徒然

6      散文1
名前以外では今の自分をあらわせない、そんな薄っぺらい
自分が情けなく感じている今日この頃なのです。私はもう二
十年近く生きてきて、今になって、「自分とは何か?」と自問
自答してみると、そこで出せる答えは「私は○○という名の
××に住む大学生である。」といったものなのだけなのです。
これに気付いたとき、この十数年、私は無為に近い行動ば
かりを重ねていたのだなと後悔や失望よりも情けなさが先立
ちます。「私は○○という人間である」という他者、周りから与
えられた情報でしか我が身を擁立できない。ほかのもので自
身を表したり、守ったりしようとしても、所詮それは自らの中か
ら生み出し、身に着けたものではないゆえに、自分でそうだと
信じようと思っても、真には自身のものにはならない。外から
かぶり続ける、偽りから生まれたであろう偽の姿となるので
はないでしょうか。それよりも「ここ数十年無為に生きてきて、
そのことを振り返ってみると、今まで何一つなしえていない
自身に憤りを感じつつも、今、これといって何をし始めるわけ
でもない人間である○○」と定義づけられるべきでありましょ
う。人間関係から作り出された、ある種の個人情報が自己の
経験と意識から練りだした自身の情報よりも確実に優先され
ているということに私たちは無意識のうちに慣れさせられ、そ
の仮面をつけている姿が今を生きる自分であると当たり前の
ように公表しているというのが大半の人間の現状の姿ではな
いでしょうか。私も気を抜けばその姿で生活しつつありましょ
う。仮面というものは恐ろしいものであります。何かを隠し、外
からの何かを鏡のように反映し、その姿を取り込み、情報とし
て汲み取る。盾であり、鏡であり、他者との無益な策謀同士
の争いへと続く入り口でもあります。その覆いをとらないと、
そんなものに支配されているままでは隠されている真実が消
されてしまう云々という、己の判断が絶対視であるとまでは申
しませんが、仮面に安住しなければ、良かれ悪かれ、嫌われ
ようが好かれようが仮面の像を気に掛け、遠回りで悩むことも
無くなるはずです。自らの中から搾り出した、「自身」に続く意
思の持ち様。そのようなものを見つけ出したいと私は思うわけ
です。
更新日時:
2003/09/16
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Last updated: 2004/9/13

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