4ページ目/全4ページ 麗二が初めて未来流に会った三年前。 父に連れられてやってきた十一歳の彼は、年齢よりもずっと幼く見え、どういう状況で 育ったのかは知らないが、明らかに栄養失調のやせぎすだった。衣服も薄汚れていたし、 髪も腰まで長くボサボサだった。 ただ、黒く汚れたその顔を濡れたタオルで拭いてやると、クリクリとやたら大きな目をして、 人形のように整った顔はとても愛らしいものだった。 だから、思った通りに声をかけたのだ。 「お前、スゲェ〜可愛い顔してんだな! こんな弟ができて俺も嬉しいぜ! 」 どうも、その日から、ずっと未来流には避けられているように思える。 声をかけると、いつも苦虫を噛み潰したような仏頂面で睨んでくる。 おまけに、喧嘩腰でまともに会話が成り立たないのだ。 (何が気にいらね〜のか、さっぱりわからねぇなぁ? ) (やっぱりアレか? カルシウム不足か? コイツ、あんまり飯を食わねぇ〜からなぁ。 ) (それとも、子供扱いして、その後に抱っこしたのが嫌だったのか? ) (それとも、歓迎のチューをしたのが、まずかったのか? でもアレはその場のノリじゃね〜か? ) (まさか、欲求不満か? 女を紹介してやらね〜から、怒っているとか? ) (こいつ、絶対に童貞だよなぁ。今度、女の抱き方も教えた方が良いのか? ) 麗二には、今だに理由が良くわからなかった。 しかし、嫌われる要因を真面目に考えると、思い当たる事が多すぎる気もするのだ。 我ながら、弟にろくなことをしていない。 自分なりに反省して、未来流には親切にしているつもりなのだが、どうも空回りしているらしい。 人狼は、種族的に仲間意識がとても強い。 一度、仲間だと認めた者に対しては、例え血の繋がりが無くても家族のように大切に接する。 それが当たり前の事だった。 当主を頭とし、年長者達は、若輩者の世話をし、指導にあたる事が決まりとされている。 麗二もそれに習っているのだが、どうも未来流とはうまくいかない。 人狼が群れになり、掟を守り一族単位で行動する背景には、それなりの理由がある。 満月期の過ごし方もそうだが、本能だけで行動したのでは、酷い目に合う事が多いからなのだ。 長い年月に習得した知識や経験が、人狼の身を危険から助けてくれる。 そのため、経験の浅い未成熟な人狼には、必ず指導者が一人つき従い、しきたりや掟を 教える事になっている。 八十神家では、当主である父・東吾は海外生活で不在となっている。そのため、現在は 当主代理の長兄・京一郎(きょういちろう)が一族を仕切っていた。 京一郎は、麗二よりも二つ年上で、腹違いの兄にあたる。 その兄に、未来流の世話役を頼まれていた。 と、言うよりも、《 命令 》されていた。 八十神家の当主の権限は絶対的だからだ。 もし、未来流に何かあった場合、京一郎に怒られるのは自分になる。 それどころか、あの兄の事だから、磔やらお仕置きやら、凄い事になるのでは無いだろうか? (殺されるんじゃね〜かぁ? ) (アレは、本物のサディストだからなぁ。 ) いつもふんぞり返って威張っている兄・京一郎の事を、心の中で力いっぱい罵倒した。 発情期だと言うのに、今朝も涼しい顔で、書斎で紅茶でも飲みながら朝刊を 読んでいるのに違いない。 とにかく、麗二は赤ん坊の頃から、この兄と二人で人狼の群れの中で育てられた。 だから、常識的に思っている事であったとしても、未来流にはそれがすんなりと入っていかない。 未来流は、何でも自分一人で背負い込み、単独行動が多いような気がする。 それを、京一郎も麗二も心配していた。 「ホント、手がかかるんだよな〜お前は。」 麗二は溜め息をつくと、未来流の精液で汚れた自分の右手を握りこんだ。 抱き締めている未来流の身体からは、まるで花のような良い香がしている。 それも、美味しそうな蜜を含んだ匂いだった。 発情期の人狼は、身体から独特のフェロモンを含んだ体臭がする。興奮すると それは増すのだが、未来流の香は、同じく発情期の麗二にはかなりクルものがあった。 もし、未来流が女性だったら。 いや、男だとしても、未来流が弟では無かったら。 麗二は、この場で押し倒しているかもしれない。 十年以上も続く発情期に慣れている麗二でも、そんな恐ろしい事を思ってしまうほど、 未来流の体臭は、密度も濃厚で強烈な甘い香になっていた。 体臭には、個人差がある。 それで人狼は、それぞれの固体を識別できるほどである。 初めての発情期なので、未来流の体臭を嗅いだのは、麗二も初めてだったが、 強い情欲を呼び起こされてしまう。 これは外へは出さない方が良いだろう。 彼等の体臭は同族だけでなく、人間にも、その他の連中にも効果があるのだ。 今、世界には、人狼の他にも様々な亜人(サブヒューマン)がいる。 その対処法は、知識と多くの経験が必要なのだが、今の未来流には、そのどちらも欠けていた。 無知な人狼は、この世界では生きてはいけない。 人狼が一族として群れを作って行動するのは、そういう理由からだった。 麗二は未来流を担いで風呂場に連れて行くと、身体をシャワーで流してやった。 こんな良い兄貴はそういないとは思う。 麗二は、未来流の滑らかな白い肌に石鹸を立てながら、苦笑していた。 「あ! そういや〜俺。クソするはずだったんだっけ? 」 用足しのためにトイレへ行って、人の排泄物の世話をしてしまった自分に、思わず 溜め息が出てしまった。 素行が悪そうな人相に似合わず、麗二はかなりのお人好しだったのだ。 第1話 了 3ページ目へ戻る 小説マップへ戻る |