ある挑戦

  ある挑戦


 カヌー教室 に参加した大川真一は胸をわくわくさせていた。日常を離れ、未知の川の探検に挑む。彼は新たな挑戦を目の前にし て気持ちが高揚していた。
「おっしやー、やったるでぇー」
 そんな風に意気込んで参加したカヌー教室も河川敷のそばにある小学校のプールを借りての基礎トレーニングを終了 し、次のステップは流れのある川に出てカヌーを操る実践トレーニングである。参加者は幾分緊張していた。
 その河川敷のトレーニングの初日、参加者は河川敷に直接集合することになっていた。真一が河川敷に現れると、既 に、数名が集まって談笑していた。川辺に はカヌーが係留されている。これからいよいよ本物の川に出るのである。開講時間になり、インストラクターが今日のカリキュラムを話し始めた。
「では、みなさん、本格的なカヌーによる船出です。安全第一でカヌーの醍醐味を存分に楽しみましょう」
 インストラクターの説明で、二人一組になってカヌーに乗ることになった。インストラクターは「近くの人とペアを組 んでください」と言う。参加者が一斉に近くをキョロキョロ見回し、側にいた人に互いが声を掛け合った。
「ねえ、やろうか?」
「あたしとでいい?」
「僕とどう?」
 そう言って、順々に各々がペアになっていく。30秒ほど経った頃、一人だけ、ペアになれない真一が残されてしまっ た。そんな真一に気が付かないまま、インストラクターはカリキュラムを進めていく。
「みなさん、ペアになりましたね。では、順番にカヌーに乗ってください。こぐ人は交代で行きますので」
 皆、各々がカヌーに乗り込んで川に出た。それぞれ、プールでの基礎トレーニングが実を結んでいた。乗ったカヌーの 上から皆が、操作に慣れて安定して水面 に停止できるようになると、河川敷で立っている真一の姿に気が付いた。それを見た教室参加者Bが真一を見て言った。
「あれ、あの人、カヌー教室を見学に来てる人?」
 すると、その声を受けて教室参加者Aが言った。
「違うんじゃない? だって、セーフティーベストを着て、パドルを持ってるもの。僕らと同じ教室の参加者じゃないか なあ? 多分……、でも、なんであんなところにいるのかな?」
 同じ河川敷に待機していたスタッフが真一に気が付いて真一の側に駆け寄った。
「体調がお悪いのですか? 気が付きませんで申し訳ごぜいません。カヌーに乗るのは止めてここで見学されるんです ね。それではあちらのテントの下に椅子を用意しておりますから、どうぞ」
 スタッフは真一に万が一に備えて用意していた救護所で休憩するよう促す。
 真一は、椅子のほうを促す係員を睨むように見つめた。そして、無言のまま、カヌーに乗っている参加者のいる川へ向 かって全力疾走した。河川敷の端まで来ると、真一は大きく川の中心に向かってジャンプした。弧を描き宙を舞う。
「オレなんか、俺なんか! くそー、ばっかやろー! 死んでやるーーーーーぅ」
 真一の声と同時に、パシャンという、真一の嫌に重い心とは反対に、実に軽やかな音が河川敷に響き渡った。彼の楽し い青春の良き思い出になるカヌー教室 が、悲惨なカヌー教室に変化した瞬間であった。水の中からやっと浮かび上がった真一はそのまま川下に流されていった。カヌー教室は大騒ぎになったのは言う までもない。真一は川下に流されつつ、川の水を時々飲み込みながら叫んだ。
「ねえ、僕、泳げなかったんだ、助けてー」
 数分後、真一は安全のため川下で待機させていたカヌーに乗ったスタッフに引き上げられ、とんでもない事件は幕を閉 じた。カヌー教室の参加者も暗い気持ち で三々五々散っていった。彼らもまたこの日のことは青春の1ページの思い出として記憶された。苦い思い出として。

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