☆ 1979年4月13日、23日  日本武道館 


 「JAZZ」期の来日で、内容はその後出た「QUEEN LIVE KILLERS」と、ほぼ同じです。武道館公演は4月12、13日と23日から25日まで、 計五回でした。どの公演も、ほぼ一杯だったと思います。私が行った二回も、満席でした。
 「LIVE KILLERS」のジャケ写にあった巨大ライトは、まるでステージの天井のようで、圧巻でした。赤、白、緑と三色だけなので、 色そのものはシンプルなのですが、ライトの数が多いので、まるで光の洪水のような感じなのです。「Bohemian〜」の、オペラティック・ コーラス部では、メンバーはステージからいなくなるのですが、その間ライトが緩やかに傾斜しながら動き、ドライアイスのスモークと あいまって、なんとも幻想的なムードをかもし出していました。

 23日の公演は、録音テープ(^_^;)が手元に残っています。セットリストは、次の通りです。

We Will Rock You (Rock Version)
Let Me Entertain You
Somebody To Love
Fat Bottomed Girls
Death On Two Legs
Killer Queen
Bicycle Race
I'm In Love With My Car
Get Down, Make Love
You're My Best Friend
Now I'm Here
Teo Toriatte
Don't Stop Me Now
Dreamer's Ball
Love Of My Life (Acoustic)
‘39 (Freddie Version)
It's Late
Brighton Rock
Keep Yourself Alive
Bohemian Rhapsody
Tie Your Mother Down

 ── アンコール ──
Sheer Heart Attack
We Will Rock You (Original Version)
We Are The Champions

「Now I'm Here」での、観客との掛け合い、「手をとりあって」の大合唱など、ライヴの醍醐味でしょう。Love Of My Lifeでの合唱は、この時には、まだそれほど大きくはありませんでした。
 会場の警備が厳しく、ちょっと立つとすぐに警備員が静止するので、そのたびにちょっと気勢をそがれたこと、観客がかなりテープを飛ばすので、ステージに紙テープが散乱していたこと、ギターソロや歌の合間にいれる手拍子が、微妙にずれていたこと、それにアンコールを要求するのに、「アンコール、アンコール!」と連呼するので、「あれじゃ、意味わかんないのでは?」と思ったことなどが、ちょっと惜しかった点ですが、それって、QUEEN側の責任じゃないですね。

 ‘75年も‘76年の公演も見逃した私ですが、当時は「ま、来年も来てくれるかな」なんて、お気楽に構えておりました。が、「レース」リリース後も「世界に捧ぐ」が出た時も、日本にはプロモーションに来なかったため、三年間待たされた格好になりました。やっと見れた時の興奮度は、尋常ではなかったです。
 当時「チケットぴあ」はなく、プレイガイドに回される席にもばらつきがあるため、直接プロモータ指定の場所に、チケットを買いに行ったものです。徹夜で並ぶことは、親の許可が下りなかったため、始発電車で買いに行きました。(早起きが大の苦手の私としては、画期的なことです) それでも、アリーナは取れなかったですね。二日とも、スタンド席でした。でも、13日が一階南東の4列目、23日は二階ですが南の最前列と、けっこう前の方だったので、オペラグラスを通して、メンバーはばっちり見えました。Rogerの顔も見えたのですが、ドラムセットの位置が低かったのでしょうか。




☆ 1981年2月16日、18日  日本武道館

 「The Game」期のこの時には、東京のみの五回公演でした。2月12、13日、そして、16日から18日までの日程です。メンバーは、家族同伴で来日していたようです。
 前回ツアーの巨大ライトは姿を消し、かわりにもう少し小ぶりなライトが複数機、使われていました。紫やピンクが加わっていて、少々柔らかい感じになっていました。

 前回ツアーのセットリストから落ちた曲は、Somebody To Love、Fat-Bottomed Girls、Bicycle Race、手をとりあって、Don't Stop Me Now、Dreamer's Ball、'39、It's Late、Brighton Rock。4曲のぞいて、あとはみんな「Jazz」からの曲ですね。
 新しくセットリストに加わった曲は、Play The Game、Save Me、Dragon Attack、Crazy Little Thing Called Love、Another One Bites The Dustという、「The Game」からの5曲と、「Flash Gordon」からの、Battle Theme、Flash's ThemeからThe Heroのメドレー、さらに、なぜか「Mustapha」が入っています。

 この5公演、日によって、追加される曲が変わりました。16日は「Rock It」、18日は「手を取り合って」。特に最終日の「手を取り合って」は、たしかアンコールの最後に追加されたこともあって、狂喜しました。会場中文字通り「手を取り合って」の大合唱となったことは、言うまでもありません。ちなみに13日は、「Need Your Loving Tonight」が演奏されたようです。

 「Love Of My Life」は、待ってましたの大合唱でした。掛け合いも、盛りあがりました。ただ惜しむらく、どの日だったかは忘れてしまいましたが、Freddieの声が少々かすれ、フェイクダウンが目立って、Rogerに助けてもらっている場面が見られました。「フレディは、あまりのどが強くないのかな」と、その時思ったものです。それでも観客を見事に乗せてしまう、天性のパフォーマーですが。アンコールで、スーパーマンの衣装に身を固めたボディ・ガードに肩車されて、登場して来た時には、Freddieがスーパーマン以上に見えました。

 ただ、今回もテープの洪水と、「アンコール!」は相変わらずでした。警備の厳しいことも、ほぼ同じ。今回は16日がアリーナ、18日は二階席南東2列目でした。
 念願のアリーナでしたが、後ろの方だったため、若干見にくかったです。床に段差がないため、前の人が立ってしまうと、もう立つしかないですし。前に背の高い人が立ってしまうと、視界をふさがれてしまうこともあって、(幸い私は背は高いほうで、まわりに男性もさほどいなかったので、ある程度の視界を確保できましたが、一緒に行った妹は、少々小柄だったため、さかんに飛びあがっていました)近いことはたしかに近いのだけれど、視界のクリアさは、アリーナの後ろより、スタンド席の前のほうが、あると思った ものでした。

 なお、当時は映画「Flash Gordon」が公開された頃でもあり、Freddieを除く三人のメンバーが、プレミアショーに出演していました。 なぜFreddieが欠席だったのか、その理由はよくわかりませんでしたが。




☆ 1983年11月3日 西武球場

 「Hot Space」期の来日公演は、武道館でなく、初の野外スタジアムで行われました。この時には、全国的にスタジアムなど大きな会場を回っていたようです。
 このコンサートについては、「Live In Japan」として映像作品になっていますから、セットリストなどはそちらを参照、と言うことで割愛します。

   個人的には、「スタジアムをいっぱいにできるほど、QUEENの人気って、凄いんだ。ついにここまで来たんだ」と言う事実に、感激したものです。ただ、コンサートそのものは、武道館規模でやってくれたほうがいいなぁ、とも思いました。ステージが遠いのです。フィールドの中はグラウンドや人工芝を痛めるせいなのか、ステージ前方のスペースが、シートをかぶせられたままかなり広く空いていて、 ステージと観客との距離が、かなりありました。しかも、スクリーン映像はなし。私の席は外野スタンド中段、オペラグラスをのぞいても、顔が見えません。ましてや肉眼では、豆粒より小さい。おまけにその頃の西部球場はドームではないので、音が拡散されてしまって、少々音圧不足に感じられました。おまけに11月。夜の野外は寒い!
 なので、正直いまいち乗り切れず、コンサートそのものの記憶は、あまり残っていないのです。思い出すためにも、映像作品を見たいのですが、残念ながら未入手です。

 QUEENにとっても、日本のスタジアムでコンサートをしたのは、この時のツアーだけでした。LIVE IN RIOなど、もっと大規模な野外コンサートに慣れているはずのQUEENですが、やっぱり彼らも寒かったのでしょうか。Freddieの声の調子も、なんとなくいま一つのようでしたし。などと、勝手な推測をしています。




☆ 1985年5月11日  代々木体育館

 最後の日本公演となってしまったこのライヴも、「FINAL LIVE IN JAPAN」としてビデオ化されています。ので、セットリストは割愛します。

 「THE WORKS」期のライヴなので、当然そこからの曲は多く、記憶を手繰ると、背景もRADIO GA GAの(というより、メトロポリスの)大車輪が回っていたりしました。「Radio〜」では、ビデオのように観客全員が頭の上で手を叩いて大合唱をしました。ヴィデオには「ブレイク・フリー」で、Freddieがプロモの衣装で現われて、ブラジャーを観客席に投げたりし、観客がどっと沸くシーンがあるそうです。そう言えば、あったかな。ああ、最後なのに、記憶がはっきりしないのが、残念です。

 この時はアリーナ中ほどの絶好のポジションで、オペラグラスを使わなくとも、メンバーが良く見れました。警備も比較的緩やかで、途中からみんなどんどん立っていました。Freddieの声の調子も良くて、演奏も安定し、良いコンサートでした。テープも演奏の邪魔になるほどは飛ばず、みんな大人になってきたなぁ、という印象でした。「アンコール!」は、あまり変わらなかったような記憶はありますけれど。

 この時には、これが最後になるとは思わず、「また今度来たら、行こう」と思っていました。次のアルバムか、その次になるのか、はたまた‘79年のように三枚くらい待たされるのか。でも、どちらにせよ、QUEENは活動を続けていくだろうし、そのうちには、また日本に来てコンサートをやってくれるだろうと、信じて疑いませんでした。
 その後、アルバムはリリースされ続けました。リリース間隔は多少長くなっていましたが、それでも彼らは活動しているのだな、と安心していました。「The Miracle」で、ずっと心配だったバンド内の不和も解消され、良い状態になっていると聞いて、このままずっと続いてくるだろうと、思ってもいました。とりあえずコンサートはやっていないようだけれど、活動している限りは、またステージに立ちたくなる日が来る。その日は、いつ来るだろう。次は、いつ来てくれるだろう──
 そう思いながら、'91年11月24日を迎えたわけです。もうQUEENが日本でコンサートをすることは、永遠になくなりました。少なくとも、FreddieのいるQUEENとしては。
そういう意味で、今思い出すと少々ほろ苦い、ラストステージの記憶です。






戻る