QUEENは、私にロックへの扉を開いてくれたバンド、そして、その後の私の人生を変えたバンドでした。なんて言ってしまうと、大げさですが、ある意味本当です。
最初に見たのは、1976年の春、当時中高校生の間で人気があった、「ギンザNOW」という番組に生出演した彼らでした。それまで、QUEENの名前は知っていたものの、どんな人たちがどんな音楽をやっているのか、は、まったく知らなかったのですが、この番組で遭遇したので、少なくとも「どんな人たちか」は、わかったわけです。
彼らの姿を最初に見た時、「ベルばら・・?」と言う言葉が、脳裏を掠めました。最初は驚きと違和感を感じましたが(悪趣味にも思えたものです)、見ているうちに、思い始めました。なんだかエキゾチックで、かっこいいじゃない。特に金髪の人!
――はい、白状しますと、私は金髪美形に弱いのです、今も昔も。(^_^;)
初めてQUEENのアルバムを買ったのは、その1週間後でした。『Sheer Heart Attack』。当時のリアルタイムは『A Night At The Opera』でしたが、『Sheer〜』にしたのは、ジャケットにメンバーがはっきり映っていたことと、「Killer Queen」と言う曲名だけは、知っていたからでした。あくまで曲名だけで、どんな曲なのかは知りませんでしたが。
初めてアルバムに針を落とした時のことを、今でも思い出せます。 (そう、昔はアナログレコードだったんですよ・・)強烈なインパクトでした。カルチャーショックというか、『こんな音楽が、あったのか!』と言う驚きと興奮を感じたものです。
それから1ヶ月くらい、『Sheer〜』を聴きまくり、他のアルバムを聴いてみたくなって、誕生日のプレゼントに、親にリクエストして、『Opera』を買ってもらいました。その、ますます強烈なインパクトに、もう私の頭の中はQUEEN一色となり、それまで好きだったBCRやジャニーズアイドルは吹っ飛んでしまいました。
それからお小遣いをためて、秋に「QUEEN II」を買い、デビューアルバムはクリスマスプレゼントに貰って、'76年中にQUEENのバックカタログを全部集め終わったのですが、新しくアルバムを買うたびに、新たな衝撃と感激に出会え、どっぷりQUEENの世界にはまり込んでいったわけです。
彼らを通じて、とても多くのことを学んだように思います。最初はアイドル扱いされたQUEENでしたが、『あくまで主体は音楽なのだ』というスタンスで接すること、イギリスという国に対する興味、『英語』に対する興味――私は自慢ではないですが、中学に入って学び始めた英語が、大っ嫌いだったんです。元々国語とか英語、社会などというような、いわゆる「文系」は好きではなかったわけで、特に英語など、ちんぷんかんぷん、勉強してもさっぱり頭に入らず、何がなんだかわかんない。だいたいfやvやthなんて、発音めんどくさいし、rとlの区別もつかないし、つづり覚えるのなんて、苦行以外のなにものでもなかったわけで・・(^_^;)
当時は歌詞の意味なども、あまり気に留めてはいなくて、対訳がついているものはそれを見ればいいし、わからなくとも、曲そのものが素敵だから、気にならない。Freddieの声を(Roger、Brianも含めて)聴いていれば幸せ、だったわけです。
考えてみれば、QUEENファンになって1年くらい経った頃、妹が 「これって、どういう歌? 何歌ってんの?」と聴いてきたことが、歌詞に興味を持つきっかけだったかもしれません。
私がずっと家のステレオでQUEENを聞いていたので、妹もいつのまにかファンになり、一緒に聞きだしていたのです。 で、説明しようとしたのですが、わからない。(汗) たしかそのアルバムは「Opera」だったと記憶しているのですが、ということは、初版の「Opera」には、対訳がついていなかったのかもしれません。 (いいかげんですみません。今はCDに買い換えてしまったので、
LPは実家の何処かにしまわれ、手元にないものですから・・)
そこで、自分で辞書片手に訳してみようと試みた――出てきた訳は、ちんぷんかんぷん。妹、爆笑。
やばい・・(汗) そうか・・英語がわからなければ、Freddieが何を歌っているのか、わからないんだ。もしQUEENのメンバーに会えても、(ありえないでしょうが)言葉が通じないんだ。それじゃ、寂しいな――今さらではある、当たり前のことが、その時になってみて、わかったわけです。
なんというか、そんなミーハーなる動機から、苦手な英語を何とかして克服しようと、勉強を開始。英語の勉強に心を入れ替えて取り組んだと同時に、オフィシャルファンクラブに入り、イギリス人のペンフレンドをそこで見つけて文通し――大好きなQUEENのことなら、英語を読んだり書いたりが、全然苦にならないのが不思議なものです。学校の授業は、やっぱり苦でしたが(^_^;)。
私なりに真剣に英語に取り組んだ4年間。その後、某大学の語学部に入ることになったのも、たぶんにこのモチベーションがあったからだと、今でも思えます。
だからかもしれません。QUEENが私の人生を変えた、と言えるのは。英国人の彼らと、日本人の自分との間に横たわる言葉のギャップ、それをなんとか少しでも埋めようという動機がなかったら、たぶん私はずっと英語嫌いだったと思いますし、理科系の大学目指していたのではないか、と。実際個人的には、きっちり判って疑問や他の解釈が入る余地がない、理数系の方が好きだったものですから、元々は。そうなると、その後の人生コースは変わったでしょうから。違う出会いが会って、違う会社に行って、もしかしたら違う人と結婚して――うーん、パラレル。(^_^;)
もう一つ、彼らが開いてくれたもの、それは洋楽への窓でした。QUEEN聞きたさに、いろいろな洋楽番組を聞くようになり、その当時は今よりいろいろな洋楽を紹介してくれる番組がたくさんあったこともあって、その後いろいろな価値あるバンドに出会えたことも、一つの財産だと思っています。(ある意味、うちのHPの相方も、最初にQUEENに出会わなければ、決してたどり着くことのなかった(と断言できる)バンドですしね。(^_^;))
QUEENはもっとも成功したバンドの一つであって、全米、全英共にナンバー1ヒットシングル・アルバムともに出している、世界で1億枚以上のアルバムを売っている、スーパースター。でも、その音楽性は本当に「なんでもあり」「一つ所にとどまっていない」「先の予想のつかない」バンドであっただけに、そしてそれぞれとても個性豊かな、才能ある四人のミュージシャンの集合体であるゆえに、ちょっとした紆余曲折やメンバーの仲たがい、などという問題はあったわけですが、それでも彼らが「音楽業界に、現役で、QUEENの名のもとにいてくれる」ことは、足もとの地面が揺るがないのと同じように、安心感を与えてくれたわけです。
1991年11月24日、その「安心感」は、突如崩れ去りました。Freddieの死という形で。異論はあるでしょうが、私にとってのQUEENは、あくまでFreddie、Brian、John、Rogerの四人であって、一人欠けても成り立たないものであったゆえに、「終わってしまった…」と言う思いに、ひどく落ち込んだものです。
でも、本当に終わったのか――もう、彼らの新譜を聴くことは、「Made In Heaven」以降、決してないだろうけれど――少なくとも、私の知っているQUEENとしては――彼らの音楽はずっと命を持ちつづけ、今でも新しいリスナーたちを引きつける力を持っている。QUEENの音楽は、終わっていない。
過去だけれど、そう、過去の遺産と言ってしまえばそれまでだけれど、今も生命を持って輝きつづける音楽。それが、彼らの音楽なのだ――そう思えます。
QUEEN Forever――
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