宍戸さんには、お金が無い!第3話
 
    その4 〜ファーストコンタクト〜 の巻



   俺と、彼女とのファーストコンタクトは、『 喧嘩 』だった。庭へ無断で

   入る事を注意すると、突然、相手は蹴りを入れてきたのだ。

   幼少期から護身術を習っていた俺は、急所に入る前に少しずつ芯を外して

   受けていたので、大きなダメージは無かったが、相手は不機嫌な様子で

   攻撃を繰り返している。

   その時になって、目の前にいる子供が、『 美しい少女では無い 』事に

   気がついた。俺と同じくズボンを履いており、文句を言っている高い声も

   少年の物だった。

   だが、『 とても美しい少年 』である事は変わらなかった。

   白い額にうっすらと汗を浮かべており、北風に叩かれ上気した頬が紅に

   染まっている。桃色の口唇から何かしら言葉が出るたび、小さく頭が動き、

   艶のある黒い髪がサラサラと動き回っていた。

   俺は、彼に身体を触られるたびに、その部分が熱くなるのを感じて

   うろたえていた。この異様な感覚は、いったい何なのか、その時は

   理解できていなかったのだ。

   俺が逃げないのも、反撃して来ないのも、気に入らないのか、彼は、

   俺への攻撃を止めると、突然、噴水に飛び込んだ。

   そして、理由がわからず呆けている俺に対し、楽しげに笑いながら

   水を浴びせかけた。

   二月の水は、凍るほど冷たいはずなのに。体中が火照っている俺には、

   とても心地よく感じられた。両親は、冬に水遊びをすると、

   死んでしまうと言っていたが……。

   本当に俺は、死にそうな気分だった。彼の楽しそうな笑顔を至近距離で

   眺めていると、全身が震えて眩暈がしてくるのだ。

   「頼むから止めてくれッ! 」

   鳳家の時期当主として英才教育を受けてきた、プライドの高いこの俺が、

   泣き事を言ったのは、これが生まれて初めてになる。さらに、他人に

   追いかけ回され、庭を逃げ回った経験も初めてだった。

   それでも、なぜか気分は高揚しており、まるで夢の中にいるように

   幸せを感じていた。

   こんな感覚は、今まで生きてきて一度も感じた事が無い。

   それから、真冬に水浴びをしていた子供二人は、警備員から連絡を

   受けた乳母達に発見され、汚れた衣服を取り替えるために、

   子供部屋へと連行された。

   着替えの間中、俺は、生きた心地がしなかった。

   とても、目を開けていられない。

   まるで、外国の宗教画に描かれた天使のように、小さくて

   可愛いらしい少年が、俺の前で裸になっている。

   そして、ふっくらとした白い尻をふりながら、タオルで長い黒髪を

   拭っているのだ。

   できれば、早く、衣服を着て欲しかったので、その子に新しいズボンを

   投げると、ふてくされたような声が返ってきた。

   「お前なぁ。物を投げるなよッ! 本当に性格が悪いヤツだよなぁ。

    どういう育ち方をしてるんだよッ! 」

   初対面の者に、蹴りを入れたり、水をかけたりする少年に、そんな非難を

   言われたくは無い。俺は、その事を注意しようと口を開きかけたが、

   次の瞬間、言葉につまってしまった。

   苦々しい顔をしつつ、相手の少年がクルリと振り返ったからだった。

   俺は頭の中がパニックになるほど、目の前の光景にうろたえてしまった。

   彼の股間には、自分と同じモノがユラユラ揺れているのを確認して

   しまったからだ。そして、涙が出るほど切ない気分に浸った。

   俺は、その時、自覚してしまったのだ。

   『 初対面の少年相手に、俺は、恋心を抱いている 』

   相手が男性だとわかっても、俺の気持ちは全く変化しなかった。

   それどころか、逆にいっそう気持ちが強くなり、全身から溢れそうだった。

   目の前に立っている少年が、屋敷で一緒に遊んでくれたら、どんなに

   楽しいだろう。

   二人で食事をしたら、いつも食べ慣れている物でも、美味しく感じる事が

   できるかもしれない。

   この庭で二人そろって歩いたら、頬をさす冷たい北風すら、素敵なものに

   思えるに違いない。

   もし、彼が、俺の事を好きになってくれたら。

   自分は、世界で一番幸せな人間になれそうだった。

  結局、その美しい少年には、気持ちを打ち明ける事ができなかった。

   それどころか、自分の名前すら伝えられず、招待客に簡単に

   できた挨拶すら言えなかった。

   気持ちを相手に正直に伝える事が、こんなに苦しくて難しいのだと

   初めて思い知った。

   彼が、隣で美味しそうに茶を飲んでいる間中、俺は、湧き上がる自分の

   思いに驚き、それと共に脅えていた。

   人間は、好きな相手ができると、どんどん臆病になるのかもしれない。

   それは、相手に嫌われたく無いからなのだろう。

   俺は、今まで、他人に対して、どんな態度をしてきたのだろうか? 

   きっと、冷たい素振りしかしていない。

   その程度にしか、相手の事を考えていなかったからだ。

   俺は、情けない気分に浸りながら、彼が両親と連れ立って帰ってゆく姿を、

   自室の窓辺にあるカーテンの後ろに隠れて、見送った。

   それから、乳母に必死で頼んで、彼の写真を手に入れたのだった。

   それは、警備室のモニター映像をプリントアウトした物で、噴水の

   中に入り、手で水をすくっている彼の姿が鮮明に映っている。

   写真の中でも、彼は、大輪の花が咲くように魅力的な笑顔をしている。

   その強い光を持つ瞳は、生命力に溢れていた。

   その写真を一晩中、ベッドに入って眺めていた俺は、次の朝、高熱を

   出して寝込んでしまった。

   両親は、慌てふためいて、医師の往診を頼み、診断の結果は、

   「 軽い風邪と、パーティによる疲労。 」と言う話だった。

   けれど、世話をしていた乳母達は、俺が庭で水浴びをしたせいだと考え、

   責任を感じている様子だった。

   しかし、俺の感覚では、これは、風邪とは、違うような気がしていた。

   高熱を出して寝込んでいるのに、こんなに身体がフワフワして

   気持ち良い事なんてあるのだろうか?

   心の中は、まるで春の日差しを浴びているような暖かい感覚が続いている。

   俺は、ずっと写真を握りしめていた。

   その気分の高揚は、全て、この写真からもたらされるような気が

   していたからだ。

  それから、三日もの間、寝込んでいた俺の元へ、海外に行っており、

   ちょうど誕生パーティに出る事ができなかった祖父が顔を出した。

   解熱剤と感冒薬を飲んで休んでいた俺に、祖父は、優しい言葉を

   かけてくれた。

   「五歳になった長太郎の誕生日を、みんなで一緒に祝いたかったのに、

   ワシは、出席できずに残念だったよ。それも……。お前の具合が

   悪くなるなんてなぁ。無理をさせてしまったかもしれんのぉ。」

   そう言って、寂しそうな表情をする祖父に対して、

   俺は、はにかんだような笑顔を浮かべた。

   「お爺様。そんな事は無いですよ。今までで、一番楽しいパーティでした。

    俺のために開いてくださって、本当に感謝しています。」

   祖父は、俺の嬉しげな表情に驚いた様子で、目を細めた。

   俺は、今まで何をやるにしても無感動で、子供らしい笑顔を浮かべた事が

   無かったからだろう。 そして、『 パーティが楽しい 』なんて

   言った事も、過去に一度も無かった。

   「ほう。そうか、そうか。そんなに、今回のパーティは、楽しかったのか?」

   祖父は、感嘆したように頷く。

   それから、「遅れてしまったが。お前にプレゼントをあげたいんだがなぁ。

   何か欲しいものは、あるかね? 」と聞いてきた。

   もっと孫を喜ばせたい、と思った祖父の申し出だった。

   俺は、今まで多くの物を、祖父や両親から惜しみなく与えられてきた。

   そのため、いつもなら、「その気持ちだけで十分です。」と、

   子供らしくない返答をするのだが、その日だけは違っていた。

   「お爺様。お願いがあるんです。俺、とっても欲しい物が出来たんです。

    他には、何もいりませんから、それを俺にください。」

   瞳を輝かせて、お願い事をする孫の顔を見ながら、

   財政界を牛耳る男の表情は、みるみるうちに青ざめてしまった。

   孫のためなら、玩具を店ごと買っても、庭を改造工事する事も、

   パーティ費用を何億円かけても痛くは無い人物だったが、

   俺の願い事は、そのどれとも次元が違っていたからだ。

   俺は、熱を出しても離さずに、大切に手に握っていた写真を

   祖父に見せて、こう言ったのだ。

   「お爺様。この子を俺にください。」

   まだ、幼かった俺は。その言葉のせいで、大好きな少年を、

   窮地に陥れてしまう事を理解できていなかった。

   しかし、今、十三歳になった俺は……。

   物事の分別もわかるようになったから。

   宍戸亮に一生恨まれても、仕方が無いと思っている。



    その5 〜二人の新入生〜の巻 へ続く→ 行ってみるその5・二人の新入生 



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