ブラ豆劇場 ─1─

 

あと、一回だ。

ブラッドは思っていた。

後一回撮れば、絶対にいいものが撮れる。

幸い、太陽は、真上に位置していた。

遮る雲、ひとつない。風もない。

複雑なアクションは、すっかりものになっていた。

ブラッドは、相手役との距離を測りながら、自分の位置に立った。

スタートの声が掛かるのを待つ。

心地のいい緊張感が高まっていく。

カメラが回るのを待つ。

しかし、ブラッドに掛けられたのは、ショーンの柔らかな声だった。

「ブラッド、少し、休憩したらどうだろう?」

ショーンが、穏やかな顔で、ブラッドの肩に手をかけた。

「退いてくれ。邪魔だ」

ブラッドは、優しげに笑うショーンをきつく睨んだ。

冷ややかなブラッドの返答にも、ショーンは、にこやかな顔を崩さなかった。

「少しだけ、周りを見てくれ。ブラッド。どうだ?あの役者は、あと一回に耐えられると思うか?あんたとの複雑なアクションをこなすことが出来ると思うか?怪我をさせるだけだと思わないか?」

テイクは10回を重ねていた。

最初はこなせなかったアクションも、5回を越える頃には成功した。

そこに表情をつけるのに、あと、2回。感情をつけるのに、3回。

オーケーに対し、時に、監督よりもブラッドの方が厳しい条件を出した。

ショーンが、ブラッドに微笑む。

「皆、休みたがってる。少しだけ、休もう。コーヒーを入れてやるよ」

ショーンの柔らかな笑みに、緊張の糸が切れた。

ブラッドの小さな頷きに、監督までがほっとしたようなため息をついた。

大きな声がかかる。

「休憩!声を掛けるから、すぐ側にいること!」

ブラッドの相手役は、力尽きたように地面へとへたり込んだ。

ブラッドは、それを横目で見ながら、ショーンの背中に付いていった。

 

「ブラッドは全く悪くないけどな、でも、あんたが、今の位置にいるのは、あんたに才能があったせいだということを忘れないほうがいい」

ショーンは、ポットに入れてあったコーヒーを紙コップに入れてブラッドに差し出した。

淹れてやるという言葉に、かぐわしい匂いを想像していたブラッドは拍子抜けした。

「ブラッドのように、後、一回に耐えられる役者だけが、高い位置まで登れるんだと思わないか?普通は、そこまで集中力が続かない」

ショーンは、自分の分に氷をぽちゃんと放り込んだ。

全く楽しんでコーヒーを飲もうという態度ではない。

ブラッドは、コーヒーを啜った。

「…悪かった。つい、夢中になっていた」

ショーンは、リラックスした態度のまま、ブラッドにやりと笑った。

「いいんじゃないか?主役が夢中になってくれなきゃ、監督が泣く」

だが、ショーンだって、ブラッドに声を掛けるまでの間は酷く緊張したに違いないのだ。

カメラの前のブラッドは、厳しい。自分にも、人にも厳しい。

「難しいな…」

ブラッドが漏らした小さな声に、ショーンがもう一度にやりと笑った。

「いや、ブラッドは、全く問題ない。それより、このコーヒーだ。オーリに言って、あとで、エリックにコーヒーを淹れさせようぜ?よくこんな不味いのを飲むな」

ショーンは、氷だけを口に入れて、ブラッドを見た。

大きな氷に、ショーンの右頬だけが膨れていた。

「集合!」

恐ろしいほど高まっていた緊張感が程よく緩むだけの休憩時間は短い。

緩みすぎては同じ絵が撮れなくなる。

ブラッドは、席を立った。

ショーンも、立ち上がった。

「…ショーン、どんぐりでも頬張ったリスのようだ。そんな顔でカメラに入られては、取り直しになるから、氷を出してから行ってくれ」

ショーンは、冷たさが恋しいのか、眉を顰めて嫌そうな顔をした。

それから、嬉しそうににやりと笑うと、口から氷を吐き出し、手に持ったそれを、ブラッドの衣装の中に放り込んだ。

「さっきは、かなり恐かったからな。お返しだ。これが、すんだら、上手いコーヒーを入れてもらおうな。さぁ、行こう、ブラッド!」

猛暑のマルタ島で、氷は、冷たくて気持ちがいい。

恐ろしく勘よく仕事をこなす俳優の後ろをついて歩きながら、この男の子供のような笑顔に苦笑を返すしかできないブラッドだった。

 

 

         END

 

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