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≪RPGコラム、その1:RPGを批評する≫

 「今度はどのゲームで遊ぼうか」
 「このゲーム、他の人はどんな感想を持ったんだろう」

 こんなときに役立つのが、他人の書いた批評文(レビュー)です。でもこの批評文というもの、どれだけ信じてよいものなのでしょうか。同じゲームであっても、人によって評価がばらばらということは珍しくありませんが、一体どれが正しいのでしょうか。
 プレイしたゲームを誉めるのも否定するのも簡単ですが、批評するのは難しいものです。それでもRPGの批評を行っている者として、RPGとその批評に関する私の考えを書いてみたいと思います。

 RPGは多くのファンを持つジャンルです。しかし現在のRPGは、人気に見合うほど優れているのでしょうか。ファンの数と面白さは比例するとは限りません。RPGは高度なアクションや思考を必要としないため、対応できるユーザーの数が多いというだけに思えてなりません。
 私がそう考える最大の理由は、システムのお粗末さです。RPGのシステムは戦闘が中心になることが多いのですが、その目玉となるべき戦闘でさえ、面白くないと感じる人や、クリアするまでに飽きてしまうという人が少なくないはずです。そしてその原因は、RPGというジャンルにではなく、つまらない戦闘にしてしまった開発者にあると、私は考えています。その根拠となる分かりやすい例をあげてみましょう。

 「盗む」
 これは最近のRPGではよく見かける、戦闘時のコマンドです。
 このコマンドを使用できるのは盗賊系のキャラクターで、その効果はもちろん、相手の持ち物を盗むことです。RPGは物語の要素が強いゲームですから、盗賊が盗賊らしい行動を行えるというのは面白い試みといえます。つまり個性を生み出すための演出にもなっているということであり、このコマンドに大きなメリットが存在することは疑いようもありません。

 では次に、実際のゲームでどんな効果になっているのかを書いてみます。
 私が知る限りでは、大きく2種類に分けられます。1つは敵を倒したときに入手できる物と同じアイテムを盗む効果。もう1つはそれとは別のアイテムを入手する効果です。よく似ていますが、それがユーザーに与える影響は大きく異なります。

 まずは同じアイテムの場合。この場合には、わざわざ盗まなくてもアイテムを入手することが可能です。つまり「盗む」のメリットは、入手効率を高めるだけということになります。そのため「盗む」は無くても構わないわけですから、プレイヤーに「盗む」の使用を強制することはありません。しかし無くても良いということは、魅力も少ないということです。

 次に違うアイテムの場合。これは「わざわざ分けている=>開発者が力を入れている=>重要」ということで、それゆえ盗まなければ手に入らないアイテムが含まれるのが普通です。そしてこの場合の「盗む」は、プレイヤーに選択を迫ることになります。すなわち「苦労するのを覚悟で盗みに挑戦し、特殊なアイテムを入手する」か、「楽することを選んでアイテムを諦める」かです。

 この2つは一長一短であり、どちらが優れているのかを決めることはできません。しかしこの2つには、共通する次のような欠点があります。

 「盗む」は敵を倒すのにはつながらず、戦闘のテンポを悪くする。
 コマンドが1つ増えることで、コマンド入力に手間がかかるようになる。
 盗めるアイテムに魅力が感じられなくなった時点(多くは盗みに成功した時点)で、「盗む」の魅力が失われる。

 つまりこういったことまで考えられ、どう克服しようとしているかが、「盗む」というコマンドに関する評価の基準となるわけです。・・・普通は。
 でも考えてみてください。ここまでに書いてきたことをクリアしていれば、「盗む」というコマンドを生かせているといえるのでしょうか。もっと根本的なことを忘れてはいないでしょうか。そもそも戦闘の目的はなんですか? RPGとはなんですか?

 RPGの最大の魅力は、自分が物語の登場人物になれるということではないでしょうか。小説や映画では味わえない、空想上の疑似体験ができてこそ、RPGとして優れているといえるのではないでしょうか。そう考えると、戦闘中に敵の持ち物を盗むという行動そのものに、何か疑問を感じないでしょうか。
 実際の戦闘で敵と戦うときに考えることは、相手を倒すことただ1つです。自分の命がかかっているのですから、その時々で最善の行動を取ろうとするのが当然の成り行きです。そしてRPGは空想ゲームですから、キャラクターが現実的な行動をとらなければ、雰囲気を楽しむことはできません。つまり「盗む」というコマンドも、敵を倒すための最善の手段として使用できなければならないわけです。

 「盗む」ことが戦闘の勝利につながるシステムにすることは、難しいことではありません。
 例えば敵の特殊能力に、「アイテムの使用」を加えてみましょう。主人公がアイテムを使用でき、敵に人間や妖精が登場するのならば、何の問題もありません。実際、すでに取り入れている作品もあります。もちろん使われると厄介なことになりますが、どんな行動にも何らかの対抗手段はあってしかるべきです。その対抗手段として最適なのは? もうお分かりですね。そう、「盗む」です。
 つまり敵がアイテムを使用できるようにし、それを「盗む」ことで封じることができるようにすれば、「盗む」は「戦闘に勝つための最善の行動」になりえるのです。他にも相手が装備しているお守りなどを盗むというのも面白いでしょう。もちろん盗んだアイテムは自分のものです。
 これはあくまでも1例にすぎませんが、現在の「盗む」よりは、ずっと面白みのある行動になると思います。そして戦闘に集中できるようになるため、ゲームそのものも面白くなるでしょう。

 今の例でも分かるように、ゲームのルールというものは、アイデアが面白いだけではいけません。1つのアイデアをルール化するためには、それを生かすためのさらなるアイデアや考察が必要になりますし、単純な数値バランスによってもプレイヤーに与える影響は大きく変わってきます(例えば、盗むのが困難で敵を倒すのが簡単ならば、敵を倒すために「盗む」を選択する人はいない)。
 しかし現在のRPGの場合、こういったことまで考慮されていることは滅多にありません。ルール作成においては出発点にすぎない “アイデアの面白さ” が、ルールの全てのように扱われることが多いことからも、現在のRPGを取巻く環境が、娯楽としては初歩的な段階でしかないことはお分かりいただけると思います。

 ではなぜ、こんな状態が続いているのでしょうか。

 開発者が、RPGの魅力と可能性を理解していない。
 開発者が、この程度の発想すらできない。
 理想とされるような傑出した作品が存在しないため、作品を正しく評価することが難しい。
 売れた理由、売れなかった理由を、正しく分析できる人が少ない。特に当事者である開発者は、自分の能力や理論を過信している傾向にあり、都合の悪い現実を認めない(雑誌等に掲載されたインタビューなどから推測)。

 ・・・これらは想像にすぎませんが、もしこんな理由ならば、作っている人はプロとは言えませんね。
 「そこまでこだわる余裕がないから」と、好意的に解釈することは可能でしょう。でもRPGはなんのために存在するのでしょうか。RPGは娯楽ですから、ユーザーを楽しませるために存在するのです。楽しく遊べて初めてゲームであり、商品としての価値が生まれるのです。開発側にどんな事情があろうと、楽しめないRPGに存在価値はありません。まずいお菓子や、騒音同然の音楽と同じようなものです。

 できの悪いゲームで遊んでも、怪我をするわけでもなく、病気になるわけでもありません(3D酔いはありますが)。そういった意味では、ゲーム作りは他の多くの業界よりも気軽にできる仕事でしょう。しかしユーザーは、楽しむために貴重なお金と時間を費やすのです。開発者はもっと上を目指さなければなりませんし、ユーザーはもっと欲張ってもいいのではないかと思います。ユーザーが妥協すれば、そして開発者が現状に満足してしまえば、RPGというジャンルの成長はそこで終わりですから。

 現在のRPGがこんな状態なのですから、既存の作品と比較することで批評を行うことに意味はありません。現状でどれだけのことができるのかを見極め、それを基準にして評価する。それがRPGを批評するということだと思います。それゆえ優れた批評とは、多少の知識や理論を持っている程度で行えることではありません。
 物語を読みこなす読解力と想像力、確率的なことまで考慮できる計算力と判断力、映像や音楽による演出を理解できる感性、自分の感情の分析や他者の感情の推測ができる洞察力、RPGの知識、その気になれば制作すら可能な企画力と制作力、全ての元になる常識。
 こういったものを全て持っていて、初めて優れた批評ができると考えています。

 しかしそんな人がいるでしょうか。いたとしても、完璧な批評文を書くことが可能でしょうか。
 嗜好というものは、人によって大きく異なります。それにRPGとして開発されたゲームを、RPGとして遊ばなければならないわけでもありません。そもそもコンピュータRPGというジャンルの定義からしてあいまいなものです。そのためどんなに優れた批評文であっても、全ての人に納得してもらえるものにはならないはずです。
 それでも批評文に意味がないとは思いません。批評文とは、感じたことを人に伝えようとして書かれるものです。書き手にある程度の文章表現力があれば、そして読み手にある程度の読解力があれば、きっと何かは感じ取ることができるはずです。少なくともそれは、そのゲームの一面であることは確かでしょう。

 批評文には必ず真実が含まれている。しかし間違いなく不完全なものである。

 そのため批評文とは、ただ読むだけではあまり意味がありません。そこで他人の書いた批評文を、批評してみるのはどうでしょうか。これは読者に与えられた権利です。
 批評文を読んで感じたことを自分の意見としてまとめることができれば、RPGそのものを批評することも容易になると思います。そしてこれはRPGをより深く理解することにつながり、もっと楽しく遊べるようになるでしょう。

 RPGをプレイした後、「楽しかった」、「つまらなかった」というだけで終わらせるのではなく、「なぜ?」と理由を考えてみる。他人の批評文を読んだ後、「自分もそう思う=>気が合いそう」、「意見が違う=>価値観が違うから」というだけで終わらせるのではなく、「なぜ?」と理由を考えてみる。それが批評の第一歩です。

 批評を文章にする必要なんてありません。人に伝える義務もありません。自分の考えを持つこと。それが重要だと思います。そして多くの人が批評に関心を持つようになれば、作品の出来と売上が比例する、開発者にとって望ましい世の中に近付くのではないでしょうか。そしてこれは品質の向上につながるため、ユーザーにとっても望ましいことではないでしょうか。
 批評をすることには、そんな意味があると思っています。

 努力や才能が正しく評価される未来を築くため、そしてもっと楽しい時間を過ごすため、あなたも今日から、批評家を気取ってみませんか?


【おまけ】

生徒 : せんせー、しつもーん。
教師 : はい、なんですか?
生徒 : 敵をやっつけてしまえば持ち物とりほーだいなのに、どうしてRPGの戦闘には「ぬすむ」のコマンドがあるんですか?
教師 : それはね、強盗よりも窃盗のほうが罪が軽いからですよ。
生徒 : へー。


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