2003.05.30

北東北漫遊(大船渡線・三陸鉄道南リアス線・田沢湖線)

北東北漫遊も折返して4日目となった。
今日はまず大船渡線に乗車する。
その大船渡線の起点はここ一ノ関駅である。
ちなみに”トク得北東北パス”は岩手県では最南端の一ノ関駅まで有効である。

一ノ関駅 (左)駅舎 (右)大船渡線分岐(左カーブが大船渡線) 共に昨日撮影


6時02分発の盛行き列車はいったんは広い一ノ関駅構内を南下する。
そして駅構内の南端あたりで左手にカーブして東北本線から分岐した。
そのあと東北新幹線の高架下を通過して東進を始めたのである。
列車はひとつ目の真滝駅に停車し、そのあと東北の大河、北上川を渡りトンネルを通過して陸中門崎駅に停車した。
ここで最初の交換列車待ちとなった。
停車したホーム側に駅舎があれば正面に回ったが線路の向こう側だった。
残念、向こう側まで行く時間はなかった。



陸中門崎駅から路線は北上している。
その後猊鼻渓駅付近で東進して摺沢駅を過ぎてから南下するのである。
そして千厩駅からまた東進する事になる。
このまま猊鼻渓方面に向かわず千厩方面に向かえば距離的にも時間的にも効率的であった。
実際に国道はまっすぐ東進している。
しかし鉄道敷設は一種、政治の世界である。
時の有力者の運動により現在の迂回する形で敷設される事となったのである。
話を元に戻し、陸中門崎駅から北上した列車はその猊鼻渓駅に停車した。



そのあと千厩駅を過ぎてから列車は国道284号線と共に東進を始めた。
この間列車の左手に座っていたがどうやら右側の方が景色はよさそうだった。

一ノ関駅から1時間半ほど過ぎ、気仙沼駅に到着した。
ここで10分間もの停車となる。
停車中に列車がやってきたが交換列車ではなかった。
そうだここは気仙沼線が分岐しているのである。
小牛田駅始発で志津川方面の乗客を運んできた列車の連絡を図るための停車だったのだ。
ちなみにこの付近は宮城県である。青森、岩手、秋田県以外で”トク得北東北パス”が利用できる唯一の区間となっている。



気仙沼駅からふたつ目の上鹿折駅に到着した列車は今度は交換列車待ちとなった。
しかし気仙沼駅で10分間停車したばかりというのにどういうダイヤの組み方だと思ってしまう。
急ぎのひとはいらいらするだろう。
こちらは逆に都合がいいが・・・。

ジャパネットたかた、もとい陸前高田駅を過ぎてからようやく海が見えてきた。
やはり左側に座ったのは失敗だった。
しかしたまにはこんなこともあるさ。
海が見えるといってもそうは絶景ではないと強がる綾小路さんであった。
そして列車は路線名称になっている大船渡駅を過ぎ終点の盛駅に到着した。

盛駅 (左)JR駅舎 (右)三陸鉄道駅舎

大船渡線は一ノ関駅から順次敷設されていった。
1925(大正14)年7月26日に一ノ関−摺沢間が開業した。
その後、千厩、折壁、気仙沼、上鹿折、陸前矢作、細浦、大船渡までと順調に延伸して行った。
1935(昭和10)年9月29日に大船渡−盛間が開業して全線開通した。

盛駅からは三陸鉄道南リアス線に乗換えである。
大船渡線と三陸鉄道は盛駅でスイッチバックしている。
この理由はおそらく反対方向に岩手開発鉄道が岩手石橋まで通じているからだろう。
現在は旅客営業は廃止して貨物営業のみとの事で時刻表にも載っていない。
しかしここに到着するまでスイッチバックになっているとは気付いていなかった。
その上、乗換え時間も10分間の計画だったので周辺をじっくり観察できなかったのであった。

ともあれ8時53分に釜石駅に向け列車は発車した。



三陸鉄道南リアス線は北リアス線と同様にトンネルが多い。 しかもトンネルの区間のほうが長いようだ。
海も当然のごとくあまり見えない。
ほとんど景色の印象がないまま列車は中間の三陸駅に停車した。
わずかの時間ではあるがここで交換列車待ちとなった。



列車は釜石駅の手前の平田(へいた)駅に到着した。
ここで右手前方の丘の上に白い大きな物体が見えた。
高さ48.5mの釜石大観音である。
残念ながら三陸鉄道の乗客に対して建立されているものではなく太平洋側に正対している。
その隣には木々に隠れた仏舎利塔も見える。
1970年に建立され平和を祈念しているそうである。



平田駅からトンネルを通過すると程なくして鉄の街、釜石駅に到着した。

三陸鉄道南リアス線は1970(昭和45)年3月1日に国鉄盛線として盛−綾里間が開業した。
1973(昭和48)年7月1日に吉浜まで延伸したが、
その後に現北リアス線と共に第三セクター”三陸鉄道”に移管される事が決定した。
1984(昭和59)年4月1日に”三陸鉄道”に移管、同時に吉浜−釜石間が開業し盛−釜石間が全線開通した。

釜石駅までやってきた綾小路さんであるが、ここまでは当初の計画通りに運んでいた。
ここから釜石線、東北新幹線を乗りつぎ盛岡駅まで漫遊。
盛岡駅からは昨年開業したばかりの八戸新幹線で八戸駅までの往復体験である。
その後は田沢湖線に乗車、秋田駅で下車して宿泊。
これが札幌を出発する前に立てていた計画であった。
しかし宮古駅まで道路地図を取りに行く事となった。
釜石駅か盛岡駅に搬送してくれれば計画通りに運ぶがその願いは聞き入れてくれなかったのである。

そこでこれからの計画を練り直した。
釜石駅からわずか55キロの距離であるし、大した事にはならないと思われた。
ところが宮古駅まで行くのはいいがそこからが問題だったのである。
宮古駅から盛岡駅に至る山田線は一日4便しかなく釜石駅まで往復するのが得策だった。
これでも帰りの列車は宮古駅で1時間30分待ちとなる。
しかしその計画に変更すれば八戸新幹線の乗車が叶わないくらいのもので済む。
結局は綾小路さん、絶好の八戸新幹線乗車の機会を逃す事となった。
何しろタダである。今後こんなチャンスがあるかどうか。
しかし旅行中に忘れ物を取りに行くのである。
それぐらいで済むのであればよくよく考えれば本当に不幸中の幸である。

ラッキーな事に乗車してきた三陸鉄道は山田線直通列車であった。
そのため宮古駅まで行くのに待ち時間もなくそのまま乗車できたのである。
釜石駅に停車する事8分、列車は9時51分に宮古方面に向け発車した。
発車後、釜石駅の構内を抜けようという時であった。
転車台を発見したのである。あっと思ったがラッキー、また戻って来るではないか。
道路地図を取りに行かずにこのまま釜石線に乗車していたら、最悪見落とした可能性もあった。
これぞ災い転じて福となすである。

列車は釜石駅からひとつ目の駅となる両石駅に到着した。(左)
停車時間はなかったがちょうど座席の位置がいいアングルとなった。
鵜住居駅の次の大槌駅では交換列車待ちで3分間停車した。(右)



次の吉里吉里駅を過ぎ浪板海岸駅から岩手船越駅間の車窓には砂浜と太平洋が広がった。
そして陸中山田駅と豊間根駅間は11キロあった。
この間長いのでひょっとして廃止駅でもないかと目を凝らして路線脇を追ったがそう都合よくあるはずもない。
次に津軽石駅ではまたも交換列車待ちである。
おかしいなあ、釜石方面に何本も行っている、と思ったが次の列車は2時間後、これに乗車予定である。
そしてその次は3時間後であった。

津軽石駅から途中ひと駅に停車して宮古駅に到着した。
一昨日に立ち寄った時には2日後にまた来るとは夢にも思わなかった。
ともあれさっそく落し物受付の窓口に行き、道路地図は無事綾小路さんの手元に戻ってきた。
しかしこの事で八戸新幹線には乗車できなくなったのである。
”うれしさも半分なるかな、宮古駅。”
このあと釜石駅の転車台の撮影チャンスもできたし悪いようには考えない事にした。

さて1時間30分もある。昼食は宮古駅に駅弁を卸している魚元にでも行ってゆっくりとるか。
まずは駅内部で列車の時間を再確認しておかねば。
あれっ、乗車予定の12時57分発の列車があるがその前に11時54分発の列車があるではないか。
臨時列車でも普通は時刻表に載っているものなのにその列車は載っていなかった。
さっそく切符売り場で聞いてみたが時刻表には載っていないが運行しているとの事であった。
これは土、日、祝日限定の快速”ぐるっとさんりくトレイン号”という列車である。
この列車は盛岡駅を9時45分に発車して山田線で宮古駅まで運行。
そこから釜石駅まで運行して一旦宮古駅に引返すのである。
そして再度釜石駅まで行き釜石線で遠野、花巻駅を経由して盛岡駅に19時15分に帰ってくる列車である。
要するに宮古−釜石間を列車が往復している間に観光ができるというものであった。
これだと東京からでも1日で観光が可能との事らしい。
しかし強行日程ばかりの綾小路さんでさえこんな計画は立てない。
どうせ往復の運賃がかかるし1本の列車で旅行する必要性もない。
これに似たものに五能線の蜃気楼ダイヤがある、内容はほとんど同じである。
しかしこちらは時刻表にまったく載っていないので”蜃気楼”ではなかった。
話が長くなったがその列車に乗車する事にした。
その列車でも予定だった12時57分発の列車でも釜石駅発の列車は変わらなかった。
しかし予定の列車では釜石駅で探索時間がわずか6分しか取れなかったのである。

”ぐるっとさんりくトレイン号”に乗車、さすがにいい車両だった。
快適な上に今日はかなり空いていた。
ここで昼食とする事にした。
時間が早かったので予約なしでも”魚元”の駅弁を購入できたのである。
この駅弁は豪華!何といちご弁当より高いのである。

宮古駅弁 北の祭弁当 ¥1220 魚元

釜石駅への復路は快適な時間だった。
たまにはこういう快適さもいいものだ。
そして釜石駅の手前で列車内からも転車台が撮影できたが外からでも間近に見れそうだった。

釜石駅 (左)JR駅舎 (右)転車台

”ぐるっとさんりくトレイン号”内で駅弁を食べてからまだ2時間も経っていなかった。
しかしここにはそれでも食べたいというものがあった。
三陸海岸で”うに”の次は”めかぶ”である。うーん、でりしゃす。

釜石駅そば めかぶそば ¥390

釜石駅からは釜石線で盛岡駅まで直通の快速列車に乗車した。
しかし14時17分発車のその車両は北上線と同じ窓が開かないキハ100系。
快速でもあり通過駅も多い、車内も込んでいてこれは撮影は厳しいなと思った。
これが宮古駅まで往復しなければどうだったかというと2本早いその列車も快速だった。

釜石駅を発車して20分ぐらい経った。
突如として石炭積出し施設のホッパーが見えた。
陸中大橋駅だ。列車はこの駅も通過する。
ああ、しかし乗車している座席の反対側で撮影はできなかった。残念!

釜石線は陸中大橋駅を過ぎると180度方向を変える。
地図を見るとトンネル内でターンしている。かなり急なカーブと思うがその感覚があまり分らなかった。
しかしその間に確実に高度を稼いでいた。
先ほどから向こう側の路線を撮影できないかと車窓を眺めていたが眼下に路線が見えた。ここだ!
トンネルから出てきた路線が見える。手前側は国道だろう。陸中大橋駅の釜石側すぐの地点と思われる。

この付近は難所で改軌工事前の軽便鉄道時代は陸中大橋駅から仙人峠越えの区間は索道だったという。
その索道も荷物専用で乗客は3時間も山道を歩いて峠越えしたという。
現在は180度のターンで仙人峠を避け、南側に迂回して線路が敷設されているのである。
綾小路さんはこの区間を探索したくなった。いつかぜひ!
列車はこの後岩手上郷駅に停車、次いで遠野駅に停車した。
宮古駅への往復でもうひとつ不可能になったものがあった。それがこの遠野駅の撮影である。
駅舎が重厚な石造りで本来なら5分間の停車時間があり、もちろん撮影する予定だったのである。
しかしこの列車に停車時間はなかった。

その後もいくつかの駅に停車しながら花巻駅に到着した。
ここからは東北本線、しかし直通列車なのでそのまま盛岡駅まで運行した。


盛岡駅からは田沢湖線に乗車する。
実は秋田新幹線で秋田駅まで往復をした経験はあった。
線路は同じ1435mm、標準軌間の上を走る。
しかし在来線も乗車しないと全線制覇にはならない。
綾小路さん的に考えても同じである。

盛岡駅の一番奥の8、9番ホームが田沢湖線の専用ホームである。
ホームの線路は1435mm間隔で敷設されている。
したがって東北本線や山田線、IGRいわて銀河鉄道など狭軌(1067mm)の列車は乗入れできない。
隣のホームからでないと見えないがこのホームの北側には田沢湖線の0キロポストが設置されている。

盛岡駅からは区間列車を利用して小岩井駅(左)と雫石駅(右)に下車した。


田沢湖線では盛岡駅から大曲駅までの直通列車は1日3往復しかない、違った上り列車は2本だった。
何というローカル線、ではない。秋田新幹線が開業したので並走する在来線が削られたのである。
その中の一本、18時03分盛岡駅始発の列車に小岩井駅から乗車した。
30分後に田沢湖駅に到着、ここで交換列車待ちとなる。
交換列車はもちろん新幹線、その間に秋田行きの新幹線も追い越していった。
田沢湖駅を発車した列車は19時25分には角館駅に停車する。
外はすでに暗い、ここで昨日撮影の写真を掲載する。
駅舎は町のシンボル、武家屋敷を模した造りとなっている。
ここからは昨日に乗車しているのでこれで田沢湖線は完乗となった。

(左)田沢湖駅 (右)角館駅 昨日撮影

角館駅からは20分で大曲駅に到着した。

田沢湖線は盛岡、大曲の双方から敷設が進められた。
盛岡側は1921(大正10)年6月26日に橋場線盛岡−雫石間が開業した。
橋場線はこの後、橋場(その後に廃止)まで開業した。
大曲側は1921(大正10)年7月30日に生保内線大曲−角館間が開業。
その後神代まで開業し、1923(大正12)年8月31日に神代−生保内(現田沢湖)間が開業した。
橋場−生保内間は生橋線として工事着工されたがその後永らく中止となった。
1958(昭和33)年に工事は再開され1964(昭和39)年9月10日に雫石−赤渕間が開業。
1966(昭和41)年10月20日に赤渕−生保内間が開業して生橋線が全線開通した。
そして橋場線、生保内線、生橋線を統合して田沢湖線としたのである。

大曲駅 (左)駅舎 (右)田沢湖線終点の標識 共に昨日撮影

大曲駅では奥羽本線に乗り換えた。
ちなみに秋田新幹線はここでスイッチバックする。
秋田新幹線に乗車した時には眠っている間にスイッチバックしていた。
寝過ごして終点まで行って折返したかと思ったものだ。
そこから約1時間、秋田駅に到着したのは9時過ぎだった。
今日もへとへとになった綾小路さんはビジネスホテルに向った。

綾小路さんの漫遊は北東北漫遊(五能線)に続く!


八戸 久慈 陸中山田 大槌
盛岡 宮古 津軽石 両石
花巻 遠野 陸中大橋 釜石 吉浜 三陸
北上 猊鼻渓 摺沢 綾里
一ノ関 陸中門崎 千厩 折壁 大船渡 細浦
東京 気仙沼 上鹿折 陸前矢作
前谷地


青森 角館 神代 雫石 小岩井 盛岡
秋田 大曲 田沢湖 赤渕
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