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≪毒と薬≫

 薬に副作用は付き物だが、「なぜ薬なのに害が?」と、疑問に思ったことはないだろうか。また麻薬が痛み止めとして使用されることがあるが、「なぜ毒である麻薬が医薬品に?」とは思わないだろうか。これらは “毒” と “薬” という、言葉の意味を知ることで納得できるようになる。「薬物の話になぜ言葉の意味が?」と、新たな疑問を持たれたかもしれないが、このまま読み進めていただきたい。

注:このコラムは、「薬物=毒、あるいは薬になる物質」として書いています。

【薬物の影響】
 人間の体は極めて複雑にできている。しかし体内で起こっている現象の1つ1つは、実は単純なものでしかない。
 例えば・・・

 * 水と油は混ざらない。
 * 濃い水溶液と薄い水溶液が隣接する場合、薄い方から濃い方へ水が移動する。
 * 鉄が酸素に触れるとさびる。

 こういった現象がいくつも絡み合うことで、人間の体は維持されている。これらの現象がバランスよく起きている状態が健康であり、バランスが崩れると何らかの症状が出たり、病気になったりする。そしてバランスを回復させるために不足している物質を補う、あるいは過剰になっている物質の影響を抑える、という目的で使用されるのが薬であり、バランスを崩すことになる物が毒といえる。
 つまりどんな物質も、それが不足しているときに補う形で摂取すれば “薬” となり、それ以外の使い方をすれば “毒” になるというわけだ。

 「?」という人は、食事をイメージしてほしい。空腹時に何かを食べれば元気になり、食べ過ぎると腹痛や胸焼けをおこす。薬物とはそういった効果を少量で引き起こすもの、と考えれば分かりやすいと思う。

【薬物の危険性】
 少量で大きな変化をもたらす強力な物質。それが薬物だ。だから使い方を誤れば大変なことになる。どんな薬にも必ず説明書きが入っているが、これは形式的なものではない。

*例1
 1回に「2錠」飲むように書かれてある薬があるとする。
 これは「2錠」飲んだとしても、薬用成分が本来必要な場所に届くまでに分解したり拡散したりして、実際には「1錠分」の効果しか発揮しない。つまりその薬は「1錠分」必要で、無駄が「1錠分」でてしまうから、一回の服用量が「2錠」と決められているというわけだ。
 そのため半分くらい効けばいいと考えて「1錠」だけ飲んだ場合、無駄が「1錠分」も出てしまうため、実際にはまったくというほど効果を発揮しない。逆に倍の「4錠」飲めば、影響は「3倍」にもなってしまう。

注:「 」内の数値はイメージ。もちろん実際には、こんなに単純なものではない。

*例2
 飲み薬は水かぬるま湯で飲むように書かれている物が多いが、これには「必要な場所まで薬を早く確実に届ける(流す)」「薬が溶ける時間を調節する」「薄めて刺激を和らげる」などの意味がある。そのため水なしで飲むとこれらが狂ってしまう。
 またアルコール飲料で飲む(薬と混ざる)と薬の吸収が非常に早くなり、薬を通常の何倍も飲むのと同じ、あるいはそれ以上の危険がある。

【栄養素も薬物】
 ビタミンやミネラルなど、栄養素と呼ばれる物質も、実は薬物の一種である。手軽に栄養素を摂取できるサプリメント(栄養補助食品)が人気だが、栄養素の中には「必要な量」と「取りすぎになる量」との差が少なく、通常の3〜5倍程度の量を摂取し続けただけで健康を害するものも少なくない。そしてこの量を食品から摂取するのは困難だが、サプリメントを間違って使用すれば簡単に超えてしまう。「手軽に買えるから」「食べ物に含まれている物だから」という理由で安全だと考えるのは間違いだ。
 当たり前のような食事こそが最高の健康食品であり、そんな食事をすることが困難な人が、仕方なく補助として食べるためのものがサプリメントなのだ。

【医療用麻薬】
 麻薬とは強い依存性(習慣性)を持つ薬物の総称で、それゆえ「麻薬は有害」と考えるのは正しい。しかし一方では強力な鎮痛効果を持つという、優れた側面を持っている。
 そのため痛みを止める必要がない人にとっては害しかないが、強烈な痛みに苦しんでいる人にとっては利点もある。そしてその痛みが麻薬の害以上であれば、有効な薬となりえるのだ。

 例えばガン患者にモルヒネなどの麻薬を使うというのがある。ガンは激しい痛みをもたらし、普通の生活を送ることさえ困難にする場合がある。こうなると「ただ耐えているだけ」という生き方しかできない。しかし麻薬で痛みを抑えれば、「耐えるだけ」の時間を「少しでも人間らしく生きる」時間にすることが可能になる。だから「麻薬の使用が有効」と医師が判断した場合には、「麻薬は有害だから」という理由で避ける必要はない。
 麻薬は非常に危険なもので、しかも悪用されやすいために悪いイメージが付きまとうが、限られた状況でのみ「益>害」となる特徴は、他の薬となんら変わるものではないのだ。

【まとめ】
 このように薬も毒も、物質を区別するための言葉ではない。益を期待して使うものが薬であり、明らかに有害なものが毒なのだ。だから薬であっても、決められた用法を守らなければ毒と何ら変わらない。薬は単に、体の中の何かを増やす、あるいは減らすだけであり、最適な状態にしてくれるわけではないのだから。
 また医薬品には、大抵いくつもの有効成分が含まれている。何かを変化させるものが複数含まれているのだから、使用した結果を完璧に予測することなど不可能だ。
 そのため副作用を完璧に防ぐのは不可能であり、薬を体に良いものと考えるのは、非常に危険なことだといえる。

 また副作用の原因は、常に処方する側や薬そのものにあるわけではない。人間は1人1人異なっているのだから、同じ薬を同じように使用しても、同じ効果が現れるとは限らないからだ。しかも普通ではない生活を送っている人は、それだけ普通の人とは体質が異なっている可能性が高く、一般的な人に合わせられた薬が予想外の結果を引き起こす可能性も高くなる。
 つまり副作用が起こっても、その原因は運というどうしようもないことであるかもしれないし、服用者本人の自業自得の可能性すらあるのだ。

 薬とは良いものではない。単に特殊な物であり、それを使うことは一種の賭けでもある。つまり専門家であっても、薬というものを完璧に使いこなすことはできない。そして副作用は決してゼロにはできないという医学の限界を知った上で、それでも最良の手段だと判断して使用しているのだ。しかしそれを知らない人やマスコミは完璧な結果を求めて、しばしば意見が対立する。
 だからこそ今回書いたことくらいは常識として知っておくべきであり、薬を生かすも殺すも人次第だということを、きちんと理解しておくべきだろう。


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