宍戸さんには、お金が無い!第3話
   
    その2 〜鳳家の秘密〜 の巻



   俺は、部屋付きのメイドである初音にうながされ、自室のベッドで休む事にした。

   主治医が以前処方してくれた解熱剤も飲んだが、それで熱が治まるのは、ほんの一時

   だけだった。

   ベッドルームには、母が選んだ白で統一された木製の家具が置かれている。

   その中でも、金細工で縁取りを施された大人の背丈もある鏡は立派なもので、

   魔よけの効果があるとされ、ちょうど南東の方角に置かれていた。

   その鏡に映し出された俺の顔は、高熱によって真っ赤に腫れ上がって見える。

   初音は、氷枕を運んでくると、真新しいシーツを準備し、ベッドを調えている。

   その間、他のメイド達は、俺の衣服を脱がせると、軽く身体を拭き、白い絹でできた

   寝巻きを着せてくれた。それは、母が海外で作らせたもので、宝石のサファイアが

   飾りボタンとしてあしらってあった。

   俺は、ベッドに横になると、初音をそばに呼んだ。

   「初音。俺の頼みを果たしてくれたかい? 」

   彼女は、それを聞くと微笑み、俺の頭に濡れたタオルを当てながら、こう答えた。

   「はい。心配なさらないでください。宍戸亮様には、例の指輪をちゃんと渡して

   おきました。」

   俺は、それを聞くと安心して目を閉じた。

   初音は、先祖代々鳳家に仕えている家柄の者であり、信頼できる人間だった。

   交通事故で亡くなった彼女の母親も俺の養育係をしていたのだ。身寄りを無くした

   彼女は、鳳家で働きながら、夜間は、高校へ通っている。そして、鳳家の内部事情に

   精通し、俺と宍戸亮の幼少期の出来事を良く知っていた。

   あの指輪は、宍戸亮にきちんと渡ったらしい。

   きっと厄災から彼を守ってくれるはずだ。俺を十三年もの間、守り続けてくれた

   指輪なのだから。

   サファイアには、邪気や魔を払う力があるとされている。そのため、西洋では、

   貴族が身につける事が多い品だった。有名な話では、英国の王室に受け継がれる

   王冠には、必ず大きなサファイアがあしらってあると言う。

   しかし、俺には、そんな物は、もう必要が無くなってしまう。残り少ない人生なら、

   自分の望むようにしたい。

   だから、彼に指輪をもらって欲しかった。

   鳳家では、遠い昔から魔よけに神経を使っていた。その理由は、鳳家にある特殊な

   奇病のせいであり、それを発症した当主の寿命は、とても短かった。

   それは、百年も前の遠い先祖達が原因だと言われている。

                      ★

   明治維新より前の事である。

   出資した事業が成功を続け、飛ぶ鳥も落とすほどの勢いだった鳳家の唯一の問題は、

   後継ぎに恵まれない事だった。

   当主の娶った妻には、なかなか子が出来ない。せっかく生まれた親戚筋の赤子も病死が

   続いており、養子縁組すらできず、このままでは、家の存続も危うい状態となった。

   窮地に陥った鳳家の者達は、全国から、高名な僧侶や祈祷師を招いては、子宝祈願に

   時間を割いていた。しかし、いっこうに効果が出ず、思い悩んでいた頃、貿易で財を

   成した、ある年老いた中国人とめぐり合ったのだった。

   老人は、話を聞くと、「ならば、中国に伝わる房中術を試すと良いかもしれません。」

   と、鳳家の当主に告げた。

「房中術とは、天地を陰と陽の二つに分け、陰陽合一の道を説いております。

   つまり、男性の陽根を、女性の陰戸に差し入れ、お互いの気が交じり合えば、

   身も心も充実し、子宝にも恵まれ、国が栄えてゆくと言う教えです。

   しかしながら、今では、その術も限られた者にのみ伝承され、母国でも行われる事は、

   ほとんど無い秘術になります。」

   最初は、半信半疑だった鳳家の人々だったが、このままでは、家名存続も風前の灯火。

   この際、未知の手法であったとしても、少しでも希望が持てるなら試してみようと、

   その老人の知恵を拝借する事となった。

   かくして、広い中国大陸より術者を招いて、房中術を二十歳になる当主に施行したの

   だった。すると、わずか一ヶ月の後、当主の妻が子宝に恵まれ、鳳家には待望の

   男児を授かる事となった。

   喜んだ鳳家の者達は、術者と、紹介してくれた貿易商の老人に対して、多額の謝礼を

   支払い、丁重にもてなした。

   しかし、老人は、浮かぬ表情でこう告げたのだった。

   「この術が、廃れてしまったのには、理由があるのです。皆様が困っている様子

   でしたので、ご紹介しましたが、今では大変に後悔をしております。

   このまま、何事も無ければ良ろしいのですが……。」

   そう老人は、恐縮したように言い、せっかく渡した金品を全て置いたまま、鳳家を

   去って行った。

   鳳家の当主夫婦は、その後、毎年のように子供を授かる事となった。しかし、

   四人目を出産した妻は、産後に体調を崩し、そのまま帰らぬ人となった。

   当主は、数年後に後妻を娶り、さらに三人の子供に恵まれたが、その妻も病で死んで

   しまった。 その頃より、当主自身も寝込みがちになり、あらゆる医師の診察を

   受けたが、原因がわからずじまいだった。

   ただ、高熱が毎日のように続き、日々、身体は衰弱してゆく。二十歳の頃には、長身に

   似合った逞しい体格だったが、三十歳の今では、体重も半分しか無く、手足を動かす

   事もできないくらいに衰えていた。

   当主は、近づきつつある自分の死期を自覚していたが、残された幼い子供達の事を

   考えると、心が痛んでたまらなかった。母屋に置かれた蒲団に横たわり、明日の

   わが身と、子供達の行く末を案じて涙を流していると、珍しい客が訪れた。

   それは、自分に子供を授けてくれた貿易商の老人であり、実に、十年ぶりの

   再会となった。

   「ご当主の病の事を知り、急ぎかけつけましたが……。どうやら、私の恐れていた

   事態が起こっているようです。」

   老人は、八十歳を越え、中国で隠居生活をしていたらしい。しかし、当主の噂を

   耳にし、不自由な足腰で杖をつきつつ、海を越えてやってきたそうである。

   当主は、高熱のため意識が朦朧としていたが、この男が、それほどまでに伝えたい

   事とは、一体、何なのか興味深く思い、黙って話を聞く事にした。

「そもそも房中術では、気を陽、血を陰と考えております。 

   女性には、月経があるため、血が不足し、気が過剰になりやすい。

   逆に、男性は、体内に精を蓄えるため、血が余り、気が不足します。

   気とは、生きるために必要な生気です。

   もともと気が不足している男性が、女性の体内に精を放ってばかりいては早死に

   してしまう。 同時に、気が過剰にある女性が、許容以上の気を体内に取り込めば

   死んでしまう。

   気は、お互いの間で正しく循環させ、均衡を保たねば、命を縮める事になります。」

   「……すると、私の妻が産後に死んだのは。体内に気を溜め込みすぎたせい。

   そして、私の……。この原因のわからぬ病は、子供を作り、自分の気を使い

   果たしたせい。 そのように、おっしゃるのでしょうか? 」

   老人は、うなずくと、両目を涙で濡らした。

   「私が気に病むのは、ご当主様のお体の事だけではありません。

   同じ気質を受け継いだ、お子様達の事も心配なのです。この先、何か不自由が

   起こるやもしれません。」

   そう言うと老人は、着物の懐に右手を差し入れ、拳大の白い包みを取り出した。

   それは、大きな白い絹の布袋であり、畳の上に広げると、中より親指大の青い石が

   何十も転がり出てきた。

   「私が、この十年の間、貿易業の傍ら、世界中を巡り、集めた品物です。石には、

   それぞれ独自の波長があるのです。 鳳家の皆様には、深みのある青色をした

   サファイアが、最も合っていると思われます。 慰め程度にしかなりませんが、

   これをお子様達に分け与えてください。これが、過剰な精を押さえ、不足した気を

   補うように働く事でしょう。

   同じように、人にも、生まれながらに持ち合わせた気があるのです。ご当主様と

   奥様は、それが合わなかったため、このような悲しい結果になったのでしょう。

   どうか、お子様達には、同じ体質を持つ相手と娶わせてください。探すのは、根気の

   必要な作業かもしれませんが、寿命を延ばすには、その方法しかございません。」

   話し終えた老人は、辛そうに頭を垂れてしまった。 それを見て、当主は、小枝の

   ように痩せ衰えた両手をゆっくりと伸ばすと、老人の皺だらけの手を取った。

   「確かに、私は、もうすぐこの世を去るでしょう。でも、可愛い子供達に囲まれて

   幸せな人生を送る事ができました。この感謝の気持ちをどう表わせば良いのか、

   わかりません。」

   そう言って、にこやかに微笑む鳳家の当主が、他人と会話をかわしたのは、それが

   最後となった。 その晩、ついに息を引き取ったのである。

   その時、鳳家に譲られた宝石は、子供達に渡され、いつも身につけるようにと

   装飾品に加工された。 そして、石の波長を増幅させる効果があるとされ、必ず

   絹製品も一緒に着るようにと伝承されたのだった。

                   ★

   俺が生まれた時、両親から受け取ったサファイアは、数百個にのぼる。先祖達が

   全世界から探し求め、買い続け、鳳家に蓄えた物だった。

   そのうち、最も大きな青紫色に輝くサファイアを指輪に加工して、俺はいつも持ち

   続けていた。それを、宍戸亮に贈ったのだった。

   親に知られたら、何と言われるかわからなかったが、俺は、とても満足していた。

   宍戸亮に会った五歳の時に、強い運命を感じていた。

   若き日、同じ病で倒れた父が、看護師をしていた母と病院で出会った時、まるで、

   感電したように動けなくなったと、良く寝物語に話してくれた。

   母に出会った瞬間、父の人生は、それまでと全く違う物になってしまったのだ

   と言う。 それと同じ事が、息子の俺の身にも起こっていた。

   俺は、熱にうなされながら、過去の出来事を思い出していた。 俺の寿命が、もし、

   十三年間ならば、他人と比較してみたら短いのかもしれない。

   でも、俺にとっては、とても充実した特別な時に違いなかった。

   なぜなら、愛する人と出会えたからだ。

   もし、このまま、人生が終わったとしても。彼が幸せに生きていけるなら、俺は、

   とても満足だった。

   彼は、俺を幸せな気分にしてくれた、たった一人の相手だからだ。




      その3 〜運命の出会い〜の巻 へ続く→ 行ってみるその3・運命の出会い 



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