宍戸さんには、お金が無い!第3話
   
    その3 〜運命の出会い〜 の巻



   俺が五歳になった日の出来事である。

   鳳家では、盛大な誕生パーティが開かれた。招待客は、内外で活躍する

   財政界の者が主で、五百名ほどになっていた。

   俺の祖父は、世界でも有数の資産家であり、財政界では影の総理大臣と

   言われるほど顔の効く人物だった。

   すでに実務は引退し、会長職となっているのだが、その影響力は今だに強く、

   俺は子供の頃から、あの人の孫だと言うだけで別格に扱われてきた。

   どこへ行っても、他人に一線を引かれしまう。

   粗相があってはならないので、同じ年頃の子供達も、俺には敬語を使い、

   用事が無ければ誰もそばには寄ってこない。

   俺は、パーティが始まるとすぐに、両親に連れられて、歓談している客達と

   挨拶を交わした。

   五歳の頃の俺は、無感動な子供で、何をするにしても動揺する事は無かった。

   この会場にいる者達は、自分が将来、雇用主として支配する人々であり、

   自分は、完璧な帝王として君臨する必要があるからだ。

   誰にも物怖じせず、華麗な物腰で、挨拶して回る俺に対して、客達は、

   賞賛の声をあげた。

   「このように賢いご長男がいらっしゃるなら、鳳家も安泰ですなぁ。

   ご両親も、将来が楽しみな事でしょう。」

   そんな声を聞き、嬉しそうな両親の顔を眺めても、俺の心は何も感じては

   いなかった。いつも冷たい風のような物が、静かに心の中を吹き続ける

   だけだった。

   上流階級の人達を楽しませるために、フランスから名の知れたシェフを

   呼び寄せた晩餐会である。俺がテーブルに戻り、着席したのを合図に、

   前菜とワインが運ばれてきた。

   周りにいる紳士達と同様に、俺も上品にナイフとフォークを使い、料理を

   口に運ぶ。確かに、美味しい料理なのだが、俺の頭には、特別な感想は

   浮かんでこなかった。

   会場の中央には、大きな円系のステージがあり、オペラ歌手が美声を

   響かせている。世界でも有名な歌姫らしい。その妖精のようだと形容される

   美しい声でも、俺の心はさざ波すら立たなかった。

   その数分後、俺の視線は、ステージでは無い別の場所に注がれていた。

   五メートルほど離れた席に、奇妙な子供がいる事に気がついたからだった。

   自分と同じ年頃の少女だった。

   その子は、メイン料理の子牛の肉をナイフで突き刺し、なぜか、天に向かって

   高々とかかげている最中だった。

   腰まである長い黒髪が印象的な娘で、綺麗に整った日本人形のような容姿を

   している。そして、十五センチもある大きな肉の塊を頭上にかかげる姿は、

   何となくアメリカにある『 自由の女神 』を思わせた。

   俺は、ナイフとフォークを動かすのを止めて、その不思議な少女の動向を

   見守った。

   彼女は、何がそんなに嬉しいのかわからないが、始終、はじけるような

   笑顔を浮かべている。今は、空気の冷え切った二月だと言うのに。彼女の

   回りだけ、甘い香のする花が咲き誇るように思えた。

   俺は、料理を口にする事に対して、楽しさなど、感じた事は無かったような

   気がする。成長するため、丈夫な身体を作るため、勉強に必要な頭脳を

   維持するため。そのために栄養素を体内に入れる。だから、食事を取るのだ

   と教わってきたからだ。

   俺が注視する中、少女は、おもむろに口をパカリと開けた。

   躊躇が無い、潔い口の開け方で、まるで古墳で出土した埴輪のようだった。

   そして、切っていない子牛の肉の塊を端から咥え、モシャモシャと口に

   詰め込み始めた。風船のように頬が膨らみ、綺麗な顔が台無しになった。

   まさか、その肉をひと飲みで行くつもりなのかと、俺がいぶかしんでいると、

   突然、その子は、かがみ込むようにして、咳き込み始めた。

   どうも、肉が喉に詰まったらしい。慌てて、隣に座る紳士の前にあるグラスを

   手に取り、入っていた赤い液体を喉に流し込んだ。

   「あっ! 駄目だッ! 」

   俺は、思わず声を出してしまったが、相手の少女に聞こえるはずも無かった。

   その刹那、その子は、盛大に飲んだ液体を吐き出した。

   初めて、ワインを飲んだのに違い無かった。

   苦い薬を味わった時のように、顔をしわくちゃに歪めて苦しんでいる。

   俺は、それは見て、クスクスと笑ってしまった。

   食事の最中、そんな笑い声を出すなんて思っていなかった俺の両親は、

   驚いた様子で息子の顔を覗きこんだ。

   中央のステージでは、オペラ歌手が去り、ちょうどピエロ達が、コミカルな

   ダンスとジャグリングを披露していたので、それが、面白かったのだと

   両親は解釈したらしい。

   それから、不思議な彼女は、テーブルにこぼれたワインをナプキンで強引に

   ふき取り、懲りずに再度、牛肉と格闘を始めていた。

   俺は、黙って、それを見つめ続ける。

   彼女の食事風景を眺めているだけで、何だか楽しい気分になり、身体が

   ホカホカと変に暖かいのだ。

   ずっと、眺めていたいと、俺は思っていた。

   しかし、残念な事に、ピエロよりも楽しいパフォーマンスを披露してくれた

   少女は、突然、スクッと立ち上がると席から離れたのだった。

   俺は、その子の後についていきたい衝動にかられた。しかし、祝宴の主役で

   ある者が、途中で席を離れる事は、礼儀を欠く行動だと理解している。

   俺は、必死で我慢した。

   ステージでは、依頼料が何千万単位と言うマジシャンが、煌びやかな衣装を

   身にまとい、得意の技を披露している。

   会場内での瞬間移動も、箱に入り身体をバラバラにされてしまうマジックも。

   どれも驚く技ばかりだったが、それを見ても、俺の心は沈んでいた。

   両親が大切に育ててくれるのは、嬉しかった。

   このような誕生会を開いて祝ってくれるのも、ありがたい。

   でも、俺が本当に欲しかったのは、一緒に笑い合える友達だったのだ。

   あの少女と友達になりたい。

   普通の五歳児なら、幼稚園に通い、友達と外で走り回っているに違いない。

   しかし、俺は、一度も屋敷の敷地から外に出た事が無かったのだ。

   幼稚園に行かない代わりに、英国から母が連れてきたナニィと呼ばれる

   乳母達がいる。彼女らは、母親代わりに子供の成長を見守り、また、学校の

   先生のように教育をしてくれる。

   俺は、背後に控えている乳母の一人に声をかけた。彼女は、俺と同じ年頃の

   娘が一人おり、そのせいもあって、教育担当の総責任者となっていた。

   「これは、いつになったら、終わるのかな? 」

   彼女は、児童心理に詳しいプロだけあって、すぐに、俺の気持ちを察して

   くれた。子供が、長い時間、座り続けるのは難しい。

   俺の場合、類まれな忍耐力と、彼女らの教育の賜物で、このように紳士然

   としていられるだけだった。

   「あと、十五分ほどしますと、長太郎様のバースデーケーキの披露があります。

    それが済みましたら、ご自由に席を離れてけっこうですよ。」

   俺の席の隣に設置されている直径五メートルの台座には、これから、特大の

   ケーキが運ばれてくる予定だった。ウェデングケーキのように三段重ねを

   しており、白い生クリームと果物が乗せられ、頂上の一段目には、五本の

   蝋燭が設置されている。火をつけると、花火のように、七色の炎が美しく

   散る特注品だった。

   俺は、乳母のその説明を聞くと微笑んだ。

   すでに、あの少女に会いに行く事しか考えていない。

   あの子の微笑みが、まるで真っ赤な薔薇が咲くように。俺の頭の中に

   色鮮やかに広がっていた。

   それは、俺にとって、この世の何よりも魅力的だった。

                  ★

   鳳家には、千近い部屋があるが、各所に監視カメラが設置されている。

   警備室に問い合わせれば、そのモニター映像を見る事ができるのだった。

   俺は、パーティ会場にある詰所に立ち寄ると、警備担当の主任に頼んで、

   例の子供の姿を探してもらった。

   何百もあるカメラの映像が、次々に切り替わってゆく。邸内には、美しく

   着飾った人々で溢れていたが、その中で幼い子供は、わずかしかいない。

   『 腰まである長い黒髪 』に注意して探していると、南棟一階の回廊内で

   ゆっくりと歩いている姿を発見する事ができた。

   彼女は、何度か立ち止まっては、中庭を覗いている。

   その庭は、自由に外出する事の出来ない俺のために、三歳の誕生日に祖父が

   作ってくれた物だった。

   透き通った湧き水が流れ、白い橋がかけられている。イギリスの古城にある

   庭園をまねて作られたもので、緑の芝生が広がる中に、白い石が敷き詰め

   られた遊歩道があり、その先にある広場には、ブランコなどの遊具と

   噴水が置かれていた。

   俺は、勉強時間以外は、朝から日が暮れるまで、そこで過ごす事が多い。

   何百種もの花の咲く庭園は、俺のお気に入りの場所だったからだ。

   しかし、冬になると、その川の水が子供には危険だろうからと

   閉鎖されてしまい、植樹されている木々を、窓辺から観賞するためだけに

   使われている。

   俺が、モニターを見つめていると、その少女は、中庭へ続くガラス扉を

   押し開けようと体当たりを始めた。締め切られた扉は、金具で固定して

   あるはずなのだが、楔が古くなっているのか、子供の力で少しずつ

   押し開かれてゆく。

   大きな扉が開くにつれ、彼女の糸のように細い髪が、吹き込んだ風に

   なびいている。 その姿は、見惚れるほど美しかった。

   俺は、両親に注意を受け、冬期は決して、その庭に入った事は無かった。

   ずっと自室の窓辺で、悲しい気分で庭を見つめているのが、冬場の日課に

   なっていた。

   俺の中にあったそんな常識が、この少女によって、一つ一つ崩されてゆくのを

   感じて、俺は身震いをした。

   ( この子には、出来ない事なんて、一つも無いのかもしれないな。 )

   俺は、両親の言いつけ通り、一度も外に出た事が無かった。

   同じ年頃の子供と話をした事も、遊んだ事も無かった。

   いつも愛想笑いばかりで、腹を抱えて笑った事は無かった。

   この屋敷で、一人きりで過ごすのは寂しい。でも、それを人に話すのは、

   我が侭のようで言えなかった。

   だから、目の前いる少女の大胆な行動が、とても魅力的に思えて、目が

   離せなくなったのだろう。

   しかし、その『 自由の女神 』は、知らないのだ。

   その庭園は、俺と家族以外は、入ってはならない禁域だ。

   許可された者以外が中に踏み込むと、セキュリティ装置が作動し、窓に

   全てシャッターがおりてしまう。さらに、侵入者に対して、蛍光塗料入りの

   マーカーが吹き付けられるのだ。

   俺は、慌てて、装置の解除を主任に頼むと、警備員詰所を後にした。




   その4 〜ファーストコンタクト〜の巻 へ続く→ 行ってみるその4・ファーストコンタクト 


          小説マップへ戻る