場らしきものが見えた。

 昼頃、雄武の町に到着した。丁度、オホーツクサイクリング(雄武〜斜里間200Km余を2日間で走るもので、参加者は毎年1000名を越えるらしい。)が催されており、今朝、雄武を出発したとのことであった。
 午後3時ごろ雄武のはずれにあるキャンプ場(日の出岬)に到着した。近くに立派なホテルがあり、久しぶりに温泉入浴ができた。

7月12日(日) 晴 雄武(日の出岬)〜紋別(小向) 走行距離:64.0Km

 今朝、キャンプ場に泊まっていた、同年代の自転車旅行者がいたので話しかけた。帯広の人で、北海道を一周しているのだと話した。荷物は軽そうで、コンパクトにまとめられていた。

 興部の道の駅に廃線となった車両を利用した簡易休憩、宿泊所があった。一昨日別れた東京の若者はここで泊まったのかも?

 オムサロ原生花園を抜けて海岸に出てみると、釣りをしている人がいた。まだ来たばかりらしく、釣れていなかった。

 紋別港の公園にあった流氷観光船「ガリンコ号」、船首に砕氷のためのスクリューが4つ装備されている。元はアラスカ油田開発のために作られた船だそうだ。現在は2代目の観光船が作られ活躍していた。

 コムケ湖に沈む夕日、湖畔のコムケ国際キャンプ場で泊まった。この日は夕食の食材を買いそびれ、残りものですませた。アルコールがないので、自販機でコーラを買い代用した。

7月13日(月) 雨 紋別(小向)〜サロマ湖 走行距離:48.9Km

 旅行者にとって、こうした観光案内図は貴重な情報源の一つである。走り始めて約1時間、湧別でコンビニに入っている間に雨が降り出した。予報より随分早く雨になった。湧別と網走間は昨年走ったコースなので懐かしい。昨年も雨の中を、サロマ湖から遠軽まで走った事が思い出される。

 サロマ湖畔の計呂地にあった、廃線となった車両を利用した簡易休憩・宿泊所の内部。この日は雨降りのため、ここで昼食を食べさせてもらった。ここで泊まろうかとも思ったが、明日のことを考えてもう少し先にある、昨年も泊まったキムアネップキャンプ場まで行くことにした。キムアネップキャンプ場には昨日のキャンプ場で一緒だった埼玉のKさんが一人で居た。

 この日の夕食はうどん。キャンプも明日で終わりとなり、食材の整理も必要だ。

7月14日(火) 雨/曇 サロマ湖〜網走(呼人浦) 走行距離:57.6Km

 朝、雨の中を先に出発したKさんに網走湖畔にあるキャンプ場を教えてもらった。
 私はキャンプ場の付近を散策し、ゆっくり出発した。暫くして雨は止んだ。

 常呂の町に入ると、オホーツクサイクリングの中継地(宿泊地)の横断幕があった。当日、この周辺には千台以上の自転車と人で溢れ、壮観だったに違いない。

 網走に向かう自転車道の休憩所にいると、岡山から来たという同年代の自転車旅の人がやってきた。荷物は少なく、一日100Km程度は走るという。二人でラーメン屋を探したが見当たらないので、網走まで一緒に走ることにした。やはり彼はスピードが速い。13時過ぎ、網走に入り、ラーメン屋で一緒に食事をした後で別れた。
 まだ雨は降りそうなので、ユースホステルに泊まろうかと迷ったが、キャンプ場に向かうことにした。キャンプ場にはKさんのテントがあったので、近くに張った。

 7月15日(水) 雨 網走(呼人浦)〜女満別空港・中部空港・自宅 走行距離:16.5Km

 昨夜は夕食後、Kさんが一緒に飲もうと、ワインとつまみを持ってやってきた。外は次第に冷えてきて、防寒着を着て震えながら遅くまで話した。
 今朝起きると、また雨だ。Kさんはここに連泊の予定で、9時頃一寸出かけると言って顔を見せた。私は残った食料品等をKさんに渡して別れた。雨の中でテントを撤収したが、問題が一つ残っていた。それは今日、飛行機に乗るため、まだ半分残ったキャンピングガスをどう処理するかだった。誰かに使ってもらおうと考えてはいたのだが・・・最初に声をかけたテントには外人がいたのでびっくり、聞けばフランス人だった。いくつかのテントを回ったが、同じタイプの燃料を使っている人は意外に見つからなかった。しかし最後に聞いた人が、もらってくれたので大助かりだった。問題が解決し、雨の中を最終ランとなる女満別空港へと出発した。

戻る