黙殺

 

 

「私、友達いないんです」

 テレビのバラエティー番組の中で、そう言ってにこやかに話す男が映し出されていた。

「そういう奴に限っていっぱいいるんだよな」

大山保はテレビを見ながら、目の前にある焼酎のグラスを口に運んだ。立ち飲み屋に来るようになって一週間が過ぎた。立ち飲み屋は一人で飲んでいても気にならないところが良かった。それまで、彼は専ら自宅で焼酎を飲む毎日であった。仕事を終えて一緒に飲みに行く同僚もいないし、また、行く気もなかった。人と話すと緊張してしまうのである。プチ対人恐怖症。心療内科にも月に一度、通院している。そんな日が積み重なり、あの事故からかれこれ一一年が経ってしまった。大山保、三五歳、独身。

  *

「じゃ、大山さん、しばしのお別れだな。二年後、また」

 森徹夫が握手を大山に求めてきた。大山は「ああ、また」と答えて手を差し出した。秋というのに森の手が汗で湿っていた。多分、これからの旅立ちに緊張しているのだろう、と大山は思った。

 森徹夫は大山が大学で知り合った数少ない友人の一人であった。森は大山と違って、積極的で物怖じしない性格であった。卒業後、森は直ぐに海外青年協力隊を志願した。三ヶ月の研修期間を終え、まさに今、アフリカのウルグアイに二年間の協力事業のため旅立とうとしていた。森が空港ウイングの搭乗口を通って消えていこうとしていた。その後ろ姿が立ち止まった。森は振り返ってこちらを観ていた。そして、大山を見つけると、「ありがとう」と大きな声で叫んだ。両手を大きく振っている。大山も大きく両手を上げて答えた。それは大山が観た最後の森の姿と声であった。森にはたくさん友だちがいると思っていたのに、空港には大山しか呼んでいなかった。夏も過ぎた一〇月のことだった。

それから一年後、休暇を与えられた森は隣国のマラウイにバス旅行へ協力隊の仲間と共に向かった。そして、そこで山道を走っていたバスは運転者の過労運転による居眠り運転が原因で崖下へ転落。乗員三二人全員が即死だった。休暇旅行を共にした協力隊の仲間八人と共に帰らぬ人となった。

  *

指折り数えた大山はポツリと言葉を漏らした。

「あれから一一年も経っちまったな、早いな、森」

 大山は一人焼酎を口に運んでいた。カウンターの前に男二人がビールを飲んでいるのが目に入った。右側の男がジョッキを相手の男の顔の前に突き出し、大きな声を張り上げていた。

「ちみねえ、俺はなあ、これから国際舞台に出てだなあ。いずれはこの国を背負って立つんだよ。分かってるw? 」

「おお、奇遇だなあ、お前もかあ、俺もそうなんだあ、まあ、次は司法試験合格だなあ」

 二人の耳障りな声が聴こえるでもなし耳に入ってきた。

「大体、こんなところで飲んでいるのは仮の姿なんだよ、ちみ、分かるかな。次は赤坂の料亭で接待だよ、身分が違うんだよ」

 男たちはかなり飲んでいるようである。

「こんな店で酔っ払うなよ、若造」

 大山は心の中でつぶやいた。固く握り締めていた右手の手袋を脱ぎ、右手をピストルの形にすると、カウンターからそっと二人を狙って撃ち殺す真似をした。

「バキューン、バキューン」

大山はまた右手に手袋をはめた。手のひらを広げじっと眺めた。

「うるさい蠅を撃ち落としてやったぜ、森、さあ、祝杯だ」

右手でグラスを持つ。そのグラスを高く上にあげると、半分ほど入っていた焼酎を一気に飲み干した。

「こんな騒ぎを犯したらこの店ももう来られないなあ」

大山は急いで勘定を済ませ飛び出すように店を後にした。楽しそうに飲んでいる客がいると、なぜか、無性に腹が立った。夢を語り合える仲間がいないというのは味気ないものである。森は仲間と共に楽しい旅行をしながら永遠に旅立っていってしまった。新聞の一面に八人の顔写真が掲載されていた。男四人、女四人のグループだった。

「いいなあ、君は」

 大山は森のことを思い出すと切なく苦しかった。成田のウイングで再会を誓って別れたはずなのに。もう、会うことはできない。事故から一ヶ月後、大山は政府がセッティングした森の合同葬儀には行かなかった。式に出たら森と本当に別れてしまうような気がしたからである。しかし、葬式に出ないことがいけなかったのかも知れない。一一年経った今も、大山は森がまだアフリカに行っている気がしてならなかった。

「森、早く帰って来てくれよ。俺、お前しか友だちいないんだ」

森はふらふら身体を揺らしながら、立ち飲み屋を出た。出て一〇メートルも歩いた頃、店から大声がした。

「店長、大変だあ、まずいっすよ、二人とも、息してないですよ」

「誰か、救急車を早く呼べ! 」

 店内で慌てふためく声がしていたが大山の耳には入らなかった。大山は駅に向かって歩道を歩く。ふらふらした大山を避けるように、人々が立ち飲み屋のほうに駆け抜けて行く。遠くから緊急自動車のサイレンが近づいて通り過ぎていった。

 

 

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