オアフ島の夕日

出版製造責任者

 

 柴田源三郎は来る日も来る日も飲まず食わず、不眠不休で鉢植えに水を差していた。彼は教室に敷き詰められた鉢植えを1鉢ずつ丁寧に如雨露(ジョウロ)で水を差していく。秋の収穫まで毎日この繰り返しである。       

 夏も真っ盛り日差しが強いとき、源三郎は特に鉢植えに水を欠かさないように、細心の注意をはらう。この時期の水忘れは果実に乱丁、落丁が多発するからである。脱字などが多発したら最悪である。

 何処の研究室もこの大事な時期の事を知っているので、採り入れの予想をするためにこの農学校を時々偵察に訪れる。少しでもいい果実を手に入れたいのである。

「源さん、今年はどんな按配ですか?」

 有名大学の研究室に籍を置く小野寺が源三郎に聞く。

「秋になんねーと分からんが、今年もレベル10で目を光らせちょるから、いいもんができると思うちょるよ」

 源三郎は天井に燦々(さんさん)と光る人工照明を仰ぎ見ながら答えた。

 小野寺は源三郎の作るオールカラー大百科事典の果実が熟すのを8年も待っていた。すっかり実は膨らみ、重さのため支えている幹がたわんでいた。そのたわみ方が誰の目にも秋の収穫を期待させるものであることは予想できた。

 源三郎は理科室の鉢植えに肥料をあげに行く。20年物の理化学体系は、源三郎が手塩に掛けてきた自慢の一品だ。枝ぶりのいい小枝に吊り下がった理化学体系はすっかり熟し、たわんでいた。

「採り入れが楽しみじゃわい」

 源三郎はたっぷりと熟した理化学体系をいとおしむように両手でそっと包み頬擦りした。       

 9月、収穫の時期がやって来た。源三郎は学校の教室を回り丸々と肥えた果実をもぎ取っていく。

 既に学校の一画にある図書室には、予約してやってきた全国の著名人が待機していた。

 数学者の竹内、ノーベル物理学賞の佐藤の顔も見えた。みんな源三郎の作った取り立ての図書を今か今かと待ち望んでいた。

 源三郎がもぎたての理化学体系をワゴンに乗せ、図書室の扉を開け入って来た。会場にどよめきが起こった。

 源三郎はワゴンを押し、物理の佐藤の前で立ち止まると、佐藤は眼を細め言った。

「おお、見事な装丁ですな、長いこと待ちました」

 佐藤は一言つぶやくと、源三郎から理化学体系を受け取り、むさぼるように読んだ。佐藤達は宿直室に泊まり、家庭科室で食事をしながら、3カ月間理化学体系を読み漁った。       

 数学の竹内は4カ月も泊まり込んだ。彼は公式の解析のため数学公式大事典の収穫を4年待っていた。思った以上に実が熟していて、かなり難問だった公式が面白いように解けていった。

「すごい。すごいぞ」

 竹内は時々感極まって大声を出し、周りのひんしゅくを買っていた。源三郎は久しぶりの収穫で図書室の異様な熱気と興奮状態を肌で感じた。

 春が近づくと学者達は図書室での研究を終え、満足した穏やかな明るい表情を浮かべ、農学校を去っていった。源三郎は彼らの後ろ姿を見送り、誰もいなくなった図書室を眺める。

「おら、また植えるだ」

 気分を新たにした源三郎は次の世代を担う新種の種を蒔く仕事にかかる。その一方で水差し、肥料など、やる作業は山積、大忙しの源三郎だが、この仕事を心から愛した。

 こんな源三郎にも悩みが一つだけあった。時々、水が体に飛び散り、自慢のクロムモリブデン鋼に掛かることであった。錆びない身体に作られていたが、やっぱり水は嫌いだった。図書製造ロボットである源三郎は時々身体に掛かる水を恨めしく思うのだった。

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