2003.05.29
北東北漫遊(花輪線・秋田内陸縦貫鉄道)
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少し時間があったのでいったん盛岡駅まで戻り、花輪線直通列車に始発駅から乗車する事にした。
始発駅から乗車すると座席のいい場所が確保できる。
それに少し時間が早いかもしれないが駅弁が購入できるかもしれないという期待もあった。
しかしそちらの期待は見事に裏切られたのであった。まだ7時前だしなあ。
駅そばはすでに営業していたがそばを食べる時間はなかった。
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花輪線は私鉄の秋田鉄道としてまず1914(大正3)年7月1日に大館−扇田間が開業した。
その後、大滝温泉、末広、毛馬内(現十和田南)へと順次延伸した。
1923(大正12)年11月10日に毛馬内−陸中花輪(現鹿角花輪)間が開業して秋田鉄道が全線開通となった。
一方、好摩側からは国鉄が建設を進め1922(大正11)年8月27日に花輪線好摩−平館間が開業した。
その後、赤坂田、荒屋新町、田山へと順次延伸した。
1931(昭和6)年10月17日に田山−陸中花輪間が開業して花輪線が全線開通した。
1934(昭和9)年6月1日、秋田鉄道は国有化され花輪線に編入され現在の形となった。
鹿角花輪駅を発車した列車はいつの間にかまた田園地帯に戻りスイッチバックの十和田南駅に到着した。
ここでも列車交換のため11分間の停車となった。
このような平坦地でスイッチバックになるのは疑問に思い車掌に聞いてみた。
するとやはり大昔には反対方向に私鉄が通じていたという。
誰もわざわざスイッチバックには作らないだろう。
しかし高松駅は予讃線と高徳線でスイッチバックになっている。
これはしかし本州方面との連絡を考えた結果であろう。
青森駅も同様か。
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十和田南駅 (左)駅舎 (右)スイッチバック方面
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大館駅では首尾よく”鶏めし”を購入する事ができた。
秋田県で鶏といえばもちろん”比内鶏”。
比内鶏は、薩摩鶏、名古屋コーチンと並ぶ日本三大美味鶏の一つとして全国に知られている。
しかし純粋な”比内鶏”は天然記念物に指定されていて食用にはできないらしい。
そこで比内鶏の雄とシャモの雌を交配して生産した”比内種”が一般的に比内鶏として販売されている。
難しいウンチクは置いておいてこの鶏めし、比内鶏のスープで炊いたご飯に鶏肉、鶏卵を使用した逸品である。
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大館駅弁 鶏めし ¥850 株式会社 花善
大館駅で奥羽本線の上り列車に乗換えて出発した。
このあとは横手から北上を経由して一ノ関で宿泊する計画を立てている。
そこで横手までどう行くかを考えたのである。
このまま奥羽本線で行くのも芸がないなあ。
そうだ秋田内陸縦貫鉄道に乗ってみるか。
第三セクターではあるがいずれは通る道である。
それに奥羽本線は何回か乗車した事があるし。
という訳で鷹ノ巣駅で下車して秋田内陸縦貫鉄道に乗換える事にした。
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鷹ノ巣駅 (左)JR駅舎 (右)秋田内陸縦貫鉄道駅舎(鷹巣駅)
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西鷹巣駅、小ヶ田駅、大野台駅とホーム一面に待合室の無人駅が続いた。
次の合川駅には島式ホームがあり交換列車とすれ違った。
秋田内陸縦貫鉄道では数少ない有人駅である。(左)
無人駅の上杉駅の次に米内沢駅に到着した。(右)
有人駅であるが対抗ホームの線路はすでに撤去され列車交換は出来ない。
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列車は林の中を走る区間が多いが駅周辺は何かしら集落があり田園が広がっている。
次の桂瀬駅は無人駅であるが阿仁前田駅は温泉駅のようである。(左)
前田南駅、小渕駅と無人駅が続き運転系統が変わる阿仁合駅に到着した。(右)
ここが中間では最後の有人駅となる。車両基地にもなっているようである。
このあとは委託駅がひとつあるだけで残り15の中間駅はすべて無人駅となる。
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荒瀬駅、萱草駅、笑内(おかしない)駅に引続き岩野目駅に到着した。(左)
すべてホーム一面に待合室の駅である。
そしてこれが秋田内陸縦貫鉄道駅のスタンダードであった。
次の比立内駅が沿線で唯一の委託駅である。(右)
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そして奥阿仁駅に続き阿仁マタギ駅に到着した。
すごい駅名だ。猟師の里か?
このあと長いトンネルに入り車内放送が流れた。
なんでも十二段トンネルといって5697m全国で11位、東北では3位の長さらしい。
ここで綾小路さんは頭の中で考えた。
青函トンネルは50キロ以上ある。(53850m)
上越3兄弟があるなあ。(清水9702m、新清水13500m、大清水22221m)
丹那トンネル(7804m)はどうだろうか、新丹那トンネル(7959m)は間違いないな。
そうそう在来線の最長は北陸トンネル(13870m)だった。
頚城トンネルもそれに迫っていたはず。(11353m)
只見線の六十里越えトンネルも長いはず。(6359m)
ここまですらすら出たがあとは続かなかった。
トンネルを出て戸沢駅、続いて上桧木内駅に停車した。(左)
ここで1日に上下1本ずつの急行列車待ちとなった。
左通駅、羽後中里駅、羽後長戸呂駅と相変わらずコピーしたような駅だ。
しかし松葉駅や八津駅(右)は少し派手なカラーリングだった。
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西明寺駅と羽後太田駅を過ぎると94.2キロの終点が近い。
左手からは標準軌間1435mmの田沢湖線(秋田新幹線)が迫ってきた。(左)
そしてそのまま並走して城下町である角館駅へ到着した。(右)
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秋田内陸縦貫鉄道は1934(昭和9)年12月10日に国鉄阿仁合線として鷹ノ巣−米内沢間が開業した。
その後、阿仁前田まで開業して1936(昭和11)年9月25日に阿仁合までが開業した。
ここから比立内までが開業するには長い期間がかかり1963(昭和38)年10月15日の事であった。
一方、角館側は1970(昭和45)年11月1日に角館線角館−松葉間が開業した。
その後も工事は進められたが赤字ローカル線の対象になり中断された。
1986年(昭和61)年11月1日に阿仁合線、角館線は第三セクター秋田内陸縦貫鉄道に移管された。
その時にはすでに比立内−松葉間の工事は再開されていて全線開業する事が決定していた。
この区間は1989(平成元)年4月1日にようやく開業、全線開通となった。
その後は角館駅から田沢湖線で大曲駅まで行き奥羽本線に乗換えて横手駅で下車した。
ここでは北上線も分岐していて鉄道の要衝である。
現在も何本もの線路が敷かれていて広い構内を誇っている。
転車台や給水塔は見当たらないがSL時代にはあった事であろう。
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横手駅 (左)駅舎 (右)駅構内
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横手駅からは北上線を終点の北上駅まで乗車した。
しかしこの路線はなかなかやっかいである。
列車交換は1回(ほっとゆだ駅が多い)で列車の窓も開かない。
手元にある写真もほっとゆだ駅のみである。
焼そばの友にしたビールの影響に旅の中だるみもありここは移動するだけであった。
北上駅に到着するとすでに17時30分。
ここから新幹線で一ノ関駅へ到着した。
今日は駅前のビジネスホテルに宿泊である。
駅に到着して購入したい駅弁があった。
前沢牛めしである。時間が時間だけに残っているか分らなかったが1個だけ残っていた。
これを購入してホテルにチェックインして夕食とした。
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一ノ関駅弁 前沢牛めし ¥1050 (株)斉藤松月堂
さあ、明日も早い。
綾小路さんの漫遊は北東北漫遊(大船渡線・三陸鉄道南リアス線・田沢湖線)に続く!
十和田南 | 鹿角花輪 | 田山 | 荒屋新町 | ||||||||
大滝温泉 | 末広 | 赤坂田 | |||||||||
扇田 | 阿仁前田 | 阿仁合 | 岩野目 | 平館 | |||||||
大館 | 米内沢 | 上桧木内 | 比立内 | 好摩 | 八戸 | ||||||
鷹ノ巣 | 合川 | 松葉 | 八津 | 厨川 | 久慈 | ||||||
東能代 | 秋田 | 大曲 | 角館 | 盛岡 | 宮古 | ||||||
横手 | ほっとゆだ | 北上 | 釜石 | ||||||||
福島 | 一ノ関 | 盛 | |||||||||
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