≪娯楽テキストのサンプル≫
≪ゴミ箱の女神≫
私の仕事は、机の上で行う組立作業。小さなゴミが大量に発生します。そのため机の横にはゴミ箱が設置されているのですが、それを使うと時間のロスが大きいため、机の上に小さなゴミ箱を置いています。とはいえ9時間分の仕事を8時間でやらなければならないため、慌ててしょっちゅう入れ損ねてしまうのですが。
先日の話です。
入れ損ねたゴミの1つがうまく転がっていき、普段は使わない方のゴミ箱に入りました。5ミリ四方の紙切れが転がるというのも珍しいのですが、ゴミ箱に入るというのはさらに珍しいことです。何かいいことがありそうな予感が・・・するわけもないのですが。
でも昔話だと、こんな出来事から話が続きます。今回のようなパターンなら、落としたおにぎりがネズミの穴に入ってしまい食べられてしまうものの、代わりにお土産をどっさりもらうという話が有名です。また泉に斧を落とした木こりが、泉の女神に金の斧と銀の斧をもらうという話もあります。
私のゴミ箱にも、何者かが住み着いていてくれると嬉しいのですが。
例えば・・・
女神「あなたが落としたのは金のゴミですか? それとも銀のゴミですか?」
私「普通のゴミです。」
女神「正直者のあなたには、ゴミを全部さしあげましょう。」
いらんわい!
・・・って、待てよ。ゴミといっても、金や銀なら高価なのでは?
金のゴミ : ブロンドの抜け毛
銀のゴミ : アルミ箔
≪管理人の悩み≫
「イラストを描ける人がうらやましい。」
テキストサイトを運営している私ですが、そう思うことが時々あります。
読者の中には、長い文章を読むのは苦痛という人も少なくないと思います。でもイラストをうまく使えば、長い文章を書かなくてもよくなります。
それが分かっていても、私にはイラストが描けません。伝えたいことがあれば、文章で伝えるしかないのです。
「量を増やせば喜んでもらえる人がうらやましい。」
商品パッケージに書かれている、“20%増量中”、“1つサービス” などといった言葉を見たときに、そう思うことが時々あります。
しかし文章を書くときに重要なのは、ムダをなくして読みやすく分かりやすくすることです。必要以上に量を増やすことは、書き手、読者ともに何のメリットもありません。
でも。
それでも。
更新を楽しみにしてくれている人がいるのであれば、そして私が書く文章を、「少しでも長く読んでいたい。だから少しでも長く書いてほしい。」と思ってくれる人がいるのであれば・・・
予定していた文章に、5文字くらいの追加サービスをしたとしても、それは決して蛇足ではないと思うのです。
あいうえお
≪おせち料理の秘密≫
お正月といえばおせち料理ですが、これが縁起を担いだものであることは有名な話です。例えば「昆布はその名前から、よろこぶ」、「レンコンは穴があいていることから、見通しがよい(将来が明るい)」などです。
でもこれが意外なことに使われていた時代があったことは、あまり知られていないようです。
意外なこと・・・それはなんと、軍隊での処世術講座。幹部は若手を集めて新年会を開き、おせちを振舞いながら軍人としての生き方を教えていたそうです。
例えば田作り(ごまめ)。
これはかつてイワシが、最高級の肥料として使われていたことが元であり、豊作の願いが込められているのですが、軍隊ではこんな意味で食べられていました。
「これまでの生活は忘れろ。軍隊に骨を埋める覚悟で生きてゆけ。」
また、おめでたいときに使われる紅白の色分けも、軍隊では「赤勝て、白勝て」という闘争心を煽る意味で使われていました。
面倒なので、他のものは簡単に書いていきます。
黒豆 |
みんな同じでいい。自己主張をするな。個性など要らない。 |
数の子 |
全員が一致団結して初めて、我々は軍隊として成立するのだ。 |
巻き寿司 |
だから長いものには巻かれろ。 |
昆布 |
そして腹の中まで黒くなれ。 |
くわい |
1日でも早く芽を出して、 |
栗(きんとん) |
怒りをトゲにして敵と戦え。そして我らがジパング、黄金の国を守るのだ。 |
エビ |
ただし無理をして、ぎっくり腰にはなるんじゃないぞ。 |
・・・というように、本来はめでたいものでも、使い方によってはおかしなことになってしまうのです。
・・・え?
どうせいつものホラ話だろうって?
念のために調べてみたけど、軍隊とおせちの話なんてどこにもなかったって?
ギクッ!
だ、だって、楽しいほうがいいでしょ? ちょっとしたジョークですよ、ジョーク!
・・・え?
ただでさえ怪しいサイトなんだから、事実と冗談を混ぜて書くのはやめてくれ?
も、申し訳ありません!
レンコン |
穴があったら入りたい。 |
おとそ |
・・・と反省してはみたけれど、分かっちゃいるけどやめられない。 |
≪星に願いを≫
ふたご座流星群に、興味はありますか? 今年は非常に見やすいそうなので、私は14日に夜更かしをして、夜空を見上げてみようと思っています。
科学や社会が生み出した幸せにつつまれて暮らしている私たちですが、こんな時くらいは人工の幸せを忘れ、自然と共に生きる喜びを味わってみるのもいいのではないでしょうか。
・・・。
ごめんなさい! 心にもないことを書きました!
実は流星群に、あんまり興味がありません! プータローだから翌日のことを気にせず夜更かしできるのに、寒いのが嫌なので見ないと思います!
私はファンタジーや神話は好きなんですが、浪漫よりも科学(というか理屈)の方が好きなので、ふたご座流星群という言葉を聞いても、現実的なことしか思い浮かばないんです。
「ふたご座になったとされる双子って、格闘家兄弟なんだよな。」
「科学が未発達だった時代には、流星群は災いの前触れとして恐れられていたんだよな。」
こんな発想しかできない私は、典型的なつまらない男です。
こんなことを考えていて、1つの疑問が湧きました。
現実を知っているから、流星群を珍しい自然現象だとしか思わない現代人と、現実を知らなかったからこそ、恐れと同時に浪漫も感じることができた昔の人。今の人と昔の人は、どちらが幸せなのでしょうか。
流星群は恐れても、流れ星には願いを託す。そんな昔の人たちは、もしかしたら私たちとは違った幸せを知っていたのかもしれません。
無知ゆえに浪漫あふれる昔の人の幸せと、博学ゆえに現実的な現代人の幸せ。
もし好きな方を選べるとしたら、あなたはどちらを望むでしょうか。私ならば・・・
私ならば、無知ゆえの浪漫よりも、科学に基づいた現実を選びます。その理由は簡単です。流れ星の正体が小さなゴミだという現実を知らず、巨大な隕石だと思っている人が流れ星を見ても、きっとこんなお願いしかできないと思うからです。
「こっちに来ませんように。こっちに来ませんように。こっちに来ませんように。」
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