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私の娘 真央



娘の真央は、1995年11月3日に2650グラムで生まれました。
なかなか子供が出来ず不妊治療をして5年目にやっと授かった子供でした。
私は、卵管造影の結果、私は人より卵管が細く、妊娠が人よりしにくいとのことでした。
でも、良い先生に恵まれ、漢方と少しの排卵誘発剤で、子供に恵まれました。
妊娠もSLEと同じストレスで大分変わってくるものです。
私の場合、同病院のある先生に「君は体外受精しなければいけないなぁ」といわれました。
ショックでした。その一言から正常だった生理も不順に…。
でも担当の先生は「絶対大丈夫、ゆっくりおだやかに赤ちゃん待ちましょう。」と言ってくれました。
女性の体は不思議なもので、そんな一言で排卵があったり、なかったりするのですね。
待って、待って、私たちのところへ生まれて来てくれた子供、真央でした。
生まれてからは、他のママ達と同じ、喜んだり、心配したり、怒ったりの毎日でした。
私が麻疹ではないかと言われ入院といわれた2000年3月、真央は4歳。ちょうど幼稚園入園前でした。
原因がわからずの入院。毎日母と病院へ来てくれる真央。
「ママいつお家に帰ってくる?入園式一緒に来れる?」と毎日半べそ状態。
麻疹では無いと判ったので、担当医に泣きつき外出許可をもらい、何とか入園式には行きました。
入園当日、みんなはママの手作り手提げかばん。でも真央は、(私が作ろうと布は買ってありましたが、
縫う前に入院になってしまったので)既製のキティの手提げかばんでした。すごく、母としてのに、情けなかった…。
だけど、真央は文句も言わず、持っていってくれました。
すごく、真央が、かわいくてたまらなかったのを覚えています。
退院してから半年後ぐらいから徐々にやってくる関節の痛み、椅子から立つのも膝に、激痛が走り、
子供と同じ速度で歩くのさえ困難でした。そんな私を毎日心配そうに眺めている娘。
お風呂に入ったときなどは、まだ、洗ってもらうほうの5歳の娘が、手の指の間接も痛くなっていた私の代わりに、
私の背中を洗ってくれたり、タオルを絞ってくれました。一番涙が出そうになったのは、娘とジャイケンが、
出来なくなったこと。ぐーもチョキも出来なかったから。だのに、病院にいっても原因が解らず、
関節の痛みと、娘への申し訳なさがつのる毎日でした。
「あーこの子と、一緒に遊んでやることさえ、もう出来ないんだぁ」と思いました。
2001年7月、2度目の入院。家から1時間以上かかる所に入院したので、真央とは毎日あえません。
最初の1週間ぐらいは記憶がありませんでしたが、入院して何日かして、真央が母と来てくれたことだけは、かすかに覚えてます。
その時、私は、当然パジャマを着ていたのですが、パジャマのズボンは色違いの分を履いていました。
その時は、上着を汚したか何かで着替えさせられていたのですが、なすがままの私。おかしいとも思っていません。
でも、そんな私の姿を見て娘はママがおかしいと感じ、「なんで、ママ、パジャマ上と下違うの着てるの?」と言い続けていました。
それだけは、私の記憶にあります。
担当の先生が、絶対大丈夫だから、元通りになるからと言って下さっているのですが、
頑張ろうとも、なんとも思わない私がいました。
2回目にやって来た真央から渡された物、それは手紙でした。
『ママ、がんばてっね。早くよくなって、早く真央の所に帰ってきてね。それまで、真央もいい子でがんばるからね。』
というものでした。涙が出ました。
それまで、なんとなくベットに寝ていただけの私に、生きる勇気を与えたメッセージでした。
娘の言葉がなければ、心は、ひょっとして戻ってなかったかもしれません。
(実際、母は倒れて入院した私を見て、真央をこれからどうして育てようと思ったそうですから‥)
1週間に一度の見舞いと、欠かさずの真央からの手紙。それと、毎日の電話での、
「ママ頑張れ」

8月29日、病院での私の誕生日、「ママお誕生日おめでとー」と入ってきた娘の手には小さな箱。箱の中は2つのケーキ。
ベッドの上で並んで食べました。おいしかったー、本当に美味しかった。涙が混じったあのケーキの味は一生忘れないでしょう。
娘がいなければ、娘の言葉がなければ2ヶ月での退院はなかったし、今の健康状態はなかったでしょう。

2001年9月、退院が決まり、電話で真央に告げた時、電話のむこうの真央の『うれしいーやったー』の声は今でも耳に残っています。

現在、小学生の娘。
毎日、『はよー、宿題しいやー』と怒鳴る毎日であります。
ケンカもバンバンしています。
ごめんなさい。あほちゃうかー。親ばかやー。と言われるの覚悟で、
私の宝物の真央の自慢をしちゃいました。

退院して以来、叱られていても、寝る時は必ず、手をつないでくる真央。
そしてその手から、明日の元気もらっている私です。