第2話 振り返るとヤツがいる 〜日吉若の恐怖体験談〜
日吉若は冷静な男だった。
ただ、今回のレギュラー発表については、動揺せざるを得なかった。
自分は今回もレギュラー落ちだ。
しかし、跡部部長や芥川先輩に勝つ事ができなかったから、この結果は仕方が無い。
来年は絶対にトップを極めようと、誓いを新たに立てただけだった。
だから、この事で動揺したワケでは無い。
日吉の心を波立たせたのは、宍戸先輩と二年生の鳳がダブルスで出場が決定した事だった。
宍戸は不動峰の橘に敗退している。それもストレート負けの惨憺たる結果である。
その人間がレギュラーに帰り咲くのは、この氷帝では有り得ない事だった。
さらに鳳に関しては、強力なサーブと言う武器はあるが、レギュラー入りはまだ早いのでは
無いか、と考えている部員が多いのも現実だった。
(どの道、針のムシロだな)
この二人の場合、試合で確かな結果を出さない限り、部内で居場所は無いだろう。
ただ、榊監督の考えは違うようだった。
この二人は、期待に答えられると判断したのだ。
日吉が動揺したのは、榊の二人に対する評価の高さにだった。
(自分の知らない何かが、この二人にはあるって事なのか? )
日吉にはそれが何かは、この時点では良くわからなかった。
レギュラー発表が終わった後、日吉が部室で着替えをしていると、二年のクラスメート達に
声をかけられた。
特に親しい相手ではなかったが、日吉と同じ準レギュラーのメンツ三名である。
「日吉、今回は残念だったな 」
「俺たち、てっきり日吉がレギュラー入りすると思っていたんだけどな 」
「せっかく宍戸が抜けて枠が空いたと思ったのにな 」
彼等は、日吉をいたわると言うより、自分達の愚痴をこぼしたいだけなのだろう。
日吉は戯言に付き合う気も無いので、適当に返事をして、後は無視を決めた。
すぐに日吉に興味を無くした三人は、今度は、宍戸と鳳の悪口を言い始めた。
「にしても、おかしいと思わね〜か? 何で、あいつらが選ばれるわけ? 」
「宍戸は一度負けたわけだろ? 鳳なんて、たいしたテクも無いしな 」
「気にいらね〜よな、あいつら 」
聞き耳を立てるまでも無く、狭い部室なので会話が日吉の耳に自然に入ってくる。
どうやら、この三人は鳳に対して何かする気らしい。
「なあ、日吉もそう思わね〜か? 」
「俺たち、これから鳳を締めようと思うんだけど、お前も来ないか? 」
「そうそう、人数が多い方が良いからな 」
日吉は思わず溜め息をついて、飽きれ果てたと言う表情でこう言った。
「お前らはアレか? 榊監督の判断が間違っていると言いたいワケか?
だいたい鳳をつぶしたくらいで、お前らがレギュラーになれるワケじゃね〜だろ?
俺はそんな事に興味は無いね。レギュラーなら自力でなるさ。試合で全員つぶしてな! 」
彼等へ真っ直ぐな視線を向け、そう静かに言い放つと、正論のためか三人は何も
言い返してはこなかった。
ただ、不快そうに舌打ちをすると、「良い気になるなよ、日吉!」なんて、つまらない捨て
台詞を吐き、部室から出ていった。
その後ろ姿を見送りながら、日吉は密かに思うのだ。
(鳳を相手にして、そう簡単に焼き入れが出来るかどうかだな )
(返り討ちに合わなきゃ良いけどな )
鳳は礼儀正しく穏やかで、人当たりの良い好人物と思われている。
だが、日吉の考えは全く逆だった。
鳳はたぶん 《 普通では無い 》。
日吉には、ちょっとした確証があったのだ。
それはレギュラー選抜の試合での出来事だった。
日吉は、跡部には敗れたが、宍戸には勝利した。
宍戸が弱いとは思わなかったが、正直に言って自分の方が実力は上だと自信をつけた
試合だった。
試合直後にコートの中に立ち、タオルで顔の汗を拭っていると、背後に何か奇妙な気配を感じる。
武道の達人だった日吉が感じたそれは、研ぎ澄まされた真剣で切りつけられるような感覚だった。
すぐに、《 本物の殺気 》 だとわかった。
全身が糸をピンと張ったように緊張し、日吉の背中を冷たくなった汗が流れていった。
反射的に攻撃に対する構えをし、振り返る。
しかし、背後には誰もいなかった。
いや、いたには、いたが、コート端のフェンスの向こう側。五十メートルも離れた場所に一人だけ。
同じく二年生の鳳長太郎が立っていた。
個人的に親しい相手では無いが、鳳とは入部した時からの顔見知りである。
その殺気と、鳳がすぐには繋がらない日吉だった。
いつもと同じように、静かにとても穏やかな表情で、日吉を見ている鳳だった。
だが、その視線はとても鋭く、二人で対峙していると、心の奥底まで鋭利な刃物で
刺し貫かれるような嫌な感じがした。
そのうちにすっと鳳が視線をはずし、フェンスを離れて歩き去った。
日吉はやっと緊張を解き、息を深く吸い、それからゆっくりと吐き出した。
見ると手にはべっとりと汗をかき、指先は小刻みに震えている。
例え、武道をやっていたとしても、本物の殺気のある人間には、そうお目にかかる事は無い。
確かに、人を憎んだり恨んだりする事はあるが、実際に殺そうとまでは思わないからだ。
おまけに、日吉は個人的に鳳に恨みを買った記憶は無い。
とにかく、その時に《 鳳には注意が必要 》と日吉の心の中で警鐘が激しく鳴ったのだった。

「思ったより、元気そうだな」
日吉は、ウォーミングアップで素振りをしている鳳にそう声をかけた。
鳳は目の下に小さな傷を作り、額にうっすらと青い痣らしいものがあったが、注意して
見ないとまず気がつかないだろう。
練習中、めったに日吉は他人に声をかけないので、鳳は少し驚いた様子だったが、すぐに
自分の怪我の事だと気がついたらしく、二コリと笑って答えてきた。
「ああ、スリ傷程度だから、たいした事は無いよ 」
そのまま鳳は素振りを続けていた。
日吉もその隣で、ラケットを構えると素振りを始めた。
鳳に怪我をさせた三人は、今日退部届けを榊監督に出したらしい。
理由は一身上の都合だの、受験のせいだの様々らしいが、部内でも突然の出来事だったので
かなり話題になっていた。
日吉は、鳳とあの三人の間で、どんなやり取りがあったのかは何も知らない。
そして関心もさほど無かった。
ここへはテニスをするために来ているのだ。
強くなり、レギュラーを取り、氷帝のトップに立ち、そして全国制覇が目標だった。
だから、それ以外の事に心を割くつもりは、日吉には無かった。
その時、ぼそりと鳳が呟いた。とても小さな声だったので、日吉もかすかに聞こえただけだった。
「……宍戸さんが無事で良かった 」
日吉が鳳の視線の先を辿ると、隣のコートでボレーを練習している宍戸の姿があった。
鳳は目を細めて嬉しそうに微笑んでいた。
日吉は、そんな鳳を見て思うのだ。
今まで、誰か他人のために何かしようと思った事は、一度も無かった。
テニスにしても、全ては自分のために行っている事だった。
もし榊監督が、この二人をレギュラーに選んだ理由がそのせいならば。
自分がなれないのは、当然だった。
誰かのために。
そんな理由では、日吉は動けない。
鳳のように盲目的には。
だから、鳳に恐怖感を感じるのかもしれない。
自分には全く理解できない人間だからだ。
だから、日吉はあくまで単独で、シングルスの選手として、テニスの試合をしたいと思う。
ただ、ほんの少しだけ、大切な人のいる鳳が羨ましいとも思うのだった。
「なあ、日吉。宍戸さんって可愛いよな? 」
「はあ?? 」
突然、鳳は日吉に対して意味のわからない事を言い始めた。
今まで、日吉と鳳は個人的な話をした事は無かった。
しかし鳳は、日吉に対して警戒を解いたらしい。
日吉は、自分と宍戸の敵では無いと思ったのかもしれない。
後になって、日吉はそんなふうに、今日の出来事を考えていた。
「宍戸さんって、ホラ、ものすごい意地っ張りだから。いつもツレナイ事ばかり言うんだけど。
でも、最後は俺の言う事をちゃんと聞いてくれるんだよね。昨日も…… 」
鳳はラケットを振るリズムに合わせるように、ひたすら 《 宍戸先輩の可愛らしさ 》を
語り続けた。
隣の日吉が唖然としているのも完全に無視して、相槌も必要が無いらしく、完全に独り言の
域に入っている。
どうやら、鳳の頭の中は、宍戸と自分の二人しか存在しないらしい。
日吉も良い加減に、この辺りで気がつき始めた。
この男は、やはり 《 普通では無い 》 のだ。
《 宍戸狂いの大馬鹿 》 なのだ。
その日、日吉は自分の目標を 《 下刻上 》 に集中しようと決心した。
レギュラー取りを考えるなら、樺地や鳳もライバルになるワケではあるが。
樺地は明らかに 《 人間離れしたサイボーグ 》 であったし、
鳳は 《 普通の人間とは到底思えない大馬鹿 》 であった。
先輩達も個性派揃いだったが、彼等はまだ 《 普通の人間 》 だからである。
どうせ戦うのなら 《 普通の人間 》 の方が良い。
日吉若は大変冷静な男だった。
そして、賢く思慮深い。
さらに他人の動向にほとんど興味を持っていなかった。
そのせいで、中等部の三年、さらに高等部の三年もの長い間。
この鳳長太郎と付き合えたのだと思われる。
<第2話 了>
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