RUSH EARLY STORY - Part V




 74年春、Clevelandのラジオ局WMMSのディレクターであった、Donna Halperのもとに、自主製作盤RUSHのファースト・アルバムが 届きます。彼女の知り合いがTorontoでA&M Canadaにいて、その人が、「カナダの市場にはあわないと思うが、アメリカではどうだろう」 と、送ってよこしたのだそうです。
 Donnaは最初に「In The Mood」を聴き、それほど心を動かされなかったのですが、次に一番長いトラック「Working Man」を聴いた ところ、「これこそClevelandの人たちのためにあるような歌だ」と思ったそうです。(Clevelandはブルーカラーが多かったらしいので)
 そこでDJに言って、この曲をかけてもらったところ、かなりの反響がありました。
「どこでレコードを買えるのか?」という問い合わせがきて、急遽RayとVicに連絡を取り、カナダにあるレコードの在庫を送って もらったところ、すぐに売れたということです。
 Cleveland周辺でRUSHの知名度は上がっていき、そこを拠点にしてコンサート(前座だったり、クラブだったり)をしていくうちに、 アメリカのレコード会社が興味を示し始め、Donna Halperの紹介で、Mercury Recordと契約を交わします。そうして、74年夏、ついに メジャーデビューを果たすことが出来たのです。

 念願のメジャー・デビュー。しかしバンド内では、有頂天になってばかりもいられない問題が起きていました。
 John Rutseyは、1971年に健康上の理由で一時的にバンドを離れ、しばらくしてから戻ってきた経緯があります。この頃から彼は バンドの未来や自分の進路、そして健康の問題で、悩み始めていたそうです。Johnは糖尿病でした。まだ若いことでもあるし、成人病体型 でもなさそうなので、たぶん若年性の、インシュリン注射が必要なT型(だっけ?)のほうだと思います。Poisonのリードシンガーも 定期的なインシュリン注射が必要な、若年性糖尿病らしいですから、ロックミュージシャンが無理と言うわけではないのでしょうが、自己 管理が必要な病気ゆえ、生活が不規則になりがちなロード生活はきつい。その健康上の問題に加え、ミュージシャンとしての人生に不安を 感じ始めていたと言います。
 大勢の若者たちが夢を抱いて、ミュージックビジネスを目指す。しかし、成功するのは一握り。自分たちが、その成功者になれる保証は ない。その他大勢に待っているのは、結局はかたぎの仕事になる回り道か、それでも夢をあきらめきれず、根無し草の人生を送るか── 数年間のバンド生活で、大勢のそういった人たちを、見て来たに違いありません。もちろん、親兄弟からは、とっくに反対されている。
 現実は厳しい。それでも、自分はやりぬけるだろうか? それだけの自信と気概を持っているだろうか? 他の二人は、明らかにそうだろう。でも、自分は──
 メジャー契約の話が浮上して、かえってその現実のプレッシャーが、Johnの心に不安を生じさせたのかもしれません。
 Johnの心がバンドから離れていったのは、健康問題や将来に対する不安だけでは、もちろんありませんでした。バンドに対する ヴィジョンが、他の二人と食い違ってきた、と言うのもあります。Johnはやっぱりストレートでブルージーな曲が好きで、Bad Companyの ようにやりたかった。でも、AlexとGeddyはもっとプログレッシヴな方向に進みたがっていた。そのギャップも大きかったと思います。
 さらにもう一つ、バンド内の人間関係もあると思います。JohnとAlexとは、子供の頃からの友達だった。二人は性格的にも比較的 似ているような印象を受けるので、かなり気のあう、楽しい友達だったに違いありません。でも一対一の時にはいいのですが、三人に なると、ちょっと関係が難しくなる──普通の友達グループでも、そういうことって、ありませんか? 上手く三本のラインがつながり、 かみ合えば、強固な組み合わせなのですが、二人が親密になり、あとの一人がはじかれると、三人グループの関係は不安定になってきます。 Johnがはじかれた、とは言わないですが、Alex本人も「バンドの音楽的嗜好がはっきり別れていくと同時に、僕は昔ほどジョンと一緒に いなくなった。仕事以外でも、いつもゲディーと一緒にいるようになっていた」と「VISIONS」で、言っていました。
 ここで一つ思うのですが、GeddyとJohnとは、ラインがつながらなかったのだろうか、と。昔、RUSHがごく初期に分裂した時の悶着は、 たぶん感情的なしこりも含めて、引きずってはいないと思いますが。もちろん、長い間のバンドメイトであり、リズムセクションの相棒 でもあるわけですから、仲悪かったらバンドにならないと思いますし、普通に友達だったには違いありません。でも結果的にAlexを はさんで引っ張り合うような形になったのでは、と推測するのは間違いでしょうか。(変な意味では、決してないけれど) 似たもの 同士もさることながら、かえって性格が違う方が、いったん結びついた場合は、強固な絆になったりするものですから。もしかしたら、 JohnはAlexを「取られた」と思ったのかもしれない。以前Alexは自分を支持してくれたが、今はダメだろう──
おっと、これは邪推しすぎかもしれません。

 様々な要因が重なって、Johnの気持ちは徐々にバンドから離れていき、バンド内で話し合いが持たれ、JohnはRUSHを去ります。 メジャーデビュー、そして初の本格的なアメリカツアーまで、一ヶ月の猶予もない時でした。なんでわざわざこんな時期に、とも思える のですが、まあ、やっぱりGeddyが言っているように、「本格的にバンドが動き出す前に決着をつけたかった」のでしょうね。
 そしてRUSHから、ドラマーがいなくなってしまった。一ヶ月以内に新しいメンバーを見つけなければならない。それは猶予のない要請で した。そしてバンドはすぐに、新しいドラマーのオーディションを始めたのです。

 そこでやっとNeilの出番となるわけですが──話の行きがかり上、冒頭に出てきたきりなので、その後のフォローを少し入れておきます。
 NeilはSt. Katherinesに住んでいたので、Toronto在住の他の二人とは、それまでほとんど接点はなかったと思います。
 Neilは子供の頃、ラジオの音楽番組をよく聴いていたそうで、「特にリズミックな要素に興味を持った」と言います。そして箸を持って、 (なぜ、箸? ナイフとフォークじゃないの?と思ったら、その頃、家で中華料理をよく食べていたらしいです。中国系の人はいなかった ようですが) 家具や小さな妹のベビーサークルを叩きまくるので、両親が「それならいっそ」と、小さなドラムセットを買い与え、 レッスンに行かせてくれたそうです。それが、13歳の誕生日のことでした。
 その後、いくつかのアマチュアバンドに出入りし、学校に行き、アルバイトもし、(ハイスクール時代にレイクサイドパークで、 呼びこみのバイトをやっていたらしい)という生活でしたが、18歳の時、一大決心をして、プロを目指し、ロンドンへ渡ります。その頃は、 やはり、ロック音楽の中心はイギリスだったからでしょう。そこでいくつかセッションに参加して、ドラムを叩いたのですが、半年 がんばって結局芽が出ず、音楽では生活が出来なくなったNeilは、LondonのCarnaby Streetでみやげものを観光客に売る仕事をして、 やっとその日の糧を得ていたわけです。そして、すっかり音楽業界に失望したNeilはカナダに帰る時、決心したそうです。
「音楽で生活していこうと考えるのは、やめよう。生活のために他の仕事をし、音楽は趣味としてやっていこう。そうすれば、自由に やれる。夢も失わないですむ」と。
 そこでNeilは父親の勤めている農耕器具会社で働き始め、その一方で、セミプロバンドのドラマーとして活動を続けていました。

 RUSHのデビュー当時、NeilはHUSHというバンドに在籍していました。(おお、頭の一字が違うだけ!) そのNeilに、RUSHの オーディションを受けてみないか、と言う話が来るわけです。Neilが以前属していたバンドでのギグをRUSHの関係者が見ていて、記憶に 残っていたことから、話が行ったらしいです。
 ずっとセミプロでいいと決心していたところにやってきた、プロからの誘い。そこで、Neilは考え込むことになります。相手は アメリカのメジャーレーベルと契約を交わしている。アメリカツアーも控えている。でも、まだまだ将来は未知数だ。自分は音楽業界に 失望してきた。うまくいくとは限らない──
 それでも、RUSHのオーディションに赴いたのは、やはりNeilも音楽を愛するものとして、プロになりたいという夢が捨てきれなかった からでしょうか。大型のゴミ箱にドラムセットを積み込み、オーディション会場に向かったNeilは、しかし「何も期待はしていなかった」 と、のちに語っています。過度の期待は苦い失望に終わることもある、過去の経験からの教訓が、彼をして、そうさせたのかもしれません。

 オーディションでのNeilは、おもむろにゴミ箱からドラムセットを引っ張り出して組み上げ、嵐のように叩きまくったそうです。 Alexは「妙なヤツ」と思ったようですが、Geddyは「彼こそ、探していたドラマーだ」と思ったそうです。GeddyとNeilは意気投合したよう ですが、Alexは少々不確かさが抜けなかった、といいます。
 以下、Neilが帰ったあとの、想像上の会話です。

G「彼、どう思う?」
A「ああ──君は、ずいぶん気に入ってたね」
G「ああ。おもしろいドラマーじゃないか。技量もあるし」
A「でも、凄すぎないか?」
G「ああ、まあ、手数もパワーもね。テクニカルでパワフルなドラマーなんて、そういないぞ。僕らがこれからやろうとしてることに、 ぴったりじゃないか」
A「あいつ、髪短いよ。リクルートカットに、ボタンダウンシャツだ」
G「会社づとめだって、言ってたからなァ。でもバンドに入ったら、伸ばしてもらえば、良いじゃないか」
A「いいけどさ──もうちょっと他のヤツも見てみないか。即急に結論を出すのは、早すぎるよ──って、あれ?」
G「どうしたんだよ」
A「なんか、逆だよな。普通それは、君の台詞だ」
G「ああ、そうだなぁ。君のほうが、いつもは突っ走る。でもなんで今回に限って、そんなに慎重なんだ?」
A「君こそ、なんで急いで飛びつきたがるんだ? 焦ってるわけでもないだろうに」
G「感じだな──うまく言えないけど。一緒に演奏していて、凄くぴたっと来る感じさ。君は感じなかったか?」
A「まあね。僕はリズム隊じゃないけど。ヤツは悪くないよ。それは認める。上手いよ。インパクトもある。でも──僕らは逆に、 ついていけるか? ヤツに振り回されるんじゃないか?」
G「振りまわされないようにやれば、いいんじゃないか? 僕らも彼のレベルについていけたらさ──できないことじゃないさ」
A「まあな。僕は正直、ちょっとビビったのかもしれない」
G「君がビビるなんて、めずらしいこともあるもんだ──でも、正直言えば、僕もそうかも知れないな」
A「うん──ともかく、もう一人か二人、オーディションしてみないか? あいつを入れるかどうか、それから決めたいんだ」
G「まあ、やるだけはやってみてもいいけどな」
(でも、きっとあいつ以上の奴はいないだろうな。アレックスも、きっとそれがわかるだろう)
A「じゃあ、そうしよう」
(そうしたら、僕もきっと気持ちの踏ん切りがつくだろう)

 翌日オーディションしたドラマーは、礼儀正しくきっちりと、RUSHのファーストアルバムをコピーして叩いたそうです。 それを聞いて、AlexもNeilの加入に賛成する気持ちになります。求めるのは、言われたことだけをきちんとこなす人じゃない。何かを与えてくれる人だ。 彼なら、きっと新しい何かをもたらしてくれるだろうと。

 Neilの方でも、決断の時が来ていました。以下、HUSHのメンバーとの話し合いを、想像上で組みたてたものです。

N「RUSHから返事が来たんだ。僕を新しいドラマーに採用したいって」
HUSHのメンバー(以下、H)「それで君は、その申し出を受ける気かい?」
N「──受けようと思う」
H「本気か?」
N「ああ、いろいろ考えたんだけれどね。やっぱり、チャンスだと思うんだ」
H「プロになるのは、やめたんじゃないのかい、ニール?」
N「そのつもりだったよ」
H「だったら、なぜ?」
N「やっぱり、夢をあきらめきれなかったってことかな」
H「懲りたんじゃないのか? また失望することになるぞ」
N「そうかもしれないが──」
H「そうとも。いいか、ニール。相手はMercuryと契約したとは言っても、将来のことなんてわからないんだぞ。RUSHのことは、 僕も少しは知っているが、単なるZepのクローンだ。今は物珍しくても、クローンなんて所詮、本家を超えられない。すぐ飽きられて、 廃れてしまうのが落ちだ」
N「──そうかもしれない」
H「だったら、なぜ?」
N「──彼らは、それだけでは終わらないかもしれない。そんな感じがするんだ。僕はオーディションの時、話したんだけれど、彼らは もう少し複雑な、プログレッシヴ・テイストを入れたものをやりたいと言っていたんだ。僕もその方向に興味があった」
H「プログレッシヴ・テイストか。なんでも流行りものに飛びつくんだな。節操のないバンドだ。オリジナリティってやつがない。 そんなバンドが、長続きすると思うか?」
N「わからない。将来のことは、誰にもわからないと思うよ」
H「なあ、ニール。音楽業界なんて、君も知っているように、不安定で先のわからない世界だ。そこに全生活を賭けるなんて、危ないとは 思わないか。今だって、何も不満はないだろうに。まっとうな仕事について、収入は保証されていて、バンドで音楽を楽しくやって、 評判もよくて、小遣いも稼げている。言うことはないじゃないか」
N「たしかにね」
H「だったら、なぜそれを捨てて、先も知れないバンドに入りたい、なんて言うんだ?」
N「僕は生活の安定を望んだわけじゃないんだ。音楽がやりたい。それが生活の中心でなくてもいいから、音楽がやっていたい。だから、 父の会社で仕事をしているんだ。でも、もし音楽で生活できるなら──僕自身が納得できて、やりたい方向で好きな音楽ができるなら、 喜んで生活の中心に据えたい。もしかしたら、そうできるチャンスじゃないかと思えるんだ、今が」
H「先が知れなくてもか?」
N「ああ。前にも言ったけれど、どんなものだって、先は知れないと思うんだ。未来は、もともと誰にもわからない、不確定なものだよ」
H「──君は大きな間違いを犯そうとしているんだぞ、ニール」
N「そうかもしれない──でも、そうでないかもしれない。でも仮に間違ったとしても、後悔はしないよ。今まで、ありがとう。いっしょにやれて、楽しかったよ」
H「しかたがないな──戻りたいときには、いつでも声をかけてくれ」
N「ああ。ありがとう」

 そうして、NeilはRUSHに加入しました。1974年7月29日、ちょうどGeddyの21歳の誕生日のことだそうです。ここに、今なお続く不動の メンバーが揃うのです。
 新しくなったバンドは、まずMercuryからもらった契約金で楽器を買いに、三人揃ってトロントの楽器ショップに繰り出していきました。 それは、長い間欲しいと思いながら経済的な事情で買えなかった憧れの楽器を手に入れる、言ってみれば最初の夢の実現でもありました。 Alexはギブソン・レスポール、Geddyはリッケンバッカー、Neilはスリンガーランドのドラムセットを買い、みんな、すっかり有頂天 だったと言います。Alexは、はしゃいで、「この店のもの全部買ってやるぞぉー!」を叫んだそうですが、いかにも彼らしい行動です。
 昂揚した気分で再スタートを切ったバンドは、それから忙しい日々へと乗り出していきます。まずNeilは二週間でRUSHのファーストアルバム &レパートリーを全曲覚えること、さらに次のアルバムの曲作りまで平行して行われ、そして初の全米ツアー。いろいろなバンドの前座を 務め、演奏時間はわずか30〜40分。受けたところもあれば、わかってもらえなくてブーイングを浴びたところもあったといいます。 長い移動、短い演奏時間、撤収、そして次の町へ。移動時間やホテルの部屋で曲作りをし、食事も睡眠も、ほとんど移動の車の中。 それでも彼らは見果てぬ夢のために、旅を続けていったのでしょう。

 その後の歴史は、みなさんもたぶんご存知のとおり。長いハードワークの末、彼らは成功したバンドとなりました。夢は実現されたと 言っていいでしょう。しかし、夢の実現がゴールではなく、「続けていかなければならない」──この命題の方が、はるかに困難だった ことと思います。そしてバンド最大の危機は、ごく最近やってきました。しかし、どうやら乗り越えてくれそうです。まもなく新譜も 届きます。
 しかし70年代半ばあたりまでの彼らには、この未来は見えません。彼らはただ、夢の実現のためにがんばった。そして実力と運に 恵まれて、成功できた。しかし、多くのバンドが、音楽業界の波間に消えていった。それは運命の女神の踊りなのか、それともあらかじめ 決められていたことなのか──不思議な思いがします。

 私自身、ミュージシャンを扱った小説を書いたりしていますが、RUSHの初期史を書いていて、ふと思いました。
「フィクションは、やっぱり現実には、かなわないな──」と。




参考文献 :「Visions:An Official Biography」 By Bill Banasiewicz
「The Camera Eye Vol2 ─ Foundations/The Complete Pre-History Of Rush」 By Dave Ward
      「A Port Boy's Story」By Neil Peart (St Katherine's Standard)
      その他、インタビュー記事(詳細不明)



BACK     Rush Top