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   未来流は唇を噛みしめると、きっと目の前の男を睨んだ。

   今だに、人間の男達は、未来流の身体に夢中になり撫で回していた。

   また今日も麗二の忠告を無視してしまった。
あげく、このような恥ずかしい状態に追い込まれている。

   自分の馬鹿さ加減が情けなくてたまらない。未来流は、早く大人になりたかった。


   ( 麗二に頼らずに、一人で何でも出来たら良いのに。 )

   その気持ちが未来流を単独行動に走らせ、さらに自分を危険に追い込んでいるのだが……。


   しかし、未来流には自覚が全く無かった。

   痴漢どもを睨みつける未来流の黒い大きな瞳は、少しずつ金色へと輝きを変えた。

   その双眸は、すでに少年の物では無く、野生動物が獲物を捕らえる時のように、

   ギラギラとした鋭い殺気をみなぎらせていった。


   反射的に、数人の男達は未来流のペニスから腕を離してしまった。

   人間にも、昔、野生だった頃の本能は残っている。


   自分よりも強い者や、害を成す者を、無意識で遠ざけようとする。人の生存本能が反応したのだ。

   未来流は、脅えている男達に向かって笑いかけた。その口の端から、鋭く尖った牙がチロリと覗く。

   満月期の人狼の獣化兆候だった。

   人間と共存し、社会生活を営むようになり、獣化する人狼は少なくなった。

   しかし、興奮し理性のタガが外れたり、自分に危機がせまった場合、身体にその兆候が

   現れる事がある。


   その時の人狼は思考能力が著しく低下し、本能を優先させ反射のみで行動してしまう。

   そのため、八十神家でも獣化は禁止事項になっている。


   それでも、人間に対する怒りに心を支配されている未来流は、

   自分の力では獣化の本能を止める事ができなかった。


  未来流は右腕を伸ばすと、尻に手を差し入れている男の腕を取った。

   その手首を握り込むとミシリと音がして、爪が肉に食い込む感触がした。


   ウギャッと短く悲鳴をあげると、背後の男もあっと言う間に退いていった。

   未来流は、男の生暖かい血が滴っている自分の指をペロリと嘗めていた。

   その五指には、男の皮膚を裂いた長く刃物のように鋭い爪が生えていた。


   これが本来の未来流の姿だった。

   一人で街の路地裏を彷徨っていた頃は、こうやって周りの人へと敵意を剥き出しにして

   生きてきたのだ。


   誰とも接する事はなく、自分に害を成す者には、容赦無く攻撃し排除する。

   そうやって、いつも一人きりで生きてきた。

   人狼にも様々な者がいるのだ。

   人間と共存する事を良しとしている、八十神家のような一族もいるが、大抵の者は、

   人里離れた山や森の中に潜み、人間とは極力接する事を避けて生きている。


   未来流も、人間から隠れるように生きてきた。廃屋や下水道で寝泊りし、

   親しく接する仲間などいなかった。


   野犬や野良猫と、残飯の取り合いをして、いつも飢えをしのいでいた。

   そんな自分には、もともと仲間なんて合わないのかもしれない。

   また昔の自分に戻れば良い。ただ、それだけの事だった。

   それなのに、未来流は自分が人間の血のついた指を嘗めている姿に気がつくと、

   胸が引き絞られるような切ない気持ちになってしまった。


   初めて、一人きりで生きていく寂しさを知ったのだった。



   その電車が駅のホームに着いた時、最初に降りてきた少年はとても美しかった。

まだ子供だったが、悲しげな憂いを帯びたその表情が、匂い立つような色香を引き立てていた。

   ホームにいた人々の視線を瞬時に集めたが、自分が注目される事に慣れているのか。

   それとも、全く他人に興味が無いのか、気にする様子もなく歩き去った。


   しかし、他には誰一人としてホームに降りてこない。

   毎日、何十万人もの乗客が乗り降りする駅だと言うのに珍しい事だった。

   そして、発射を知らせるベルがなり、次に乗り込もうとした客が見たものは、

   電車の中で青ざめて硬直している集団だった。

   金縛りにあったように固まったまま、何十人もの男が震えていた。


   その中の何人かは腰を抜かしたまま失禁し、また、ある者は癲癇発作のように口から

   泡を吐き倒れ、青ざめて意識を失っている者もいた。


   これが、人狼の毒気に当てられた、哀れな人々の姿だった。

   野生の狼が発する殺気は、人間に死の恐怖を味わわせてしまうのだ。




                               第2話  了



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