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≪きまぐれ月記:2014年7月≫

7日

≪7月7日掲載分≫

≪たまには政治の話でも≫

 全国150万人の読者の皆さま、管理人のヨシヒトがネットに帰ってまいりましたー!
 (↑ちょっぴりおおげさ)(←すごく控えめ)

 (文字化けしていたらごめんなさい。1つめは上矢印で、2つめは左矢印のつもりです)

 このところダメ人間っぷりに磨きがかかっていまして、まともな活動はバイトくらいしかしていません。ニュースを見たりネット巡回をしたりしている時に、「この話について私なりの考えを書いてみたいな」と思うことはたまにあるのですが、そのために頑張るどころか、パソコンを立ち上げることすらしていないというダメっぷり。最近では都議会のヤジとか、松本サリン事件(もう20年も前になるのか・・・)のことを書こうと思ったのですが、結局したことは、頭の中で少し考えてみただけ。

 ・・・いや、今こうしてパソコンで文章を書いているんだから、ちょっと頑張ってみようか。今回は簡単そうな、会議中のヤジの話について。

 こんなしょうもない出来事について真面目に書かないといけないというのが、一番の問題だと思うんですよ。会議で人が発言している時にヤジが飛ぶなんて、小学校の学級会でも無いですよね? いや、クラスによっては酷いところもあるでしょうが、傾向としては子供たちの方がずっとマシなんじゃないかと思います。先日のヤジ事件は都議会でしたが、国会だって酷いですしね。
 そして例の事件はヤジの内容ではなく、「ヤジを飛ばす」という行動そのものが重大な問題であると考えています。だってヤジなんて、相手を尊重し、その人の意見をきちんと聞こうとしていたら、絶対に飛ばしませんよね? 相手を見下しているからそんなことをするのです。ようするにこれは、相手を一人前の議員として見ておらず、その人の意見を聞く気がなく、一方で自分は立派な議員だと思いこんでいるということです。こんな事をする人が、立派な議員であるはずがないのにです。

 もっと書きたいことはあるけれど、面倒なのでヤジの話はここまで。ついでなので、政治について思うことをあと2つ。

 個人的に政治家の仕事とは、より良い政策を考えることだけでなく、その理由を分かりやすく説明することも重要であると考えています。
 政治とは現代社会において最も重要なことであり、民主主義という体制をとっている以上は全ての人が関心を持たなければならないことですが、簡単な事柄ではありません。そのため政治という手段で社会を良くするために働いている政治家と、それ以外の重要なことをそれぞれ担当して働いている一般市民では、政治に関する知識や理解に大きな差が出るのは仕方がないことです。だからこそ政治家はそうでない人に、自分の政策を分かりやすくかつ理論的に説明する必要があり、その能力を磨く必要があると考えています。自分の政策を説明する能力は、他の政治家に対して発言等をする時にも必要になるのですから、必須と言ってもいいはずです。
 でもテレビで政治家の話を聞いていても、理論とか根拠とかを語っている人ってあんまりいませんよね? 「後は評論家のみなさん、勝手に解釈して説明しておいてください」ってなことが許されることではないと思うのですが。ライバル政党の政策を否定する時に「それでは国民の理解が得られない」なんて言っている人がよくいますけど、「その根拠は?」って突っ込みたくなります。

 政治の話の最後に、選挙のことを。
 少し前にとある党で、「今のままでは次の選挙を戦えない」なんてことを言っている人がいました。こんな話はそれ以前にも、様々な党の様々な人が言っているのを聞いた覚えがあります。「選挙対策委員」とかなんとかいう肩書を持っている人もいたと思います。
 こんな話を聞いていると、どう考えても選挙に勝つために政治活動をしているとしか思えません。でも選挙に勝つことは手段であって、目的となってはいけないはずです。そして選挙活動とは、与党や現職ならば常日頃から良い仕事をして、その実績を分かりやすく説明するだけで十分なはずです。もちろん今後何をしていくかを訴えるのも大切ですが、一番はきちんとした政治ができるという実力を証明することでしょう。逆に野党や新人ならば、与党や現職がしてきたことの問題点を指摘し、より良い案を分かりやすく説明することだけで十分だと思います。ようするに選挙って、今ほどお金や時間や人手をかけないといけないことではないと思うのです。・・・現在どれくらいかかっているのかは知らないけれど。
 ただこれに関しては、選挙権を持っている人にも問題があると思います。それは「良い政策」ではなく「自分に都合の良い政策」を支持する人が大半だということです。「良いとは思えないけれど自分には都合が良い政策」というのは、都合の悪い人が大勢いるということでもあります。こんな方針で選挙に関わるのは、民主主義ではなく数の暴力でしょう。

 政治に関する考え方は色々とあるでしょうが、政治家は良い社会を作ることを目指し、一般の人は良い社会で幸せに暮らせるよう自分を磨いていくことが理想であると思います。なぜならば、人格や政治能力に関係なく平等に選挙権と被選挙権が与えられる民主主義とは、より良い社会を目指すための手段としては非合理的だからです(より良い社会を目指す・・・つまり現状はダメ人間によって運営されているダメ社会だということで、そんな人達の多数派意見が社会の向上につながるとは考えにくい)。民主主義を良しとするならば(社会に口出ししたければ)、民主主義を少しでも現実的な手法にするためにも、人格や政治能力を磨かなければならないのです。

 ・・・などと偉そうなことを書いてはみたけれど、私は政治に興味がなかったりします。なぜかというと、子供のダダやヘリクツみたいな話ばかりでつまらないから。理路整然とした議論が行われていれば、少しは興味を持てるのかもしれないですけどね。
 もっとも人格に問題のある政治家が、(自分に都合の悪い)理想的な社会を作らせないために、あえて目茶苦茶な政治活動をして一般市民が政治に関心を持たないようにしているのであれば、見事と言うしかないですけどね。

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