バナ豆劇場 ─1─
「ああ、疲れた」
「なんて言い方だ。ちゃんと気持ちよかっただろ?」
エリックは、手を洗いながら、後ろを振り返った。
ショーンは、便座に座り込んだまま、苦笑いに近い笑いを浮かべていた。
すっきりと身支度を整えていくエリックをすこし呆れた目をして見ていた。
「エリックの取り立てが厳しいって良くわかった」
ショーンは、まだ、肩紐が緩んだ衣装を直してさえいなかった。
エリックが手を洗いながら、鏡の中で確認していた限りでは、下着だって上げていないはずだ。
エリックは、鏡に向き直り、手の石鹸を落とした。
ついでに、鏡のなかでショーンの足もとを確認した。
ショーンの右足には、エリックが下ろした下着が絡み付いていた。
「…ショーン。あんたが、予定を変更したいって言うから」
ショーンがいる個室の扉は開いたままだった。
さっきまで、ショーンは、蓋をした便座の上に腹を載せ、後ろのタンクに縋りつくような格好で、エリックを受け入れていた。
エリックは、水を止め、ショーンにきちんと向き直った。
ショーンは、少しだけ、口元に笑いを滲ませた。
「じゃ、明日にすればよかったんだ」
1週間前からの約束を、つい先ほど、いきなり変更させた男が言った。
エリックは呆れた。
「ショーンの場合、明日まで約束が有効なのかどうか、怪しい」
「じゃぁ、取りやめるってのは?」
ショーンは、ぼんやりと疲れた様子は見せていた。
だが絡み方としては、上機嫌だ。
エリックは、先ほどまでのショーンの様子に、自信を滲ませながら、ショーンに聞いた。
「ショーン。そんなに、楽しくなかった?」
「べつに?」
ショーンは、自分がどういう態度を取っていたか、自覚があるのはずなのに、平気で嘯いた。
エリックと、ショーンは、恋人だと言い切るには、さらりとした間柄過ぎたが、お互いに特別を許す関係だった。
それは、どちらかが、会いたいといえば、無理をしてでも時間を作るような関係だ。
だが、今日、一緒に食事をしようと、エリックが1週間も前に入れた約束を、ショーンはいきなり反故にした。
もともと、条件付きではある約束だった。
その日は、ショーンご贔屓のチームの試合日だったのだ。
『チームが勝ったら、約束はなし』
ショーンが、撮影のスタッフたちと作った即席のファンクラブは、昼間の試合を振り返るために、試合日には必ず、パブに集まり、反省会と言う名の飲み会を開いていた。
もともと、エリックの約束が成立すること事態が難しい状態だった。
それでも、負け試合だったら、今回、ショーンは、パブに行かないと言った。
チームは、試合に負けた。
その時点で、エリックは心の中でにんまりとした。
だが、シュートが2本決まっていた。
それは、ショーンにとって、パブで話合うのに、重要な事柄だった。
エリックは、いとも簡単に、「今日の約束はなしにしよう」と、言われた。
エリックも、情報は集めていたので、シュートが決まったということは知っていた。
しかし、それと、これとは話が違う。
「だいぶインスタントな感じになったけど、だいたいメインの用事は終ったから、ショーンの言うとおりにしてやるよ」
エリックは、ショーンに近づき、約束が不履行になることを認める発言をした。
ショーンは、エリックを見上げながら、呆れた声をだした。
「メインは、魚料理だろう…」
「それは、おまけってとこかな?俺にとっては、あくまで、ショーンがメイン」
エリックが髪に口付けると、ショーンは、笑った。
「美味かったか?」
「もっと、ゆっくり味わいたかったけどね」
エリックは、怠惰なショーンの下着を上げた。
「ショーン。そのままでいると、襲われるぞ」
「誰が、こんなオヤジを襲うってんだ」
ショーンは、下着を上げるために抱き上げられたが、エリックの腕が離れると、また、便座の上に座り込んだ。
「誰でもじゃないか?ここは、十分機能的だし」
「…エリックみたいに、器用な男は、そんなにいない」
ショーンは、それほど広くないトイレの個室が、満足できるセックスができる場所であることを、今日はじめて知った。
「表の札。もう少し、そのままにしといてくれ。俺は、もうちょっと休んでから帰る」
実のところ、ショーンは、腰がたたなかった。
エリックのセックスは巧みだ。
ショーンのいいところばかりを攻めてくる。
「ショーン。あと、30分もしたら、本当に、掃除の人がくるから、それまでには、ちゃんとここを出なよ」
エリックは、特別ショーンを不審に思わないようだった。
座り込んだままのショーンを見下ろし、満足げな顔をして、にんまりと笑っていた。
ショーンは、エリックのそつの無さに、好ましさと、苛立ちの両方を感じていた。
「だから、エリックは、どうして、そういうことを知ってるんだ?」
「記録票が出入り口にあった。それを見れば、いつも何時頃巡回してるかなんて、一目瞭然だろ?」
エリックがさも、当然とばかりに言った。
ショーンは、そんなものの存在すら気付かなかった。
「じゃぁ、エリック。これで俺は自由時間だ。エリックは、さっさと現場に戻れ。俺のこと待ってるなんて、そんな馬鹿な真似するんじゃないぞ」
「ショーンこそ、面倒がらずに、ちゃんと肩紐も結びなおして、戻るんだぞ」
エリックは、ショーンの唇にそっと触れると、トイレから出て行った。
ショーンは、エリックの要領のいいところが、好きだったが、嫌いだった。