☆Analyzing "Nobody's Hero"

"Lyrical Discussion"ページでも少し取り上げましたが、この曲、あちらではそれほど人気がないような感が否めないのは、冒頭のフレーズが良くないのか、それとも曲がRushにしては、あまり「らしく」ないせいなのか(「昔の僕らなら、たとえば『Nobody's Hero』のような曲はやらなかっただろうし、やったとしても、あんなストレートな形でレコードに入れなかったと思う』という本人談があったほどだし←GeddyだったかAlexだったかは失念しましたが)、と思っていたところ、AMRの過去ログにて、この曲の解釈議論を発見しました。
 一読して、あまり自分の基本解釈とは外れていないな、とも思ったのですが、投稿者、GJanniさんの解釈がとても整然とまとまっていてわかりやすく、さらにいくつか新しい発見もあったので、「The Pass」に続いて、取り上げてみたいと思いました。(えっ? 人の褌で相撲を取るな? すみません。m(__)m しかし、Rushページの訳解釈も「Mystic Rhythms」を下敷きにしたものも多いですし、ネイティヴさんたちの解釈はいつもとても勉強になるものですから…まあ、ご容赦ください。)



I knew he was different, in his sexuality
I went to his parties, as a straight minority
It never seemed a threat to my masculinity
He only introduced me to a wider reality

 ここはまあ、いろいろと問題の一節でありますが、Neilが当時複数のインタビューで言っていた通り、彼の(バンド全体の、かも知れませんが)同性愛者の友人について語られています。この人はAIDSで亡くなったらしいのですが、彼が生きていた頃、そういう同性愛者たちの集まりに一緒に行った体験が、あったのかもしれません。
 ここで一つ、最後の一文、”He only introduced me to a wider reality”を、あまり深読みしないことが、ポイントです。ここはそういう人たちと話してみて、「恋愛は異性間でしか成り立たないと思っていたけれど、そうでない人もいるのだな。(そしてそれは決して異常なことではないのだな)」という認識を持った、と解釈するのが妥当でしょう。(ここを深読みする人がいるから、変な嫌悪感を持たれるんだよ〜〜というのも、AMRを初めとしたあちらでも、既出な意見のようです)

 その後、彼(Neil)は、その人と少し疎遠になった、というか会う機会がなくなったあと、しばらくして、その人が亡くなったことを知らされたわけですね。そして

  I felt a shadow cross my heart
  But he's nobody's --
 
と続くわけですが――
 ここで個人的な恥をさらしますと、私最初は「Nobody's hero」と「Unsung hero」を一緒に考えていた、というか似たようなものと思っていたわけです。(それじゃ「地上の星」になっちゃいますねぇ…) しかし「誰のヒーローでもない」わけですから「無名のヒーロー」じゃなくて、「ヒーローにはなれない人」という方が正解なのかもなぁ、と思いました。それで訳のほうも、ちょこっと訂正したのですが、まあ、それはさておき、次のスタンザ行きます。

Hero -- saves a drowning child
Cures a wasting disease
Hero -- lands the crippled airplane
Solves great mysteries

つまり、こういう人をヒーロー、英雄って呼ぶんだよ、というNeilの定義ですね。Neil自身がCounterpartsリリース時の「Burrn!」のインタビューでそう言っていましたし。

Hero -- not the handsome actor
Who plays a hero's role
Hero -- not the glamor girl
Who'd love to sell her soul

そして、こういう人は、世間ではヒーローと思われがちだけれど、実は違うんだよ、と。それはある意味、「ファンから見れば自分もそうだ(ヒーローだ)と思うかもしれないけれど、本当はそうじゃないんだよ」という含みも、当然あると思われます。たしかに欧米ファンサイトのフォーラムを見ていると、メンバーに会った時の体験を「僕のヒーローに会った」という言い方をよく目にしますし。

If anybody's buying
NOBODY'S HERO

この一文は、結論につながるので、後述します。

二番へ行きます。

I didn't know the girl, but I knew her family
All their lives were shattered
in a nightmare of brutality
They try to carry on, try to bear the agony
Try to hold some faith
in the goodness of humanity

 第二節の「絵」、正直言いまして、最初は自分では明確に思い描くことが出来ませんしでした。
「少女のことは知らない/でもその家族のことは、知っていた/悪夢のような残忍さに会って、彼らの人生は粉々になった/それでも彼らはがんばっていこうとした/苦悩に耐えていこうと/人々の善意をいくらかでも信じ続けていこうと」

 この家族は犯罪に巻き込まれて、ひどい目にあったのだろうか、少女との関係は――?

  「その少女は、犯罪者の手にかかって、惨殺されたのだ」――この解釈を目にして、「ああ、そういうことか!」と、初めて一つの明確な絵をイメージすることが出来た次第でした。
(すみません、未熟者で…(^^;))
 ただ、このあとのフレーズと、時間軸が前後するので、(彼らと疎遠になってから、少女が殺されたことを知った――その後が、最初の節に書かれていることになる)ちょっとイメージ湧きにくかったのですが、ネイティヴの人たちの解釈はほとんど一致しているようで、それに絵的にもそう解釈した方がはまる気がするので、たぶんその解釈(少女は犯罪被害者)というのは、正しいように思えます。

そしてこのあと、一番と同じパターンで、ヒーローの定義が続きます。

Hero -- the voice of reason
Against the howling mob
Hero -- the pride of purpose
In the unrewarding job

Hero -- not the champion player
Who plays the perfect game
Not the glamor boy
Who loves to sell his name

CDの聴感上では、"--"でなくて、"is"になっている気がしますが、まあ、意味的には変わらないということで。

そして
 Everybody's buying
NOBODY'S HERO

と続くわけです。


 Neilの定義では、Heroとは、どんな人か。「人の命を救う人(時にはわが身を犠牲にしても)」。一番の定義では、バリエーションはあるものの、ほとんどこのパターンですね。たとえば燃え盛る火の中に飛び込んで行って、中に閉じ込められた人を救出、というような。そして二番においては、もうちょっと広義の「hero」――この信条において、その勇気や信念において、真の英雄と呼べる人――しかし、あまり目立たないかもしれない、という点において、二番のヒーロー定義は、どちらかといえば「unsung hero」それこそ「無名のヒーロー」に近いものがあるのでは、と思います。

 そして、ハンサムな俳優とか天才プレーヤーなどは、よく人々からは英雄視されるけれど、真の定義では「ヒーロー」ではない。では、なんなの?
 ということで、GJanniさんをはじめとするAMRレギュラーの皆さんが議論をした末、導き出された結論は、「彼らはrole modelなのだ」ということでした。
 role model、つまり「模範となる人」――人々が憧れ、お手本にする人なのだ、それは英雄ではない。彼らはそのことに自覚的になり、自らを「お手本」と憧れる多くの人々のために、それにふさわしい品性と振る舞いを身につける時、彼らは真の「英雄」となれる、ということなのだ、と。Neilもインタビューで、そんなことを言っていた記憶があるので、その見解は正しいのだと思います。(「子供の親であることは、子供にとって親はrole modelであるということを自覚すべきだ」ということも言っていたなぁ。。自分的には、「ドキ!」ものです……) 

 それでは、一番冒頭の「ゲイの友達」と二番の「犯罪被害者の少女」は、「Nobody's hero」という見地から見ると、どういう位置づけなのか、ということを考察すると、彼らは当然ながら、「英雄」定義にはあてはまりません。「惨殺された少女」は、新聞には載るでしょう。多くの人が彼女のことを知り、同情もし、話題にもするでしょうが、彼女は決して英雄ではありません。(悲劇のヒロインかもしれませんが、それはこの曲には、はまらないですし) 彼女はある意味、有名にはなるけれど、それは彼女の行いや人となりが気高いからではないわけで、それゆえ少女は「nobody's hero」だ、となるわけです。
 「少女」の解釈、ここまではGjanniさんの意見で、私も同感なのですが、もう一つ私自身の意見を付け加えるなら、「娘を無残に殺されながら、それでも人々の善意や信頼を完全にはなくすまいと生活し続けた家族」というのは、ある意味広義の、無名のヒーローといえるのではないかなぁ、と思えます。ものすごい精神力と強い心、そして善良さが必要な行為だと思いますので。

「AIDSで死んだゲイの友達」も、もちろんヒーローではないわけです。Neilはこの人と友人関係にあったのですから、人となりは知っていた。きっと良い人であったのだと思います。自らに誇りを持ち、病とも雄雄しく闘ったのかもしれない、ある意味無名のヒーローのような品性を持った人だったのかもしれない。しかし、彼のことは社会には決して知られず、そして彼は、ヒーローには決してなれないのです。
 ここでふっと個人的に、AIDSで亡くなったゲイの人で、ヒーロー視されている人、そう、Freddie Mercuryが、連想されてきてしまいました。もちろんここで歌われているNeilの友人は、Freddieのはずがありません。Neilの友人は無名の人、でも、この曲にあえて「AIDSで亡くなったゲイの友人」を持ってきたのは、Freddieのことも背景にあったのかな、と、チラッと思えました。Freddieは有名で、その死は世間を少なからず揺るがせたけれど、しかしNeilの「ヒーロー定義」によると、Freddieも決してヒーローではない、ということにはなりますね。role modelではありますが。

 そしてこの曲の主題は何なのか。それはやはりAMRで議論されてきたように、「真のheroとrole modelとの区別を、はっきりつけること。そしてrole modelたる人は、そのことに自覚的になれば、真のheroになることも出来る。(だけれど、そう出来なかった人も多い。)」さらには、「それは有名人に限らず、普通の人でもそう。有名であることと、真のheroは違う。heroたらしめるのは、その精神性の高さなのだ。それは人に知られずとも、評価されずとも、その人はheroたりえるのだ」ということでしょうか。

 英雄は作り上げられたものではないはず、すべての人が英雄になれる可能性を持つ、と言うことかもしれません。(我ながら、ちょっと強引な結論かもしれませんが)
 

2005年4月28日更新

★ 一つ、肝心な結論を言い忘れているような気がしましたので、付け加えます。Neilは決してゲイで病死した友人や、殺された少女(とその家族)のような、Nobody's Heroに対して、「Heroではないから、尊敬には値しない」と言っているわけではなく、むしろその逆であることを明記しないと、誤解を招くかな、と思い、付け加えさせていただきます。「彼らは一般的にはヒーロー、ヒロインと呼ばれるような人たちじゃないけれど、素晴らしい人たちなんだ」と。そして、そこから「ヒーローとは何なのか?」を深く考えてみるべきなのではないか、とも思われます。(2006年3月10日追記)




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