頷け。それが最良の選択だ。1

 

「そんなに警戒するのはやめてください。そんなことされちゃ、こっちだってやりにくいです……」

棚の上に放ったままになっていた本を取るため手を伸ばしていたオビ=ワンの背後から、アナキンが手を伸ばした。

自分より小さな師匠のために、彼は気を利かせたのだ。

しかし、アナキンの影が、そっとオビ=ワンを覆うと、師匠は、びくりと身体をすくめた。

激しい緊張をみせるオビ=ワンの押し殺した息遣いに、昼間のリビングに溢れるには、不自然なほど部屋の空気の密度が高くなる。

アナキンの匂いがオビ=ワンを包んでいた。

オビ=ワンは胸が締め付けられるように息が苦しかった。

オビ=ワンの伸ばしていた手は不自然に止まっている。

すると、アナキンは、題名を聞かされていたというわけでもないのに、すっとオビ=ワンの目的の本を正しく取り出し、それを師匠に手渡しながら、小さくため息を吐き出した。

「すみませんでした。マスター。声もかけずに近づいた俺が悪いんです」

すこし機嫌の悪い顔をしたアナキンは、はっきりとオビ=ワンから一歩下がっている。

「いや、そんな、違う。お前は悪くない。……お前、よくこの本だとわかったな。アナキン」

強引に話題の転換を図ろうとした師匠の笑顔は強張っていて、弟子は苦く首を振った。

「いいえ。別に俺は、あなたが今、どんな任務についているのかわざわざ知ろうとしているわけじゃない。ただ、あなたの付く任務は、いつだってとても重要なものだから、オーダーの中では話題になっていて」

「そんな! アナキン。そんなことを疑っているわけじゃないんだ」

オビ=ワンの強い否定は、弟子をさらに頑なにしただけだった。

弟子の表情は硬い。まるで師匠によって不当に傷つけられたといわんばかりに、アナキンは強く自分をガードしている。

「俺だって、こんな昼間から盛ったりしない……」

瞳は、オビ=ワンの迎合を拒絶している。

「……アナキン」

「気にしないで下さい。オビ=ワン。俺も、十分夕べのことが間違いだったということは分かってます。ですから、俺をそんなに意識しないで。……打ち合わせの場で、あなたが不自然に目を反らせば、みんながまた俺が何かをしでかし、あなたを困らせていると疑います。そんなのは俺も気分が悪い」

「アナキン……」

弟子は、気分を変えたいとばかりに、乱暴に髪をかき上げた。

「俺、ちょっとこの家に居すぎましたね。分を弁えてさっさと帰るべきでした。……ああ、ほんとできれば、夕べのうちにそうすべきだった」

夕べ、アナキンとオビ=ワンはセックスをしたのだ。

 

 

ジェダイナイトが3ヶ月は掛けてきた任務も、調停役として間に入ったジェダイマスターのおかげで、とうとう終焉をむかえた。

しかし、今回無事任務を終えるために必要だったのは、オビ=ワン・ケノービの力ではなく、その名前だけだったことが、アナキンに笑顔を与えていた。

「ねっ、結構俺もやるようになったでしょう?」

独立して以来、足が遠のいていた懐かしい家のソファーに腰掛けたアナキンは、手に持ったグラスを傾けながら、皿に盛られたフルーツをひょいっと掴む。

普段面の皮が厚い弟子なだけに、オビ=ワンは、素直に喜んでいるアナキンがかわいらしくて、喜んでその意見に同意した。

「ああ、アナキン。お前も我慢という言葉をやっと覚えたな。今回のお前のやり方は、実によかった」

「ええ、あなたにハイパースペースを飛ばせることもなかったし、爆発寸前の空母からの逃げ出すこともさせなくてすみましたし」

不意にアナキンは、葡萄の皮を剥いて、一つオビ=ワンに差し出す。

「今回の俺ときたら、全くどこにも派手さがなくて、ほんと、あの任務を片付けたのが俺だって、きっと報告書のサインを見たってまだ、皆、疑いますよ」

オビ=ワンは顔を近づけ、葡萄の汁で濡れているアナキンの指から、それを咥えた。

二人の間にあったのが、アナキンが独立する半年も前の、馴れ合いの強かった、でも、穏やかだった頃の空気に近かったせいもある。

オビ=ワンの唇がアナキンの爪に触れた。

オビ=ワンは、自分の歯で潰した葡萄から甘い汁が湧き上がるのを味わいながら、ひやりと心が冷えるのを感じた。

 

自分は、もうこの子にそんな態度で接していい立場ではない。オビ=ワンは、自分の行動を戒めた。カウンシルは、必要以上にアナキンの任務を遂行する態度に介入したがるが、戦場での作戦の立て方などは、アナキンの方がオビ=ワンより余程効率的なやり方を選択する。

 

大きく足を開いて、ソファーに座るジェダイナイトは、オビ=ワンよりもずっと力強くライトセーバーを使うための肉体だって手に入れていた。

 

アナキンは、何気なくオビ=ワンが触れた自分の指を舐め、そのまま気にすることなく新しいものを剥き出す。

皮を剥かれた葡萄がアナキンの口に消える。

咀嚼のたび、動く喉に、オビ=ワンの目は吸い寄せられていた。

 

「あ。もしかして、もう一個欲しかったんですか?」

オビ=ワンの視線に気付いたアナキンが、くすりと笑った。

アナキンは、テーブルに置かれたグラスを取り上げ、ごくりと飲み干す。

 

今回のアナキンの任務の遂行方法は、評議会メンバーからだって、文句の出ようのない地味で粘り強いものだった。

我慢ばかりの任務が終わり、アナキンにとって今晩は、最良の夜だろう。

自然、アナキンの酒量が増える。

アナキンは、オビ=ワンのために、また、葡萄を剥き始める。

 

「マスター、葡萄くらいいくらでも剥いてあげますけど。……でも、マスター。俺の指から直接食べるなんて、そんな色気のある真似しちゃいけません。我々は、正道を歩むジェダイなのですよ」

オビ=ワンの行為などより、余程艶めいた色合いの笑みを顔に浮かべたアナキンは、さらりとオビ=ワンをたしなめると皮を剥いた葡萄を極自然にオビ=ワンへと差し出した。

葡萄が差し出された位置は、オビ=ワンが、指で摘まむには、少し上過ぎ、しかし、口を持っていくには低い。

 

オビ=ワンは先ほどの自分の行為がアナキンに意味を読み取ることの出来る出来事であったことだとわかり、胸が痛み似て疼いた。

だが、その疼きは苦痛ではない。いや、甘いと感じることさえ可能だ。

しかし、自分が育てた弟子が、師匠から色めいた意味を読み取ることができるようになったことを喜ぶなどということは危険だった。師匠である自分がそんなことを思うのは間違っている。

けれども、オビ=ワンには、自分を戒めようとする心の動きの方が余程、苦しかった。

 

オビ=ワンは、アナキンが差し出す葡萄の位置に、困ったような笑みを浮かべると、フォースの力を利用した。

アナキンの指の間から、葡萄がすいっと宙に浮く。

アナキンは、大きく目を見開いた。

「そんなずるいことするんですか。マスター」

酒精に愛され、陽気に笑うアナキンは、オビ=ワンの口の中に葡萄が消えると、新たな一個を剥き始めた。

甘い汁で指を濡らした弟子は、オビ=ワンに食べさすために、葡萄を剥く。

それで自分の皿に乗っていたものがなくなると、気軽にオビ=ワンの隣へと位置を替え、弟子は、師匠にもたれかかるように身体を斜めにしたまま、また、葡萄を剥いた。

 

「そんなに要らない。アナキン」

「なんで? 甘いでしょう? オビ=ワン、フルーツは結構好きだったじゃないですか」

オビ=ワンは、自分へと差し出される葡萄の甘さなどより、肩にかかるアナキンの髪の柔らかさの方が、よほど甘いと感じていた。

アナキンの髪は、長くなり落ち着くまで、癖毛のせいで、あちこちに跳ねて、いつだってこの弟子にふくれっ面をさせていた。弟子がまだ、ただのパダワンであった頃、オビ=ワンは何度か、その髪を梳かしてやった。

そうだ。こんな風にアナキンが側にいることだって、昔のこの家の中ではいつだってあったことじゃないか。と、オビ=ワンは思う。しかし、酒に火照り、熱くなった弟子の体の重みは、オビ=ワンの鼓動を速めていた。

オビ=ワンは、結局、口を開くことなく終わらせることの出来た甘やかで物苦しい感情が、再び胸の奥で熱を持つのを感じた。

だが、アレは、ねじ伏せなければならない思いなのだ。

 

冷遇された才能があまりに惜しかったから、オビ=ワンは、アナキンに肩入れしたのだ。

自分の育てた初めての弟子だったから、彼をかけがえなく愛しいと思っていただけだ。

 

何度も自分に言い聞かせた呪文を、オビ=ワンはまた、胸の中で唱えた。

(私がアナキンを好きだと思うことは、間違いではない。だが、この思いはそれだけで終わりにしなければならない。私は何か勘違いしているのだ。それは、この子が特別な、選ばれし者だからだ)

 

まだ、アナキンがオビ=ワンの手元にいた頃、オビ=ワンは自分が育てている弟子の姿をどうしても視線で追っていることに気付くと、自分にはこの感情でアナキンの進むべき道を曲げさせることの出来る価値などないのだという事実を受け入れる努力をした。

それは、まったくの事実だった。

だが、そうであることは、この師匠をいつからか傷つけていた。

 

 

気持ちよく酔ったアナキンは、独立する頃には、ほとんど見せなくなっていた甘えた顔で、オビ=ワンの口元へと葡萄を差し出した。

「じゃぁ、これで最後にしましょう。最後の一個は俺が食べさせてあげますね」

奴隷という出自のせいで、警戒心の強いアナキンが、酔いに全く自分を防御していなかった。

現実にはなかった、無条件に手を繋ぎあうような、そんな互いを信頼しあっている師弟の空気がそこにはあって、オビ=ワンは、思わず口を開いた。

開いた唇の間に、アナキンが葡萄を運ぶ。

アナキンの指が、オビ=ワンの歯に触れる。

オビ=ワンは、舌の上に乗せられた葡萄をゆっくりと味わう。

アナキンの指がなかなか口の中から出て行かず、オビ=ワンは、その指についた汁を舐める。

 

 

「マスター。俺、なんか、今、ドキドキしてます」

 

アナキンは、息を詰めて自分の指についた汁を舐め取る師匠のピンク色をした舌を見つめていた。

「……うん?」

 

「ねぇ、なんか、俺、今、すっごいあなたにキスしたいんです。…………ちょっとだけ、してみませんか?」

 

誘惑に勝てず、アナキンの指を舐めてしまったオビ=ワンは、信じられないことを聞いた気がして、隣に座るアナキンを見た。

 

アナキンが自分にこんなことを言い出すはずなどないのだ。

オビ=ワンは、絶対に自分が聞き違えたのだと思った。

しかし、オビ=ワンへと長い睫を閉じた整った弟子の顔が近づいてきていた。

アナキンの唇は、キスのためにすこし尖っている。

 

自然にオビ=ワンは目を閉じてしまった。

師匠らしくアナキンを笑って諌めてやることも、また、押し返すこともできず、オビ=ワンの手は、ソファーの上で所作無げに握り締められていた。

 

アナキンの顔が発している熱をオビ=ワンは自分の頬に感じる。

 

二人の唇が重なった。

 

チュッと、優しい音を立てて離れていった弟子の唇は、とても柔らかだった。

 

 

オビ=ワンは、離れていった唇の感触を惜しむかのようにゆっくりと目を開け、まだ近くにあるアナキンの顔に驚いた。

アナキンの目が、しきりとオビ=ワンの顔に浮かぶ表情を伺っていた。

オビ=ワンは、弟子とのキスに浮かれ、喜んだ自分を見られるのが疚しくて、目をそらした。

 

「嫌……だった、ですか?」

弟子は、僅かに小首をかしげた。

「いや、そういうわけではないが……」

「よかった。あの、ですね。俺、なんか、もっとあなたにキスしたくて」

照れ笑いを浮かべた弟子に、オビ=ワンは、ぽかんと口を開いた。

 

「だって、想像していたより、ずっとオビ=ワンとキスするのは気持ちよくて」

 

オビ=ワンは、ため息を吐き出した。

自分が、悪酔いしたアナキンを諌めなければならないということはわかっていた。

しかし、弟子は、とても自然な好奇心を顔に浮かべて、オビ=ワンからの許しを待っている。

その顔を見ていると、自分の弟子が、誰にもケチをつけられない出来栄えで仕事をこなし終えた今晩、オビ=ワンは、長く彼を育てた自分も多少の褒美は貰ってもいいような気がしてきた。

二人は、もう、3本の酒壜を空にしているのだ。

そのうちの2本は、酒好きのオビ=ワンを押しのけ、いつの間にかアナキンが空けていた。

普段これほどアナキンは飲まないのだ。

もしかしたら明日の朝には、何もかも忘れているかもしれない。

いや、覚えていたところで、キスの一つや二つ、酒の席での悪ふざけだったと誤魔化すことが出来る。

 

オビ=ワンの表情に説教臭さが抜け、陽気に酔う弟子を見る瞳に、ちろりと悪戯めいた色が光ると、アナキンはとても幸福そうに笑った。

「でしょ? 俺とキスするのって、結構気持ち良いでしょ? マスター」

 

唇を押し当てるだけのキスが何度か続き、いつの間にか、アナキンの腕はオビ=ワンの背中へと回されていた。

アナキンの仕掛けてくるキスに応える振りで、オビ=ワンの舌は、弟子の舌を追いかけていた。

唇は何度も角度を変えて重なる。

 

「んっ、……ちゅっ……んっ、……んっ」

伏せられたオビ=ワンの睫が、細やかに震えていた。

思っていたよりも、ずっと弟子のキスは優しくて、オビ=ワンはもう終わりだと告げることが出来なくなっていた。

アナキンの舌が、オビ=ワンの歯列を辿る。

すると、口の中に隠されていたらしい、葡萄の甘さが、舌の上でほのかに広がる。

いや、これは、きっとアナキンの舌が甘いのだ。

オビ=ワンは夢中になって、アナキンに向かい大きく口を開けた。

自分を抱く弟子の腕は力強い。

しかし、拘束の輪は、気持ちいい酒の酔いのように緩やかだった。

キスをしながら、髪を梳く、弟子の指は柔らかにオビ=ワンを撫でる。

とうとう、いつまでも続くキスに、息苦しくなったオビ=ワンは、強引に顔を離した。

 

「ダメ。逃げちゃだめです」

 

しかし、オビ=ワンを許すように甘く笑ったアナキンは、そっと師匠の顔を捕まえると、また、唇へと口付けた。

だが、柔らかに唇が重なるだけで、こじ開けるような真似を弟子はしない。

アナキンは、師匠にも、たった一つ、自分よりも上手くできないことがあると知り、強引な手段に訴える気持ちがなくなっていた。

 

アナキンの唇が優しくオビ=ワンの頬を辿る。

大きな身体に抱きすくめられているオビ=ワンは、まるで甘えているようだ。

 

「どうしましょうね。オビ=ワン。なんだか、やめるのが惜しいくらいに、コレ、気持ちいいんですけど」

アナキンは、オビ=ワンの頬を、目尻をと、唇で辿り、金髪の中からかわいらしく顔を出す耳を唇でそっと挟んだ。

「ねぇ、マスター。もしかして、このまま先に進むってことも、俺達にとっては選択可能なことかもしれませんよ?」

 

 

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