☆ MUSIC LIFE 


 近年休刊になってしまいましたが、70年代から80年代半ばにかけてには、洋楽専門誌としては、もっともメジャーな雑誌でした。当時はA4版で厚さは一cmちょっと、カラーグラビアなどの写真も多く、取り上げるアーティストも、かなり多岐にわたっていました。
 QUEENの売り出しに当たって、もっとも力を入れていた雑誌と言われています。個人的には、もうすでにQUEENが売れまくっていた頃に買い始めたので、彼らの売り出し初期に関しては、わかりません。でも75年の初来日時に、QUEENだけを取り上げた来日記念特別増刊号を出していて、(※1)半年後には、QUEEN、KISS、AEROSMITH(当時、三大バンドと言われていました)の特集増刊号、さらに76年の再来日を記念した、QUEEN特別増刊号と立て続けに特集号を出していましたから、それだけ力を入れていたと言うことだと思います。
 当時の編集長さんは、記事を見るかぎりでは、あまりQUEENに傾倒していなかったようですが、ほとんど毎月記事が載っていたような記憶がありますし、人気投票も70年代後半から80年代初頭にかけて、一位を続けていました。(ただし、途中一度チープ・トリックに、首位を奪われた)
 個人的な記憶では、77年か78年ごろの人気投票結果を見て、「なんでJohnだけ二位? 目立たないからかなぁ」と思ったことがあります。その時、QUEENはグループ部門のトップ、Freddieは男性ヴォーカリストの、Brianはギタリストの、Rogerはドラマー部門の、それぞれトップだったのですが、Johnだけベーシスト部門二位だったのです。

 巻末には「He Said、She Said」という、読者のギャグ投稿ページがあって、そこで毎月のようにQUEENがネタに上がっていました。特に、Freddieの登場率はトップクラスでした。今は、Freddieは伝説のヒーローであり、非業の死を遂げたことで、半ば神格化されているような感もあって、茶化すなどとんでもないという雰囲気ですが、当時は、もう茶化されまくっていましたね。特異な風貌や衣装、 とくに白やダイヤ柄などの、胸の大きく開いたぴったりタイツや、赤白トランクスに着物という、初期のステージ衣装は、笑いのネタには、うってつけだったようです。
 当時のアニメ、「キャンディ・キャンディ」の主題歌の替え歌、「フレディ・フレディ」とか、その他いくつか覚えているネタはあるのですが、ここには書きません。故人への冒涜だ、と怒られるかもしれませんから。でもQUEEN自体、「I Want To Break Free」のビデオに代表されるように、ギャクセンスも満載のバンドでしたから、自分がギャクになったとしても、悪意がないなら、笑って受け入れて くれたのでは、とも思えます。

 70年代後半、特に'77年ごろまでの「MUSIC LIFE」でのQUEEN記事は、読み手であるファンにたいして、単なるルックス重視、音楽二の次のミーハーファンでなく、音楽そのものを愛するファンになろう、ミュージシャンをアイドル扱いするのではなく、その素晴らしい音楽を生み出す演奏家たちとして尊敬しよう、そんなスタンスで呼びかけるような記事が、時々ありました。
 当時QUEENのファンは、(いや、QUEENに限らず、BAY CITY ROLLERSやそのフォロワーたち、後続のJAPAN、CHEAP TRICKなどもそうですが)明らかにミュージシャンを「アイドル」としてみる少女ファンたちが、この時代は、多かったような気がします。MUSIC LIFE(略してMLと呼ばれていました)の記事は、そういうファンたちを、音楽ファンとして成長させようとしていたのではないかと、 思われます。
 たとえば、好きなミュージシャンに恋人がいるからといって、または結婚しているからといって取り乱したり、ファンをやめたりなんていうのは、愚かしい。来日時に行く先々のホテルまで執拗に追いかけたり、コンサートでろくに音楽を聞きもしないでキャーキャー叫んでばかりいるのは、控えるべきだ。ミュージシャンはあくまで音楽家であって、あなたの理想の恋人ではないのだ、と、そんな論調 だったと思います。
 BLONDIEのデボラ・ハリー(※2)とRogerが、とあるパーティー会場でキスをしている写真が、MLに載ったことがありました。そうしたら、ファンから抗議の手紙が殺到したらしいです。「許せない!」「私のロジャーに、なんてことを!」という感じで。
 その反響大きさに、翌月号のMLに、先のような論調の記事が、載ったことがありました。まあ、語弊を怖れずに言えば、当時のQUEENファンは、たしかにミーハーが多かったのでしょうね。(私もその一人であったことは、否定しません。さすがに追っかけや怒りの手紙は、やりませんでしたが)
 でも、そのミーハーファンたち(ああ、当時のファンの方々、ごめんなさい!)を、音楽ファンへと変えて行くことが出来たのは、MLの記事(一割くらい)と、アイドル扱いするにはあまりに素晴らしいQUEENの音楽(九割)のおかげでしょう。彼らはアイドルではなく、真のミュージシャンなのですから。

 MUSIC LIFE誌は80年代後半、だんだん記事のトーンが変わっていき、B4版の大きさになる頃には、まるで以前同誌から分かれた「ROCK SHOW」のような、ポップス系アイドルの専門誌(MLは、扱っているアーティストはロック系でしたが)のような色合いを帯びていき、ロックのもっともメジャーな雑誌という地位は、同誌から分かれた「BURRN!」に奪われることとなりました。その後、「BURRN!」から新編集長を迎えて立て直しをはかりますが、‘98年、ついに休刊となってしまいました。70年代後半から80年代前半まで、個人的にはバイブルのような雑誌だっただけに、非常に残念な思いがします。

 ※1 最初の来日増刊号は、すぐ売り切れになり、「幻の増刊号」と言われていました。

 ※2 ニューヨークの五人組バンド、BLONDIEのヴォーカル。代表曲は「CALL ME」「HEART OF GLASS」など。バックの四人は男性で、紅一点のデボラ・ハリーは、プラチナ・ブロンドの、マリリン・モンローのロック版を狙ったのでは、という感じの女性でした。彼女の唇に一億円の保険がかけられていた、という話は当時、けっこう有名でした。






☆ MUSIC LIFE 増刊号

 MUSIC LIFE誌は、‘75年、'76年、'79年、'81年と、QUEENが来日するたびに、来日特集号と銘打った臨時増刊号を出していました。QUEENのコンサート・レポート、スタッフの裏話、来日中の行状記、評論家たちによるQUEEN論、占い師が見たメンバーの運勢など、一冊全部QUEEN。盛りだくさんの内容でした。来日はしませんでしたが、‘77年にも出ています。
 異色なところでは、'76年の来日記念号に、ピーコさんによるメンバーのファッション・チェックというのもありましたっけ。Brianはオーソドックスなファッションで、Freddieは奇抜、特に上下白なんて、よっぽど自信家でないと着れない、ステージ衣装は趣味悪い、などと書いてありました。(まあ、ピーコさんですから)
 ‘76年号には、「あえて反対意見に耳を傾けよう」というようなタイトルの、QUEENに批判的な三人の評論家たちの論評が載っていて、「なんで特集号なのに、わざわざ悪口書いて、ムカつかせなきゃならないわけ!」と、買った当時はむっとしたものです。思えば、これもミュージックライフ誌の、「QUEENファン啓蒙運動」の、一環だったのかもしれません。

 QUEENの来日増刊号のほかに、「QUEEN、KISS、AEROSMITH、三大バンドの激突号」などというものもありました。当時、この三つが日本でもっとも人気のあったロックバンドでした。(BCRはロックバンドとはみなされていなかったし、「MUSIC LIFE」ではなく、ポップス系アイドルを扱った「ROCK SHOW」の管轄でした)
 KISSもエアロも、このあと数回のメンバー・チェンジを経て、一時期シーンから消えていましたが、どちらも復活しました。KISSもベテランらしく堂々とした活動ぶりで、AEROSMITHは、今ではボン・ジョヴィと並ぶ、洋楽でドームを埋められる稀代の大物アーティストです。QUEENも含め、この三つのバンドはお互いに当時から、リスペクトしあっていたそうですから、今もしQUEENが健在なら、三大バンドIN東京ドーム! などと夢のようなことを、思ってしまいました。






☆ 音楽専科

 MUSIC LIFEのライバル誌、とも言われていましたが、80年代に休刊となったようです。グラビアはMLと比べて少なかったのですが、読み物は充実していて、かなりコアなアーティストも取り上げ、マニアの間では評価の高かった雑誌でした。MLは横書きでしたが、音楽専科は縦書きの記事で、それゆえ装丁も逆でした。
 巻末ロックマンガも、おもしろかったです。毎号数ページに渡る力作で、ギャグはきついし、きわどいネタも多かったのですが、いろいろなアーティストが出てきて、笑わせてくれました。QUEENも、ほとんど毎号出演していたような気がします。特にFreddie、次はRoger、内容は──そうですねえ、MLの「He Said、She Said」を、さらにギャグ化したような、なので、あとは想像にお任せします。






☆ ROCK SHOW

 70年代後半に、MUSIC LIFEから分かれて出来た姉妹誌。当時BAY CITY ROLLERS全盛の頃でもあり、BCRファミリー、FLINTLOCK、BUSTER、などのアイドル系ポップスグループを中心に扱っていました。ブームがピークをすぎたあとも、JAPANやCULTURE CLUB、DURAN DURANいった、ポップよりのイギリス系アーティストを中心に扱っていたようです。
 「アイドルファンとしてではなく、音楽ファンとして振る舞おう」というスタンスを説いていたMUSIC LIFEとちがい、ROCK SHOWは、「アイドルだってミーハーだって、良いじゃない。好きなんだから」という路線で、突っ走っていったような印象です。扱うアーティストやその記事の書き方、グラビア記事の多さなどが、そういう感じを抱かせたのかもしれません。
 ROCK SHOWが休刊になった後は、MUSIC LIFE本体が、この路線を走り出したような感じでした。当時、LAメタルを初めとするヴィジュアル系のロックが大ブレイクしていた時代(※)だったこともあるのでしょう。

 好きなのはわかるけれど、音楽と関係ないところで騒ぎすぎると、コアなファンや男性は離れていってしまいますし、もとのムーヴメント自体が衰退すると、共倒れになってしまう危険もある、というのを、測らずも実証したような感じになってしまったようです。

※ BON JOVI、GUN‘S’ROSES、MOTLEY CLUE、POISON、SKID LOW、WARRANTなど、80年代後期は、華やかなロックバンドが大活躍した時期でした。ご記憶の方も多いことと思います。(私もかなりはまりました)BON JOVIは、いまやエアロと並ぶ大物ですが。




戻る