![]() ☆★☆ たこやきめぐり 第10回 ☆★☆
熊谷 真菜![]()
思い出せば1983年、先代夫妻にお会いし、2時間あまりおはなしをうかがった
ことは、私のたこやき研究の出発点でした。
だしとソース、そして何もつけないたこ焼という3つの形態を確認することで、
たこやきのルーツ探究はよりスムーズに運んだのです。
屋号の示すとおり、遠藤さんは福島県の出身です。
当時の大阪は東京以上に発展し、活気づく町でした。
そこへやってきたまだ若い遠藤さんがはじめたのは、
たこ焼の前身であるラヂオ焼の屋台だったのです。
ラヂオ焼とは、肉系統をぬいたお好み焼きをたこ焼の型で焼いたものだと
思ってください。
味ももうひとつ、子供がおやつがわりに1個2個単位で買っていく
小さな食べものを、大人の味に高めようと、
遠藤さんの試行錯誤がはじまりました。
毎日失敗作を食べながら、やがて会津屋の味が確立されていったのです。
昭和8年ごろには、すじ肉などを甘辛く煮たものを具につかったりもしていた
ある日、「ここは肉かいな、明石はタコ入れとるで」というお客さんの
ことばをきっかけに、タコがはいったラヂオ焼、つまりタコ焼の誕生です。
でも道具屋筋のおじさんによれば、たこ焼の鉄板は、戦前はまだラヂオ焼の
鍋として売っていたということです。
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