VS劇場 ─14─

 

ヴィゴは、珍しく小さなバッグを用意して、そこにパスポートと、財布、アドレス帳を詰め込んだ。

机の上は、朝食の後片付けも済んでいない。

今日の予定はすべてキャンセルだ。

日常品の買出しも、溜まっている洗濯物も、すべて放置。

車のキーを手にとって、ヴィゴは、玄関へと急いだ。

「お土産〜」

のんびりとした声が背中を追う。

ソファに寝転がっていた息子の声だ。

ヴィゴは、苦笑を漏らした。

「すまない。今日は、さすがにそんな時間はないんだ」

いってらっしゃいという声を背中に受けながら、ヴィゴは車に乗り込んだ。

 

飛行機が着いた空港から、ショーンの事務所に連絡を入れ、撮影所に入れるよう手はずを整えてもらった。

とにかく時間を短縮するため、空港の売店で、例の写真が乗っている雑誌だけを買って撮影所に急ぐ。

撮影所の入口で落ち合った事務所の人間は、機嫌のいいヴィゴの顔を見て、苦笑を漏らした。

守衛に話をつけ、ヴィゴを撮影所内へと通す。

「ミスター。折角ですが、あまり楽しい再会とはいかないと思いますよ」

彼は、新しい映画の概要などを説明しながら、急に訪れたヴィゴのことを間が悪いと、慰めてくれた。

ヴィゴは、にやりと彼に笑った。

ショーンが機嫌の悪いことなど知っていた。

昨日の夜、すっぱ抜かれたそれを知って、オフの今日すべき全ての用事を放り出し、ヴィゴは飛行機に乗ったのだ。

「わかってる。だから、からかいに来たんだ」

ヴィゴは笑った。

「趣味が悪いですね。ちゃんと、知ってていらっしゃったんですね。じゃぁ、機嫌が直るよう、飲みにでも連れ出してください」

若い男は、肩を竦めた。

「残念。それほど、こっちにいられないんだ。今日の夕方には、また、飛行機に乗らないと」

「でも、ミスター、今、3時ですよ?」

「そう、だから、急いでるんだ。君も急いでくれるかな?」

ヴィゴは、穏やかな顔をして目の前の男に笑いかけた。

事務所の青年は、急に駆け足になった。

「それなら、そうと言ってください!ミスター、走って。ミスターとの再会する時間を減らしたと、彼にこれ以上、不機嫌になられては困ります」

さすがに走らされるとは思っていなかったヴィゴは、ショーンの不機嫌の度合いを思って口元が緩んだ。

 

「ヴィゴ!!」

どこの撮影所でも同じ埃っぽい空気の中で、撮影待ちをしていたショーンは、むっつりとした顔をしていた。

周りには、誰も座っていない。

不機嫌なオーラを剥き出しにしたショーンの姿に、共演者も、スタッフも、遠慮をして誰もショーンに近づかなかった。

「頑張ってる?ショーン?」

「何で、こっちに?何も言ってなかったよな。急にどうしたんだ。ビックリするだろう」

「びっくりさせようと思ってね。遊びに来た」

ヴィゴは、立ち上がったショーンを抱きしめた。

ショーンも、大喜びで、ヴィゴを抱き返す。

「いつまで?」

「残念。それが、今日の夕方には帰る」

「…ん?何しに来たんだ?どこかに、行くついでか?」

「違う。ここが目的地」

ショーンは、ヴィゴが手に握っていた雑誌に目と留めた。

顔を顰める。

雑誌には、まずは、ネットですっぱ抜かれたショーンの私生活写真が載っていた。

その写真のなかで、ショーンは、うんと年下のかわいらしい女性と手を繋いでいた。

「ショーン、あんたに俺の顔も思い出してもらおうと思って」

ヴィゴが唇を歪めた笑いを浮かべた。

ショーンは、思い切り顔を顰めた。

「からかいに来たんだな」

「ばれたか」

ヴィゴが、あまりに素直に認めたので、ショーンは、吹き出した。

「お前…本気?わざわざ飛行機使って、俺のことからかいに来たの?」

「そう。ショーン。あんた、こういうことされると、頭に来て、記者相手に、とんでもない対応をするだろう?」

「それを、笑いに?」

ショーンは顔に、意地の悪い笑みを浮かべた。

もともとの機嫌の悪さもあってなかなかの迫力だ。

ヴィゴは、しばらくその顔をじっと見て、口元をにいっと緩めた。

「…違う。ショーン。あんたに会いにだよ」

ヴィゴは、もう一度、ショーンを抱きしめ、肩を何度もぱんぱんと叩いた。

 

 

「ミスター。しばらく、休憩を貰いました。撮影所内ですが、お茶でも飲んできてください」

事務所の青年はなかなか気が利いた。

ショーンは、ヴィゴと向かい合わせで、煙草を吸いながら、すこし機嫌が上向きになっている自分を感じていた。

「ヴィゴ。お前、本当に、このためだけに、やってきたのか?」

ヴィゴは、届くまでに大分時間のかかったコーヒーを飲んでいた。

「そうだよ。うちには、俺の友人の現況を常時見張ってくれてる優秀な人材がいるからね。

昨日のうちに、俺の部屋のドアを叩いて、あんたの一番新しい顔をみることが出来た」

「怖いな。それは。しかし、たったそれだけのことで、よく来る気になったな」

「だから、言ったろ。俺の顔を忘れられたら困るから、来たって」

腕時計を見て、ヴィゴは、少し考える素振りを見せた。

「…ショーン。ここでキスしていい?」

ヴィゴの口調は、真面目だった。

「はぁ?何言ってるんだ?」

ショーンは、思わず、大きな声を出した。

ショーンの声に、周りの視線が集まった。

この程度の声で、周囲の人間が、すぐ、振り返る場所にショーンと、ヴィゴはいた。

「そろそろ、タイムリミットでね。帰らないと明日の仕事に間に合わない」

ヴィゴは、言葉の割には、のんびりとコーヒーを飲んでいた。

ショーンは、ヴィゴの腕を引いて立ち上がった。

 

「…ヴィゴ。お前、馬鹿だろう」

撮影所のゲートに足早に向かいながら、ショーンは、ヴィゴに言い捨てた。

飛行機の時間を聞いて、ショーンはヴィゴを殴ってやろうかと思うほど、腹が立った。

「よく会いに来たとは言ってくれないのか?」

ヴィゴは、ショーンが腕を引くままに、撮影所の廊下を何度か曲がった。

「今度会った時に言ってやる。ちゃんと、入口に車を待たせているんだろうな?」

ショーンは足で蹴る勢いで、撮影所の扉を開けた。

「その辺は、抜かりなく。

俺だって、仕事に穴をあけるつもりはない」

後少しでたどり着く、守衛のいるゲートの外では、車が一台止まっていた。

「じゃぁ、あと、何分だ?」

ショーンはいらいらしながら聞いた。

「あと?」

ヴィゴは、殆ど走るようになっているショーンの後を追いながら、「もう、タイムオーバー気味」と、笑った。

「くそったれ!」

そこは、通りからも丸見えで、実際、守衛は、飛びだしてくる勢いの2人をじっと見ていた。

ショーンは、ヴィゴをぎゅっと抱きしめ、人目も気にせず、キスをした。

突き放し、背中を押すようにして、目を見開いている守衛のいるゲートをくぐらす。

ヴィゴの首からは、見学者のプレートすらかけられたままだった。

「今度は、もっと余裕を持って遊びに来い。そうしたら、俺も空港まで見送る時間くらい作る。

頼むから、もっと、ゆっくり顔を見せてくれ」

「俺のこと、忘れないでくれよ」

座席に押し込められながら、ヴィゴは、雑誌をショーンへと手渡した。

「忘れるか。こんちくしょう!こんなの俺だって持ってる!」

「じゃぁ、また」

慌ただしい別れの挨拶は、ヴィゴからの頬へのキスと、ショーンからの噛み付くような唇へのキスで、幕切れになった。

 

「楽しかった?」

「すごく」

ほんの僅かの逢瀬を終えて、ヴィゴは、自宅のベッドで寝る暇もなく仕事へと向かわなければならなかった。

流し台には、二日分の皿が突っ込んだままになっていた。

洗濯物も洗われた形跡はない。

ヴィゴの目の下には、疲労のせいで濃い隈ができていた。

だが、顔は満足そうに笑っている。

「いってらっしゃい」

のんびりとした声が、ヴィゴの背中にかけられた。

ヴィゴは、まだ、エンジンが温かい車に乗り込み、今日の仕事に向かった。

 

 

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