愛でなる病 8
なごり惜しそうな目をしたオーランドが、ヴィゴの頬にお休みのキスをして、車に乗り込んだ。
空にはすっかり星が出ていて、ヴィゴは、大きく手を振った。
「ねぇ、ヴィゴ。絵が出来上がるまでの間に、モデルはもう要らないの?」
車のウィンドウーを下げたオーランドは、サイドブレーキも引いたまま、ヴィゴに聞いた。
オーランドは約束どおり、ショーンが帰国している間の週末を使って、ヴィゴの家に遊びに来た。
朝早くから押しかけたオーランドに、ヴィゴは、朝飯と、昼飯、それに、夕飯まで食べさせ、その上、これから、彼が引っ掻き回した家の中をなんとかする必要があった。
車の中のオーランドは、ヴィゴが小さかった息子を、祖父母の家へと連れて行った際、帰り際によくした顔をしていた。
つまり、一言でも、もうすこし一緒にいたかった。と言おうものなら、「泊まっててもいい?」と言い出すあの甘えた表情だ。
ヴィゴは、苦笑した。
オーランドが口を曲げた。
「だって、アレ、描きかけじゃないか!」
「……そういう言い方も出来るな」
ヴィゴは、土を裸足で歩き、オーランドの車に近づいた。
オーランドが言う書きかけの絵とは、彼が一番興味を持っているカメラから始まり、ヴィゴが作った詩。そして、絵。
家中を探検して回っても興味の尽きない彼を少しでも大人しくさせておくため、ヴィゴが、オーランドをモデルに描いたものだ。
だが、絵なんていっても、スケッチブックに書き散らしたクロッキーに過ぎない。
「なんだよ。お前。あの絵を最後まで仕上げさせる気なのか?」
ヴィゴは、にやりと口元を曲げた。
何かを言い淀んでいるオーランドのために、オーランドの車の屋根に手を付いた。
「どうした? 書斎に飾る自画像でも描いて欲しいのか?」
オーランドは口ごもっていた。
「一枚仕上げたら、お前のギャラなんて吹っ飛ぶぞ?」
からかったヴィゴに、オーランドは潤んだ瞳を上げた。
「……ねぇ、もう、遊びに来ちゃだめ?」
息子がしたように、泊まらせてくれとまでは言い出さなかったが、その代わりずいぶんと切ない顔をしてオーランドはヴィゴを見つめた。
ヴィゴは、少し驚き、車の窓から手を入れて、オーランドの頬を撫でた。
「いや……ダメだってことはないが……」
ヴィゴが頬を撫でれば、そこに頬をすり寄せるようにするのは、オーランドのいつもの癖みたいなものだった。
だが、今日のオーランドの行為は、ヴィゴの気持ちをざわめかせた。
「どうしたんだ? 仕事に悩んでるのか? それとも人恋しくなっちまったか?」
ヴィゴは、オーランドの頬を軽く叩きながら、黒い目を覗き込んだ。
オーランドは、他の共演者に比べれば格段にキャリアが低く、しかし、大きな役を射止めていた。
仕事に対して熱心で、一生懸命テンションを維持しようとしている姿は、時に、痛ましく見える時さえあった。
ヴィゴは、口を尖らしたオーランドの柔らかい髪を撫で上げた。
「オーリ。悩みがあるんだったら、聞いてやるぞ?」
オーランドは、すこし躊躇いがちに聞いた。
「……いつでも?」
「ああ。勿論、いつでも」
ヴィゴは誠実に返事を返したつもりだったが、ふと、今日の便でショーンがこの国に帰ってきているはずだということを思い出した。
意識が逸れたことに、オーランドが気付いたのかどうか。
オーランドが、小さく笑った。
「俺、近頃、振られてばっかりなんだよ」
「へぇ……」
ヴィゴは、オーランドの言い出したことがどこに繋がるのかわからないままに返事を返した。
オーランドは、笑顔には違いないのだが、何かまだ、他に表情を隠していた。
「なんでだと思う? ヴィゴ。俺ってそんなに魅力がない?」
オーランドは、ハンドルからも手を離し、ヴィゴへと向き直っていた。
ヴィゴは、優しい目でオーランドを見下ろした。
「そんなことはないだろ。お前が高望みしすぎなんじゃないのか?」
「そう思う? ドムや、ビリーとナンパに出かけるじゃん。そうすると、二人はちゃんと成功するんだよ。なのに、俺一人だけ、取り残されちゃって……」
「二人は、何が原因だって言ってる?」
「……オーリは、キスが下手だからって」
オーランドが嘘をついているのに、ヴィゴは気付いていた。
ヴィゴは、オーランドが思っている以上に、現場での情報が手に入る位置にいた。
三人が一緒になってナンパに出かけていることも知っていれば、その成功率だって、ヴィゴの耳には聞こえてきた。
オーランドのナンパ成功率が一番高いというのは、そこに混じって遊びに行っているスタッフが拗ねたように話してくれた。
ヴィゴは、オーランドの髪を撫でながら、どうやらまだ絡み足りないらしい王子に口元を緩めた。
「オーリ。それで、俺に何がして欲しいんだ? キスの仕方が教えて欲しい?」
からかってやるつもりで口にしたヴィゴの言葉に、オーランドは期待するような目をして見上げた。
「ヴィゴ……上手なんだよね……?」
ヴィゴは驚いた。
「マジか?」
「だって、俺、悔しくて……」
オーランドを傷つけるような何かがあったのかどうかは、近頃めきめきと演技に磨きをかけてきている若者は表情を装うことにも慣れてきており、伺い知ることが出来なかった。
一応、オーランドはしおらしく真面目な顔をしていた。
ヴィゴは、少し考えた。
だが、大人をからかう気でいるらしいオーランドを懲らしめてやることにした。
ヴィゴは気軽にオーランドへと顔を近づけた。
きっとここの距離で逃げ出すだろうという辺りまで近づくと、ヴィゴは、凝った悪戯を仕掛けてきたオーランドを返り討ちにしてやるため、両手できつく顔を挟んだ。
これで、オーランドは逃げられない。
ヴィゴは、オーランドに口付けた。
オーランドの体が強張った。
唇を閉じて、身を固くしたオーランドをからかうために、ヴィゴはくすりと唇だけで笑うと、舌で、柔らかい唇をノックした。
プライドにかけて、後に引けないのか、オーランドは薄く口を開けた。
ヴィゴは、オーランドからの注文どおり、とっておきのキスをオーランドに披露した。
口を離したオーランドの目からとろんと力がぬけていた。
「オーリ。してもらうのは、誰だって出来るが、自分で出来るようになるのは、また別の話だぜ?」
オーランドははっとしたように開いたままだった口元を手で覆った。
「そんなのわかってる」
慌てた様子が可愛らしく、ヴィゴは、オーランドの頬にもおまけのキスをした。
ほんのワンレッスンで腕を上げたのか、オーランドがすかさず、ヴィゴの頬にキスを返した。
あまり余裕のある態度だとはいえなかったが、まぁまぁの切り返しだった。
ヴィゴは、笑いながら、オーランドを見つめた。
「オーリ。悩み事は、これだけか?」
「……違う。違うけど、……今は言わない」
キスの余韻で頬を赤くしたまま、オーランドはぷいっと顔をそらした。
ヴィゴは、ゆっくりと車から離れた。
「じゃぁ、また今度聞くとするか。スペシャルなお休みのキスをしてやったんだ。事故らないように、気をつけて帰れよ」
あっさりとしたヴィゴの態度が、オーランドを慌てさせたようだ。
オーランドが車の窓から身を乗り出した。
「約束だよ。また、遊びに来させてよ。俺、まだ、教えて欲しいことがいろいろあるし」
ヴィゴは、手を振った。
「はいはい。わかった。来ていいって言っただろ? わがまま坊主。お休み。明日の撮影遅れるなよ」
しぶしぶハンドルを握ったオーランドが、まだ、ヴィゴに声をかけた。
「約束したからね! 絶対に、また遊びに来るからね!」
「わかった。いつでもくればいいから」
しつこいオーランドにヴィゴは呆れた声を出した。
オーランドの車が、ゆっくりと発進した。
どうやら、人恋しくなっているらしいオーランドのために、ヴィゴは、車が見えなくなるまで手を振ってやった。
それから、ゆっくりとオーランドが散らかした家の中を自分の秩序にあわせ、散らかしなおすために、ドアに向かった。
だが、ヴィゴがドアを閉めようと振り返った時、そこには思いもかけない人影が立っていた。
木立の影になっていて、顔の表情だって外の暗さでわからなかったが、じっとショーンが立っていた。
「ショーン?」
まるで想定になかった出来事に、流石のヴィゴも、ぼんやりとショーンを眺めた。
ショーンは、今日の午後の便で確かにこの国に帰ってくる予定だった。
しかし、仕事と、プライベートの両方で予定が立て込み、疲れているだろうショーンが、今晩のうちにヴィゴを訪ねるとはまるで予想してなかった。
明日の撮影だって、ショーンは、予定から外れていた。
驚きのあまり、嬉しいという気持ちさえ湧き上がらず、呆然とショーンを眺めたまま、ヴィゴは、ドアノブを握っていた。
ショーンは無言のまま、ずかずかとヴィゴへと近づいた。
ヴィゴを押しのけるようにしてドアを潜り抜けようとした。
「どうした? ショーン?」
ショーンの体から不穏な空気があふれ出していた。
ヴィゴは、思わずショーンの肩に手を掛けた。
ショーンは、ヴィゴの手を払いのけた。
厳しい顔をして、ヴィゴを睨みつけると、舌打ちを繰り返しながら、足音も大きく、部屋の中へと入っていった。
「おい! ショーン! ショーン!」
「うるさい!」
ショーンは、後を追うヴィゴを、強く怒鳴りつけた。
その声は、ヴィゴの足を止めさせるほどの迫力に満ちており、ヴィゴは目を丸くした。
「おい!? ショーン?」
しかし、ヴィゴはショーンを追う以外することがない。
はっと自分を取り戻したヴィゴは、荒い靴音を追ってショーンを追いかけた。
まず、ショーンは、リビングで足を止めた。
立ち止まったショーンに、ヴィゴは、肩へと手を掛けた。
だが、ショーンは、冷たくヴィゴを睨みつけると、強くヴィゴの手を払いのけた。
いつもリビングだったら、ショーンが持ち込んだ劇の脚本が散らばっているはずだった。
しかし、今日は、オーランドがヴィゴの撮った写真を辺り一面にひろげていて、ショーンの脚本は、ソファーの側の床へと積み重ねて置かれていた。
当たり前のことだが、クッションの配置だって変わっている。
ショーンは、機嫌悪く舌打ちすると、机の上へと出したままにしてあった写真の束をヴィゴが止める間もなく、床へと払い落とした。
「何をするんだ! ショーン!」
ばさばさと音を立て、写真が床に散らばった。
落ちた写真には、ショーンを写したものも沢山あった。
オーランドは、キャストを写した写真の山を人別に分け、そのあまりの落差にヴィゴをからかっていたくらいだったのだ。
しかし、そんなことに構いもせず、ショーンは、次々と写真を床へとばら撒いた。
その上、苛立っているショーンは、机の上にあったものをすべて、床へと払い落とした。
写真だけでなく、請求書や、ダイレクトメール。そして、雑誌なども、床に広がった。
写真以外は、どれも、床に落ちようが困ったりするものはなかった。
だが、撮影中にヴィゴが撮りためたスナップ、全てが床へとばら撒まかれたのだ。
「おい! おい! どうしたんだ。ショーン!」
ショーンは、返事を返さない。
「おい! ショーン。落ち着けよ。なぁ、こっちを見ろ!」
靴が、笑うショーンの顔を踏み付けにした。
ショーンは、更に奥へと入っていく。
ヴィゴは、何がショーンを怒らせているのか、全く理由がわからなかった。
ショーンと、顔を合わせるのは、一週間ぶりほどだった。
ついさっき、ショーンは、この国に帰ってきたのだ。
「ショーン! どうしたんだ? 何か、嫌なことでもあったのか?」
ショーンのあまりの剣幕に、後をついて歩くのがやっとのヴィゴは、ショーンが、アトリエに入ろうとするのに、戸惑った。
中には、描きかけの油絵だって置いてあった。
流石にショーンがそれに手を掛けるようなことをするとは思えなかったが、こっちには、ショーンに怪我を負わせることになるかもしれないものだってたくさん置いてあった。
「おい! どうしたんだ。何をする気なんだ」
ヴィゴが肩に手をかけるたび、払い落とすショーンは、強引にアトリエのドアを開いた。
油絵の具のきつい臭いが廊下に広がった。
ショーンは、止めるヴィゴを払いのけると部屋のなかへと強引に足を進めた。
この部屋ばかりは普段とあまり替わらない様子の部屋の中をぐるりと見回したショーンは、やっとヴィゴの顔を正面から見た。
「何だ? 一体どうしたんだ? ショーン?」
緑の目は吊り上がり、大きく息を吸うため、形のいい小鼻が膨れていた。
ショーンは、一歩前に足を踏み出し、下から掬い上げるようにヴィゴを睨んだ。
「……ヴィゴ。あんたがわからない」
石のように硬い表情をした目は、ヴィゴにひたりと当てられた。
それきり口をつぐんだショーンのきつい顎のラインは、激しい怒りを伝えていた。
ヴィゴは困惑した。
「……ショーン。悪いが、俺の方が、もっとよくわからない。何をそんなにショーンは、怒っているんだ?」
ヴィゴは、強張ったショーンの頬を撫でるために手を伸ばした。
だが、ショーンはそれを避けると、あたりを見回し、絵の具まみれのソファーへと近づいた。
冷たい目をして、ソファーの上を見下ろす。
「……なぁ、ショーン。一体どうしたんだ。何が気に入らない?」
「……ヴィゴ」
ショーンは、ヴィゴの名を呼ぶと、下を向いていた顔を上げた。
挑戦的な目つきのままだったが、ショーンは、ゆっくりとヴィゴに向かって手を伸ばした。
ヴィゴは、少しばかり警戒しながら、ショーンの手を握った。
いきなり、強く引き寄せ、殴りかかるというくらいのことはしそうなほど、ショーンの雰囲気は悪かった。
「なぁ、どうしたんだ? ショーン?」
ヴィゴは、心の底から心配して、ショーンに尋ねた。
しかし、ヴィゴの手は、いつでもショーンの反撃に耐えられるよう力が入っていた。
この友人が、人が言うほどには、行儀の良くないことをヴィゴは知っていた。
手が出る早さは、ショーンのほうが、ヴィゴを上回る。
ヴィゴが警戒していることを知って、ショーンは、無理やりのように口元に笑いを貼り付けた。
「ヴィゴ……」
いっそ馬鹿にしているのかと思うほど、甘い声でショーンは、ヴィゴを呼んだ。
恐る恐るだったが、ヴィゴは、ショーンの肩を抱いた。
「どうした? ショーン、何をそんなに怒ってるんだ? イギリスで何か嫌な事でもあったのか?」
「嫌なことなら、山ほどあった。こっちに帰ってきたくて堪らなかった」
まるでこれから口説こうという相手でもいるように、ショーンは、声の調子を甘くし、わざとゆっくりとしゃべった。
その上、ショーンは、ヴィゴの肩を抱き返した。
ヴィゴは、ショーンの様子を観察しながら、そっと額に額を寄せた。
「予定通り帰れたんだ。仕事は、順調だったんだろう? ショーン」
ヴィゴが見つめていると、癇症にひくりとショーンの唇が動いた。
しかし、ショーンは、意思の力で、機嫌悪く曲がろうとする唇を笑いの形に変えた。
それどころか、ショーンは、自分から、ヴィゴの額へと額を摺り寄せ、それから、髭のある頬を摺り寄せた。
ヴィゴは、ショーンを抱きしめたまま、怪訝な声を出した。
「どうした? ショーン? あんた、まだ、随分怒ってるだろ」
「ああ、怒ってる。」
「じゃぁ、なんで、こんな俺の機嫌を取るような真似をしてるんだ?」
ヴィゴは、ショーンの顔を両手で挟み、顔の位置を離すと、緑の目を覗き込んだ。
「ショーン。一体どうした? 俺は、こんなに早く会えるなんて思ってなかったから、ショーンの顔が見れてすごく嬉しい。まぁ、随分衝撃的な再会だったとは思うんだが。……でも、ショーンに早く合えて嬉しいよ」
ヴィゴは、自分がどれほどショーンに会いたかったかをアピールした。
実際、ヴィゴは、ショーンが帰る日を指折り数えていたほどだった。
ショーンは、ヴィゴの目を見つめて、とても綺麗な顔をして笑った。
「俺も、ヴィゴに会いたかった。……会いたかったんだ!」
しかし、ショーンは、貼り付けていた笑顔を投げ捨てた。
ヴィゴのことを突き飛ばした。
油断していたこともあり、ヴィゴは、後ろへと吹っ飛ばされた。
大きな音を立て、仮眠用に使うこともあるソファーがヴィゴを受け止めた。
「ショーンっ!!」
ソファーに倒れこんだヴィゴは、体を起こすと、目を見開いて、ショーンを見上げた。
ヴィゴの尻の下には、さっきまで書き散らしていたスケッチブックがあった。
それを束ねているリングで、ヴィゴは腕を引っかいた。
「痛ってぇ……ショーン! 一体何だって言うんだ!」
怪我をした腕を振りながら、ヴィゴは、声を荒げた。
しかし、ショーンは、構わず、上からヴィゴにのしかかった。
「……ヴィゴ。俺は、イギリスで本当に疲れるような目に合ってきた」
とても低い声だった。
ショーンは、シャツの首をぎりぎりと締め上げた。
「やっと帰ってきたんだ。わかるか? ヴィゴ」
「ああ、ああ」
ヴィゴは、どうしてこんなにもショーンが怒っているのか、まるでわからないままに、何度か頷いた。
とにかく、今度の帰国が、ショーンのプライドを酷く傷つけることになったのだということはよくわかった。
ショーンが締め上げる首は苦しかった。
だが、ヴィゴは、ショーンに向かって手を伸ばし、髪を撫でた。
「ショーン……」
ヴィゴは、自分を締め上げるショーンの髪を繰り返し撫でた。
こんなショーンの姿は、ヴィゴでも初めて見た。
ショーンは、言われている程行儀のいいタイプでもなかったが、こんな風に、苛立ちを苛立ちのままにぶつけてくるほど、子供じみた性格でもなかった。
ヴィゴは、ショーンが甘えているのだと思った。
実際には、首を締め上げられ、苦しいのだから、自分でも馬鹿だと思ったが、感情をそのまま自分にぶつけるショーンを、ヴィゴは愛しいと思った。
しかし、確かに、ショーンの甘え方がこうであると言うのであれば、繊細な女性に、長くショーンのパートナーを務めてくれというのは難しいに違いない。
「大変だったな。ショーン……」
ヴィゴを締め上げる腕を緩めることもせず、頭を撫でられていたショーンだったが、ふいに、天井を見上げ、息を吐き出した。
腕の力が抜けた。
ショーンにつるし上げられていたヴィゴは、手を離されてソファーの上で軽く弾んだ。
「悪かった。ヴィゴ……」
先きほどまでよりは、ずっと謝罪の気持ちが篭った声で、ショーンは、ヴィゴの名前を呼んだ。
しかし、あくまで、先ほどまでよりも。である。
ショーンは、苛立ちをもてあますように、ばりばりと頭を掻き毟り、ヴィゴの上に乗り上げた体を下ろそうとはしなかった。
ヴィゴは、踏みつけにしているスケッチブックのせいで、尻が痛かった。
「ショーン。少しだけ、体を浮かせてくれ」
ヴィゴは、そっとショーンの腕を握り、癇症に頭を掻き毟るショーンを止めると、口元に小さな笑いを浮かべた。
「……実は、尻が痛いんだ」
ショーンがソファーの上で、膝立ちになり、その隙に、ヴィゴは自分の下から、スケッチブックを引き抜いた。
鉛筆描きのスケッチは擦れてしまっていた。
ヴィゴは、それを床へと投げた。
ショーンの目が、スケッチブックを追った。
床に、オーランドをスケッチした画面が落ちた。
ヴィゴは、それに構わず、ショーンに向かって手を伸ばした。
「ショーン……」
どうやら、少し機嫌の直ったらしいショーンを腕の中に捕まえ、ヴィゴは、頬へとキスを繰り返した。
「おかえり。ショーン。待ってたんだ」
ヴィゴは、ショーンの体を抱きしめ、耳を甘く噛みながら囁いた。
この部屋のソファーは仮眠をとることも想定に入れているため、大きい。
二人が縺れ込んでもまだ、ソファーは、平気な顔をしていた。
ショーンが、ヴィゴの腰を抱いた。
「ヴィゴ……」
ヴィゴは、ショーンの背中を撫でた。
「ショーン。お帰り。今日訪ねてくれるとは、夢にも思っていなかった。嬉しいよ。たとえ、あんたが怒っていたとしてもね」
ヴィゴは、ショーンの言動を許すと言外に伝え、甘やかすように、繰り返し頬へのキスを続けた。
ショーンは、ため息を付いた。
小さく頭を振り、ヴィゴの上に、体重をかけ、ばたんと倒れこんだ。
ヴィゴは、小さな埋め声を上げた。
「……重いな。ショーン」
「重いさ。俺は、ウエイトを増やしてるんだ。羽根のように軽いってわけにはいかない」
ショーンは、駄々っ子のようにヴィゴの上からどこうとはしなかった。
ヴィゴは、ショーンの体を撫で続け、不意に思いついたように、ショーンの耳を噛んだ。
「ショーン。久しぶりだし、アレをしてやろうか?」
ヴィゴは手をショーンのジーンズの前に回した。
ショーンは、ヴィゴの手を押しのけようとはしなかったが、提案に、目が、また、機嫌悪く吊りあがった。
ヴィゴは、すぐに急降下するショーンの機嫌を操る難しさを感じながら、あえてショーンの表情が変わったことには気付かない振りで、にっこりと笑った。
ショーンは、睨むようにヴィゴを見た。
ヴィゴは、その目を見つめながら、イギリスへの帰国中に、しょうがないショーンは、また悪あがきをして上手くいかなかったのかもしれない。と、想像した。
そう、考えれば、今、ショーンが目を吊り上げたわけは納得できる気がした。
ヴィゴは、ジーンズの上から、優しくショーンのものを撫でた。
いつもどおり、それがすぐに反応を返すというようなことはない。
ヴィゴは、からかうように、ショーンの目を覗き込んだ。
「ショーン。あんただって、それを期待して俺のこと訪ねたんじゃないのか?」
軽口を叩いたヴィゴは、ショーンが機嫌を損ねていることを承知しながら、帰国中の悪さのために傷ついたに違いないショーンのプライドを回復させてやるために、ジーンズのボタンを外した。
「……ヴィゴ」
ショーンは、迷っているというには、固い声を出した。
しかし、ヴィゴの行為を止めようという動きもしない。
ヴィゴは、ショーンのジッパーを下ろし、二人の体の間に、小さなペニスを引っ張り出した。
「この感触も久しぶりだな」
ヴィゴは、柔らかなショーンのペニスを優しく握りながら、歯をみせて笑った。
ショーンの行為は、褒められるものではなかったが、ヴィゴは、同じ男として許してやりたかった。
本国に帰ったというのに、全て自分の思い通りにならならなかったら、優しくしてくれる女を探したくなる。
だが、その時、体まで自分を裏切ったのだとしたら、激しく苛立つショーンの気持ちは、ヴィゴにもわかるような気がした。
結婚生活を守ろうとしなったショーンを優しい男だと言えないことは、同じように離婚を経験したヴィゴにだってわかっていた。
しかし、きちんと生活に区切りをつけようとするショーンはある意味誠実だといえた。
離婚は、結婚よりも複雑で、煩雑だ。
結婚しているどのくらいかの割合では、その手続きの面倒さに、離婚に踏み切らないまま結婚生活を存続させているカップルだって沢山いるに違いない。
それでも、ショーンは、誠実に終わりを迎えようとしていた。
ヴィゴは、一旦ペニスから手を離し、ショーンの体をそっと持ち上げた。
「悪いな。このままじゃ、やりにくい」
いつも、ショーンの家でそうしていたように、ショーンを絵の具まみれのソファーの上に寝かせると、ヴィゴは、ペニスに口を寄せた。
腹の上で縮こまっているショーンのペニスを唇で挟んだ。
ショーンは、何か、納得していない顔をしていたが、ヴィゴがペニスを愛撫することを許した。
ヴィゴは、ショーンのために努力をした。
だが、なかなかショーンのペニスが勃ち上がらない。
ヴィゴは、ちらりと前回のやり方を思い出した。
尻の穴から前立腺を刺激してやれば、ショーンは、いい反応を返した。
勿論、ヴィゴは、ショーンのためにそのための道具も用意がしてあった。
この間のショーンは、翌日に痛みも訴えなかった。
くちゅくちゅと柔らかい肉の塊を舌で弄びながら、そろりと尻へと手を伸ばしたヴィゴに、ショーンが横へと首を振った。
「嫌か?」
「……嫌と、言うか……」
ヴィゴはすぐに諦めた。
「わかった。ショーン」
あまり機嫌の良くないショーンのために、ヴィゴは、ただひたすらに、甘くショーンのペニスを口の中で遊ばした。
一時間は、ヴィゴは奉仕を続けたはずだった。
ショーンのペニスは勃起しなかった。
しかし、勃起しないままに、ヴィゴの口のなかに少量の精液を吐き出した。
これは、病気の度合いから言えば、あまりいい状態だとは言えないのかもしれなかった。
勃起もできず、出せないまま終わるのと比べれば、いいのかも知れなかったが、ヴィゴには、その辺りまでの知識がなかった。
ヴィゴは、口元を拭いながら、顔を上げた。
ショーンは、快感を味わっているというよりは、最後まで、どこか複雑な顔をしていた。
憮然とした様子で、服を直した。
ヴィゴは、ショーンの背中に声をかけた。
「ショーン、明日仕事が済んだら、あんたんちに行ってもいいか?」
ヴィゴには、このままショーンを放っておくことは、よくないことのような気がした。
ショーンは、背中を向けたまま、小さな頷きを返した。
だが、それだけで、ヴィゴの家を後にした。