エデンの箱庭 1
その任務は、呼び寄せられた耳元に、小さな声で囁かれた。
「すまんな。オビ=ワン。せっかくの休みを邪魔してしまって申し訳ないのだが、ワシの代わりに、ちょっとだけ行って欲しい星があるんじゃ」
アナキンは、単独で任務に出かけ、そして珍しくもオビ=ワンには、何の予定も入っていなかった一日、マスターヨーダは、緑色の顔に申し訳なさそうな笑みを浮かべてくしゃくしゃと笑った。
オビ=ワンは、偉大なマスターヨーダが寄せた耳元で囁く任務のくすぐったさに、小さく笑っている。
「はい。マスター」
「このことは、誰にも内緒なのじゃ。このヨーダに、とても近しい友がいることを知られることは、彼のためにも、ワシのためにも良いことではない。だが、今日は、どうにも外せない用事が入ってしまってのう」
ヨーダは、困り切った顔で、頭を撫でた。
「お友だちとの約束を守れないほどのですか?」
「ああ、そうじゃ。奴は、通信機器など一切持っとらん。だから、今日の約束を果たせぬことも連絡できん。しかし、奴と会うのは、三年に一度必ずの約束なのじゃ」
「なるほど、私が朝早くから起こされるわけです」
オビ=ワンは、ヨーダに向かって、代行を務めるのを了承した笑みを浮かべた。
柔らかな笑みを浮かべたオビ=ワンは、多くの問題の処理にあたっている偉大なマスターヨーダの時間の貴重さを思い、先を促す。
「この近くの星なのですか?」
「ああ、実は、オビ=ワン、お前はかつてその星に行ったことがある」
「えっ?」
「覚えておるかの? まだ、お前がパダワンで、クワイ=ガンと一緒に任務に当たっていたころじゃ。あの年もワシはここが離れられんで、あれでいて口の堅いクワイ=ガンに頼んだのじゃ。小さな、ほんの小さな星に、立ち寄ったことを覚えていないかのう?」
マスターヨーダは、オビ=ワンの頬へと手を伸ばした。
そこから、僅かなイメージが流れ込む。
多くの隕石群に隠れるようにあった岩肌の星。
それは、ただの巨大隕石のようで、生物が棲んでいるようには見えなかった。
磁場か乱れ、その影響なのか、フォースに激しい乱れを感じた。
あの星に降り立ったクワイ=ガンは、オビ=ワンを船の中に閉じ込めたまま、一人降り立った。
「はい。あそこでしたら、覚えております」
一人クワイ=ガンを待つ間、オビ=ワンは寂しさを感じていたのだ。
「あの星なのじゃ。あそこに行き、ただ一言、ヨーダが会いたがっていた。と、伝えて欲しい。奴がもし口を利くようだったら、返事を聞いてきてくれ。だが、多分、奴は、口を利きはせんじゃろ。奴も、三年に一度くらいは、口を開いた方が、いいと思うんじゃがね」
笑った口元に笑みを浮かべたヨーダは、自分の口元を撫でた。
ヨーダは、最早全てを伝えたと言わんばかりに満足した顔をしている。
だが、それで、説明が足りているとは思えず、オビ=ワンは、少し困った顔をした。
「私に、マスターのご友人が分かりますでしょうか?」
「分かる。分かる。あの星には、奴しかいないんじゃよ。そして、星に着けば、案内人が現れるはずじゃ。オビ=ワン、案内人に驚くな」
ヨーダが面白そうに笑う。
オビ=ワンは、首を傾げた。
「……はい?」
「オビ=ワン、お前がジェダイとして、十分に心の鍛錬をしていれば、案内人は、お前の姿をして現れる。しかし、そうでなければ、お前の会いたい誰かの姿が案内人じゃ。ちなみに、クワイ=ガンは、小さい頃のお前の姿をした案内人が現れて、困ったと言っていたぞ」
ヨーダが、ほくほくと笑う。
「……それは……」
確かにあの頃、オビ=ワンは、任地でクワイ=ガンが自分に重要な用件をまかせないことに腹を立て、反抗ばかりをしていた。クワイ=ガンが、素直だった頃の自分を愛しく思っていたとしても仕方がない。
オビ=ワンは、その頃のクワイ=ガンの心情に、少しばかり慚愧の念を刺激されながらも、何気なく振る舞った。
「……それは、私は、マスタークワイ=ガンを揺るぎない偉大なマスターだと思っておりましたが、実は、そうでもなかったのですね」
オビ=ワンの言葉に、ヨーダはまるでどこかの小妖精のような優しいばかりではない笑みを浮かべた。
「オビ=ワン、お前も足を掬われないように、気を付けるがよい。もしかすると、奴は、意地悪をするやもしれんからな」
オビ=ワン・ケノービは、さすがは、マスターヨーダのご友人だと、苦笑を浮かべながらも、頭を下げた。
船を降り立ったオビ=ワンが見たものは、緑溢れる大地だった。
十数年前、岩肌しかなかったはずの星は、多くの大木を茂らせ、オビ=ワンの足下は、草が生い茂り、岩には、苔が張り付いていた。
だが、この光景は、あり得なかった。
オビ=ワンが、船を下りる寸前まで、この星は、確かに赤茶けた岩肌を晒していたのだ。
それが、今は、船全体を青々とした木々が隠す。
オビ=ワンの鼻は、水の匂いを嗅ぎつけていた。
多分、近くに泉があった。
周りの土が芳醇に水を含み、木の葉がそれを大気にはき出している。
オビ=ワンのブーツの上を小さな虫が這った。
小鳥たちの鳴く声が聞こえる。
「これは、美しい」
オビ=ワンの口から、思わず、賞賛が漏れた。
緑は、その葉を青々と光らせ、花は風にそよいでいる。
オビ=ワンは、周りを見回し、この光景を受け入れることに決めた。
これが、マスターヨーダのご友人がする意地悪と言うことならば、いっそありがたいほどだった。
イシュージョンといえども、これほどまでのレベルになれば、もはや、現実と何も変わらない。
オビ=ワンが目を瞑り、フォースで探ったところで、森は、重量感を持ってそこにあった。
そもそも、この星では、フォースに乱れが生じ、あまり上手く扱えない。
歩くオビ=ワンが手で触れる木の幹は、ささくれ立ち、そこに棲む昆虫は、木の皮の中に卵を産み付けていた。
色の薄いこの卵は、間違いなく、幾日か後、幼虫となる。
この星は、オビ=ワンを緑の星として迎えた。
オビ=ワンは、望むものが案内人となってヨーダから現れると聞かされていただけに、この星の緑に、苦笑を浮かべた。
「私は、疲れていたということか……?」
馥郁とした緑は、オビ=ワンの心に安らぎを与えた。
疲れへの自覚が、自然とオビ=ワンに降りかかる。
オビ=ワンは、新鮮な空気の中で、久し振りに、大きく息が付けたような気分になった。
「ああ……」
それでも、オビ=ワンの心に浮かぶのは、機嫌の悪い顔のまま、任地に向かった自分のパダワンだ。
ジェダイナイトとなった彼は、ますます力を蓄え、傲慢さにも磨きを掛けている。
しかし、オビ=ワンは、小さな頃から育ててきた彼が愛しい。
アナキンは、幾らも、師を疎ましく思っているようだったが、オビ=ワンは、弟子が、正しく世界を愛するようになってくれたらと、いつも願っていた。
木々を照らす陽光が温かい。
オビ=ワンは、待っていても現れない案内人に、周りを見回した。
「……アニーは現れないのかな?」
多分、小さなアニーだったとしても、今と変わりなく生意気だったはずだと思いながらも、オビ=ワンは、アナキンが案内人として現れるだろうと予想していた。
オビ=ワンは、自分が弱いことをよく知っている。
心の鍛錬よく、自分自身が案内人として現れるとは、オビ=ワンは欠片も思わなかった。
多分、かわいらしくも小生意気だった、子供が自分を案内するために駆けてくるはずだ。
そう思いながら、オビ=ワンが、一、二歩足を進めた時だった。
ぱきり。と、小枝を踏む音が聞こえた。
「マイ・パダワン」
オビ=ワンは、耳に慣れた声が聞こえ、驚きのあまり目を見開いた。
「マイ・パダワン。悪かったな。アニーでなくて」
オビ=ワンの目の前には、信じられない人物が立っていた。
しかし、オビ=ワンは、その人が現れるとは、夢にも思っていなかった。
オビ=ワンの目の前には、かつての師、クワイ=ガン。
「マスター……」
オビ=ワンは、呆然とその名を呼んだ。
クワイ=ガンの姿は、まるで変わらなかった。
いつも、オビ=ワンの前に立ち、導いてくれた偉大な師。
オビ=ワンが何もかも預け、安心していた相手。
オビ=ワンは、自分が彼を案内人に選ぶなど、どこまで心が弱っているのかと、頬が赤くなった。
「オビ=ワン。私の、かわいいパダワン。すっかり、老けたな。いや、それでも、変わらずかわいらしいが」
くすくすと笑う小さな笑い声も、その人は、かつてのままだった。
手を広げて、オビ=ワンが飛び込んでくるのを待っている。
昔、そうであったように。
ゆったりと立つ、立ち姿も変わらない。
「マスター……マスター……」
変わらぬその姿を見ているうちに、自然にオビ=ワンの目に涙が盛り上がり、オビ=ワンは、口元を押さえた。
「……マスター……」
オビ=ワンの胸には、敵を倒すために倒れたクワイ=ガンの姿があった。
あの時、オビ=ワンは、師のために何もできなかった。
死んでいくクワイ=ガンをただ、見つめるしかできなかった自分。
立ちすくむオビ=ワンに、苦笑した師がゆっくりと近づき、抱きしめた。
「お前は、随分と年を取ったように見えるのだが、変わらずよく泣くんだな」
師の長い腕が、オビ=ワンを抱きしめる。
オビ=ワンは、胸を突き上げる激情を押しとどめることが出来ず、号泣した。
「マスター! マスター!!」
しゃにむに、クワイ=ガンを抱きしめ、胸に顔を埋めた。
これが、マスターヨーダの友人による悪戯だとしても、オビ=ワンはクワイ=ガンを離したくなかった。
「……マスター!……マスター……」
師のローブをオビ=ワンの涙が濡らしていく。
あまりに強くオビ=ワンが抱きしめ、離さないので、クワイ=ガンが笑った。
「オビ=ワン。どうしたんだ? そんなにすると痛いだろう?」
このクワイ=ガンは、どこまで彼の人と同じなのか、しかし、クワイ=ガンには、自分がオビ=ワンを残して死んだという意識はないようだった。
クワイ=ガンは、しゃにむにしがみつくオビ=ワンの背中を撫で、あやしながらも、苦笑している。
そこには、死しての再会という悲壮感はまるでない。
オビ=ワンが涙でにじむ目で見上げたクワイ=ガンの顔には、同じように任務に望み、供に戦い、心を許しあっていた優しい時代の笑顔があった。
オビ=ワンが、一番懐かしむ時代だ。
クワイ=ガンの指が、オビ=ワンの頬を伝う涙をぬぐっていく。
「小生意気だったパダワンが、格好を付けるようになって」
クワイ=ガンの指が、オビ=ワンの髭を撫でた。
オビ=ワンの口元に生えた髭を擽るように、そっと唇が重ねられる。
クワイ=ガンが優しく笑った。
「マイ・パダワン。あんまり泣くから、唇がしょっぱい」
オビ=ワンは恥も忘れ、師匠にしがみついた。
辛い別れの記憶を持たない師に、自分から口付けを望む。
からかうように逃げようとする師を追いかけ、オビ=ワンは、無理矢理唇を重ねた。
師の唇は、かさついている。
その柔らかく、温かな感触に、オビ=ワンはもっとと唇を押しつけた。
クワイ=ガンは、オビ=ワンに押され、後ろへと尻餅をつく。
オビ=ワンは、師に覆い被さり、激しく唇を奪う。
「……マスター……マスター……」
切りなく続けられるオビ=ワンの求愛に、クワイ=ガンは、口を笑みの形に開いた。
「随分と激しいキスだ。知らない間に、私のパダワンは、すっかり大人になったようだ」
クワイ=ガンは、すっかり草の上に押し倒され、オビ=ワンにのしかかられていた。
師匠の舌を求め、隙を狙っていたオビ=ワンは、目元を真っ赤に染めた。
クワイ=ガンは、自分の上にのしかかる、今ではパダワンではない男を抱きしめた。
「お前のブレイドを切り落としてやるのは、私の仕事だと思っていたんだがな」
師はオビ=ワンの髪を撫でる。
「……ええ」
オビ=ワンの目にまた涙が盛り上がった。
オビ=ワンも、クワイ=ガンにブレイドを切って貰える日を夢見ていた。
「そう泣くな。パダワン。よくはわからんが、今ではお前も、ジェダイナイトなのだろう?」
クワイ=ガンの手が、いまはもうないブレイドが垂れていた耳の後ろを撫で上げた。
それは、かつてよくあった愛撫の一つだ。
オビ=ワンは、腰から甘い痺れがわき上がるのを感じた。
クワイ=ガンの身体を挟む足が震える。頬を染める。
目を伏せたオビ=ワンに、クワイ=ガンは、目を細めた。
「いいえ、マスター。……今では、私もジェダイマスターなのです」
「それは、随分と年若いジェダイマスターだ。私のパダワンは、優秀だな」
クワイ=ガンの手が、オビ=ワンの髭をからかうように撫でた。
クワイ=ガンの指先が乾いていた。
その乾いた指をオビ=ワンは覚えている。
その指が、自分の身体を撫でていった甘い快感。
オビ=ワンは、照れ隠しのように急いで話を続けた。
「あなたの見つけたアニーも、今ではジェダイナイトですよ」
しかし、オビ=ワンの言葉に、クワイ=ガンは、不思議そうな顔をした。
「アニー?」
「そう、あなたが、砂漠で見つけた運命の子」
「オビ=ワン……?」
さっき、その名を口にしたというのに、クワイ=ガンは、本当に、アナキン存在に心当たりがない顔をした。
オビ=ワンとクワイ=ガンが濃密に過ごした時間に、アナキンは居なかった。
このクワイ=ガンは、まさしくオビ=ワンの望み通り、オビ=ワンだけを愛してくれていた時代のクワイ=ガンだ。
「マスター……」
オビ=ワンは、クワイ=ガンの胸に顔を埋めた。
イリュージョンは、親切にも、オビ=ワンのために情報を修正していく。
背中をクワイ=ガンが優しく撫でる。
クワイ=ガンの心臓が、規則正しい音を立てていて、オビ=ワンは嬉しさのあまり、また涙が溢れた。
「マスター……マスター……」
クワイ=ガンは、飽くことなくオビ=ワンを撫でる。
「何を泣くのだ。可愛いパダワン。ああ、そうか、マスターケノービを呼ばなくてはならないのか?」
クワイ=ガンの声は、からかいを含んで優しい。
オビ=ワンは、真剣になってクワイ=ガンに抗議した。
「いいえ、いいえ! 私のことは、オビ=ワンと。私は、永遠にあなたのパダワンです!」
クワイ=ガンの唇が、生真面目な弟子の唇に触れた。
オビ=ワンが泣きやむまで、クワイ=ガンは、かつての弟子をあやし続け、そして、オビ=ワンは、目が真っ赤になり、瞼もはれぼったくなった頃、ようやく、師匠の上から身体を退けた。
「マスター……」
高ぶっていた気持ちも収まり、オビ=ワンの顔は、気恥ずかしげに赤くなっている。
未だ、草の上に横たわるクワイ=ガンが、オビ=ワンの顔をなぞった。
「すっかり大人のなりをしているのに、相変わらず、かわいらしい子だ」
クワイ=ガンの接触は優しいばかりだった。
オビ=ワンは、恥ずかしさのあまり指から逃れる。
「……マスター、案内を……」
オビ=ワンは、努めて真面目な声を出した。
気持ちが落ち着くと、年若くジェダイマスターへと上り詰めた弟子は、自分の身に負った義務を思い出した。
オビ=ワンは、この星に来たのは、クワイ=ガンと再会するためではない。
マスターヨーダの変わらぬ友情を、その友人に伝えるためだった。
それなのに、どのくらいクワイ=ガンにしがみ付き、子供のように泣いていたのかと、オビ=ワンに羞恥がこみ上げる。
「マスター、私は、マスターヨーダのご友人にお会いしなければ……」
クワイ=ガンの指は、それ以上、オビ=ワンを追いつめはしなかった。
身を起こしたクワイ=ガンの目を向けた方向には、木立が切れ、今まではなかった道がある。
口元に笑いを浮かべ、立ちあがったクワイ=ガンは、弟子に向かって手を伸ばした。
「オビ=ワン。お前が望むなら、そうしよう」
オビ=ワンは、その手に掴まり立ちあがる。
「……マスター」
オビ=ワンは、小さな子とものように手を引いて歩く師に、首を振った。
クワイ=ガンは、弟子を甘やかし、笑顔のまま先を歩く。
なかったはずの道を進む師匠の向こうでは、木々が茂り、鳥の声がしていた。
オビ=ワンは引かれる手に照れた。
「マスター……手を……恥ずかしいです」
こんなことは、パダワン時代にもそうなかったことだ。
しかし、師は、弟子の手を引いたままずんずんと歩いた。
クワイ=ガンに連れられて進む森は、この小さな星であり得ないほど、深くなって行った。
さすがに、オビ=ワンは不安になった。
「……マスター、本当にこの道で……?」
光があれほど降り注いでいたはずなのに、木々に遮られ、オビ=ワンの周りを闇が覆った。
あまりに大きな木に光を遮られ、もやは、若い低木が見あたらない。
つもった枯れ葉が音を立てている。
枯れ葉の下には、ぬめるほどの水を含んだ土がある。
泉が側にあるらしく、強い水の匂いがした。
「マスター。この道であっているのですか?」
オビ=ワンは、握られる手の温かさに、まるで力無い子供のような頼りない質問を口にした。
クワイ=ガンが振り返り、笑う。
「マイ・パダワン。ヨーダは、友人が親切だと言ったか? この星の有り様は、全てお前の望み通りだ。迷うのならば、それも、また、お前の望み」
「マスター……?」
ものすごい早さで、オビ=ワンに向かって土の上を這い進むものがあった。
それが、オビ=ワンの足首に絡みついた。