1日目 〜カオサンロード〜
相変わらず直前まで行けるやら行けないやら分からず、まるで図ったかのように前日になると、様々な困難がふりかかってくる中で、それでもタイへ飛び立つことができたというのは、やはりタイに呼ばれていたということなんでしょうか?

その「ふりかかってくる困難」の対処に真夜中まで追われていたので、実質3時間くらいの睡眠で当日を迎えることとなった。

成田に着いたら着いたでイミグレーションを過ぎても金を下ろせると思い込み、たいした現金も持たずにさっさと出国。
しかし、地図を見てもどこにも銀行なんてない。焦って走り回ってみてもない。嫁が激怒してもない。ないものはないのです。
そうか・・・冷静に考えてみれば今まで行った空港でもイミグレの中に銀行なんてなかったよな。いつも入国のハンコをもらってから両替してたのだった。思い込みはオソロシイ。

そんなこんなでいつものように激怒しているヨメをいなしつつ空港のお姉さんに
「何とかもう一度入国させてはもらえんか?」
という無謀なお願いをしてみたところ、お姉さんはまるでテロリストを見るような疑いの目でありつつも笑顔を絶やさずに
「お客様がお持ちのカードでタイでもお金を下ろせますよ」
と一言。
まあ、それは分かっているんだけど、たった3泊の旅で金が切れるたびにATMをさがすのがメンドーなんですよ。いくらバンコクでもあっちこっちにATMがあるとも思えないし。

でも、まあ、それで良しとするしかないでしょう。

そんなこんながある中で、更に留守中のことを関係各方面に頼んだり、ブチョーにメールしたりと、搭乗直前まで仕事が盛りだくさん。なんでたった3泊の旅行でこんなに大変なんでしょうかね。
飛行機に乗ってようやく忌まわしい携帯の電源を切ることが出来た。

これで晴れて3日間は自由の身なのだ。


飛行機ではヨメとは前後の席だった。隣には高校生くらいの子供と父親が乗っていたのだが、離陸の時までデジカメで写真をバシャバシャ撮りまくっているは、携帯を使い出すはでモラル最低のバカ親子だった。
ちなみにヨメの隣の女2人連れは5時間のフライト中、延々と化粧をしていたらしい。全くSFXの特殊効果でもあるまいし、何で化粧に5時間もかかるんであろう。

 スワンナプーム国際空港

こんなバカだらけの飛行機は墜落して当然と思っていたら、意外に何事もなくバンコクの新空港、スワンナプーム国際空港に到着した。
空港はアジアの臭いがしなかった。前回、ブダペストから戻った時に、ドンムアン空港に充満していた臭いにアジアに帰ってきたことを痛感したもんだったのだけれど・・・。
このだだっ広くて温室みたいにガラス張りの空港も10年もすればパクチーとナンプラーのにほひにあふれるのだろうか?

出口が3つあるにもかかわらず、一箇所で待ち続けているというのもいかにもタイの旅行会社っぽいことである。おかげで行ったり来たり、現地の旅行会社に電話までしてしまった。


バンコクセンターホテルはホアランポーン駅の目の前。ヤワラー(中華街)にも近く、ロケーションはよい。午後6時、ホテルから外に出て最初に目に入ったのは工事が終わってきれいになったロータリーと懐かしいかまぼこみたいな駅舎だった。6年前のたびで最初にバンコクに着いたのもこの駅だった。あの日は乾季だというのに雨が降っていて、やっぱりヨメは怒っていた。

中華街をぶらぶらと歩いた。平日なので屋台の数はそれほどでもないけど、それでも心がぐんぐんと高揚してきた。

だいぶ空が暗くなってきたところでカオサンロードに行くことにした。
カオサンは2001年〜2002年にに2ヶ月以上滞在した場所だ。当時は地方に行ってカオサンに戻ってくるとまるで家に帰ってきたかのような気分になったものだった。

当時はバスだったが、短期旅行者でリッチな立場の私たちは当然トゥクトゥクで行った。

民主記念塔で降り、少し歩くと、懐かしのカオサンへの入り口が見えてきた。

あーカオサン通り。ここに来たくてタイに来た・・・と言うより、ここに来ることで、5年前の自分に戻りたいと思ったのだろうな。ここは思い出に溢れていて、それだけにくることが楽しみでも恐ろしくもあった。

タイは毎年10%以上の成長を続けていて、その波をカオサンもモロかぶりしているだろうと思ったのだけど、通り自体はそこまでは変わっていなかった。

相変わらずうるさくて、ガイジンが多くて、縁日みたいだ。
バイヨンビルはボロボロになってたし、懐かしのビール屋台も、10バーツのおっさんシェイク屋台もなくなっていた。それよりも何よりも、日本人が激減している!いや、タイ人以外のアジア人が激減している。初めてここを訪れたときのように完全に白人の町になってしまった。

 おばちゃん屋台

それに合わせ、飲食店の店構えや、土産物屋で売っているものも完全に欧米人受けしそうなものばかり。しかもTシャツまでアメリカンサイズになってる。
「(マジで)欧米か!」
と突っ込みも入れたくなる。

それでも歩いていると5年前の自分がシンクロしてきてまるであの旅の続きのような気分になってくる。既に日本社会に復帰できないのではないか・・・とまで心配になってきている。

屋台や店を冷やかし、裏カオサンへ行った。

懐かしのおばちゃん屋台は健在だった。おばちゃんは相変わらず鍋を振り回していたし、私たちの前には日本語の書いてあるメニュー置かれた。

トムヤムクン、空心菜炒め、あんかけご飯を食べた。明らかに頼みすぎだ。相変わらず・・・。
ヨメは
「おばちゃん年をとって味付けが濃くなった」
とか失礼なことを言っていた。

初日から買い物しまくり、満足して宿に帰った。

タイはすべてが懐かしかった。タイは思い出そのものになってしまったのだ。