2003年6月26日
テキストだけのページを作ってみよう、と思いました。と言いつつ、まだ何を書くか決めていないんですけどね。とりあえず、旅にまつわる話から始めてみようかな。

【ある日の新幹線で】
その日、私は浜松駅から新幹線に乗りました。指定席のチケットを手に自分の席まで行くと、そこにはすでに先客が。すっかりくつろいでいる様子です。
私「あのう、こちらは私の席のようですが…」
先客「え、私の席ですよ、ほら。」と言って見せてもらったチケットには、確かにその席の番号が。
「あら、私と同じですね。」と自分のチケットを見せて、お互い間違いない、ということを確認し合いました。そこへ車掌が通りかかったものですから、
私「すみません、席がダブっているようなんですけど。」
しばし双方のチケットを確認して、車掌おもむろに私のほうを向き、
車掌「お客さん、どちらまで?」
私「小田原経由で藤沢までですけど・・・」
車掌「じゃあね、次の豊橋で乗り換えてください。」
私「え、どうして?」
車掌「向きが逆ですから」
…………何のこと、何だろう、何かしら。しばし考えて、やっと意味を悟りました。私は「上り」に乗らなきゃいけないのに、「下り」に乗っていたのですね。
赤面しつつ空いている席に移動する私の後ろで、先客が下を向いて肩を震わせているのがわかりました。笑いをこらえるのに必死だったみたいです。


6月27日
【初めての海外ひとり旅】
私が初めてひとりで海外に出かけたのは、30代の前半。おそどまさこの「女のひとり旅講座 地球は狭いわよ」という本を読んだのがきっかけだったと思う。
ひとり旅自体は好きで、3才の時にバスに乗って入院している父のお見舞いに行ってしまったのをはじめ、高校卒業時には木曽路2泊3日の旅もしている。
夫に話すと、すんなり「行っておいで」とのこと。何でもやってみたがる私の性格を知っているし、カミさんから解放されるのも悪くない、と思ったようだ。決まったら動かずにはいられない私、さっそくエアチケットとホテルの手配を開始した。
行き先はパリ、ホテルはお洒落なプチホテルがいいな。ガイドブックに載っていた英文の宿泊問い合わせを書き写して、お目当てのホテル数軒にFAXをした。第二希望のホテルが取れた。
さて出発の日。意外にも私は後悔していた。好奇心のかたまりになってここまできてしまったけど、本当にひとりでパリなんかに行っちゃって大丈夫なの?そう、大胆でもあり臆病でもあり、なんだよね。そんな複雑な心境を隠して、マリベルさんは機上の人となったのでありました。  -つづく-


7月4日
【雪降る町】
どうも、系統立てて書こうとすると、筆が進まないことに気が付きました。だから、印象的だった場面を、思いつくままにぽつりぽつりと書いていこうと思います。

函館には行ったことがありますか。
古い洋館があって、倉庫街があって、横浜にも似た風情のある街です。そこに仕事先があり、開店のディスプレイと販売応援に行ったのですが、帰りに大沼に一泊して、歩くスキーを楽しむことにしました。
雪の日で、函館の駅で時刻表を調べたら、3時間待たないと列車が来ない。それでバスを利用することにしたのですが、それでも2時間待ちでした。大きなストーブのある暖かい待合室でぼんやり待っていると、外にはちらちらと粉雪が舞って、古い映画の中に紛れ込んだような風情でした。
その待合室に、70過ぎの老人がやってきました。私を見つけると、退屈しのぎに話を始めたのだけど、バリバリの東北弁で、どーも半分も理解ができない。英語を話す時みたいに、「おじいちゃん、それは何のこと?もう一回言ってみて。こういうこと?」とたずねながら、大声で大真面目に話をしました。なんとか分ったのは、おじいちゃんは江差から来てて、昔はにしんがたくさん獲れて…ぐらいかな。ぼんやり聞いていると外国語みたいで、もりおかというその響きがロシア語みたいだった〜♪という感じの、生粋バリバリの江差弁でした。
やっとバスが来て、雪がどんどん積もる中を大沼に向かって走って行きました。ほとんど前が見えないぐらい降りしきり、あたりはどんどん暗くなっていきます。大沼に着いてみたら、周辺には数軒の商店があるけど、タクシー会社はもぬけの殻。さて困ったぞ。ホテルまでは歩けるような距離じゃない。
そうしたら、先ほどのバスの運転手さんがやってきて、バスでホテルまで送ってあげる、と言うの。路線バスなのに、タクシーの代わりをしてくれるそうなんです。 びっくりしたけど、お言葉に甘えさせていただきました。うれしかった。
すごく田舎なのに、宮沢賢治の世界みたいに、どこか日本離れしている町でした。

そんなことをふと思い出したのは、夜半の土砂降りの雨のせいかもしれないね。


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