会社からの帰り道、山口は腕時計を見る。午前零時を過ぎようとしている。

「ああ、きょうも家に帰って寝るだけか。たまには何処かへ行きたいなあ。忙しくてかなわないよ。今の仕事、辞めちゃおうかなあ」

 山口は腕時計を見た。午前6時には家を出なければならないから睡眠時間は5時間ほどしかない。日ごと、寝る時間が少なくなってきている。午前1時、彼はシャワーを浴び、パジャマに着替えると、勢いよくベッドに潜り込んだ。速攻で眠りに付いた。連日、このパターンの繰り返しである。

「もう、いやだ! 」

 そう怒鳴った直後、誰かが声を掛けた。

「こんにちは、山口さん、調子、いかがですか? 」

 山口は野原の真ん中に立っていた。そのそばに、黒塗りのセダンが停車している。運転席の窓から40歳代くらいの男が出てきて山口の所に歩み寄ってきた。

「何でこんなところに私はいるの? おたくは? 」

「それはいい質問です。ここは夢農園と言います。私は夢の行商人でバクと申します。あなたにぴったりの夢を提供するサービスパーソンでございます。希望すれば格安であなたの夢を育てることが出来ます。その夢の農園を貸出しております」

「え? 農園? 夢を育てる? 冗談はよしてください。今の私には夢など遠い昔にはありましたが、今は夢を見ることが夢のような生活ですよ。生活に追われていてそんな悠長な身分ではありません、他の人を当たってください」

「まあ、まあ、そう、おっしゃらずに聞いていただけないでしょうか。お忙しい方は皆様そのようにお答えになられます。こう考えてみてはいかがでしょう。途中で忘れた夢を思い出してまた新たに育ててみてはいかがでしょう。負担はまったくございません。いつものとおりの生活を送りながら夢を見ていただければよいのです。もし、夢を見ることにご負担を感じられましたら即刻夢を諦めればいいだけのことですから」

「え? そうなんですか、でも、私お金ないから」

「とんでもございません。支払はお金ではありませんから、山口様でも直ぐに夢を育てることができます。わたしどもはその夢が成就した暁に、その夢をいただければよいのです」

「え? やっと手に入れた夢を取り上げるのですか? それは詐欺ですよ」

「いやいや、そうでもないと思いますよ。夢を求めるときの充実感、かなえたときの充実感、充実のオンパレードです。そして、必ず夢を育てることができると言う安心感は、計り知れないと思います。夢は破れることはない、と言う私どもの農園保障プランで必ず充実ライフを送ることができるのです」

「そりゃ、夢が必ずかなえることができるなら生活に張り合いが出そうな気がしますね」

「いい話だとは思われませんか? 」

「しかし、せっかく手に入れた夢を取られてしまうなんて納得できませんよ。また、すぐに元に戻ると言うことではありませんか、夢を得た以上の挫折を感じるに違いありません」

「ごもっともです。しかし、また同じ夢を育てていただければいいだけのことです」

「永久に続くのなんて嫌だなあ」

「お客様には一切の記憶が残りませんので、まったく、初心に戻って夢を育てることができるのですから何の不利益なことはございません。何度も申し上げますが、夢を追い求めるときの充足感、獲得したときのあの達成感は格別のものです。獲得した方にしか味わえない喜びでございます」

「そうですよね。僕もきっとそうだと思いますが、なんか、うますぎるような…… 」

山口はしばらく沈黙していたが、決心した。

「では、農地を売ってください」

「ありがとうございます。では、こちらに当面の夢をひとつお書きください。夢契約書になっております」

山口は迷わず大金持ちになりたい、と書いて男に渡した。男は書かれた契約書を受け取ると顔をほころばした。契約書をアタッシュケースにしまう。セダンに歩いていくと、トランクからリクライニング式のチェアーを出して野原に広げた。

「こちらでお休みになってお待ちください。あなたが目を覚ましたら現実の社会に戻ります。そのときからあなたの夢が始まります。つまり振り出しです」

「振り出し? そうですね、ゴールしてから最初に戻るか? まあ、いいか、なんか、わくわくしてきましたよ。これから何でも頑張れそうな気がしてきました。不思議ですね、夢を持つことがこんなにもいいもんだったんですね、この感覚、随分忘れていました」

「そうですか、それは喜んでいただけてうれしいです。では、これで失礼します」

 男を見送った山口はチェアーに横たわるとすぐに眠りについた。それを見届けた男はにたりと笑いながら言った。

「もう、こんな調子で1,503回も続けているが、この男は本当に金儲けのうまい人だ。夢をかなえることができる人など早々いるものではない。まして、何回もかなえられるなんて、あなたは金づるでございます。いや、夢ヅルかな? これからもどうぞごひいきに」

 そう言った男はテーブルの上に乗った山口の夢をナイフとフォークを使ってうまそうに食べた。

「最近の夢はセキュリティが高くなって食べるの難しいけどこうやって契約していれば全然問題ないものね。自分の夢は食べられないし」

そういう不平をひとしきり言った後、バグは食べ終わると「ああ、まんぞく」と呟いた。そして、ロッキングチェアの体勢を整えると、「ふうー」と一声漏らし気持ちよさそうに目を閉じた。

 

 

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