2003.05.27
北東北漫遊(大湊線)
札幌駅から青森駅まで特急の自由席に乗車すると片道約12000円かかる。
往復で24000円、結構な金額となる。
札幌−青森間の往復だけなら札幌・青森往復きっぷを利用するといい。
6日間有効で19000円、少しお得である。
しかしJRではもっとお得な周遊券タイプの切符も販売している。
その中に”みちのくフリーきっぷ”という切符がある。
これは札幌市内から東北地方への入口、津軽今別駅までの往復特急指定席とフリー区間内の周遊券との組み合わせからなる。
周遊券は青森、岩手、秋田の3県内の特急自由席が乗り放題、新幹線は立ち席特急券で利用可である。
これが6日間有効でなんと19500円、安い!
綾小路さんはさっそくこの切符を利用した旅行の計画を立てた。今年の1月くらいの話である。
しかし北信越・北陸の旅を優先したため少し時期を見送っていたのである。
そして捲土重来、この切符を利用する時がやってきたのである。
しかも何とこの4月から6月にかけては”北東北デスティネーションキャンペーン”を実施していた。
このキャンペーンに合わせて新幹線、特急は普通車指定席も乗車可となったのである。
切符の名前はこの期間中は”トク得北東北パス”となった。もちろん値段は19500円のままである。
出発前日、大変な事が起きた。地震である。
テレビでは東北新幹線の橋脚が崩れて鉄筋が露出している映像が流れた。
どうする、宿は手配済みだし延期するか?
しかしこのさき梅雨の時期になるとますます遅れる。
新幹線はダイヤにみだれがかなりありそうだが在来線は混乱が少なさそうなのでここは決行する事にした。
綾小路さんは札幌駅7時00分発のスーパー北斗2号に乗込んで一息つく。
しかしすぐに済ませなければならない事があった。
それはすでにぺこぺこになったおなかを満たす事である。
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札幌駅弁 やまべ鮭寿し ¥680 (株)札幌駅立売商会
駅弁を食べ本当に一息をついた。ここからは何度となく通った路線である。
しかも運が悪い事に列車の右側の座席だった。これでは噴火湾も見えない。
3時間後に函館駅に到着して列車を乗換えた。ここからは白鳥18号である。
しかしここでも右側の座席であった。
函館湾に津軽海峡、さらに陸奥湾の景色はJRの策略?によって綾小路さんのものとはならなかったのである。
青森駅には12時41分に到着したが引続き白鳥18号に乗車してまずは野辺地駅で下車した。
コンクリートの味気ない駅舎であるがこの駅自体には鉄道ファンにとって魅力がつまっている。
まずこれから乗車する大湊線の分岐点となっている事である。
ここから本州最北の大湊線が終点の大湊まで連絡しているのである。
さらに野辺地駅からは南部縦貫鉄道が七戸駅まで運行していたのである。
1997年に休止となりしばらく放置されていたがとうとう昨年に廃止となったそうだ。
新幹線が七戸まで来たときに復帰するのではとの噂もあったようである。
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大湊行きの列車は野辺地駅到着の10分前に発車したばかりである。(乗継考えてよJRさん)
次は2時間半以上待つ事になる。
その時間を利用して下り列車で隣の狩場沢駅にひき返して探索を実行した。
小さな待合室の隣はアスファルト舗装がなされてなく砂利が露出している。
これはやはり過去に大きな駅舎があったのだろうと考えながらホームを歩いた。
その時ホーム裏の庭先で地元の年配者が作業しているのに出くわした。
そこで聞いてみたところやはりその通りであった。しかも4年前ぐらいの建替えだそうである。
少し遅かったかと考えながらまたホームを歩いていると跨線橋の形が奇妙な事に気が付いた。
歩行部分がまっすぐに配置されておらず段が付いている。
よし、詳しく見てみるか思ったときに上り列車が参りますとのアナウンスがあった。
特急や貨物列車が数分ごとに通過していたのでまたかと思っていたら違う。乗車する列車だった。
探索に没頭して危うく乗り過ごすところであった。
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狩場沢駅 (左)待合室周辺 (右)跨線橋
狩場沢駅では探索途中に野辺地駅で購入していた駅弁をいただいた。
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野辺地駅弁 特製とりめし ¥900 伯養軒 野辺地営業所
次は上り列車に乗車して野辺地駅を通過して三沢駅で下車する予定である。
そこで待っていると八戸駅始発で大湊線直通の列車に乗車出き、一石二鳥となる。
野辺地駅を通過してぼんやりと車窓を眺めていると隣にガーダー橋が見えた。
そのあとに大きな築堤も続いているではないか。
しまった、あれこそが南部縦貫鉄道の廃線跡ではないか。
あっという間にその築堤は離れていき隣には暴風林が現れた。
南部縦貫鉄道はもっと離れた位置を進んでいると勘違いしていた。
しかしこのあと三沢からの折り返しの列車に乗車するので撮影のチャンスはあった。
三沢駅に到着してさっそく探索。
今から30年以上前に甲子園の決勝戦で延長18回を1人で投げぬき、
翌日の再試合で涙を呑んだ投手がここにいた事を思い出した。
JR駅隣には十和田市まで連絡している十和田観光鉄道の駅舎も建っていた。
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三沢駅 (左)JR駅舎 (右)十和田観光鉄道駅舎
三沢駅を15時07分発の大湊行き列車に乗車して南部縦貫鉄道跡に備える。
列車は快速なので三沢駅の次の停車駅が野辺地駅になる。
うかうかしているとまた逃してしまう。
千曳駅を過ぎて先ほどの防風林も過ぎた、ここだ。
築堤に橋梁、なんとか撮れたが逆光でうまくは撮れなかった。
その後その築堤は徐々にJR線に近づきとうとう隣を並行して走るようになった。
見ると錆付いた線路が敷設されたままである。
その線路を追っていくとあの野辺地駅のホーム脇まで続いていたのである。
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南部縦貫鉄道路線跡
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野辺地駅からひとつ目の駅は北野辺地駅である。
駅への道路が踏切脇から進入するので分り辛く昨年に車で来た時に難儀した。
その次が有戸駅であるが乗車した列車が快速のため両駅とも通過した。
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(左)北野辺地駅 (右)有戸駅 共にH14-11-15撮影
そのあと踏切を通過して路線は陸奥湾沿いを走るようになった。
海岸線では防風林の育成だろう、強風で苗木が根付かないのを防ぐため保護している。
北海道でもたまに見かける光景である。
そして再度踏切を通過して国道の内側を北上する列車は吹越駅をも通過した。
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(左)有戸−吹越間景観 (右)吹越駅 H14-11-15撮影
野辺地駅を発車して25分、ようやく最初の停車駅に到着した。
陸奥横浜駅である。しかし停車時間は短く探索する事は出来ない。
その次は有畑駅であるがここも停車せずに通過した。
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(左)陸奥横浜駅 (右)有畑駅 共にH14-11-15撮影
次の近川駅で列車は停車した。
ホームや待合室の反対側には線路の撤去された対抗ホームが残されていた。
昔は乗客が多く列車本数も多かったのだろう。
下北駅からは大畑線が分岐もしていた。
しかしその後、大畑線はいったん下北交通に転換して廃止となったのである。
この対抗ホームはこの後、赤川駅にも見られた。
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近川駅 (左)待合室 H14-11-15撮影(右)対抗ホーム
次の金谷沢駅と赤川駅は通過となった。
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(左)金谷沢駅 (右)赤川駅 共にH14-11-15撮影
大湊線は下北半島の陸奥湾沿いを走っているはずなのだが思ったより海は見えない。
半分は暴風林で見えないからであるが代わりに”さいはて感”はたっぷり漂っている。
実は綾小路さんは6年ほど前に大湊線に乗車した事がある。
その時は下北駅で下北交通に乗換え大畑駅まで往復した旅程だった。
下北−大湊間は時間の都合で乗車できなかったのである。
今回はその乗車できなかった区間を乗車して大湊線の完乗を果たすのを目的とした。
しかし今となってはよくぞそのときに大畑まで行っておいたものだと思う。
その後に下北交通は廃止となりもう永遠に乗車は叶わないのである。
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下北駅を発車してからはいよいよ未体験ゾーンである。
このわずかひと駅を乗車するためここまで来たのである。
乗車5分で本州最北の路線を完乗した。
もちろん駅舎としても現在では本州最北となる。
入口部には”てっぺんの終着駅”の看板がかかっていた。
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大湊駅 (左)駅舎 (右)本州最北の線路(裏手に引込線はもっと延びている)
大湊線はまず大正10年3月20日に野辺地−陸奥横浜間が開業した。
そして同じ年の9月25日に陸奥横浜−大湊間が開業して全線開通となった。
大湊駅に滞在することわずか10分、16時55分発の折返し列車に乗車して野辺地駅へと出発となった。
陸奥横浜駅まで引返してきたところで何を思ったか綾小路さん。
そこで下車して再び大湊方面行き列車に乗り込んだのであった。
実は大湊駅から折返しの下北駅で下北交通の廃線跡を捜して見たが分らない。
下北駅までは列車は空いていたがそこで下校の高校生達がどっと乗り込んで来たのである。
ああもう撮影できないなと思いカメラをしまいこみ列車が発車した時である。
すうっと左前方に廃線跡が伸びていた。ああ、これだ。
しかしもはや間に合わない。がっくり。綾小路さんは少し方向を勘違いしていた。
しかし諦めきれなかった、この後は八戸に行くだけで探索の予定もなかったので引返す事にしたのであった。
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ホームに降りると線路が通っている反対側ホームは線路が撤去されバラストが残されたままである。
なるほどここから先ほどの分岐点まで続いているようである。
改札口の手前側には大畑線時代のものか下北交通のものかは分らないが0キロポストが立っている。
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下北駅 (左)下北交通(大畑線)ホーム (右)下北交通(大畑線)0キロポスト
改札を出て折角なので駅舎も撮影。
そして廃線跡へ急げ!時間はそんなにない。
下北半島を一周する国道沿いに踏切跡があり路線跡も残っていた。
昨年に下北交通の廃線跡を探索したがここは落としていた。
そこから大畑方面には路線跡が続いていた。
そしてちょっと失礼して大湊線との分岐点にも行ってみた。
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ようやく満足した綾小路さんはこの後、暮れかけた陸奥湾沿いを野辺地駅まで戻ったのである。
そこから特急に乗り換え八戸駅で下車、本日の宿泊は健康ランドであった。
綾小路さんの漫遊は北東北漫遊(八戸線・三陸鉄道北リアス線・岩泉線)に続く!
大湊 | 下北 | ![]() |
大畑 | |||||||
金谷沢 | 赤川 | |||||||||
近川 | 有畑 | 陸奥横浜 | ||||||||
札幌 | 北野辺地 | 有戸 | 吹越 | |||||||
青森 | 狩場沢 | 野辺地 | 三沢 | 八戸 | 久慈 | |||||
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福島 | 七戸 | 盛岡 |
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