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EZLNの闘争

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もうたくさんだ

石油、天然ガス、森林資源に恵まれながら、その恩恵を受けることのないチアパス州で、1994年1月1日武装蜂起が起こった。
メキシコ政府はこの日、アメリカ、カナダとの間に北米自由貿易協定 (NAFTA) を結び正式に発効をしようとしていた。まさにその日に彼らは政府に対し敢然と反旗を翻したのだった。
彼らとはサパティスタ民族解放軍 (EZLN) である。マヤ系先住民を中心とするサパティスタは、副司令官であるマルコス氏と共に500年におよぶ抑圧と苦闘に抵抗するために、そして自分たちの権利のために立ち上がったのである。
この日、サパティスタは彼らの指針を表すラカンドン密林宣言を表明する。
その中で、彼らは平和も正義もなく、ただ略奪され、飢えるといった貧困による死を受け入れることに対して「もうたくさんだ」と宣言をした。
これに対し、メキシコ政府はチアパス州の先住民の居住区を中心に空爆し、武力による鎮圧を図ったため、サパティスタ側には150人近い死者が出るという結果になってしまった。
その後、サパティスタ側は対話路線をとり、メキシコ国内からはもとより、海外のあらゆる地域での支援を獲得している。そして、同年8月には民族民主会議が開催された。

サンアンドレス合意

1995年4月から9月における会議で

1. 先住民の権利と文化
2. 民主主義と正義
3. 福祉と開発
4. チアパス社会の諸セクターの仲裁
5. チアパスにおける女性の権利
6. 対立の停止

という6つのテーマについて話合いを持つことが決められた。
1996年2月に1つめのテーマについて合意がなされ、「サンアンドレス合意」として調印が行われた。
同年3月から2つ目のテーマについての話合いがもたれるが、意見の対立から8月29日にサパティスタ側から話合いを中断する宣言が出されることになる。
その後は、何度も交渉と中断を繰り返しながらもサパティスタは支持者を確実に増やしていっている。
1997年9月には、サパティスタ側から非武装の組織としてサパティスタ民族解放戦線 (FZLN) を結成。FZLNには一般の市民も数多く参加している。

アクテアルでの虐殺

そんな中、1997年12月22日チアパス州のチェナルォ地区にあるアクテアル共同体が、政府側の準備軍事組織(パラミリターレス)に襲撃を受け、女、子供を中心に45名が虐殺される事件が発生。それまでにも死傷者を出す事件は起きていたが、これほどまでの規模の事件が発生したことはなかった。
この事件に対して、メキシコ政府は世界各地で非難をを浴び、最終的に州政府は、犠牲者の遺族に弔慰金や見舞金を支払っている。しかし、その後もサパティスタ側に対する襲撃が未だに鳴り止まないのが現実である。
サパティスタはメディアや、インターネットを使いその支持を拡大しつづけている。
1999年には、全国規模の国民投票がサパティスタの手によって行われ、全国各地で多数の人が先住民の権利や国家の平和を求めるというごく当たり前のことであるが、この国では行われていないことに対して賛同の投票を行った。

マルコス副司令官

サパティスタの実質的な指導者であるマルコス副司令官は謎に包まれている。
サパティスタのメンバーは常に覆面をしているため、過去と身元を隠していると言われているが、そのことに対してマルコスは「覆面は身元を隠すためではなく、人々の苦闘を示すためである」と語っている。
サパティスタのメンバーは彼の信念に絶対的な信頼を寄せている。彼らにとってマルコスが誰であるかといったことなど問題ではないのだ。
マルコスは武装蜂起した理由を「尊厳ある生活を得るためには戦うという選択肢しか残されていなかった」と語っている。
サパティスタと抑圧された人々は同じ苦闘を持つとマルコスは語る。
マルコスは地球上のあらゆる場所に存在する抑圧された少数派の人々の象徴であり、自由を求めるレジスタンスの叫びなのである。

サパティスタ代表団首都へ

2001年2月25日にサンクリストバルを出発したサパティスタの首都へ向かった先住民とその権利の承認をめざす行進は「尊厳の行進」「大地の色の行進」と名づけられた。フォックス大統領は公式には「首都行進を歓迎する」と言っているものの敵視する政府筋も多く、予断を許さない状況であったが、メキシコ12州で先住民をはじめとする多様な人々との対話・交流・集会を重ねて3月11日に首都のメキシコ・シティーに到着。
副司令官マルコスをはじめ、司令官タチョ、ダビド、モイセス、スサナなどサパティスタ代表団を迎えて、メキシコ・シティーのソカロでは8万有余の人々で埋め尽くされ人々の熱気で沸き立った。
サパティスタ代表団は国会での対話を3月28日に実現し、目出帽姿のまま国会の演壇に立つことに。その後代表団はチアパス州へと帰還していった。
しかしながら、メキシコ議会はCOCOPA法案に修正を加えた憲法改正案を賛成多数で承認、その内容はサパティスタが求めたものからは大幅に修正され、先住民の諸権利の行使を推進するどころか、阻害するものであり、到底受け入れられるものではない。8月14日にはその「先住民権利法」が公布されたため、サパティスタは「大統領や国会は対話の扉を閉ざした」と声明を発表している。


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