TEST FOR ECHO

Released 09/1996

TEST FOR ECHO
DRIVEN
HALF THE WORLD
COLOR OF RIGHT
TIME AND MOTION

TOTEM
DOG YEARS
VIRTULITY
RESIST
LIMBO
CARVE AWAY THE STONE

私的解説


テスト・フォー・エコー

ほら、行くよ──めまいがするだろう
くらくらするようなビデオだ
エコーのテスト

ほら、行くよ──スローモーションで
くらくらするようなビデオだ
エコーのテスト

知覚のスクリーンに起きた何らかの異常
へこんだパトカーを捕らえるカメラ
外野席の人々、無法者への志願者
もっともらしい拒否権を行使しろ
あのダイアルに触るな
テレビで見世物裁判が始まるまでは
僕らは現実から目をそむけていられる

感覚の中で、正時のニュース映像が流れる
長々と続く黄色いライン──
人の形に描かれたチョークの線
まがい物のプロチーム・ロゴをつけた不良少年たちが
挑発の言葉を吐く
何かに所属している、その証のお仕着せに身を固めていれば
落ち着いていられる
チャンネルを変えるな
ギャングスターの国家だ
今やテレビは犯罪シンジケートと化している

なんという見世物だ──くらくらする
めまいがしそうなビデオだ
エコーのテスト

きわどい状況だ──めまいがする
目が回るようなビデオだ
エコーのテスト

衛星生中継される、ある種のドラマ
犯罪現場から法廷まで
隠しカメラの映像が流される
借り物のネクタイとジャケットに身を包んだ不良少年が爪を噛み
わずかばかりのプライドにしがみついている
刑に服している時間はない?
それなら、犯罪なんか犯すんじゃない
そしてテレビの前で予科生のように歩く羽目になるな

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ドリヴン

上がり、下がり、円を描いて追いたてられ
真っ黒な氷の上を滑り落ち
暴風窓の中や外から見つめ
愚者の楽園(つかの間の幻影)へと追いたてられる

でも、今度は僕が駆りたてる番だ

過ちの限界へと駆りたてられ
制御ぎりぎりにまで追いたてられ
極限の恐怖へと駆り立てられ
深く暗い穴の淵まで追いやられる

夜も昼もぐるぐると追いたてられる
つむじ風に舞う木の葉のようにくるくる回りながら
裏通りをこっそり出たり入ったりし
また別の盗賊たちの隠れ家へと追いやられる

でも、今度は僕が追いやる番だ‥‥

中に追いやられる──
ぎりぎりまで駆りたてられる
外に追いやられる──
あとでひどい結果を引き起こすまで
引き離されて、追いたてられる──
決して目に見えない何かに
駆りたてられ続ける──
今まで行ったことすらない道に

でも、今度は僕自身が運転するんだ‥‥

僕の後ろに、道はまっすぐ続く
かつてあったものは行ってしまった
僕の前に、道はまっすぐ続く
そして僕は走り続ける

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ハーフ・ザ・ワールド

世界の半分は嫌っている
もう半分が毎日やっていることを
世界の半分は待っている
もう半分がなんとかやっている間に

世界の半分は生きている
世界の半分は作り出す
世界の半分は与える
もう半分がそれを取っていく

世界の半分は今存在している
世界の半分はかつて存在していた
世界の半分は考えている
もう半分が行動している間に

世界の半分は語る
その言葉は半分上の空で
世界の半分は歩く
半ば逃げ出したいと思いながら

世界の半分はうそをつき
世界の半分は学ぶ
世界の半分は飛ぶ
世界の半分が回る間に

世界の半分は泣き
世界の半分は笑う
世界の半分はもう半分と
同じようになろうとする

僕たちは半分に分割されている
まるで引き裂かれた写真のように
僕たちの半分は残りの半分に
追いつこうと努力をしている

世界の半分は気にしている
もう半分が日々浪費を繰り返すことを
世界の半分は分け与える
もう半分が奪い去っていく間に

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カラー・オヴ・ライト

また寂しい夜が来ることを
詳しく話したくなんかない
僕はただ、それが僕の使命だと言う気がしているだけ
そして何が正しいのかという感覚と

さあ、気楽にいこう
できることなら、そこにいたかった
何が正しいかということばかりで
何がいいことなのかが、僕にはわからない

のぞみのない状態だ
ほどんど眠れずにベッドに横たわる夜は
ここで何が起ころうとしているのか
君もはっきりわからない
でも、それが正しくないことだけは
はっきりわかっている

さあ、気楽に行こう
これ以上、君にできることは何もない
君は何が正しいかということばかりで
何が真実なのかがわかっていない

正義の質
光の量
慈悲の粒子が
正しさの色合いを決める

重力と距離が
光の進路を変えるように
重力と距離が
正しさの色合いを変える

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タイム・アンド・モーション

時間と動作
風と太陽と雨
日々は電車の車両のようにつながっている
大事な荷物でいっぱいにしよう
見つけられるものを全部つめこもう
自発的な高揚と
永続的に続く種類のものを

時間と動作
肉と血と火
人生は金と剃刀の針金で編まれた網のようだ
貴重な接触の糸を紡ごう
見つけられるものを全部そこにこめて
自発的な関係と
長く続く種類のものを

全能の海は月とダンスする
静かな森に
水鳥の鳴き声がこだまする

時間と動作
人生と愛と夢
惑星間を行き交う光線のように
視線が合わさる
超自然的なスーパーマンは
ありうるすべての快適さを必要とする
自発的な感情と
長く続く種類のものと

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トーテム

十二使徒を見た
仏陀の微笑みも
アラーの庭園
ヴァイキングたちのヴァルハラ
時々起こる奇跡

僕の魂は宗教には縛られない
そこには動物たちの神殿もある
ヴィシュヌ神とガイア神
アズテックとマヤの神が
僕のトーテムポールの周りで踊る

僕はこの目で見たものを信じる
僕はこの耳で聞いたものを信じる
自分の気持ち次第で世界の見え方が変わる
そう信じている

天使たちと悪魔たちが頭の中で踊る
狂信者たちと怪物たちがベッドの下にいる
メディアの救世主たちは僕を恐怖の虜にし
ポップカルチャーの預言者たちが
僕の耳元で戯れる

僕の星は天文的なしくみで同調する
季節的な運行、日々のヴァリエーション
ありそうもない、奇妙な世界

僕はいろいろな偶像と聖像を持っている
無言のうちになされる聖なる誓約も
注意深く隠された教え──
神聖で禁じられたものも
聖なる牛の周りを遠慮なくうろつくことも

だから僕は信じられる

僕の中にいる天使たちと悪魔たち
僕の周りにいる救世主たちと魔王たち

かわいい戦車が、低く揺れながら
僕のほうにやってくる‥‥

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ドッグ・イヤーズ

犬の生涯では
一年は実際には七年分以上
そしてあまりにもすぐに犬たちは
彼らの天国で車を追いかけるようになる

僕にはこう思える
太陽のまわりを自分で少し回ったら
僕らは逆行して
七年が一年のように過ぎてしまうと

犬の年月──むずがゆくなる季節
犬の年月──傷がまた表に出てくる

「ドッグディ」には
人々はシリウスを見る
犬は月に吠える
でも、その関係は神秘的だ

僕はこう思える
すべての犬にもいい時はあるけれど
骨をいったん埋めてしまったら
(心配で)外へ出て遊べなくなってしまう

犬の年月──むずがゆくなる季節
犬の年月──治ったはずの傷がまた現れる
犬の年月──雌犬たちの悲しい息子たちよ
犬の年月──尻尾を耳に挟んだ

僕はガラパゴスの亀になるか
地質学的な時代を生きたい
こんな犬の年月を生きるくらいなら

犬の頭脳の中では
低い周波数の雑音がいつも鳴っている
消火栓をちょっと嗅げば
答えは自動的にやってくる

僕はこう思える
ブロックの回りを自分で少し回ったら
僕らは高い周波の会話をするセンスを
なくしてしまったようだと

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ヴァーチャリティ

未知の海を漂流する、難破船の水夫のように
失われた船のファンタシーの残骸に、しがみついている
僕は荒れ果てた地をさまよう遭難者
仮想の砂の上に、足跡が見える

ネットボーイ、ネットガール
君たちの信号を、世界中に送れ
指を(キーに)動かし、語らせて
君自身を解放するんだ
ネットボーイ、ネットガール
君の衝動を世界中に送れ
君のメッセージをモデムに託し
サイバーの海に投げ入れるんだ

無重力のピクセル宇宙の宇宙飛行士
実体のない人種と絵手紙を取り交わす
僕は一粒の砂のような宇宙の救世主
僕はこの仮想の手に未来をつかめる

今夜は踊ろう
仮想の歌にあわせて
このキーを押してごらん
そうすれば楽しく遊べるから

今夜は飛んでいこう
仮想の翼に乗って
このキーを押してごらん
びっくりするようなことが見えるから

すれ違う二台の列車の中でお互いに手を振り合う、
二人の放浪者たちのように
雨の中窓ガラスを通して見えた、女性の微笑みのように
彼女の香水の匂いがする
彼女の唇の味わいを感じる
彼女の指先からほとばしる電流を感じる

ネットボーイ、ネットガール
君の鼓動を世界中に送れ

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リジスト

どんなものにも耐えることを学べるだろう
誘惑以外なら
どんなものとだって共存できるだろう
苦痛以外なら
どんなことにでも妥協できるようになる
自分の欲望以外なら
説明できないものとなら全部
上手く折り合っていくことを学べる

どんなものにも耐えることを学べるだろう
欲求不満以外なら
どんなことでも続けていけるだろう
目標を低くすること以外なら
どんなことにも目をつぶれるだろう
不正以外なら
僕の知らないすべてのことと
上手くおりあっていくことも学べる

祈ることをしないで
なにかに心をゆだねることはあるだろう
でも、もし本当に祈るのなら
心をゆだねなくては祈れない

勝利を得られない戦いだってあるだろう
でも、戦わなければ
決して勝つことはありえない

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リンボ

(インストゥルメンタル)

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カーヴ・アウェイ・ザ・ストーン

その石を丘のてっぺんまで転がしていける
(鉄の)玉と鎖を後ろに引きずって
鋼鉄の意思で、その重荷を運んでも行ける
苦痛を後ろに置き捨てて

その石を少しずつ削っていけ
シーシュポスよ
その石を少しずつ削っていけ
君の重荷を軽くするといい
一人であの岩を転がしていかなければならないのなら

道の果てまでも、その車を運転していける
それでも過去は、君の真後ろにあるだろう
荷物の重さを否定しようとするがいい
過ぎた夜の罪は、置いて行こうとするがいい

その石を刻め
シーシュポスよ
その石を刻め
君自身の重々しい肖像でも作るといい

その石を、丘のてっぺんまで転がしていける
鋼鉄の意思で、その重荷を運んでいける
その車を、道の果てまでも運転していける
荷物の重さを認めないことだってできる

その石をどこかへ転がしてしまうといい
シーシュポスよ
その石をどこかへ転がしてしまえ
もし君がそうしてくれたら
僕も自分の重荷にとりかかれる

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あくまで私的解説



TEST FOR ECHO

 テレビは現代社会を映す鏡とも言えます。マスメディアが発達した現在、世界中のニュースがテレビを通じて、目の当たりに 見ることができます。ビデオを見るような感覚で。
小学生連続刺殺事件や世界貿易センタービルのテロなど、衝撃的な映像を見るたびに、この曲の冒頭のフレーズが私に脳裏を掠めます。

Here we go − vertigo
Video − vertigo
現代社会に救いはないのでしょうか?



DRIVEN

 誰かの意思によって動かされるのではなく、自分の力で進め。人が運転する車に乗るのではなく、 誰かに行き先を指図されるのではなく、自分自身でハンドルを握り、進路を決めろ。自分の人生だ。
 これ、RUSHの一貫したテーマですね。



HALF THE WORLD

 half the worldを『世界の半分』とするか、『半分の世界』とするか、さもなければ『半世界』と訳すかで悩んだ末、結局一番 ベタな訳になってしまいました。
 要は世界は完全に同じレベルで統一されているわけではなく、両極に分かたれている、と言う感じだと思います。

 先進国と発展途上国、南半球と北半球のように、地球の上には二つの世界がある。 二つ合わさって完全な一つとなるのだけれど、今のところ半分に分かれたまま──ということでしょうか。 そして自分自身の心の中にも、二つの世界がそれぞれの半分として存在している、と言うのは深読みしすぎ?



COLOR OF RIGHT

 何が正しく何が間違っているのかはその時の社会情勢や心のあり方で変わるものなのだから 、自分の中の『正義』にこだわりすぎてはいけない、と言うことでしょうか。

「正義」というのは、もちろん大切なものですし、この世に正義がなければ、ますます荒れ、無法地帯になってしまうでしょう。でも、 何が厳密な「正義」なのかと言うのは、特にボーダーライン上のものは、一つ間違うと、かえって危険なものになりかねない、ということかもしれないと思います。
 たとえば、最愛の誰かを理不尽に奪われた、そんな悲劇に見まわれた時、奪った相手に復讐するのが正義でなのでしょうか、 それとも、法の裁きにすべてをゆだねるのが、正義なのでしょうか。 たとえば同時多発テロの報復に、軍事行動に出るのが正義なのか、あくまで平和的な手段を探すのが正義なのか──簡単には答えの出せない問題だと思います。
 ちょっとたとえが重くなってしまいましたが、結局何が正しく、何が正しくないのか──それを見極めるのは、難しいことなのでしょう。



TIME AND MOTION

 この詞は、通り過ぎる電車が、インスピレーションになったそうです。日々を貨車にたとえ、 その中に日々の出来事や感情といった荷物を満たして行こう、と。より多くの、実りある荷物をどれだけ積みこめるか、 それが「人生の意義」と言うものなのかもしれません。



TOTEM

 精神分析で有名なフロイトの、「トーテムとタブー」という著作があり、それによると、 Totemとは、我々が崇拝するものの象徴だ、とされています。それが様々な神であったり、天体であったりするわけでしょう。Neilはスタジオの本棚にこの本を見つけ、 作業の合間に読んで、興味をひかれたのだそうです。ユングの心理学は、「Animate」の元となったように、「Counterparts」製作以前に接し、興味を持っていたようですが、 そのユングとのつながりで、フロイト心理学にも手を伸ばしたのでしょう。
 この曲では、主に宗教的な主題がとりあげられているようです。「世界中いろいろ旅をしてきて、様々な宗教や社会システムを見てきたけれど、 それぞれに美点があり、素晴らしいと思ったので、なぜそれなら、すべての宗教を受け入れないのだろうかと思った」と、Neilは「JAM! Showbiz」 のインタビューで語っていたそうです。

 RUSH FAQによると、最後の"sweet chariot〜"のフレーズは、霊歌の一つに、非常に良く似ているそうです。と言うことは、もしかしたら、これは最後の時をあらわすのでしょうか。 その時に、すべての真相がわかると。非常に不思議な感じのする、ラストフレーズです。



DOG YEARS

 犬の一年は人間の七年分。でも人間も現代では、そのくらいあわただしく生きているのではないか、 七年が一年分くらいのスピードで飛んでいっているのではないか。もっとゆとりを持って生きたい、と。

 POWER WINDOWSのRUSH RELATEDのコーナーに、"in the dog days,people look to Sirius"のフレーズに関して、 詳しい説明が載っています。Sirius(シリウス)は大犬座の一等星で、「The Dog Star」とも呼ばれています。
 ギリシャ神話では、シリウスは猟師オリオンの猟犬でした。オリオンは、月の女神アルテミスに愛されたのですが、 アルテミスの兄アポロの嫉妬を買って、殺されてしまいます。アポロは妹の弓矢の腕前をからかい、「あの海の中の標的」を 射抜いてみろとそそのかしたので、アルテミスは矢を引いてしまいました。その標的とは、海を泳いでいるオリオンの頭だったのです。 うっかり恋人を殺してしまったアルテミスは嘆いて、オリオンを星座として天に上げました。それがオリオン座です。その時、 オリオンの忠実な番犬シリウスも、一緒に空に上げられたのです。これが大犬座。(今では、シリウスは「ハリー・ポッター」で有名 だったりしますが――「アズガバン」のSirius Black。この人、名の通り、動物変身で黒い犬になれる)
 前フリが長くなりましたが、オリオン座が出ない夏には、シリウスも見えなくなります。それは主人に忠実だからと、それに 夏の間シリウスが太陽に加勢して、その光を増しているからだと、古代ギリシャでは言われていました。その間の、シリウスが 見えなくなる時期のことを、dog daysと言うのだそうです。それがこのラインの意味で、もう一つ、"people look too serious"とも 聞こえる、意図的な掛け言葉なのだそうです。うーん、奥が深い。

 蛇足ですが、RUSHが「son of a bitch」なんて言葉を使ったの、初めてではないですか? この場合、意味的には決して悪態では ないんですが、やっぱり軽い衝撃でした。



VIRTUALITY

 alt.music.rush(ニュースグループ)で、「もしたとえばPermanent Wavesが出た頃の時代に、 『未来のRushからのボーナス・トラック』として、この曲が最後に入っていたりしたら、聞いた人は、 わけわからないだろうな」「いや、完全に2112のようなSFだと思うだろうよ」と言うような投稿が ありまして、うーん、確かに20年以上前の世界観から見れば、今のインターネット社会はSF的以外の なにものでもないのだろうな、と思えました。さらに、このVirtualityの世界でさえ、今(2003年)には ちょっとアナクロっぽくさえあるのですから、テクノロジーの進化は速いものです。ちょっと、空恐ろしいぐらいに。 とはいえ、前世紀半ばくらいのSF作家たちが予想したほど、今21世紀の科学って、進んでいるわけではないですけれど。

 曲自体ですが、これはネット社会とゲームの仮想現実についての曲で、Neil自身はそう言うものに否定的、 だと聞きます。(今でもそうかは、わかりませんが)一見歌詞を読むだけではわかりにくいですが、彼の一貫した隠れメッセージは “No,You can't!”だそうです。難破船で漂流し、宝物を発見しても、ピクセル宇宙の救い主になっても、架空の女の子と恋に落ちても、 本当は、そんなことは出来はしない。結局ヴァーチャルはヴァーチャルでしかなく、現実と混同したり、現実逃避につながったりするのはよくない、と言うことでしょうか。
 でもゲーム世界にしろ、ネットにしろ、それ自体に罪はないと思いますし、使い方次第では非常に助けになる。「Spirit Of The Radio」の一節のように、 「結局、君の誠実さの問題」なのだという気がします。



RESIST

 オスカー・ワイルドの作品の一説が冒頭の一句に引用されていますが、たぶん第一ヴァースはいくぶんアイロニーを含んでいて (それは結局誰にだってできるのではないかと言う)、本来の主張は第二ヴァース、これができて本物、と言う感じでしょうか?
 You can surrender〜 のくだりは日本語にするとちょっとわかりにくいかもしれませんが、補足するなら、
「真に祈る時には自分の主体はなくなる」すべてを神にゆだねる姿勢でないと、「祈った」ことにはならないということではないかと思います。(あくまで私見)

 ちなみにこの曲、仮タイトルは「Taboo」だったそうで、「Totem」と対になる概念を表しているそうです。フロイトの著書、「Totem And Taboo」の概念がここでも 基調になっていて、Tabooは、「我々が恐れるもの」の象徴なのだそうです。それが誘惑であったり、苦痛であったり、と言うことなのだと思います。

 でもこれ、個人的には改題されてよかった──Resist、とても好きなのですが、Tabooだと、別の曲を連想してしまう・・ (ちょっとだけよ――ああ、古い! 年がばれる!)



CARVE AWAY THE STONE

 

 シーシュポスの神話に基づいた曲です。シーシュポスはゼウスの怒りをかって、地獄で永遠に岩を押しつづける という苦行を課せられますが、人間の一生もそれと同じようなものだと、カミュの著書にありました。 永遠ではないですが、石(各自の仕事なり義務なり)を坂の上に押し上げ、転がり落ちて行ってはまた押し上げ、 の繰り返しが人生なのだと。それなら、その石を少しでも自分で軽くできないか、というのが、この曲の主題なのです。(たぶん)
カミュ/シーシュポスの神話



アルバムについて

 前作でハード路線に回帰して驚かせてくれましたが、これもけっこうハードです。でも、Counterpartsほどストレートではなく、 RUSHらしいひねりや仕掛けが、随所で聞かれます。今はもう休刊されてしまいましたが、「炎」誌のレビューで、「キャリアと伝統が考えもしなかったバランスで結び合わさっている」と書かれていました。
今までやってきたことの集大成、でも完全に昇華するまではもう少し、そんな印象でした。

「僕らは何処かへ行きつこうとしている、一緒にまとまって」──Neilが解説にそう書いていたのが、印象的でした。このまま順調に行けば、ライヴアルバムでなく、この路線でもう一歩進んだ、 完全に昇華したアルバムが出来たのではないか──そして、彼らが到達点に達した時、もしかしたらバンドはピリオドを打ってしまうのか──そんな危惧さえちらっと感じたのですが、 事実は皆さんもご存知のとおり、予想外のアクシデントが続いて、五年以上のブランクがあいてしまいました。

「それでも、僕らはそこへ行かなければ」──これは、Geddyのソロ作に入っていた「Still」のフレーズですが、私にはなんとなく、先のNeilの言葉に対する呼びかけのように聞こえたりします。(本人はその気はなく、なんとなく書いたのかもしれませんが)

 しかし、彼らはどこへ行きつこうとしていたのか、思いがけないブランクがその進路を変えたのか、それとも、再び同じ場所を目指すのか──
 そしてついに2002年5月、彼らは帰ってきました。予想も出来ない、エネルギーの塊のようなアルバムを引っさげて。


 

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