2003年7月4日
だいぶ前の話です。
私は、会社のスタッフ二人と知人二人を連れて、パリへと飛び立ちました。インテリア&雑貨の見本市に行き、仕入れ先探しと市場調査をするのが目的です。予定はほぼ1週間、その間に2ヶ所の展示会場をまわり、仕入先を開拓し、パリの小売店の雰囲気も学ぼう、というのが建前ですが、半分観光旅行みたいなものでした。

私のいいかげんな英語も、フランス人相手には予想外に役に立ち、仕事は順調にすすみ、さてそれではちょっと息抜きに遊びに行きましょう、ということになりました。で、私は知人二人といっしょにGTV(新幹線のようなもの)に乗り、一路ベルギーのブルージュへ。ここで再確認。実は私は、ガイドなどするのは初めての経験で、電車にさえちゃんと乗れるのかどうかあやしい人でした。さて、事態はいかなることに…

GTVは1時間ほど遅れたけど、それでも乗り換えも順調に、なんとかブルージュまでたどり着くことができました。すばらしく美しい中世の街並に、初秋の日差しもやさしく、絶好のシチュエーションだったのですが…

最初に私たちは、タクシーで街の中心まで行き、歩きやすいように、ツーリストインフォメーションに手荷物を預けました。そして、ぶらぶらと散策するうちに、食いしん坊の私たちの鼻腔をくすぐる、すてきな香りが…そう、名物のムール貝です。この時期ベルギーのムール貝は最高に美味しい、とガイドブックにも書いてあったし、ここでそれを賞味しない手はないと、お洒落なレストランのテラスに席を取りました。

さっそくムール貝のスチームを注文したのですが、なんせヨーロッパ人はのんびりしているせいか、いくら待ってもいっこうに料理が出てくる気配がありません。それでも私たちはあきらめず、待つこと1時間半近く、やっと、大きなほうろうのバケツにいっぱい、ムール貝が運ばれてきました。実はこの時点で、帰りに予定していた列車の時刻は過ぎていたのですが、ま、次の電車に乗ればいいや、ということで、おなかがペコペコの私たちは、美味しそうなにおいをたてるムール貝に飛びつきました。なんせバケツいっぱいですから、食べても食べても減らず(それでも素晴らしく美味しく)、やっと食べ終わった時点で、もう1本電車に乗り遅れていました。

おなかがあまりにもいっぱいなので、散歩がてら駅まで歩きましょう、という事になり、途中で買い物などをしながら駅へ到着しました。何か忘れていないか…そうです、手荷物がないのです。もちろん、最初に寄ったツーリストインフォメーションに置きっぱなしです。それに気がついて真っ青になった私たちは、もういちどタクシーを飛ばして、街の中心へ。またまた電車に乗り遅れてしまいました。

さて、手荷物を受け取ると、ちょっと安心して、知人二人はもうすこし買い物をすることになりました。私は実はブルージュは2度目で、買い物にはあまり乗り気じゃなかったのだけど、ひとりで散歩をするのもいいなと思ったので、駅での集合時間を決め、解散することにしました(あまり優秀なガイドじゃないですね、なんせ終電なんですもん、次は)。

私はぶらぶらと街を散策し、バスに乗ろうとしたら意外と複雑なので、仕方なくタクシーで駅まで行きました。駅に着いて、さてと見まわすと…いないのです、お二人が。列車の到着予定時刻までもう10分切っています。しかもパリまでその日のうちに戻ろうとしたら、その電車に乗るしかないのです。真っ青、いや頭の中が真っ白、ものすごく後悔しました。

ほとんど英語を話さないお二人だけで、あの広場から駅まで戻ってくるのは、けっこう大変な事なのではないか、とその時まで私、気が付かなかったのです。きゃー、どうしよう、大変だっ、とハラハラしているうちに、遠方から必死で走ってくる二人の姿を見つけました。そこへ駅に入ってくる電車の音が聞こえ、私はまず、電車のほうに駆けて行きました。運転士に向かって、
Wait,wait,please wait,my friends and I have to get this train,and they will show up here soon!
などとあやしい英語で必死に叫び、次に駅の外に出て「早く、早く!」と叫び…なんとか、なんとか、列車に乗ることができました。ひとりは真っ赤に紅潮し、もうひとりの顔からは血の気が失せ、私自身も気が遠くなりそうでした。だって翌日は、成田に向けて発つ日なので、ブルージュに泊る訳にはいかなかったんですもの。

ブルージュはまるで、「メビウスの輪」、いつまでたっても抜け出せない、迷宮のような街でございました。


2003年7月10日
パタン、とワゴン車のドアが開いて、白衣にマスクの男が二人降りてきた。
「市役所から来ました。こちらにマリベルさん(いや、本名ですけど)いらっしゃいますね。」おっ、これは何ごと?
「先日病院に行かれましたね。赤痢菌が発見されましたので、隔離させていただきます。」えっ、それはまた…。でももう治ってピンピンしてるし、隔離していただかなくても大丈夫みたいなんですけど。

ところが法定伝染病なので、どーしても隔離されないといけないらしい。
えーん困った。展示会間近で仕事が立て込んでいるから、ちょっと片付けてからじゃダメ?という私の申し入れは聞き入られることなく、そ
のまま市民病院に連行されることになった。何も持って来ないで下さい、必要なものは用意されています、お持ちになったものは焼却処分されてしまいますので、着替えだけ持っていらしてください、とのこと。

えらいこっちゃ。私の立ち寄った所は消毒されちゃったりするのか。まさか新聞に載ってしまったりしないよね…いやいや、中
学のときに赤痢で隔離された同級生は、新聞に載ってたな。あの時は学校中消毒して、検便やら何やら大騒ぎだったし。
…も、もしかして私もそうなってしまうの?どーしましょ!と不安になっていたら、そこまではしないようで、ひとまずホッ。それにしても、治ってから隔離すると言われても、なんだかなあ。経験としては、面白いかもしれないけどね。

市民病院に着くと、別棟の病室に連れて行かれた。木造平屋建ての、ゆったり広々とした建物。私が通された部屋はベッドにソファ
、テレビ、洗面所もあり、二方向に窓のある病室。ただし、ドアには鍵がかけられてしまう。拘置所みたいなもんですね。看護士さんが専属で付いている(監視している)。

私はピンピン元気だったし、治療は必要ないとの判断で、数日間何もせずに過ごした。…というのは表向きで、実は窓から資料や書類の
やりとりをして、しっかりお仕事もしてたりした。思うに赤痢というのは、抗生物質がある今では、「時代遅れ」の伝染病なのではないかしらん。症状も、確かに2,3日は劇症だったけど、一週間もしないうちに健康体に戻ってしまったし。

リゾート気分で(というほど素敵じゃないけど)のんびり数日過ごしたのち、退院の許可が出た。入浴できますよ、と看
護士さん。そう、隔離病棟の中にはお風呂がないのだ。退院の日、着ていたものをすべて渡して入浴し、新しい服に着替え、晴れて無罪放免となった。周囲の人にも言わずにいたから、本当に拘置所から解放されたような気分だった。

ちなみに費用はすべて国費で賄われます。

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