りーん、りーん。

 外から聞こえてくる羽音が、すっかり深まってきた秋を感じさせる週末。

――ご覧下さい、この素晴らしい夜景っ。さすがは最上階の――

 ごろごろと転がりながらイリヤがテレビを見ている。
 何と言うか新都のデートスポットを女性レポーターが独りで騒ぎながら紹介してまわる空しい番組。

「イリヤ…それ、面白い?」

 お茶を啜りながら私。
 隣ではテーブルに新聞を広げている士郎。ちょっとお邪魔してテレビ欄を覗いてみる。
 うーん、裏でやってる料理対決番組のほうがまだ実益を生むんじゃないかな。
 士郎なら、これたべたーいとか言ったらあっさり作ってくれそうだし。

「あら。リンも結構ロマンが無いのね。士郎と同じくらいに」

 そう言ってごろごろとこっちを向いてしらけた顔。
 ん?何か呼んだか?と士郎も顔を上げる。
 確かにどちらかと言えば現実主義だけどこの馬鹿ほどでは無いと思う。

――星の綺麗な夜はこういった素敵な所で2人っきり、ロマンチックに過ごしたいですね――

 テレビから彼女に賛同するような声が。途端イリヤの顔がニヤニヤに変わって。
 …あからさまに含みのある表情しないでよ。

「…何よ」

「訊いちゃってもいいのかなー」

「だから何だってばっ」

 ばんばんっとテーブルを叩くと、それまでご機嫌だった虫の音がぴたっと止まる。

「くすくす。じゃあ訊くけど。ねえ、士郎とリンはデートしないの?」

 のあっ。出し抜けに何を聞いてくるのチビッコっ。
 と、心の中だけでこけて顔はあくまで冷静に。この白い奴に動揺を見せちゃいけない。

「…何を言うかと思えばそんな事なの?私たち大抵一緒に居るんだから別に、ねえ?」

 隣を見る。
 …あの、何故急に難しい顔になってるの?

「士郎?――ねえったら」

 その肩を掴んでゆさゆさ。

「あ、ごめん。いや確かに思い返すと…したことないよな」

 うがーっ。そっち側で話に乗ってくるな赤くなるなっ、多分イリヤの思う壺よっ。

「だ、だいたい藤村先生と桜がちょっかい出してくるに決まって…」

「でもでも、今は2人ともガッシュクっていうのに行ってるんでしょ?」

 あう。収拾失敗。
 …そうなのだ。
 運動部のエースと顧問、合宿ぐらいたまにはあるだろうしその場に2人抜きという事はあり得ない。

 で、現在正に合宿の真っ最中。帰宅は3日後。

「ほら丁度いいじゃない。行ってらっしゃいよ。もちろんわたしは邪魔しないでお留守番しててあげるから」

「…貴女絶対なにか企んでる」

「もう。人の好意は素直に受け取るものじゃなくて?」

 そんな邪悪な微笑みは生涯素直には受け取らないわよっ。

「で、デート…か…。俺と、り、凛が…」

 お手軽かつ完璧に篭絡されてるわね貴方。
 …そりゃあ改めて考えたらさ、私だってちょっとしてみたくなってるけど――。





 結局――。

 明日は朝からお出かけする事にした。
 下らない筈のテレビ番組も最後まで見ちゃった。情報はある程度持っておかないとね。
 イリヤの思い通りみたいで微妙に釈然としないものがあるけどまあいいわ。
 寝床に入って静かになると、頭の中はもうデートの事でいっぱい。

 …眠れるのかしら私。何処行こうかなー。何しよっかなー。うにゃー、ほ、頬っぺたが勝手にっ。

 だめっお休みなさいっ。
 ばふりと布団をかぶって、浮つきまくる思考と虫の音をシャットアウトして落ちていった。





――絆の橋、永遠の朱――





 次の朝、あり得ない目覚めの良さ。寝ても覚めても、っていうのはこういう事なのかしら。…ちょっと違うか。
 窓の向こうは100%の青空。よしっ、っとガッツポーズが勝手に出てしまいます、うふふ。
 服を着替えて髪を整えて。
 元気に挨拶、ぐいっと牛乳、美味しい朝ご飯。士郎?驚いてる?貴方のせいなんだからね。

「じゃあわたし先に出かけるから戸締り宜しくね。あ、お夕飯は勝手に食べるから遅くなってもいいわよー」

 イリヤの奴どこかに電話してるな、と思ったらその足で出掛けて行ってしまった。
 彼女も何か約束してた相手がいたのかな。私たち以外にも知り合いくらいいるか。
 おかげでこっちも気兼ねなく遊べるわ。

「いってらっしゃーい。――で、俺たちはどうするんだ?」

「普通男の子が考えるモノだと思うんだけど。…まあとりあえず新都に行かないとねー」

 商店街デートなんて何処を切っても笑い話にしかならないので必然そうなる。
 手には小さなバッグと…カメラを持って。いや強引に持たされて。

「…イリヤ、コレで一体何を撮ってこいっていうのかしら」

 そんなに大層なものではなく何処にでも売ってる只の使い捨てカメラ。
 軽いから持ち歩くのはいいんだけどね…。36枚も使いきれるかな。

「ははは。よく解んねえけど多分、楽しいなーって思った時に写せばいいんじゃないか?」

 あら。士郎にしては真っ当な意見だわ。うーん。まあ採用、そのセンでいこっか。
 じゃあ先ずは。

 ぱしゃっ。

「…今間違いなく俺のどアップ写ったぞ、あとすげえ眩しい」

 うん。楽しいから撮ったの。あは、案外あっという間かも。
 むしろ途中で切れたらもう1個買うわきっと。折角だから何処かでアルバムも揃えちゃおう。
 やっぱりイリヤの掌の上かな。でもウキウキが暴れまくってるから気にならない。


「そろそろ私たちも行きましょ?」

 予想通りというか、新都に着くまでに半分も撮ってしまう羽目に。





「くそう、何を着ても似合うなんて反則だぞ」
「…やっぱり貴方はエプロンが何より似合うわね」

 お互いに似合いそうな服を試着しまくったり。


「大丈夫だってば。入ったからって絶対買わなきゃいけない訳じゃないんだから」
「でも万が一何か気に入っちまったらどうすんだっ」

 腰の引ける士郎を無理矢理引きずってジュエリーショップを冷やかしたり。


 向かい合って座ったレストランでは、

「むー、そっちの美味しそう。ちょっとだけ頂戴?」

 あーん、なんてして悪戯もした。


 貴方は行きたい所無いの?って聞いたらファンシーショップなんかに連れて行かれたのには笑っちゃった。
 でも眼に留まったライオンのぬいぐるみを2頭、思わず衝動買いしたけどね。

 そこらじゅうで肩を寄せ合って写真も撮った。
 多分いい写真ばかり撮れてるわ、モデルが良いもんね?ええ、もちろん貴方もよ。



 楽しい時はあっという間っていうのは本当。
 寝床へ帰る時間だよと、鳥たちが群れを成して先導するように飛んで行く。
 その空、赤いスクリーンの下を同じくらい頬を染めてふたりで歩いて行く。
 はしゃぎすぎて少し疲れたけど、足取りはまだまだ元気に。
 と――。




 くいっ、と手を引かれ振り返る。
 彼が立ち止まった場所、そこは。


 地平に染みゆく太陽によって瞬く川面。
 遠景には、やはり太陽で赤く支配された町並みが広がる。
 それらを見渡せる橋の上。

 士郎?ここ――
 尋ねようと顔を見て、溢れる夕日をたたえた表情で理解する。



 …ああそうか。そうなんだ。
 貴方と彼女の大切な場所なのね。
 そういえば前にも何度かここで固まってた事があったっけ。その時はいつも私は待つだけだったけど。
 ぎゅ。
 これからは私は隣。手を握って。
 次第に歪みを大きくしながら眠りに就いてゆく大きな光を眺める。


 セイバー、士郎も私も頑張ってるよ。
 たまに転んだりしてるけど、それも結構楽しいわ。

 今日は彼とデートしちゃったの。
 うふふ。ぬいぐるみ、部屋に飾っておくね。また貴女を思い出す機会が増えるわね。
 たまに抱いて寝てもいいかな。夢で逢えた時はよろしくねっ。


 さぁっと風に撫ぜられる。一瞬彼女の微笑が見えた気がしたのは、勝手な想像かな。



「ん。凛、こっちは済んだ」

「…彼女に何か言ってあげたの?」

「ああ。俺がちゃんと生きて、ちゃんと死ぬ日まで見ててくれって」

 うん。

「もちろん凛の傍で生きていく、ってもな」

 うんっ。

「じゃ、またこよっか」

「ああ」

 お互いに確かな笑みと言葉に満足して、また橋を渡っていく。
 ――ふと思い立って、既に3個めに突入しているカメラを見ると。
 あ。あと2枚ある…。
 士郎、ちょっとだけ屈んで?うんそう。えいっ。

 ぱしゃっ。

 燃える空をバックに肩を組んで1枚。うまく2人――いえ、3人とも入ったかな。
 彼女のおかげで逆光になっちゃったかも。でも間違いなく1番の写真になるわ。

「ぶっ。実はお前結構カメラ気に入ったか?」

「かもねー。そうだ、残り1枚はイリヤも無理矢理入れて写しちゃいましょっ」

「ははっ。それいいな、そうしよう」

 それだけじゃないわ。今度また写真を撮る時は桜も藤村先生も、綾子も柳洞君もみんな入れましょ、ね?


 踊る影もふたつ手を繋いで。長く長く伸びていつのまにか、星空にとけていた。







 大分遅くなっちゃった。
 帰ってくると、衛宮家にはもちろん明かりが付いている。

「「ただいまー」」

 靴を脱ぎかけた所で――。

 ん、何この靴。イリヤのにしては少し大きいわね。
 いや彼女のは隣にあるし。

 ま、いいか。

 居間を覗くと。

「あ、おかえりー」
「遅かったじゃないかふたりとも。楽しんできたか?」

 うん。ただいまイリヤ。
 …えーっと。
 その隣でくつろいでる貴女。なんか見覚えが…そうそう、私の後ろの席の奴に瓜二つ――

 って待ちなさいよ。

「…なんで綾子が居るのよ」

「わたしが呼んだから」

 いやそうじゃなくてっ。

「綾子合宿はっ?っていうかアンタ達いつの間に知り合いになってたのっ!?」

「質問は1つずつにしてくれよ。えーっと、合宿は…有給休暇?あたしが居なくても何とかなるし?」

 半疑問形にするな首を傾げるなっ。

「イリヤちゃんとは…ああそうだ、前に商店街で衛宮と彼女が歩いてる所にあたしが声を掛けてね」

 …そんなの一言も聞いて無いわよ士郎、いえイリヤさん?

「もー。アヤコは1日わたしに付き合ってくれた上にお夕飯まで作ってくれたんだから邪険に扱わないでよ」

「衛宮たちの料理に比べたら大した物じゃ無かっただろうけどね」

「ううん、美味しかったわ。それにお話もいっぱい出来たし」

「そうだね。お喋りが楽しかった事については大いに賛同するよ」

 きししー、と綾子はもちろんイリヤまで。
 今日の朝イリヤが電話してた相手って綾子だったんだ。
 …何か握られた気がする。息も合ってるしこの新コンビは大きな敵になるわ、魂がそう言ってる。


「まあイリヤが楽しくしてたならいいだろ、な?」

 そうなんだけどねー。代わりに失うものが大きすぎる気がしますー。
 あ、でも折角だから4人で写真、と言おうとして。

「さーて。留守番終わりっと。じゃ、ここからは若い2人に任せてイリヤちゃん行こっか」

 綾子に邪魔された。
 …ん?

「「え?行くって何処に?」」

 一字一句違わずハモる士郎と私。

「今日これからアヤコのお家にお泊りしてくるから」

「「へ?」」

 またハモった。

「あはは。両方ボケの夫婦漫才か?ちょっと珍しいかも」

「でもこの先の展開はボケじゃ済まないわよね」

 そこへ息ピッタリでツッコミ2発。


「まあそーいうコトで。話はまたいずれ宜しくな。うひゃ駄目だっ。アンタ達2人っきりー、なんてちょっと想像しただけでこそばゆいっ」
「頑張って、なんて言わなくてもいいわよね?じゃねー」

 手をヒラヒラさせて、スマイルの小悪魔2匹が仲良く消えていく。
 あ、あのっ、こらっアンタたち――

 がらがらー。がらがらー、ぴしゃ。もう遅かった。
 ひとの話を聞きなさいよぉ…。


 うるさいのが消えた。いや、でも。
 こ、こういう時に妙なお膳立てするみたいに消えられると困るんだけど…。
 残りのボケ2人はどうしたらいいのよぅ。

 イリヤと写真を撮る計画なんてあっさり吹っ飛んでしまった。
 …それどころじゃないッ。これって緊急事態よね、あうぅ。
 あいつらの馬鹿、彼も私も何だか意識しちゃうじゃないのっ。

 一気に静寂に叩き込まれた空気へ向かって神経が伸びる。
 虫の音も、少しの衣擦れも、自分の鼓動も彼の息遣いすらも過剰に聞こえてくる様。





「…」

「…あ、あのさ、凛」

 唐突に、彼がカクカクと動き出した。ななな何々っ!?

「ゆ、夕飯、食べるだろ」

「あ。そそそそうね」

 胸が痛い。早くもドキドキし過ぎてる、私。


 お夕飯を2人で食べる。…もう味なんて解んない。
 間違いなく美味しいはずなのに何だか彼の顔が見られなくて、会話がうまく出なくて。
 ごちそう様、と小さく言うのがやっと。

 緊張して食後のお茶の熱さにも気を留めず茶碗を口元へ。

「んあっ!」

 あう。幾らなんでもお茶は熱かった。

「馬鹿、大丈夫かっ」

 だっと寄って来た彼の手が、私の頬に添えられて。

「ほら、舌見せてみろ」

 軽くくいっと上に向けられちゃったりして、目の前には彼の顔。
 ぼーん。
 何かに引火しました。一気に沸点を超えそうになっちゃう。

 火の出た私の顔に彼も気付いて手を引っ込める。

「わ、悪いッ」

「あ…。うん、だいじょーぶ」



「…」

「…」

 りーん、りーん。

 虫さん達だけは冷静みたい。
 こっちはもう全然頭が働いてくれそうに無くなっちゃって、今日のデートのお話とかしたくても出てこないよぅ。
 術も無く誤魔化し誤魔化し綱渡りでお茶を冷ましながら飲むほか無いのがちょっと悲しい…。

 士郎も何だか落ち着かない感じで新聞のページを行ったり来たり。

「あー。て、テレビでも見るか」

「え、ええそうね」

 そうしよう。何でもいいから話すきっかけが欲しい。

 ぷちっ。つけた。

『――もう我慢できないよ先輩っ!大体先輩がそんな魅力的なお尻してるのが悪いんだッ!!(がばっ)』
『きゃっ!今は駄目よお鍋がっ!カレーが焦げちゃいます貴志君ッ!』

 ぷちっ。消した。


 …。9時過ぎたばかりだってのに何を放映してるのよっ。

 りーん、りーん。
 途端に私たちを冷やかしているみたいに聞こえてきた。

 うあああぁ、なんか空気が悪い方へ悪い方へいってる気がするんだけど。
 いや別に悪くは無いんだけどセイバーの時はちょっと(?)お手伝いしただけで私自身はまだだしっ。
 だ、だいたいあの時士郎なんか途中から1本外れてた気がするし、もしああなったらちょっと怖いよぅ…。

 りーん、りーん。

 はっ。ちょっと妄想が勇み足しちゃった。あうあう。
 き、気を強く持つのよ遠坂凛っ。すーっ、はーっ。…うんOK、あともうひと息落ち着こう。

「り、凛。お茶もう1杯のむ…」
「ねえ士郎、お茶もう1杯のま…」

「「あ」」

 どかーん。ベタな事を繰り返して遂に爆発炎上する心のガソリンスタンド。スタンドは彼と私。ガソリンも彼と私。火元もそう。

 お互い立ち上がろうとテーブルについた手がッ、手が重なっちゃったっ。

「あ、し、士郎…?」

 う、うあああぁ、今度は凄い見られてる見詰められてるッ。
 彼の瞳に映る私。そう、そこには私だけ。


 あっ――。


 士郎やばいって、私何かじんじんしてきたっ。体が動かないのッ。
 なんで手くらいで、ちょっと見詰められたくらいで今更っ。あ、でもいつもよりもっとあったかい気がする…。

 ぎゅ。

 あん、手、握られちゃった…ホントにまずいかも、感覚器が剥き出しになってるみたい。
 これだけで背中に鳥肌が立っちゃうなんてこれ以上――

 ぐいっ。

 …え。

 ぽふっ。



 りーん、りーん。



 …あ、あ。――あったかい…。
 彼の体温。彼の鼓動。彼の匂い。
 こうやって抱き締められる度、私の中に染み付いていく。
 一言で言えば幸せってしか表せないんだけど。


 でも。本当はもっと強く、深くまで。彼を刻み込みたいって思ってるのよね――


「ごめん凛。俺スイッチ入っちまいそうだ」

 ごめん士郎。私スイッチ入っちゃったみたい。



「あむっ…しろ…んふぅ」

 触れたい。感じたい。欲しい。
 唐突に唇を突き出し向かいのそれに重ねる。
 一瞬ビックリした後彼も求めた私に応えて唇を合わせてきた。

 耳の奥が痛いほど血が速度を速め、ますます上がる熱。
 互いに舌まで貪り、一息離れた2人に薄く架かった銀の橋が更に思考を吹き飛ばして。






「…ねえ。私の部屋――いこ?」






 もう虫の音も聞こえない薄明かりの下。

 跳ね上がった鼓動と吐息だけ、絡ませて融けていく。
 いっそう頭を弛緩させるのは部屋に濃く充満している2人の匂い。

「あっっ…くぅッ」

 この痛みは証と誓い。握り合う手は確かに繋がれている糸。


 感覚と温もりを頼りに抱き締め合うその先。
 彼の肩越しの月は、何処までも優しく見えた――。