1ページ目/全2ページ (2)お風呂屋パニック〜サンジ編〜 サンジ(11歳)の趣味は料理だった。 趣味と言うよりも、生きていく力のようなものである。 サンジは赤ん坊の頃に両親を事故で無くしていた。 変わりにサンジを育てたのは、フランス人の祖父だった。祖父はパラティエと言うレストランの オーナー兼料理長をしている。 パラティエはフランスの田舎料理を扱っていて、ホテルで出されるような堅苦しいモノではなく、 みんなで大皿を囲んで楽しく食べるアットホームな店だった。 サンジは小さい頃、自宅のすぐ隣にあるレストランの厨房を覗くのが大好きだった。 祖父の手で、ただの野菜や肉の塊が、あっと言う間に美味しい料理に変わってしまう。 魔法使いのような祖父に憧れを持ったサンジは、自分も一緒に料理が作りたくてたまらなかった。 小さいサンジは厨坊には入れてもらえなかったので、いつもそっと扉の端から覗き見をするのだった。 5歳の頃、珍しくレストランが休みになる日があった。 年中無休のパラティエだったが、店内の改装工事で臨時休業したのだ。 サンジは祖父に内緒で店に入ると、厨房で生まれて初めてクッキーを焼いた。 背が届かなかったので、床にラップを敷いて生地を伸ばした。それから、型抜きをして オーブンへ入れ焼いてみた。温度や時間は見よう見真似で覚えていたが、クッキーを取り出す時に、 指を少し火傷してしまった。 しかし、サンジの期待とは裏腹に、やたら白くて粉っぽいクッキーが出来上がってしまった。 見かけもハート形にしたつもりだったが、いびつな丸のようになっていた。 でも、シナモンと混ぜたアーモンドの香ばしい香りは美味しそうに思える。 思い切って食べてみると、コレがかなり硬い。食感もパサパサで口の中に残る変な感じだった。 おまけにちっとも甘く無い。 (すげぇ〜変な味) サンジは悲しくなってレストランの裏口の階段に座ると、ずっと膝を抱えて泣いていた。 祖父はあんなに簡単に作っていたのに、自分にはまともに真似る事も出来ないのだ。 サンジが涙だけでなく、垂れ流しになっていた鼻水をすすっていると、近くで奇妙な音がした。 キュルキュル〜とか、グリュグリュ〜とか、そんな音だった。 最初は、蛙でも鳴いているのかと思った。サンジはヌメッと体液で濡れていたり、足がたくさんあったり、 奇妙な色だったりする動物や昆虫は苦手だったので、脅えながらそっと音のする方を見てみた。 すると、アマガエルのような緑の髪をした男の子が、サンジの鼻先30センチの所に立っていた。 サンジと同じくらいの年だったが、格好は昔の武士のような姿だった。 後で大人に教えてもらったが、その子はゾロと言う名で、来ているモノは剣道の胴着らしい。 サンジが涙を手で拭いながら顔をあげると、そのチビ武士は開口一番にこう言った。 「お前、何か食いモン持ってんのか? 良い匂いするな」 そしてまた、その子の腹の辺りから変な音が聞こえた。今度はグウグウ〜と大きな音だった。 幼稚園に行っていなかったサンジは、同じくらいの年の子供に会うのは初めてだった。 緊張して身体が強張っていたし、手がプルプル震えたりした。 サンジは訳がわからなかったが、失敗作のクッキーを手に握っていたので、それを反射的に ゾロに差し出してしまった。 「おっくれるのか?」 サンジから、潰れて粉々になったクッキーを受け取ると、ゾロは口の中に放り込んだ。 (うわっ、コイツ食べちゃった) サンジが慌てていると、その子はクッキーを飲みこんで、嬉しそうにこう言った。 「ありがとな、美味かった。いつまでも泣いてんじゃね〜ぞ。じゃ〜な」 走って去っていく緑の後ろ頭を見ながら、サンジは目をむいていた。 (あんな不味いクッキーが美味いなんて、アイツの頭は大丈夫か?) あまりに驚いたので、涙も鼻水も止まってしまった。 それでも、初めて人に自分の作ったモノを食べてもらった。おまけに美味しいなんて言われてしまった。 サンジは、身体中が痺れるような不思議な気持ちになった。 今まで生きてきてこんなに、良い気分になったのは初めてだった。 (ジジィも人に飯を食わせる時は、こんな気分になるのかな?) (アイツに、もっと上手いモンを食わせてやりてぇ〜なぁ) (こんな失敗したクッキーじゃなくて) (ちゃんとしたモンを作ってやりてぇ) それで「美味い」と褒められたら、きっともっと良い気分になるに違いない。 料理は一人よがりで作るモノではない。 <食べてくれる人のために心を込めて作るモノ>だとサンジは初めて自覚した。 その後、厨房を勝手に使ったのを祖父に知られ、制裁の蹴りを入れられたが、サンジはちっとも 苦痛には感じなかった。それよりも明日からの料理の練習で頭がいっぱいになっていたのだ。 今でも、サンジはゾロに会うとその日の事を思い出す。 ゾロはもう忘れてしまったかもしれないけれど。 サンジは、ゾロが自分の手料理を食べているのを見ると、少し気恥ずかしいような嬉しいような、 何だかくすぐったい変な気持ちになるのだ。 他の人間にはそんな奇妙な気分にはならなかった。 (やっぱり、何事も初体験っつーのは影響がデカイって事かね) サンジは坂道の途中で、チョコチップ入りのクッキーをゾロが食べているのを眺めながら、そんな 事を思っていた。 夕方、サンジが学校から帰ってくると、ばったりゾロと道端で出くわしたのだ。 ゾロはこれから銭湯へ行くらしい。「じゃあ、一緒に行こう」なんて話になった。 <作者・注> ゾロは一度も「一緒に行こう」なんて言っていない。サンジは事実を自分勝手に ネジ曲げる特技があった。(〜ゾロ編参照〜) サンジは今でもパラティエの厨坊には入れない。 そのため、放課後、小学校の調理室で練習をしているのだ。 名目は<お料理クラブの部長>として、きちんと先生の許可も取っていた。 一週間に1〜2度はクラブの女の子達と料理を作っていた。 相手が女の子と言う事もあり、時間的な事情もあって、簡単な菓子を作る事が多い。 しかし、ゾロは甘いモノがあまり得意では無い。 そのため、他の子達に教えたクッキーよりも、やや甘味を押さえてサンジはいつも作っていた。 今日も苦味のあるチョコを加えて、うまく甘さをセーブできたと思う。かなりの自信作だった。 ゾロがガキの頃、サンジの失敗した不味いクッキーが食えた理由も、それだろうとサンジは睨んでいた。 今日も思惑通りに、ゾロに「美味い」と言わせたので、サンジはすこぶるご機嫌だった。 照れ隠しにゾロの尻を思い切り叩いて、坂道を駆け下りた。 夕日はもう住宅街の向う側に落ち、辺りも薄暗くなってきている。少し底冷えもしている。 それでも、サンジの心は春の太陽みたいにポカポカと暖かかった。 ![]() ![]() |