2003.05.30
北東北漫遊(大船渡線・三陸鉄道南リアス線・田沢湖線)
北東北漫遊も折返して4日目となった。
今日はまず大船渡線に乗車する。
その大船渡線の起点はここ一ノ関駅である。
ちなみに”トク得北東北パス”は岩手県では最南端の一ノ関駅まで有効である。
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一ノ関駅 (左)駅舎 (右)大船渡線分岐(左カーブが大船渡線) 共に昨日撮影
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ジャパネットたかた、もとい陸前高田駅を過ぎてからようやく海が見えてきた。
やはり左側に座ったのは失敗だった。
しかしたまにはこんなこともあるさ。
海が見えるといってもそうは絶景ではないと強がる綾小路さんであった。
そして列車は路線名称になっている大船渡駅を過ぎ終点の盛駅に到着した。
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盛駅 (左)JR駅舎 (右)三陸鉄道駅舎
大船渡線は一ノ関駅から順次敷設されていった。
1925(大正14)年7月26日に一ノ関−摺沢間が開業した。
その後、千厩、折壁、気仙沼、上鹿折、陸前矢作、細浦、大船渡までと順調に延伸して行った。
1935(昭和10)年9月29日に大船渡−盛間が開業して全線開通した。
盛駅からは三陸鉄道南リアス線に乗換えである。
大船渡線と三陸鉄道は盛駅でスイッチバックしている。
この理由はおそらく反対方向に岩手開発鉄道が岩手石橋まで通じているからだろう。
現在は旅客営業は廃止して貨物営業のみとの事で時刻表にも載っていない。
しかしここに到着するまでスイッチバックになっているとは気付いていなかった。
その上、乗換え時間も10分間の計画だったので周辺をじっくり観察できなかったのであった。
ともあれ8時53分に釜石駅に向け列車は発車した。
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釜石駅までやってきた綾小路さんであるが、ここまでは当初の計画通りに運んでいた。
ここから釜石線、東北新幹線を乗りつぎ盛岡駅まで漫遊。
盛岡駅からは昨年開業したばかりの八戸新幹線で八戸駅までの往復体験である。
その後は田沢湖線に乗車、秋田駅で下車して宿泊。
これが札幌を出発する前に立てていた計画であった。
しかし宮古駅まで道路地図を取りに行く事となった。
釜石駅か盛岡駅に搬送してくれれば計画通りに運ぶがその願いは聞き入れてくれなかったのである。
そこでこれからの計画を練り直した。
釜石駅からわずか55キロの距離であるし、大した事にはならないと思われた。
ところが宮古駅まで行くのはいいがそこからが問題だったのである。
宮古駅から盛岡駅に至る山田線は一日4便しかなく釜石駅まで往復するのが得策だった。
これでも帰りの列車は宮古駅で1時間30分待ちとなる。
しかしその計画に変更すれば八戸新幹線の乗車が叶わないくらいのもので済む。
結局は綾小路さん、絶好の八戸新幹線乗車の機会を逃す事となった。
何しろタダである。今後こんなチャンスがあるかどうか。
しかし旅行中に忘れ物を取りに行くのである。
それぐらいで済むのであればよくよく考えれば本当に不幸中の幸である。
ラッキーな事に乗車してきた三陸鉄道は山田線直通列車であった。
そのため宮古駅まで行くのに待ち時間もなくそのまま乗車できたのである。
釜石駅に停車する事8分、列車は9時51分に宮古方面に向け発車した。
発車後、釜石駅の構内を抜けようという時であった。
転車台を発見したのである。あっと思ったがラッキー、また戻って来るではないか。
道路地図を取りに行かずにこのまま釜石線に乗車していたら、最悪見落とした可能性もあった。
これぞ災い転じて福となすである。
列車は釜石駅からひとつ目の駅となる両石駅に到着した。(左)
停車時間はなかったがちょうど座席の位置がいいアングルとなった。
鵜住居駅の次の大槌駅では交換列車待ちで3分間停車した。(右)
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津軽石駅から途中ひと駅に停車して宮古駅に到着した。
一昨日に立ち寄った時には2日後にまた来るとは夢にも思わなかった。
ともあれさっそく落し物受付の窓口に行き、道路地図は無事綾小路さんの手元に戻ってきた。
しかしこの事で八戸新幹線には乗車できなくなったのである。
”うれしさも半分なるかな、宮古駅。”
このあと釜石駅の転車台の撮影チャンスもできたし悪いようには考えない事にした。
さて1時間30分もある。昼食は宮古駅に駅弁を卸している魚元にでも行ってゆっくりとるか。
まずは駅内部で列車の時間を再確認しておかねば。
あれっ、乗車予定の12時57分発の列車があるがその前に11時54分発の列車があるではないか。
臨時列車でも普通は時刻表に載っているものなのにその列車は載っていなかった。
さっそく切符売り場で聞いてみたが時刻表には載っていないが運行しているとの事であった。
これは土、日、祝日限定の快速”ぐるっとさんりくトレイン号”という列車である。
この列車は盛岡駅を9時45分に発車して山田線で宮古駅まで運行。
そこから釜石駅まで運行して一旦宮古駅に引返すのである。
そして再度釜石駅まで行き釜石線で遠野、花巻駅を経由して盛岡駅に19時15分に帰ってくる列車である。
要するに宮古−釜石間を列車が往復している間に観光ができるというものであった。
これだと東京からでも1日で観光が可能との事らしい。
しかし強行日程ばかりの綾小路さんでさえこんな計画は立てない。
どうせ往復の運賃がかかるし1本の列車で旅行する必要性もない。
これに似たものに五能線の蜃気楼ダイヤがある、内容はほとんど同じである。
しかしこちらは時刻表にまったく載っていないので”蜃気楼”ではなかった。
話が長くなったがその列車に乗車する事にした。
その列車でも予定だった12時57分発の列車でも釜石駅発の列車は変わらなかった。
しかし予定の列車では釜石駅で探索時間がわずか6分しか取れなかったのである。
”ぐるっとさんりくトレイン号”に乗車、さすがにいい車両だった。
快適な上に今日はかなり空いていた。
ここで昼食とする事にした。
時間が早かったので予約なしでも”魚元”の駅弁を購入できたのである。
この駅弁は豪華!何といちご弁当より高いのである。
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宮古駅弁 北の祭弁当 ¥1220 魚元
釜石駅への復路は快適な時間だった。
たまにはこういう快適さもいいものだ。
そして釜石駅の手前で列車内からも転車台が撮影できたが外からでも間近に見れそうだった。
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釜石駅 (左)JR駅舎 (右)転車台
”ぐるっとさんりくトレイン号”内で駅弁を食べてからまだ2時間も経っていなかった。
しかしここにはそれでも食べたいというものがあった。
三陸海岸で”うに”の次は”めかぶ”である。うーん、でりしゃす。
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釜石駅そば めかぶそば ¥390
釜石駅からは釜石線で盛岡駅まで直通の快速列車に乗車した。
しかし14時17分発車のその車両は北上線と同じ窓が開かないキハ100系。
快速でもあり通過駅も多い、車内も込んでいてこれは撮影は厳しいなと思った。
これが宮古駅まで往復しなければどうだったかというと2本早いその列車も快速だった。
釜石駅を発車して20分ぐらい経った。 |
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この付近は難所で改軌工事前の軽便鉄道時代は陸中大橋駅から仙人峠越えの区間は索道だったという。
その索道も荷物専用で乗客は3時間も山道を歩いて峠越えしたという。
現在は180度のターンで仙人峠を避け、南側に迂回して線路が敷設されているのである。
綾小路さんはこの区間を探索したくなった。いつかぜひ!
列車はこの後岩手上郷駅に停車、次いで遠野駅に停車した。
宮古駅への往復でもうひとつ不可能になったものがあった。それがこの遠野駅の撮影である。
駅舎が重厚な石造りで本来なら5分間の停車時間があり、もちろん撮影する予定だったのである。
しかしこの列車に停車時間はなかった。
その後もいくつかの駅に停車しながら花巻駅に到着した。
ここからは東北本線、しかし直通列車なのでそのまま盛岡駅まで運行した。
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盛岡駅からは区間列車を利用して小岩井駅(左)と雫石駅(右)に下車した。
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田沢湖線では盛岡駅から大曲駅までの直通列車は1日3往復しかない、違った上り列車は2本だった。
何というローカル線、ではない。秋田新幹線が開業したので並走する在来線が削られたのである。
その中の一本、18時03分盛岡駅始発の列車に小岩井駅から乗車した。
30分後に田沢湖駅に到着、ここで交換列車待ちとなる。
交換列車はもちろん新幹線、その間に秋田行きの新幹線も追い越していった。
田沢湖駅を発車した列車は19時25分には角館駅に停車する。
外はすでに暗い、ここで昨日撮影の写真を掲載する。
駅舎は町のシンボル、武家屋敷を模した造りとなっている。
ここからは昨日に乗車しているのでこれで田沢湖線は完乗となった。
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(左)田沢湖駅 (右)角館駅 昨日撮影
角館駅からは20分で大曲駅に到着した。
田沢湖線は盛岡、大曲の双方から敷設が進められた。
盛岡側は1921(大正10)年6月26日に橋場線盛岡−雫石間が開業した。
橋場線はこの後、橋場(その後に廃止)まで開業した。
大曲側は1921(大正10)年7月30日に生保内線大曲−角館間が開業。
その後神代まで開業し、1923(大正12)年8月31日に神代−生保内(現田沢湖)間が開業した。
橋場−生保内間は生橋線として工事着工されたがその後永らく中止となった。
1958(昭和33)年に工事は再開され1964(昭和39)年9月10日に雫石−赤渕間が開業。
1966(昭和41)年10月20日に赤渕−生保内間が開業して生橋線が全線開通した。
そして橋場線、生保内線、生橋線を統合して田沢湖線としたのである。
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大曲駅 (左)駅舎 (右)田沢湖線終点の標識 共に昨日撮影
大曲駅では奥羽本線に乗り換えた。
ちなみに秋田新幹線はここでスイッチバックする。
秋田新幹線に乗車した時には眠っている間にスイッチバックしていた。
寝過ごして終点まで行って折返したかと思ったものだ。
そこから約1時間、秋田駅に到着したのは9時過ぎだった。
今日もへとへとになった綾小路さんはビジネスホテルに向った。
綾小路さんの漫遊は北東北漫遊(五能線)に続く!
八戸 | 久慈 | 陸中山田 | 大槌 | |||||||
盛岡 | 宮古 | 津軽石 | 両石 | |||||||
花巻 | 遠野 | 陸中大橋 | 釜石 | 吉浜 | 三陸 | |||||
北上 | 猊鼻渓 | 摺沢 | 盛 | 綾里 | ||||||
一ノ関 | 陸中門崎 | 千厩 | 折壁 | 大船渡 | 細浦 | |||||
東京 | 気仙沼 | 上鹿折 | 陸前矢作 | |||||||
前谷地 |
青森 | 角館 | 神代 | 雫石 | 小岩井 | 盛岡 | |||||
秋田 | 大曲 | 田沢湖 | 赤渕 | |||||||
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