大人の恋愛 4
オーランドは、ショーンが何を悩んでいるのかわからず首をひねった。
ショーンが話す悩みの内容は、昨日まで聞いていたのろけと大差なく、どうしてショーンが昨日までと同じ気持ちでヴィゴの態度を受け入れることができないのか。ということの方が、オーランドには不思議だった。
「なんで? それの何が気に入らないの? 実はヴィゴ、パートナーに対して、すっげー優しい男だったってことじゃないの?」
普段はあんなだけどさ。と、笑ったオーランドは、眉の寄ったショーンの髪を優しく撫でた。
「どこがどう気に入らないのさ? 何もかもショーンのことを優先してくれるんだろう? 昨日まで、そのことを喜んでたじゃん。あいつは俺に夢中だとか、なんとか、同じ口で言ってたのを聞いた気がするんだけど」
ショーンは、不思議そうにきょとんと目を開いたオーランドの顔をじっと見つめた。
「ヴィゴだぞ。あいつが結構我の強いのをお前だって知ってるだろう?」
「知ってるよ。でも、ヴィゴ、頑固なとこもあるけどさ、元々優しいじゃん。それが、あんたに対して特別に優しいってだけなんじゃないの?」
オーランドの顔に、嘘はなかった。
ショーンの話を真摯に聞き、そして、とても不思議そうにショーンを見た。
「ヴィゴの方からエッチをしようって言い出さないのが気に入らないの?」
「まぁ、……、それもある」
「でも、ショーンがしたいって言えば、めちゃくちゃかわいがってくるんでしょ? あれでいて、そういう事口にするのが恥ずかしいってシャイなタイプなんじゃないの? 嘘みたいだけど」
オーランドは肩をすくめて、小さく笑った。
「ヴィゴ、ショーンよりずっと純情なんだよ」
「違う……、違うんだ。オーリ。そうじゃなくって、なんて言うか、ヴィゴの態度に違和感があるんだ。はじめは俺も、ただのうすのろなんだと思ってた。だけど、多分、あれはそうじゃない。多分、ヴィゴは俺に腹を立ててる」
「うすのろって、ショーン、あんた……。俺、ヴィゴに同情する。精々努力して、あんたの気に入るようなセックスに勤めてるってのに、丁寧に扱えば扱うほど、怒ってるなんて言われちゃうなんて、ヴィゴ、立つ瀬がないじゃん」
オーランドは、困ったショーンの髪を撫でた。
ショーンは首を振った。
「違うんだ。オーリ」
「違いやしないよ。ショーン。気にしすぎなんだって、幸せ過ぎて不安になってるんだよ」
「いや……オーリ」
ショーンは、髪を撫でるオーランドの苦笑を浮かべた顔を見ながら、小さなため息を吐いた。
若いオーランドは、人生が短い分だけ、関わってきた人間の数が少ない。
思いもつかなかった人の心の動きに、傷ついた顔をしていることがよくある。
ショーンは、この複雑な状況が、オーランドには理解することは勿論、想像することも難しいのだと思った。
だが、ショーンは、何度も修羅場を経験してきている。
勘が外れているとは思えなかった。
セックスして以来、ヴィゴはおかしな位ショーンに優しくするが、二人の間に、いままでになかった隔たりをおこうとしていた。
それは、間違いない。
だが、ショーンは、オーランドの考えを否定するような言葉を飲み込んだ。
オーランドは、素直な目でショーンを見つめ、軽い苦笑を顔に浮かべている。
ショーンは、優しさで人を否定するような恋愛をこの先もオーランドが経験しなければいいと思った。
「わかった。オーリ。俺の思い過ごしかもしれない」
「きっとそうだよ。だって、俺から見てても、ヴィゴ、あんたにメロメロじゃん。撮影が始まるようなら、ここにだって呼びにくるって言ってたし……」
言葉の終わりまで待たず、ドアをノックする音がした。
あわてることなく、少し間隔をおいてノックするやり方は、ヴィゴのものだ。
「ほら、来た。なんだよ。結局、旅行のこと、これっぽっちも決まらなかった」
散らかした資料を一纏めにして、オーランドは肩をすくめた。
「ショーン、優しくないダーリンは迎えになんて来てくれないと思うけど?」
笑ったオーランドは立ち上がり、ドアの向こうに声を掛けた。
「いいよ〜。ヴィゴ。かわいいにゃんこちゃん連れに来たんでしょ?」
開くドアに目をやりながら、ショーンが毒づいた。
「誰がかわいいにゃんこちゃんだ」
「入るぞ」
ドアを開けたヴィゴは、情感に溢れる青い目で、ショーンとオーランドに目をやった。
オーランドがにこりと笑う。
オーランドは、何が言いたいのか、つい聞きたくなるようなヴィゴの目がとても好きだった。
とがったショーンの耳に口を寄せ、オーランドはショーンをからかった。
「ショーン、逆毛をたてちゃってさ、子猫みたいにすっごくかわいいじゃん。幸せすぎて不安になってるんでしょ? 結局のろけを聞かされただけだった」
オーランドは、ショーンをおいてヴィゴの隣を通り抜けた。
「ヴィゴ。悪いんだけどさ、旅行の話、これっぽっちも決まらなかったんだ。明日も休憩時間にショーンのこと借りてもいい?」
「……どうぞ」
ヴィゴは、親密だった室内の空気に、言葉少なな答えを返した。
オーランドは廊下の両端にちらちらと目をやると、ヴィゴの耳元にも口を寄せた。
「ヴィゴ、すっごい優しいんだってね。ショーン、喜んでたよ」
ヴィゴは、唇に薄い笑いを浮かべた。
「オーリ、手を出すなよ」
「わかってる。だから、お願い、旅行には行かせてよ。俺、かなり楽しみにして、こんなに資料集めちゃったんだから」
オーランドは胸に抱えた資料の山をヴィゴに見せた。
オーランドが出ていった後の部屋は、乾いた空気が漂った。
その夜もショーンは、ヴィゴの膝の間に抱かれていた。
「なぁ、ヴィゴ……」
誰が観ているわけでもないテレビでは、楽しげな音楽が流れていた。
ヴィゴは、ショーンが好む、髪を噛むような甘いキスを耳へと繰り返していた。
「なぁ、おい、ヴィゴ」
二度繰り返し、ヴィゴの名を呼んだショーンの眉の間には皺が寄っていた。
悪戯にキスを続けやめようとしないヴィゴをショーンは、軽く押した。
「離せよ。ヴィゴ。あんたは、さっきから、キスばかりだ」
「なんでだ? ショーンだって、キスは好きだろう?」
ヴィゴは、自分の膝に挟んだショーンを抱きしめ直し、頬へとまたキスを続けた。
ショーンがしかめた目元にもキスは繰り返される。
「ヴィゴ。そろそろ離せよ。もう、いいだろ?」
「なんでだ? ショーン。もうすることなんてないだろ? じゃぁ、このままでいいじゃないか」
ショーンは、ヴィゴの顔を押しのけた。
「もう、いいって言ってるんだ。離せ。ヴィゴ」
「何で機嫌を損ねてるんだ? 俺のサービスが足りないか?」
ヴィゴは、ショーンの手を取り、甲へとキスをした。
恭しいその仕草に、もっとショーンの顔がしかめられた。
「お前、俺を馬鹿にしているだろう……」
「何を言ってる? どこが馬鹿にしてるって? こんなに大事にしてるじゃないか」
ヴィゴは、いつものようにショーンの爪の一本一本にまでキスをした。
舌先で、爪と肉の間を擽り、自分でも威力の程を知っている上目遣いで、ショーンを眺める。
ショーンは、苛立った顔をしていたが、ため息をつくと、ヴィゴの手を引き立ち上がった。
「ヴィゴ。やるんだろう? だったら、ベッドに行こうじゃないか。いつまでもこんなところにいたところで、いいことなんてありゃしない」
ショーンは、不可解な行動を取るヴィゴに苛立っていた。
だが、理由を追及する努力を放棄していた。
抱き合ってしまえば、ヴィゴとの距離は、一気に縮まる。
ヴィゴは、ショーンの甲へと口づけた。
「ああ、そうだな。ベッドに行こう。ショーン」
ヴィゴは、関係に疑問を抱いていようとも、セックスさえしてしまえば、なんとかなると思っている金髪が心底憎らしかった。
オーランドは、迷惑がっていた。
旅行の話は、結局、ほぼ全てをオーランド一人が決めた。
何度同じテーブルに着こうが、ショーンは機嫌が悪く、オーランドが決めるしかなかったのだ。
「ねぇ、とうとう明日になったわけだけどさ。ショーン、本当に行く気ある?」
撮影所の廊下にある灰皿の前で、ショーンは、立て続けにタバコを吹かしていた。
フィルターに歯を立てている様子のショーンに、オーランドは、その口からタバコを取り上げた。
「昼頃迎えに行くつもりをしてるけど、……ねぇ、ショーン。そんなに行きたくないんだったら、この際やめようか?」
オーランドは灰皿にタバコを押しつけた。
ショーンは、舌打ちをしてもう一本取り出した。
「俺は、行きたくないってわけじゃない」
オーランドは周りに目をやり、誰の姿もないのを確認すると、声に出して言った。
「分かってる。ショーンは、ヴィゴに行くなって言って欲しいだけなんだよね?」
うんざりした顔のオーランドは、ため息をつくと顔を上げた。
「行くなって言われたいけど、でも、旅行には行く気なんでしょ? すごく矛盾してるから、そんなの絶対通る話じゃないよ」
「わかってるさ」
ショーンは、苛立ったように目を細め、タバコに火をつけた。
「まだ、ショーンは、ヴィゴが怒ってるとか思ってるわけ?」
「いや……、まぁ、そうだが」
「じゃぁ、謝ればいいのに」
オーランドは、ヴィゴが怒ったとしたら、やはり、あの件だろうとずっと引っ掛かっていたことを口にした。
「ショーン。ショーンだって、最初に金をちらつかせて煽るなんて、相手の面目を丸つぶしなことをしたっていう自覚はあるんでしょ?」
オーランドは、自分だったら、ショーンにそんなことをされたら、間違いなく殴りかかっていると思った。
ショーンは、タバコの煙を吐き出した。
「でも……、それは、あいつがいつまでもうだうだとしてるから」
あれほど優しく近くに居ながら、しかし、どこか心を許した様子のないヴィゴに、ショーンの疑念はもうぬぐいようもなかった。
せめて溝を埋めようと繰り返すセックスでも、ヴィゴはひたすらショーンに奉仕を心がけ、未だ、ショーンはフォラチオだってしたことがない。
「ショーン。なんだかんだ言いながら、あんたたち毎晩一緒にいるんだからさ、そうやって急にべったりになったりで、きっといろいろ落ち着かない気分になっちゃっただけだよ。俺と旅行行って、少しだけ離れたら、優しいヴィゴのありがたみってのがよくわかると思うよ」
オーランドはつま先で、床を蹴飛ばし、付け足した。
「あーあ。俺、旅行の間に、少しは二人の間に割り込んでやろうと思ってたのに。何? このままじゃ、ヴィゴの魅力を再確認させるために、ショーンを旅行に連れ出すみたいじゃん」
「オーリ、ヴィゴはそんなにいい奴じゃないぞ。あの程度のことを根に持って、ずっとうじうじしているんだ」
「……ショーン」
オーランドは情けなくも眉を下げた。
目を眇めたままタバコを吹かすショーンを情けない顔のまま笑うと、ショーンの肩を抱き寄せた。
「わかった。もう、わかったから。旅行先で、ぱぁっと遊んで、気分転換しよう! そしたら、きっとショーンの悩みなんか解決するよ」
それから、オーランドは、態度の悪いショーンの顔を覗き込んで、諭すような声を出した。
「……俺さ、ヴィゴ、怒ってないと思うけど、思うんだけどさ、でも、もしヴィゴがショーンが言うように怒ってるとしても、何の不思議もないと思うよ? だって、ショーン、あんた、セックスに踏み出さなかったヴィゴがうじうじしていたとか、意気地なしだとか色々言うけど、きっと、ショーンのことを考えたりしてたんだよ。なのに、ショーンときたら、たかだかセックスのために、ヴィゴのプライド踏みにじったんでしょ?」
「そんなことにプライドなんか持ってる方が悪い」
「……ショーン。自分が同じ事されたら、絶対にキレるくせに……」
オーランドは、ため息を吐きだした。
「まぁ、いいや。とにかく、明日の昼に迎えに行くから。精々楽しもう!」
オーランドは、まだ火をつけて間もないタバコを神経質そうにもみ消し、また、衣装の隠しに手を入れようとしたショーンからタバコを箱ごと取り上げた。
軽く上へと放り上げながら、廊下を歩いていく。
「タバコを吸う人は嫌いじゃないけど、俺、タバコ臭いキスは嫌いなんだ」
オーランドの背中を、誰がキスするか。と、毒づくショーンの声が追ってきた。
ショーンは、足下に開いたままのトランクを跨ぎ、ため息をついた。
「……どっから手をつければいいのか……」
ショーンの前には、旅行のための荷物が散らかっていた。
ヴィゴは、ソファーに座って明日からの用意をするショーンを見ていた。
ショーンは、床に散らばるだけで、殆ど荷物の詰まっていないトランクを蹴飛ばし、床に座り込んだ。
「そんなに荷物を持っていくのか? ショーン?」
「これか?」
面倒くさそうにトランクを指さしたショーンは、嫌そうな顔で肩をすくめた。
「スポーツバックがあったと思うんだが、見あたらないんだ」
そして、がしがしと音がしそうな程の勢いで頭を掻く。
「……ああ、面倒くさい」
ショーンは、もう手を止めた。
「じゃぁ、明日早起きして用意するか? 出発は、昼頃なんだろう?」
ヴィゴは、嫌そうな顔をしながら、しかし、必要になるとも思えない程何枚もの着替えを用意したショーンの姿に、優しい声を掛けた。
ヴィゴにとって、この優しい声というのは、もうすっかり使い慣れたものとなった。
ヴィゴは、ショーンに手を伸ばし、子供のようにふくれている頬に触れた。
「ショーン、どうしても今日荷物を作らなきゃダメか? 今やらないと気がすまないか?」
「今すぐやめたい位だ……」
ショーンは、丸めていたTシャツを放り出し、床にひっくり返った。
「もう二度と旅行の計画なんて立てない!」
「何をそんなに力が入ってるんだ? 旅の準備なんて、手慣れたもんだろう」
ショーンの行動は、ただ、旅の荷物を作るというには余計なことが多すぎて、そのせいで前に進まないのだった。
ショーンは、わざとらしく何度もヴィゴの前を通って旅行用の着替えを用意していた。
旅先でのカメラの使い方もヴィゴに聞いた。
あの面倒臭がりが、回るコースまで地図の上でヴィゴに示した。
ヴィゴは、ショーンが旅行の中止を求めることを待っているのを知っていた。
肉体関係が出来るまでのヴィゴは、冗談のようにではあったが、事あるごとにショーンにオーランドと二人きりの旅行を取りやめてくれるよう頼んでいた。
今、ヴィゴは、ショーンを止めたりはしない。
心の中では、トランクごと窓から放りだしてやりたいような気持ちになっていたが、ヴィゴは床に転がるショーンを笑顔で見下ろし、つま先で優しく身体を蹴った。
「そんなところに転がってると、寝ちまうぞ。ショーン」
ショーンは床からヴィゴを見上げた。
「……なぁ、ヴィゴ」
「うん?」
ヴィゴは、ショーンに視線を合わせた。
「俺、本当に明日から行ってもいいのか?」
ショーンの目は苛立っていた。
気付かない振りでヴィゴは笑顔のまま答えた。
「休暇をもぎ取り、宿の予約をして、土産物まで頼まれて。今更、行かないつもりなのか? ショーン」
ショーンは、ヴィゴから視線を外した。
「……いや、行く……けどな……」
そのまま身体を丸め込むようにして、ショーンは、ヴィゴに背を向けた。
ヴィゴは、くすりと笑うと、ショーンの背中をつま先で蹴った。
「気をつけて行けよ。怪我なんかしたら最悪だからな」
「…………」
突然、背中を向け沈黙していたショーンはダン! と、床を拳で叩いた。
「…………ヴィゴ!」
うなるような声でヴィゴの名を呼ぶ。
「……ヴィゴ、お前、俺に言うことはそれだけなのか?」
「ショーン……」
ヴィゴは、身体を起こしたショーンに足を捕まれた。
ショーンは、瞳を怒りで燃やし、歯をむき出しにしていた。
「ヴィゴ! お前、いい加減にしろ!」
ショーンは、ヴィゴの足首を強く掴んだまま怒鳴り声を上げた。
「言いたいことを言ったらどうなんだ! ヴィゴ!」
「ショーン、どうしたんだ。何をそんなに怒ってるんだ」
ヴィゴは、ソファーから手を伸ばし、ショーンの身体を抱き込もうとした。
ショーンはヴィゴの手を振り払った。
「触るな!」
「ショーン……」
ヴィゴは、一旦手を引っ込め、代わりに床のトランクへと手を伸ばした。
座ったままの不自然な格好で、ヴィゴは、ショーンのトランクへと着替えを押し込んだ。
「荷物を作るの、手伝ってやらないから、怒ってるのか?」
「……ヴィゴ」
ショーンは、ヴィゴが手を入れているというのに、トランクのふたを閉めた。
間一髪ヴィゴは手を引く。
「危ないだろう? ショーン。あんたと違って、俺は明日だって仕事があるんだぞ」
「ヴィゴ」
床にあぐらをかいたショーンは、きつい目をしてヴィゴを睨んだ。
声はもう怒鳴るという大きさではなく、だが、とても低くかすれていた。
ヴィゴは、困ったように笑った。
「一体どうしたんだ。ショーン。ほら、こっちに来いよ。何をそんなにナーバスになってるんだ」
ショーンの手を引き、自分に引き寄せようとしたヴィゴは、ショーンに強く手を叩かれた。
「触らないでくれ。ヴィゴ。それで何でも誤魔化せるなんて、あんただって思っちゃいないだろう?」
ショーンは、ひたりとヴィゴの目に視線を合わせ、緑の目を凶暴にきらめかせた。
「いい加減にしてくれ、ヴィゴ! あんた、怒っているくせに、何で俺に優しくするんだ! 俺を馬鹿にするにも程があるだろう!」
ショーンは威嚇するように床を大きく叩いた。
「ショーン……」
もう一度、ヴィゴは、ショーンに手を伸ばし、その手も強く叩かれた。
傷ついたような顔をして、じっとショーンを眺めたが、ショーンの様子に変化はない。
ヴィゴは、足を組み直した。
そして、髪をかき上げた時には、すっかり表情を変えていた。