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サイパンの海
 

親善大使

 相撲取りの大川真一は自宅から遠く離れた東京メトロ・清澄白河駅の出口を出たところに立っていた。今朝、彼は目を覚ますと、今日は大相撲4日目、対戦のために福岡会場に行かなければならないのに、理由もなく、九州の自宅から新幹線に乗ってこの駅にやって来た。どうしてなのか自分でも訳が分からないがこの町に来なければならない衝動に駆られた。今まで、ここを訪れたことも行ってみたいと思ったこともない。縁もゆかりもない。
「この不可思議な行動は何なんだ。僕は壊れてしまったのか」
 彼はそんな考えを持ちながら電車に飛び乗った。自分がどこへ行くかも分からない。不安でいたたまれたない気持ち。しかし、彼は自宅から離れるにつれ、何故だか徐々に安らかな気持ちになってきたから不思議だった。そして、この駅に到着した時、彼は目的地がこの町にあることを確信した。今までにない安らかな気持ちと充実したパワーが体中に収束されていることが自分でも分かった。
 彼は駅から導かれるままに歩き始めた。清澄白河駅から清澄通りの歩道を歩いていると、海辺橋のほうから、大きな声で数を数える老紳士がやって来た。
「23番目はどなたかな? どなたかな?」
 老紳士は何かの数を数えているようである。老紳士とすれ違う人は笑いながら挨拶をし、老紳士も愛想良く挨拶している。
 先ほどから大川の10メートルほど先を歩く小学生の女の子がいて、老紳士とすれ違いそうになったとき、老紳士は女の子に声を掛けた。
「お嬢ちゃんは幸せものですね。親善大使おめでとう。副賞に宇宙旅行が当たりました」
「あら、そうなの? うれしいわ。宇宙へ行ってみたかったもの」
 女の子は老紳士にこやかに返事を返した。
 老紳士は花束をたくさん抱えていた。大川の前にその老紳士は近づいた。
「おめでとうございます。あたなは選ばれし幸福な親善大使です。副賞は宇宙旅行です。どうぞお受け取りください。乗船切符です」
 大川の前に老紳士の手から花束が差し出された。老紳士の後ろには宇宙旅行に当選したと思われる人が並んで付いて来ていた。しかし、そんな、夢みたいな物が当たる訳がない。ドッキリカメラにしては全く真実味のない展開である。
「あの、これって、何かのイベントなのでしょうか?」
 大川は直立している老紳士に訊いた。
「この度、異星間交流制度ができたお祝いです。宇宙旅行は副賞です。この花束は宇宙旅行の切符になりますのでお持ちになっていて下さい」
 大川は真剣な顔で話す老紳士に少し憤慨した。
「あの、急いでいますから、他の方にお願いします」
 老紳士はにっこり笑って「また、後ほど」と言ってお辞儀をすると、通り過ぎた。老紳士の背中を目で追っていると、別の女性が老紳士にすれ違う。老紳士は女性にまた声を掛けている。
「こんにちは、ご機嫌よう」
 そう言って、老紳士は深々と頭を下げてその女性と離れた。この人はただ挨拶しただけである。誰にでも宇宙旅行の話をしているようではないようだ。
「変な人だ」
 大川は更に歩いて図書館の前の公園に来た。カメラを持った集団8名ほどが、公園に集まっていた。何かの撮影をしているように見える。その集団の一人が抱えているカメラを大川に向けている。その集団からアナウンサーらしき女性が大川の前にマイクを持って近づいて来た。
「親善大使、おめでとうございます。重責に対する心構えやご感想をお聞かせいただけますでしょうか?」
「え? 親善大使? 何のことでしょうか?」
 と大川が言葉を返すと、女性アナウンサーは困った顔をして、更に言葉を掛けてきた。
「この幸福な親善大使は誰でもと言うものではございません。重要な役目でありますから特別に選ばれた方には謝礼として宇宙旅行のプレゼントがございます」
 真顔で話す彼女はテンションが高くて大川まで引き込まれそうな乗りである。本当の話のように思ってしまう。そして、花を一輪差し出され、「宇宙乗船切符です」とまた言われたが、大川はそれを丁重に断った。
「ありがとう。これからあの建物に行かなければならないので、花は結構です」
 彼女はにっこり笑って、「では、また後ほど、お会いしましょう」と言って集団に戻っていった。
 大川は建物を見上げた。白亜の外壁、コリント式の柱、ギリシャの神殿を思わせるデザインである。彼は階段を上り、玄関の前に立った。自動ドアが開き、前に進み、二つ目の自動ドアが開くと、ファンファーレが鳴って天井からくす玉が割れて紙吹雪が降ってきた。
「おめでとうございます。異性間交流親善大使チーフ様のご無事のご到着でございます」
 館内アナウンスが響くと同時、拍手が巻き起こった。大川の周囲に集まった人を見ると、今まで動物図鑑でも見たことのない生物というのであろうか、いや、着ぐるみを着た人ではないかと思うほど、人類とはかけ離れた姿をしていた。一pほどの細さの足2本でドラム缶を支えているようなものもいた。しかし、どれも顔があって表情がある。目をくりくりしているのが分かる。希望に満ちた顔である。この人たちは大川たち地球人との交流を待っていたのである。大川は一人つぶやいた。
「どうやら紳士な異星人が、私たち地球人と真っ向勝負をしたがってるようですね。親善大使ですか。いいです。お受けしましょう。宇宙旅行、行ってみましょう」
 大川はここへ導かれやって来た理由がやっと分かった。大川は選ばれた自分を誇らしく思い胸を張って前に進みながら大きな声を出して集まった人に挨拶した。
「みなさん、ようこそ、地球へ」

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