置き換えられる欲望 1

 

「ぁ!」

快活な笑顔を顔に浮かべ、今にもディヴィットへと駆け寄りそうな様子を見せたショーンは、自分の周りを囲む知り合いの存在を思い出したらしく、ぎゅっと目元に皺を寄る笑い方をし、小さく肩をすくめた。

まるで手入れを怠っているかのように中途半端な長さの金髪は、自分を囲む話の輪に身体を戻し、半分に減ったグラスを持ち上げる。魅惑的な喉は、ごくりと酒を飲み干す。

「まぁ!」

何が楽しいのか、グラスの酒を飲み干した彼を囲むドレスたちが、笑いさざめいた。

美しいデコルテをひそかに競い合っている女達の肩が揺れると、男達は、そっとその腰を抱く。

「酷いな。ショーン。俺の冗談は、酒で流し込まなきゃならない出来だったか?」

「誰が聞いたってそうだろ。……なぁ!」

にこりと、白い歯を見せて笑うショーンの笑顔は、意地の悪い毒を十分に含んでいるというのに、その表面を覆っている人間味とでも言えばいいのか。悪いものも、いいものも、ごちゃ混ぜに好きだった頃のあどけなさ。いや、主に、悪いものの方がずっと好きだった頃の素直な悪びれなさに溢れていて、女達よりも、主に男達、それも、チームでうろついていた頃の思い出を懐かしく心にしまいこんでいる男達に絶大な威力を発揮していた。

男達は、今日はじめてショーンに会ったばかりだというのに、教室の机を足で蹴りながら肩をぶつけ合うようなそんな照れくささを思い出させるショーンにすっかり仲間意識を抱き、腕に抱く女の細腰よりも、まばらな髭を不精に生やした、しかし、それが、とても魅力的な男が、次にどんな顔を見せるのか、心を奪われている。

そして、女達は、美しく装った自分達に注目が集まらない疎外感に、ますますショーンとの会話に割り込もうとする。

 

「……悪い」

取り囲む人の輪のカラフルなドレスに比べれば、ぐっとカジュアルな装いのショーンは、盛り上がる会話の中で、話題が一時自分から逸れたのを敏感に感じ取ると、すまなさそうな笑顔を浮かべ、会話に一区切りをつけた。

話の輪からそっと抜け出そうとするショーンに気付き、思わず隣の男がどこに行くんだ。と、腕を引こうとした。ショーンは、腕を握られそうになったことに、一瞬、はっきりと迷惑そうな顔を見せ、自分と男との間にきっちりと線引きをし、だが、にこりと少年の悪さで笑う。

「久しぶりの友人を見つけた」

たっぷりの友情を顔に乗せ、楽しげに笑うショーンに、男は、自分などより余程ショーンと親しい間柄の人間が、このパーティのどこかにいるのだと察した。いつの間にかこの感じよく笑う青いストライプシャツの男の一番の友だちになりたい気持ちになっていた男は、ショーンを取られるような嫉妬心が湧くのを感じ、気持ちのままに視線をめぐらせる。ショーンの見ている方向へと顔を向ける。

影際には、ショーンと同じくらい、様子のいい男が立っていた。

ぼんやりと人待ち顔の男は、これほどのパーティだというのに、これまたショーンと同じくらい、とてもカジュアルな服装だ。内輪とはいえ、さる高名なムービースターの誕生日パーティに出席するにはセレクトを間違っている。今日の主役は、髪だけでなく、自分の体までセットし直す気合の入れようで、新調のマーメイドピンクのドレスにぴったりと自分をあわせ、スピーチのマイクを握ったというのに。

「……映画スターってのは、おしゃれをしないモノなのか?」

男は、壁際の彼が、白のシャツ一枚で、十分な色気を漂わせているのに、有名、無名をあわせれば、この会場の10パーセントは占めるに違いないショーンの同業者なのだろうと予想をつけた。

だが、ショーンは、目を見開き、男の言葉に対してきょとんとした。

そのあまりに感じの良さに、男は、それ以上ショーンに絡むことを諦めなければならなかった。

「悪い。行ってくれ」

やっと自分の格好が、この場にいるにはあまりにもラフなのだと気付いたと言わんばかりのショーンは顎を撫で、照れてみせた。

男は軽く手を振る。

「よい、夜を」

「ああ、そっちも」

最後まで親しみを感じるようないい笑顔をみせたショーンは、くるりときびすを返し、しかし、一度も男を振り返らない。

 

 

「いいんですか? ショーン」

「ああ、もう、終りにしたかったんだ。待たせて悪かった。ディヴィット」

自分より背の高い男の肩を叩いたショーンは、久しぶりの再会だというのに、少しの機嫌のよさしか見せないディヴィットに、苦笑を浮かべた。

「受付でいやな目にでもあったのか?」

ディヴィットと話をする時、ショーンは、わずかに顔の角度を上げ、紫色の瞳を見上げることになる。

 

確かに、あの男の言ったことは本当だった。

ディヴィットの多少赤みがかった金髪は、ショーンと同じくらい不精に伸び、だが、そのワイルドさは、憎らしいほどこの男に色気を与えていた。

 

「いいえ。あなたが面倒がらずに話を通しておいてくれたおかげで、どんなトラブルも起こりませんでした」

ディヴィットは、彼の本国、ショーンにとっても懐かしいあの国で会うのでなければ、最初、ショーンが居心地悪くなるほど人見知りをしてみせる。

それが人目に触れる場所であれば、なおさらだ。

別段、人付き合いが苦手というタイプだとも思えないのだが、ディヴィット・ウェンハムという男は、世界進出への野心を全て母親の腹の中に忘れてきたらしく、アメリカというビジネスチャンスのこの国で、仕事を掴む努力をしない。

だから、こんなパーティ開場で目立つのなど真っ平ご免と、全く愛想をサービスしない。

その結果、何年かの越しの付き合いになるというのに、ショーンだけが熱心にディヴィットへの再会のハグをしていた。

 

「早速で悪いんだが」

ショーンは、ディヴィットの腕を引いた。

「いえ、別にここにいたいわけじゃないし」

「あそこにいるのは、映画プロデューサーだぞ」

「大金をかけて、この場に彼を呼んだ主役に恨まれるようなことをする気はありません」

 

壁際に立った様子のいい二人が自分に視線を注いでいることに気付いたのか、映画プロデューサーは、鷹揚な笑顔を顔に浮かべた。

彼は、今、自分の頭の中の俳優リストから、二人の名前を探しているに違いない。

ショーンは、礼を失しない程度に、にかり親しみ深く笑い、自分の魅力を相手にアピールして見せ、その場をそつなくこなしてみせた。

ディヴィットは、ほんの僅かに目礼しただけだ。

 

「欲のない」

「いいえ。ここで愛想を振りまいたところで金になりませんから」

 

いや、冒険と羊のあの国よりも、10倍はここで笑う方が金が稼げるはずだった。

しかし、いろんなタイプの人間がいる。

ディヴィットは世界に流布する自分よりも、自国で愛され、その文化の礎になることを選ぶ俳優だ。

 

「相変わらず、仕事のえり好みが激しいな」

「枕が替わると眠れなくなるタイプなんです」

 

やっとディヴィットの口元に柔らかい笑いが小さく浮かんだ。

それだけで、とたんに親しみぶかい、善良な印象を湛えた男に、プロデューサーの視線が、ディヴィットを値踏みし始めた。

 

「枕は、航空便で送ればいい」

ショーンは、肘でディヴィットの腹をつついた。

「あなたの値段は、もうとっくに算定済みなんですよ。で、見かけない俺なら安く買い叩けるんじゃないかと、皮算用してるんです」

 

「俺達の印象は、どこか似てますから」

 

ショーンと、ディヴィットは、顔のパーツを拾い一つ一つ拾い集めれば、どこがどう、と説明できるほど似ているわけではないのだが、兄弟役を果たしたこともあるほど、同じ雰囲気を持ち合わせていた。

顔立ちだけで言えば、ディヴィットの方が、ショーンよりもぐっと甘さを漂わせている。しかし、二人の見た目のとっつきの悪さは、同じカテゴリーに分類していいものだ。

彫刻を思わせる整い方をした二人の顔は、表面だけを手繰れば、とてもクールだ。

そして、笑み崩れた時のドキリとさせられる魅力も同じ。

 

「話しかけられて抜けられなくなる前に、消えるか?」

「話しかけられなんかしないと思いますけど、消えることに全く意義はありません」

 

「……俺は、焦り過ぎてるか?」

急に、ショーンが、遠慮をみせ、ディヴィットを見上げた。

今回の連絡は、どうしてもディヴィットに会いたかったショーンからつけたのだ。

ショーンは無意識に唇を舐めている。

「さぁ? どうでしょう? でも、少なくとも、そんな顔をこんな公の場でするのはやめた方がいいと思います」

ディヴィットはあいかわずの仏頂面でショーンに注意を促す。

はっ、と気まずげに笑ったショーンは、くるりと背中を見せるとディヴィットの半歩前を歩き始めた。

ドレスの裾を踏まぬようしなやかに歩くムービースターは、早足だ。

「ショーン、気に触りましたか?」

時折笑みを浮かべて、知り合いに手を振りながらも、速度を緩めない金髪の後を、ディヴィットはゆっくりと追いながらパーティ会場を後にする。

 

 

 

緩やかな速度でオートロックのドアが閉まり、カチリと、鍵のかかる音がしたところで、ディヴィットは、ショーンの背中を後ろから抱きしめた。

長期宿泊のプライヴェートルームの中だとは言え、ここはまだ、廊下だといって差し支えのない場所で、照明だって薄暗い。

「ショーン……」

年上の背中へと顔を埋めたディヴィットは、そこで大きく息を吸い込んだ。

ショーンの背中は、少しの照れくささを表して、居心地悪そうに丸められている。

 

「ディヴィット」

ショーンは、やさしい声でディヴィットの名を呼んだ。

丸い肩から続く腕が、自分の腹に巻きつくディヴィットの手へと重ねられ、やっと普段の顔を取り戻してくれた懐かしい友人の疲れを癒すように優しく撫でた。

ふぅっと、ショーンは息を吐き出す。ディヴィットの腕が自分を抱いたことで、ショーンも自分ばかりがガツガツと先を焦る落ち着きなさから、やっと開放されたのだ。

 

抱きしめられた腕の中で振り返ったショーンの唇へと、なんのためらいもなくディヴィットの唇が重ねられた。

柔らかな絨毯を踏む革靴に、きゅっ、と、小さな音がする。薄い粘膜を重ね合わせた二人は、すこし無理のある体勢のまま、その柔らかな肉を押し付けあう。

わざとらしいキスの音さえ立てずに熱心に唇を味わう二人は、キスのための調度いい角度を探して、何度も唇を触れ合わせた。

次第にキスが深くなっていく。

ディヴィットの唇だけでなく、ショーンの唇も薄く開き、相手のより濡れた部分に触れようと、重ねあわされる面積が増えていく。

 

「……っはぁ……ディヴィット……ディジー」

はふっと、息を吐き出し、赤い舌を伸ばそうとしている年上の唇は、湿り気の多い声でディヴィットの名を呼んだ。

「……ディジー……もっと……」

それは、ディヴィットが小さな頃姉達から呼ばれた名であり、今は、こんな大男を誰もそうは呼ばない。

ディヴィットは、そんな名で呼ぶショーンの望みを叶えてやる気にはなれず、顎を掴んで、濡れて光る唇は無視し、わざと頬にばかりキスをした。

親しさが増し、ディヴィットに関する手持ちの情報が増えるにつれて、ショーンはわざわざそんなかわいらしい名でディヴィットに呼びかけるようになったのだ。

だから、ディヴィットは、年上の俳優に敬意以外のものを差し出してもいい頃合いなった時には、露骨に嫌な顔をして嫌悪を示した。

それがショーンにはお気に召したらしく、以来、ショーンは、ディジーを多用する。

「……やだよ……ディヴィット……そこじゃ、いやだ。……ディジー」

ディヴィットは、煩いショーンの口を塞ぐために、年上の口の中で浮き上がっている舌に舌を絡めた。

舌の表面を擦り合わせ、自分の腕に重ねられたショーンの指に力を入れさせる。

舌を絡めあってしまえば、ディヴィットだって、ショーンとのキスをやめる気にはなれない。

 

「……っふぁ……っ、んっ、」

「……っはっ、ぁ……ディヴィット」

重なる唇の感触は、どうしてショーンのこの年で保つことができるのだ。という滑らかさだ。

 

「よく、俺がこっちに来てるの掴みましたね」

髭の伸びたショーンの顎をくすぐりながら、ディヴィットはキスを続ける。

柔らかい頬の肉は、きれいな笑い皺をそこに刻んでいて、ディヴィットは、それだけで、ショーンに好意を抱けたし、そんな友人を持つことができたことを感謝したくなる。

 

「今回は、……かなり、偶然……、たまたま聞いたんだ」

促すようにディヴィットに唇を舐められ、ショーンは、より大きな快感を期待し、緑の目を閉じて、自ら大きく口を開けた。

ディヴィットの舌がショーンの口蓋をくすぐる。

しかし、サービスよく歯列の裏を舐めていく舌の動きは、誰かのキスよりは、少しばかりドライで、ショーンにとっては物足りない。

 

腕の中の体が、ずいぶんと正直な欲望を表し、場所柄も選ばず、もっとと、激しいキスを求めるのに、ディヴィットは小さな笑みを浮かべた。

自分といる時のショーンは、とても、正直だ。いや、正直すぎて、時にディヴィットは彼を持て余す。

自分の髪をかき上げたスマートな俳優は、ショーンを押し戻し、特徴のある尖りをみせる耳へと唇を寄せた。

「どうしてもしたかったんですか?」

じっと目を見つめられ、ショーンは、視線を足元の絨毯へと逃がした。

しかし、僅かな時間待ってやりさえすれば、ショーンは、おずおずとした態度で顔を上げる。

「……したい。なぁ、……ディジー」

 

どんな理由で、ディヴィットがショーンに見込まれることとなったのか、未だ、ディヴィットはショーンから聞きだせずにいるが、ディヴィットとショーンは、特別な事柄を成しあう友人だ。

それは、本当に、特殊なことで、よく、ショーンが、自分にそんな趣味を持ちえる余地があることを嗅ぎつけたものだと、心ひそかにディヴィットは感心している。

 

「きれいにしてあります?」

「……ああ」

「でも、もう一度きれいにしますよ。わかってるでしょう?」

 

強面のはずの緑の目が頼りなく何度か瞬きをし、腕の中にあった身体は、ついっとディヴィットを離れ、やっと部屋へと進み始めた。

ディヴィットはゆっくりとショーンの後ろに従いながら、その緊張を見せる背中に、気楽な声で友人の近状を尋ねた。

「ねぇ、ショーン。彼と、デート、してる?」

「ああ、うん。……実は、昨日も……」

もごもごと不明瞭に言葉を返すショーンの耳が僅かに赤くなった。

「……時間ができたから、ちょっとの間だったが、一緒に飯を食ったんだ」

 

 

ショーンとヴィゴがカップルであることは、秘密だが、仲の良さはその秘密を知る者にすれば、妬む気も起きないほどだった。

二人は、それはもうお互いを尊敬しあい、大事に思いあっている。

しかし、あまりに相手を大事に思う不幸もあるのだ。

ショーンは、ヴィゴを愛しすぎているせいで、本当に自分が望むセックスを打ち明けられずにいる。

「相変わらず仲がいいね。二人とも忙しいはずなのに、よくそれだけ時間が作れる」

 

ゆったりとした大きなベッドのある部屋へとたどり着いたショーンは、後ろに従うディヴィットにも聞こえる程度の小さな息を吐き出すと、思い切るように勢いよくクローゼットを開けた。

ショーンは、あまり整理の行き届いていない自分の手荷物をかき回す。

その中からは、俳優というあまり普通ではないショーンの職業をしても、それでも、出てくる可能性の低い代物が取り出された。

ブラスティックで出来た針のない大きな注射器。

パックされた透明な液体は、3袋ある。その重みからも、一袋500ccはありそうだ。

「こっちに来たのっていつなんです? いかにも怪しげなこんな液体をカバンに入れて、よく飛行機に乗れましたね」

ショーンの母国で、世界中を震撼させたテロが摘発されたのは、つい先日のことだ。

ディヴィットは、ベッドの上へと置かれたパックを指で押さえる。

透明な液体は、ぼよんっと、へこみ、また、元に戻り、小さな漣の運動に暫く揺れる。

 

新しいタイプの爆弾の登場に、空港では、液体という液体が、警戒の対象となっていた。

その中で、これが無事ゲートを通過できたとは思えない。

これを見られ、どう、ショーンは言い訳をしたのか。

「……こっちに来てから、買った」

この部屋のユーサーであるはずのショーンは、ディヴィットよりも余程身を固くしてベッドの端で身を硬くして立っていた。方に力が入っている。

「ああ、そうか。そうですよね。俺がこっちにいるのを知ったのも、こっちに着てからでしたもんね」

ディヴィットは、ショーンを見やり、少し意地の悪い、楽しげな笑みを顔に浮かべた。

「あなたがこれをレジに持っていくところが見たかったな」

 

きっとどこかの会話の中で、ディヴィットは、こういう少しばかりサディスティックな性向を隠し切れなかったのだ。

それにショーンは、反応した。

ディヴィットは、クーラーの利いたこの室温では十分安全とは言えない液体の取り扱いに慎重だったので、バスルームに湯を張ることをショーンに要求した。

ビニールに入った重い液体を一袋ショーンへと手渡す。

「沈めてきてください。どうせ、後でバスを使うんだし、そのくらいはしてくれますよね?」

 

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